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真・仙極無双 戦国破壊伝  作者: 悠樹 久遠
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間の段 農協文明の起こりと武家文明の衰退

 



 祭り。田遊び。初割り。つと入り。 参籠。夜這いに厄落とし。

 そんな儀式に意味はない。それがこの世の常識だ。

 

 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては価値のあったそれらの儀礼は、効率主義と科学文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを奉じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。


 だが儀式や祭礼自体に意味がなくとも、それを行う事に意味がないわけではない。

 人間が裸の猿ではなく人として生きる為に制御しなければならない欲望。

 それをコントロールする手段の一つとして様々な儀式は生まれてきた。


 抑圧された性欲は他の欲望と同一視されることで、人を背徳へと誘う。

 そう知る人々によって、性とは生への賛歌であると肯定された様々な性の儀式。


 それを無価値と断じ、非近代的と切り捨て、欲望を制御するのではなく、二元論によって抑圧した文明は、表向きは善を装い裏で悪事を働く人間を標準とした社会を創り出していった。


 人が生き続けるために必要不可欠である根源的欲求を‘原罪’という‘いわれなき罪’で否定された人間達は、心の奥でそれを否定する倫理を認められず苦しみ。

 あるいは殺し奪いあう行為こそが人として当然の行いだと断じるように歪み。

 あるいは‘いわれなき罪’も真の罪も混同して全てを許せと‘愛’や‘仁’を歪める。


 歪んだ倫理を基準としたことで何が正しいのかを見失った人間とそれを利用する謀略と詐術を容認した政治と経済によって動く社会。

 それこそが武家文化を受け継ぐ近代社会の実態であり、制御できない本能のもたらした自滅を招く文明であった。


 そんな前世界の行く末を知った久遠が創り出した農協社会は、武家の方法論と商家の効率論を否定することで、我々が知る近代社会の文明を否定するものだ。


 その最たるものの一つに一夫一婦制の否定。

 性の抑圧による労働統制の否定というものがあった。


 もともと武家社会と離れ古代の女系社会の制度を残す農家社会ではあたりまえの行為である乱交や乱婚は、農協では生と性を賛美する行為とされていた。


 聖書宗教では、強姦や略奪婚と一まとめに原罪視されたために西欧文化の拡張とともに近代社会ではタブー視されるこの文化は、暗黒時代の欧州などを除く近世以前の農家すべてで伝えられてきたものだ。


 近代社会において幼少期に刷り込まれる性の抑圧とは大義的にも生理的にも無縁である久遠や美亜と、古代神の祭祀としての大魔女メイアの記憶を継承する命衣。


 農協を創りだし運営する彼らが否定しなかったことで乱婚の文化は農協内で続いたが、乳幼児死亡率の低下により増加する人口は避妊用ナノマシンと避妊具により完全制御されていたため、人口爆発による飢餓や土地の不足といった問題は生じていない。


 逆に人口減少の原因が払拭され、家庭用電化製品の普及による家事労働の軽減もあって、女性の社会進出の物理的基盤が完成していた。


 人口増加に伴う電気需要の増加も核家族化どころか四世代同居など当然の農協では単純計算で前世界の三分の一に満たないため問題にもならない。

 例え二億近い人口があっても水力発電のみで補えるという社会構造なのだ。


 もし、過ぎた欲望に振り回される現代の一般人がこの社会を見れば、どう思うだろう。

 ローマ国教と商業主義という対立する勢力の妥協によってつくられた偏見に基ずく歪んだ倫理で測るならば、姦淫と管理支配によるディストピアとさえ言われるかもしれない。

 

 だが、戦国の世において農協は人々にユートピアとして認識されていた。

 一夫一婦制社会では不倫どころか嫌悪の対象とされる乱婚は、農家では誰でもやっているあたりまえのことだ。

 個人主義の肥大した社会では疎まれる管理主義も、封建主義を破壊するために創られたプライバシーという概念すら存在しない社会では問題視されることはない。


 倫理とは人を不幸にしないためにあるものなのだから当然といえば当然の話だ。


 道義としてある人類共通の根源倫理。

 人を獣と分かち、人類全体の利益を求めて生まれた原初の倫理。


 一夫一婦制やプライバシーとは、そういった道義としての倫理と一線を隔する社会を構成維持するための制度と倫理にすぎない。


 一夫一婦制はより多くの兵士を生み出すために効率を求めて生まれた制度であり、プライバシーとは、貴族の後ろ暗い秘密や陰謀を護るために生まれた概念が先進国家の貴族社会化によって制度として確立したものだ。


