一の段其の伍幕 託宣の日
豊前や豊後の国の寺社の多くに次々と託宣が下されたという噂が流れたのは、稲刈りも終わり冬も差し迫った頃のことであった。
曰く、戦国の世は武家の時代の終わりであり新たな世が始まる。
曰く、それは神仏によって導かれた仙道によって成される。
曰く、その天命を受けた仙人が豊後の地に降り立つであろう。
その託宣は武家と関係の深い寺社では密かに、そうでない寺社では詳らかに、口から口へと伝わっていくことになる。
そして、それは隠れ里である江田郷にも伝わることになった。
隠れ里とはいっても完全に外部と交流が絶たれているわけではなく、山中の郷と最も近い山の麓の枝郷の村とは交流があった為だ。
郷の分家筋の家で構成されたこの村は、郷との連絡役である郷長の弟が取り仕切る外部との繋ぎの場で、郷のものは山中の隠れ郷を上の郷、麓の村を下の村と呼び、二つのえだごうは深い結束で結ばれた運命共同体であった。
「賊どもの話、聞いたか」
川辺で一人洗濯をしていた娘に護衛がわりについてきた男がふと思い出したかのように話題を振った。
「ああ、きいた」
娘は顔も上げずにつまらなそうに応える。
「仙人さまに諭され下の村に居ついたそうじゃ」
「じゃな」
「お前、愛想ないのう」
「そげんなはなし、もうききあきたわ。それよりおつげのはなしよ」
「お告げ?」
「そうよ。このくにだけじゃのうてとなりのくにでもひょうばんじゃ」
郷長の使用人の中でも少し学のあることで知られた男の知らないことを話せるのが嬉しかったらしく、娘は意気揚々と下の村の弟から聞いた話を語りだした。
男はさも興味深そうに聞いていたが、別にその話を知らなかったわけではない。
知ったときは、胸躍らせたものの今はそのことより嬉しいことがある。
男にとってこの娘と話せることが大切だったのだ。
いつかこの娘と柿の木問答ができればと思いながら男はにこにことその話を聞いていた。
柿の木問答とは初夜や夜這いの場で行われる風習のことで、あなたの家に柿の木はあるのかと問うことで始まる柿を千切るという言葉と契るという言葉をかけた暗喩で了承を取り付ける儀式のことだ。
どうやら男にとっては国の行く末より目の前の娘と情を通わすことのほうが遥かに大事なことのようだ。
久遠はその光景を猫の‘式揮’を通じて見ながら今日も郷は平和だと安堵していた。
上の郷と下の村の周囲にはすでに細かな監視網が敷かれ、近づく人間や出て行く人間の動向はすべて判るようになっている。
下の村の年貢の取り立ても無事に終わり、当面の心配はなかったが、それでも郷の秘密が漏れないよう気を配っているのだ。
それは、使い魔を通じて感応魔術で寺社の人間に託宣という幻夢を見せた為だ。
これは未来のための布石で宣伝戦略の一環だが、それなりのリスクを伴う行動だ。
久遠の存在を世に知らしめるのは必要な行為だが、その所在を知られるのは拙い。
近畿などの中央に近い場ではないので、秘術を継ぐ陰陽師などの暗躍はないだろうが、万が一ということがあるのでそちらの対策もしていた。
監視用に特化した小型の虫型使鬼を製作したのだ。
先端テクノロジーのロボット技術を‘使鬼術’で再現したこの使鬼を久遠は、‘先視’と呼んでいた。
戦闘力など皆無のこの‘先視’だが、大量生産が可能なために前世では重宝したこの小型‘式揮’を5000程製作していた。
ナノマシンによる製造は、工程数と質量に比例して必要ユニット数と工期が大きくなるため質量の小さい‘先視’は5000程造っても、今まで作った‘式揮’と同程度の製造時間で済む。
ただ破損はしやすいので常に補充が必要という欠点はあった。
生物による捕食や事故、寿命の短さにより実稼動数の10倍は作っておかなければ運用は困難だ。
幸い肉体年齢はすでに三歳程度となり使えるナノマシンの量も300ユニットを超えるようになったため製造に踏み切ったが、前世ほど破損が少ないのは嬉しい誤算だった。
前世では薬物散布による破損が大きかったのがその原因だろう。
敵となる生物も多くなるだろうからそう期待もしていなかったのだが、この‘先視’を捕食する生物は人里にはそう多くなかったようだ。
仙人の幻像で盗賊をやめさせた20人余りの新しい村人も無事受け入れられたようで、これから村を拡大して国をつくる下地もできたし、次は……。
新たな段階へと考えを巡らせながら、久遠はにこにこと愛想を振りまき小さな子供のように様々な問いを父母に投げかけていた。




