三の段其の幕間 武家の生きかたと農協のありかた
下僕。従僕。下人に奴隷。 白丁。奴婢に不可触民。
そんな身分に意味はない。それがこの世の常識だ。
科学の発展や技術の進歩と共に、かつては公に認められていたそれらの差別は、人権主義と科学文明の下に当然のごとく否定されていった。
今では子供でさえそんな差別をする人間を馬鹿よばわりする始末だ。
だが、それらの身分制度を否定する者でさえ、王族や貴族を特別視し、社会全体で見ればさして意味のない個人能力の差を重視し、自らが特別であろうと相争う。
それは武家とそれに追従した商家の社会が、文字や教育を“ 世代を幾十も重ねるほどの永年 ”に渡って独占していた事による弊害であり、彼らの文化が現代社会の根幹に根付いている故の“ 自らへの無意識的差別 ”なのであろう。
“ 他者と比較する事でしか自分自身の価値を決める事さえできない惨めさ ”を、当たり前の事と感じさせる武家文化による精神征服。
前世界に蔓延していたそれらの価値観は、“ 農家を武家の下の身分として搾取することを正当化”するために創られた価値観だった。
その武家社会の論理を継承した軍人と経済人により、前世界では農家は消えていき、農業商人がそれにとって代わり、利益のために発展途上国で戦争や大量の餓死者を生み出していた。
おそらく、それは至極当然の成り行きであったのだろう。
“ 自然と相対し人の生を支える ”という農家のありかたや生きかたとは、武家と商家の生きかたである“ 人間相手のゼロサムゲーム ”にとっては、容易く手玉にとれるものでしかないからだ。
ゼロサムゲームとは、限られたものを奪い合うことで成り立っている。
資源を、食料を、形のないアイデアを、そして人の命さえも、値をつけて奪い合う。
それらを育み産み出し作り出す人々の想いを一顧だにせず、ただただ利を求めて。
自分達の依って立つ世界を切り崩す行為であるとは気づかずに、世界の根幹を支えるそうした人々の生きかたを、“ 自分達が征服統治する時代にそぐわない ”と安易に切り捨てさせる。
“ 人心の荒廃とは貧困で起こるのではなく、そういう生きかたを切り捨てることで始まるのだ ”と指摘する者の声は、富を求めて蠢く亡者達にさえぎられ。
“ ただただ、利を追う事が正しいのだ ”という者達の先導で、“ 一時の享楽に目を奪われた子供達が、ハーメルンの笛吹きの後を追うかのように ”多くの人間が、ただただ富という幻想に付き従っていく世界。
奪うよりは産み出すことを大事にする農家の論理を語る者は、現実を見ない愚か者とされ、“ ゼロサムゲームの勝者のみが社会を動かす先進国 ”が世界中を道連れに、ゆっくりと破滅へと突き進んでいく前世界。
“ 人類の自滅本能が人々の無意識を征服して生まれた武家の文化 ”を踏襲したことで、“ 商人による世界の征服統治が浸透した前世界 ”は、その運命を暴力と破壊の螺旋の内に定めてしまった。
世界の外にあって、多くの破滅や悲劇を防ぎ続けたからこそ、世界とともに不老不死たらんとする仙人だからこそ、久遠は誰よりも深くその事を実感していた。
それ故に、前世界へと続く歴史を破壊することを目的として創られた農協は、武家文化の根幹をなす身分差別とゼロサムゲームによる能力評価を、血統主義と同様に否定していた。
しかし、農家では容易く受け入れられたその価値観も、武家文化の影響を強く受けた豪族達の一部では受け入れられないこともあった。
「この村は代々、儂の一族が差配してきたんじゃ。 それを認めぬのなら儂等もあんたがたの指図は受けられん」
農協の庇護下に入るときには平身低頭していた村長が、今になってそう言い出したのは、農協によって新たに切り開かれた土地の分配が気に入らなかったせいもあるのだろうが、なによりアーコロジーの完成により外部の脅威が完全になくなったと思ったからだろう。
喉下すぎれば熱さ忘れるというが、当初の農協の神秘に対する怖れは消え去り、村長を初めとする富農達の顔には、武家のような横暴や力の誇示をしない農協相手ならば、“ ゴネれば得になるだろうという、さもしい考え ”が表情に透けてでていた。
「それは農協から離脱したいということでしょうか?」
