一の段其の九幕 度量衡規定と‘士道’改変
「おい、そこの物差とってくれや」
「物差じゃのうて定規っちゅうだよ。親父どん」
「……何でもいいから、とらんか」
最近、学園に通い出し、知識を披露することが嬉しくて堪らないといった風情の伜に、新しく作られた細かな目盛りの刻まれた直角定規を催促した男は、これも新しく配られた鉛筆を手にふうと息をついた。
美亜によってコンマミリの狂いもなく造られた定規は、メートル法を基本として採用している。
重さや体積ももグラム・リットル法で定められ今ではそれなりに定着していた。
これも、やはり美亜にインプットされた計量機能を基にしているので正確なものだ。
もともと久遠の助手としてナノマシンによる精密工作を補助してきた美亜なので、そういった作業は、子供に絵本を読み聞かせるより余程、得意分野である。
度量衡の改定に伴い、暦は太陰暦から太陽暦へ移行し、時制も24時間制としている。
その他にも、アラビア数字を導入するなど、郷では、生活や農業に関わる様々な変革が行われていた。
武家でなら到底容認できない変化も、字を読める人間すらそう多くないこの郷では、割合、簡単に受け入れられていった。
それでも、学識のある者や男のように既に反射の域にまで高められた技術を得た職人には、急激な変化は辛いようだ。
男はこの郷唯一の細工職人で鍛冶職人で農民でもあった。
三百年以上も前から続くこの郷で代々引き継がれたこの職の十数代目だ。
専業の職人ほど拘りがあるわけではないが、今までやってきたことを急に変えるのには、やはり抵抗があった。
道徳の授業で生意気な息子が孝行の真似事を始めたのは嬉しかったが、慣れない秤や物差は、面倒でかなわない。
無理に使わなくてもよいと言われてはいるが、ここまで精密な測り物など他にはないので、新しい細工を試すときなどには重宝する。
結果、いつの間にか使うようになっていたのだ。
今までのように背負子だの枡だの決められた道具を作るのなら、感頼りに作れるが、久遠に注文される細かな機巧の歯車や発条などの部品類は、渡された拡大鏡や精密工具なしには作れないからだ。
久遠や美亜の持つ技術の高さに、男は職人として半ば崇拝に似た気持ちを抱いている。
それは仙人であることへの崇拝とはまた別の技術者としての憧憬だ。
それに加え、久遠は‘農士’や‘工士’といった存在を礎となる者と位置づけ、‘商士’や‘書士’より大事な存在であるとしていたことが、男には嬉しかった。
‘工士’が、職人としての腕前で選ばれるのではなく、‘工士道’に基づきどんな物を創るのが正しいのかを判断する職人であるというのは理解し辛かったが、それも危険で人の手に負えないようなものを見抜くためだといわれれば、なるほどそんなものかと、納得した。
久遠の教えでは、万民が農家や職人といった物を生み出す人間を支える世を創ることが不幸を無くすのだと言っていた。
その為の正しい道が、‘農士道’であり‘商士道’や‘書士道’などの‘士道’である。
それが何かは男には理解できなかったが、尊いものだということは判った。
それを感じたのは、久遠が‘士道’の例として用いた‘武士道’の一節だ。
それによれば、男の嫌いな‘武士’は農民や職人たちの上に立って搾取する存在であってはならず、‘道士’会議に基づいて‘書士’に作られた命令所に従い、万民を護る存在であるべきだという。
「親父どん、こいつじゃろ?」
その教えを学んでいる未だ見習い職人とも言えない小さな息子を見て、男はこの子が育ったとき、この郷は今以上に大きく変わっているのだろうと思い、つい息子の頭をぐしゃぐしゃとなぜてしまう。
「うわわわ、やめれ~」
子供扱いされるのが嫌なのか、息子は嫌がって逃げ出した。
「こりゃ。もの──定規を置いていかんか」
物差と言い換えたのを言い直し、男は逃げる伜に声をかける。
少しむくれた息子は、それでもその声に従い、定規を父親に手渡す。
その様子を開かれた落とし戸の向こうから一羽の大鴉がただじいっと見ていた。
「生活の変化に対する不安や不満は大きいものではないと思います」
久遠の問いに美亜は郷と村の周辺に張り巡らされた監視網からの情報をもとにそう答えた。
「そうか、では次は、枝郷の村とこの郷での差が広がらないように今まで以上に交流を密にしなければならないな」
計画が順調に進んでいるのを確認した久遠は美亜に次の計画を示唆した。
「村から郷への移住希望者の受け入れの為に、郷の拡張と両集落の移動を速める為のトンネル工事などが必要になると思われます」
「土木工事用の機械を造るよりは作業用の‘式揮’を創るほうが効率はいいが、郷の中で‘式揮’を使うわけにもいかないだろうな」
‘式揮’は言わば仙術によって妖怪化した使い魔だ。
そんなものを郷の中で使うのは、技術の発展を促すうえでは、マイナス要因にしかならない。
未知なるモノへの怖れという点でも、術への依存という点でもだ。
仙術にしろ感応魔術などの精霊魔術にしろ、極一部の才能ある人間や特異な体質に依存する技術は、大多数の人間に継承していいものではない。
強大すぎる力を多くの人間に広めた結果がどうなるかは、歴史が証明している。
かつての道士たちによる超古代戦争はアラブやエジプトなどに砂漠を造りだし、古代インドの魔術戦争は都市を焼き尽くし、洪水によって沈め、様々な神話に伝えられる滅びをもたらした。
そして、それ以後、秘匿されることとなった技術の継承者が、権力者に利用され、あるいは排斥された歴史を考えれば、ここで‘式揮’を技術と認識させるようなことはしてはならない。
仙術や妖怪は神秘でなくてはならず、日常であってはいけないものだ。
久遠は、そう考え美亜にトンネル工事用の‘使鬼’と開拓用の作業機械の設計を支持した。