 だが、久遠の創った社会がそういったものを否定したのは、農家を根本とした新たな文明の構築のために、農協という機構(システム)を作ったせいではない。

 それが久遠の求める道義に則したものであったからだ。


 武家が殺し合いと略奪を正当化するために創った歪んだ矛盾だらけの倫理を否定することで生まれた社会とその社会のための古くからあった新たな倫理。

 それが久遠の創りだしたものだ。


 久遠が無力な人間であったなら武家の倫理の中で生きていくしかなかっただろう。

 だが、久遠は仙人であり単独で社会と隔絶して生きる術を持ち生きてきた。


 久遠が時代を超え、戦国の世に転生しなければ武家と商家が争いの中で作り上げていく社会が消えていくことはなかっただろう。

 だが、久遠は‘人間が自滅本能の組み込まれた欲望に無闇に従う事で、滅びに瀕した未来’を知っていた。


 前世界をこの世に比べて比較にならないほど豊かだと久遠は思わない。

 自らの破滅を促す本能を宗教や倫理に深く組み込んで歪んだまま広がっていく社会は、多くの快楽を得る事はできてもより多くの不幸を生み出していた。


 ‘戦乱による被害を遥かに越える犠牲者を出し続けることを前提とした社会システム’は、自殺者や交通事故の被害者あるいは膨大な数の犯罪被害者という(かたち)で、人々を脅かし続け、その恐怖を紛らわすための麻薬のような快楽を得るためだけに働く人間を増やし続ける。


 久遠が望んだのは、そんな人の不幸のうえに快楽を得て成り立つ社会ではなく、少しでも不幸をなくすことで、多くの幸せを得る事のできる社会だった。


 墨子の語る‘兼愛’、孔子の語った‘仁’釈迦の語った‘慈悲’、腐敗した聖書宗教を批判した多くの宗教改革者が叫んだ‘平等’。

 理想として奉る事でそれらを排し廃そうとするのでも、理想を考えなしに崇拝するのでもなく、理想を自らの内に求め、それを育て親しもうとする人々を生み出す社会。


 人間の欲望を煽り社会の贄として蟲毒に似た喰いあいをさせるのでも、欲望の抑圧により人間を管理統制するのでもなく、制御された欲求を肯定し、無意識の欲望を否定する理性と意志を持つ人々によって創られる社会。


 それを構成維持できる仁性と理性を持つ人々を育て、そういった人々が報われる社会を久遠は創り育てようとしていた。


 それは‘人間嫌いの理屈がまかり通る哀れなる世界ではなく、‘人間好きがあたりまえのように愛される優れし世界’。

 ‘他人の不幸を喜ぶ愚かさ’を否定できない哀しい世界ではなく、他人の幸福を共に喜べる優しい世界。


 蛮人の国(ローマ)の文化から生まれた西欧文明の常識が世界を席捲し、軍人達(ひとごろし)が作り出した功利主義と博徒(やくざ)達の金儲けを真似た資本主義が世界を征服統治した前世界において切り捨てられていった大切なもの。


 人類をその内に潜む自滅プログラムから救うもの。

 人が創りあげてきた正しい情や正義や理想といった、後ろ暗い欲望やそれを満たすための争いや堕落と対を成し、人を護るための概念。

 

 もとからそこにあり暗黒の未来を否定する希望。

 それが仙人としての久遠が求め育てようとしているものだ。


 そのためには、多くの血に塗れ暴力と醜い欲望を謀略や詐術で誤魔化し、心あるものを力と利で捻じ伏せていく武家社会の方法論を排した歴史を創らなければならない。


 天道暦0010(ダブルオーワンゼロ)

 久遠は武家社会とは一線を隔した多くの集落を基に‘農業協同共産同盟’の誕生を宣言し、武家や公家達に広くその意図を知らしめた。


 空を飛ぶ船によって届けられたその報は、武家や公家のありかた、ひいてはその歴史すら否定するものであったため、一部の寺社勢力を除き、その全てが農協を否定することになる。

 ある者は現出した神仏の奇跡に半ば怯えながら、ある者は神仏の意志を騙る魔のものと農協を憎みながら、そしてある者は自らの権威を後押しする神の存在を脅かされ急速に衰えていく影響力を憂いながら。