「そうじゃないが、儂等の事情を考えてくれんのではついていけんな」
今更になって、この村から手を引いたりはできないだろうと言わんばかりに、村長は強気な態度を崩さない。
「あなたがたのその権利は朝廷とそれに従う武家から授かったとされるものでしょう? 農協に所属するときにその権利は放棄すると誓ったはずですよ」
「あの時は命がかかっとったから言うなりになったが、朝廷だなんだとかは、儂等は知らん。 ずっとそうやってきたんじゃ」
あくまで理路整然と語る農協の使者に対して村長は無理を通せば道理はひっこむだろうとばかりに、自分の利のみを主張した。
「あんたらの言うことを聞いとったら儂等は損ばかりじゃ。 “ さにえ ”も止めよ、外人どもを家に住まわせよとしたいほうだいじゃ」
「働けなくなった人の命を奪うことを望む神などいないし、その家を建てたのも農協ですよ」
「それも儂等があんたがたから買わされたもんの儲けで建てたんじゃろ。 儂等のもんを掠め取られてるようなもんじゃ」
あげくの果てに喜んで買い漁っていた農協の農具や珍しい品々を、買ってやっているのだと言い出した村長の取り巻きに、使者はそれでも嫌な顔ひとつせずに理を語る。
「商取引は双方満足がいくものだったはずですよ。 買わされたとはどういう意味でしょう?」
「周りを囲まれていては他の商人は入ってこれん。 あんたがたのものだけしか買えなくなったんじゃから買わされてるようなもんじゃ」
言葉に詰まった取り巻きに村長が助け舟を出す。
他の商人からでも買える生活必需品の値を聞いて、そんなに安いのかと驚いたことなど忘れたような厚顔さを発揮する村長達に、使者はそれでも怒りをみせずに、最終通告を出した。
「そうですか。 そこまで農協としての生きかたが御不満なら再度、農協に属するかどうかを選んでもらいましょう」
「ど、どういうことじゃ?」
静かだが断固とした口調に怯んだのか村長が口ごもる。
だが、直ぐに開き直ったかのように、いまいましげな声で使者を非難した。
「まさか、儂等を脅す気か? 侍と違うなどと言いおって、儂等から何もかも取り上げる気か!!」
もちろん村長は本気でそう思っているのではない。
そういうふうに恐れていたのなら、平身低頭して許しを乞うていただろう。
村長達はただ寛容な農協の施策につけあがっていただけだ。
放蕩者が親に甘え贅沢な不満を口にするように、より多くの利を求める武家社会の生きかたに従って、ないものねだりをしているだけだった。
もともと覚悟があって農協批判をしていたわけでも、何らかの信念を通そうとしたわけでもないのだから当然だが、それはあまりに浅ましい態度であった。
「あなた方が持っている者を取り上げる気はありませんよ。 農協が気に入らないのなら無理に共に歩めとはいいません。 ただ私達は去るだけです」
対して使者はそんな富農達を嫌悪した様子もなく、終始かわらぬ物静かなふうだ。
「なんじゃと! それは困る! 、儂等──」
「これで最後です。 答えは二つに一つ。 共に歩むか。 別の道を行くか」
村長の声をさえぎり、使者が数ヶ月前に農協に入るかどうかを尋ねたのと同じ台詞を口にした。
「共に歩むなら、農協の生き方を学び実践してください」
それは、暗に“ もはや今の富農達は農協の一員とはいえない ”といっているかのようだった。
「わ、儂等の意見など聞かんというわけか! よかろう、好きにすりゃあいい!!」
数ヶ月前と違い、アーコロジー内で最低限の安全が確保されていると思っているからか、村長は数ヶ月前とは反対の結論を出した。
「去りたけりゃ去ればいい! ただし買ったもんは儂等のもんじゃ。 返したりはせんぞ!」
塩をはじめ様々な生活必需品は安かったこともあり莫大な貯蔵がある。
万一の事を考えておいて正解だったと、愚かにもほくそ笑みながら、村長は思った。
「わかりました。 それでは私達は去りましょう」
使者はあっさりと了承すると村長の館から退出していった。
富農達は、その呆気ない引き方にただ無言でその後姿を見詰めていた。
てっきり、この後にも何らかの譲歩か交渉があるのだと思い込んでいたのだ。
彼らにとって、これは村の利権を争う交渉の場であり、そんな言葉など知らないだろうが、いつものようにゼロサムゲームをしているつもりであったのだろう。