 古い慣習と宗教による倫理観を効率主義と合利(ごうり)主義で塗り替えようとしていた戦国武将達の前に、古きものも新しきものも否定して、最も古くそして最も新しい前世界では在り得なかったその社会は戦国の世に産声をあげた。


 それは洋の東西を問わず武家によって綴られた歴史を破壊し鉄の時代の終焉を呼ぶ、新たな時代の幕開けであった。

 

 久遠が創った農協が全ての武家を駆逐することは、易しい。

 そして、全ての国家を滅ぼし尽くすことも。

 だが、だからこそ久遠は安易な道を進むことはしない。


 安易であるということは実現の確率を上げることと引き換えに、その過程で得ることができるものを切り捨てるということだからだ。


 久遠は、前世界で権力者達が、見捨て、切捨て、物欲や快楽と引き換えに踏みにじり続けたものをも拾い取る道を選んだ。


 暴力と破壊のうえに築きあげた人間の歴史を破壊し、違った方法論による新たな時代を創れるのかどうか、それは誰にも判らない。


 それは人の革新であり、古き時代に数多の賢人達の夢見た人類の理想の一つを実現することだからだ。


 不老不死という仙人の技術の極みへと至る道を造る過程で行うには、あまりに難易度の高い道。

 これはそんな前人未踏の道を歩むことで、神が創りし獣の(さだめ)に潜む滅びの運命(さだめ)を打ち払わんとする仙人の物語である。




 



 








 



 










用語解説 K教授の現代倫理の歪みと原因についての一考察 (民明書房刊)より抜粋





ローマ国教と商業主義という対立する勢力の妥協:

●平等であるべき信徒間の関係に軍人的な上下関係を作った中世のキリスト教による倫理観と軍人的な効率主義と博徒的な株式制度を導入して台頭する商家が理を捨て利のみによって妥協することで現代の倫理は成立しているために多くの矛盾をはらむ。



一夫一婦制:

●西欧では古代ユダヤで奴隷を管理するための新興宗教であったユダヤ教が、古代ユダヤ国家消滅後に、勢力を維持するために作った制度で、軍国主義と相性がいいため、近代の平和主義によるフリーセックス論では否定された。

 分派により一時的に廃れるが、後にローマ国教となる派閥が強く教義として推したため、現代のユダヤキリスト教の多数派になる。

 

先進国家の貴族社会化:

●第二次世界大戦以後、資本主義と民主主義の拡張と国家間の経済力の格差が生み出した貴族文化の一般化現象。

 南北問題に象徴されるように先進国=貴族、後進国=平民という搾取システムが世界レベルで完成されたことで起こる。

 この現象によりかつては欧州の貴族の間の文化にのみ蔓延していた退廃性や非生産性が富裕層を基に先進国家全体に広がることになった。


後進国:

●現在でいう発展途上国。

 進む先を大量消費文化を基盤とした有力国家であると肯定し限定する意味を持つために生まれた抗議の意味を無視して誤魔化すことで名は変わったが、先進国のほうを改名しないために概念としての本質は変わっていない。

 この概念でいうなら中華人民共和国などの目指す方向性は後進国から先進国への変化をアフリカの部族国家などは発展途上国から独自発展国を目指している。


退廃性や非生産性:

●勝ち組と負け組や働いたら負けなどの階級型思考や非生産的思考。

 あるいは他人の不幸は蜜の味や背徳の美学や使い捨てなどの退廃賛美思考。

 これらは、悪徳貴族に由来する思想であったが、他国家からの資本主義型略奪と大量消費文化の拡張とともに必要とされた教育制度により、民衆の富裕層から一般層へと広がっていった。


大量消費文化

●近代の使い捨てを基本とした退廃文化の一つ。

 原子炉使用や環境汚染などの環境の使い捨て、原油など有限資源の使い捨てなどに依存した将来的に破綻することを前提とした刹那的退廃性を基にしている。

 再処理法が自己完結型でないために、リサイクルなども現状を誤魔化す使い捨て文化の一環でしかない。


近代の平和主義:

●第二次世界大戦の被害を憂う人々によって草の根的に広がった思想だが、政治宗教的な弾圧を受け、ベトナム戦争反対を唱えるアメリカ市民団体によって活性化するが、無政府主義や麻薬愛好と結びついたカルト派閥をマスコミが広く紹介する情報操作で誤解されたまま消えていった。








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