だから、あまりにすんなりと交渉という戦いを放棄した事に驚いたのだ。
結局、彼らは農協としての生きかたを理解しようとも学ぼうとも思わず、ただただ己の利のみを考えていた。
それは奪い合いが基本である武家社会の常識に侵され続け、生きる事が他者と争い続ける戦いであるという刷り込みを受けてきた身としては当然の事であったのだろう。
生きるために他者を疑い陥れ、得をするために他者に損を押し付ける生きかたを好しとするのが武家社会なのだから。
武家社会とは、そしてその生きかたを由として受け継いだ前世社会とは、そうでなければ損ばかりする世の中であった。
ただ闇雲にそういった社会を受け入れ、あるいは弱肉強食などという陳腐な理屈を信じ込まされ、世の中とはそんなものだと浅薄に理解したつもりで生きてきた彼らにとっては、農家の常識など取るにたらない弱者のたわごとで、本気でそういった社会を望むものなどいないと思っていたのだ。
愚かにも、そういう理想を口にするものは、皆、自分達に損を押し付けようとしているのだと、頑なに武家社会の常識を信じ込んでいた。
結局“ そういった社会が造りだした戦国の世 ”の破壊を目的とした農協というものに、彼らは最後まで寄り添おうとさえしなかったのだ。
「長ぁ……よかったんか?」
使者の姿が消え、しばらくして、取り巻きたちの一人が不安げな声で問う。
何がよかったのか?
善かったではなくとも、良かったのかなのか、好かったかなのか?
その問いを口にした当人にもその意味は解らない。
ただ、漠然とした不安が、その問いを口にさせたのだ。
「……なに彼奴らとてこの土地が欲しゅうて来たんじゃ。 力づくで何かするつもりなら最初からそうしとる。 おおかた神仏に力づくは止められとるんじゃろう。 きっとまた──」
村長が何の根拠もない台詞で取り巻きを落ち着かせようとしたとき、外から、がやがやと家人のざわめく声が聞こえてくる。
「なんじゃ、いったい……」
内心の不安を押し隠すかのように機嫌の悪い声をだして、村長は立ち上がると、使者が消えた縁側へと向かって歩き出す。
──そして、庭へ出て驚きに絶句した。
そこには、使者と話しあいを始める前には存在しなかった巨大な壁が、富農たちが所有する田畑の境界にそびえ立っていた。
その後、村長達は彼らを外敵から守っていた壁が消え去り、彼らが雇っていた下人のほとんどが、農協と共に新たに現れた壁の向こうへと空飛ぶ船で去った事を知る。
富農たちと使者が話し合いを始めるのと頃を同じくして、多くの農協の者達が現れ、村長が農協と手を切ろうとしている事を告げ、共に来るかどうかを問うたようだ。
既に自分達より貧しかった者達が、農協に与えられた土地で、何不自由のない生活をしていた事を知る者達は、“ 神仏の加護を得たとしか考えられない農協のもとから離れるなど考えられない ”と村長達を見限ったのだという。
後に、武家からの略奪を恐れる村長達のもとに、農協の使者が再び現れ、今の土地から離れ、農協の‘農士’の徒弟として修行を積むかどうかが問われるのだが、この時の彼らにはそんな希望があるなどとは思いもできなかったのだろう。
富農達はこうなった責任をたがいに押し付け合い、不毛な争いを繰り広げる事になる。
そのせいか、家族ごとに別の郷に引き受けられることに不満を持つものはなかったという。
「そうですか──血が流れずに済んだのは幸運でした」
‘式樹’からその顛末に関する報告を受けた美亜は、ただそう答えるだけであった。
農協と違い、武家社会の生きかたを盲信する者にとって、自由意志を尊重するという事は、暴力により奪い合うという行為までも肯定する事であると知っているだけに、美亜は豪族達の動向を憂いていた。
それでも、選ぶ自由を彼らから奪わないのは必要な事だと解っていたから、久遠も美亜も幼ない子供を影で保護しながら、ただ時を待ち続けたのだ。
武家社会の常識ならば考えられない無駄であっても、効率や利益よりも“ 人の可能性の肯定 ”を大事にするのが農協のありかただった。
武家と農家の狭間で武家の論理で農家を征服統治した豪族達の取り込みは、こうして時に豪族達の生きかたをも破壊しながら、順調に進んでいった。




