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茜色の瞳〜たそがれの君色美空〜

作者: 永月ほたる

この小説は、共同企画小説「色」の参加作品です。

「色小説」で検索すると,他の方の作品を読むことが出来ます。


コメントを下さる際には,自己紹介などもご一読いただけると幸いです。

 黄昏の空に放たれた真っ赤な夕陽。

 それを独り占めするかのように彼女はスィートフロアに腰掛けていた。

 左手には落陽に染まる金管楽器。


 ―――たかはしあかね。


 楽器ケースに書かれたそれは非規則的な,もはや記号の羅列。

 だがあまりに幼いその字体は,同時に物心も間もないあの日のままを彷彿させる。

 そうして薄微に擦れたインクに,幾年もの年季が伺える。


 ここは校舎の中でもっとも見晴らしがよく,もっとも身体を軽く感じる場所。

 それを示すかのように,小柄で細い背中を這う髪先から,心地よさそうな鼻歌が流れている。

 一面を朱色で彩られた空間は,長い髪の色を伺うことすら無意味と感じさせてしまうほど。


「どうかしら……?」


 しばらく静止していた対象は,少しだけ不器用に肩を崩した。

 いきなり絵画のモデルになってくれと言ったのはオレだから,あまり無理な注文はできない。

 モデルになってもらうこと自体が無茶な注文だったのだし。


「う〜ん……もう少しだけ,右を見てもらえませんか?」


「え,そ……そう? こう……かし,ら?」


 その声に混ざって彼女の左頬が露わになった。

 細い首が時計方向に回り,夕陽を映した瞳が遠ざかる。

 さながら“おあずけ”をされた犬にでもなった気分。


「先輩,ちょっと行きすぎです。少しだけ,こっちに戻してくれますか?」


「え……っと,このくらい?」


 再びオレと先輩の視線が直角に交差した。

 まるで見えざる線で繋がったような,とても不思議な感じ。

 合図を送らないと,見つめ合ってしまうじゃないか!


 ……ぱん,ぱんッ!


「すみません。少しだけ,そのままじ〜っとしててください!」


 不器用な敬語でモデルに動静の指示を送りつつ,右手に握ったコンテを動かす。


 ……さっ……ささっ……,しゃしゃッ……。


 無言の中で,茶褐色の塊だけが対象の“影”をちりばめてゆく。

 やや顎の尖った輪郭が,ボンヤリと画用紙の上に現れた。

 髪の長さは……。


「先輩,けっこう伸びましたね」


「え,な……そうかしら?」


 女の子の間で“伸びる”ものは限られている。

 だが,先輩はどうも勘違いしているみたいだ。


「先輩,髪ですよ……か・み!」


「え,ぁ……なによぅ……期待させるような言い方しないで!」


 見る見るうちに彼女の顔が赤くなる……いや,もうすでに赤いけど。

 ぷく〜っと頬を膨らませ,監督の許可なく勝手に身動きをとる対象。

 だが,オレの描きたい時間帯はもう過ぎていた。


 ……ぱん,ぱんッ!


「ありがとうございました。今日はこれでOKですよ!」


「え……も,もう終わり?」


 先輩はちょっと驚いたような,それでいて寂しそうな表情を浮かべた。

 まぁ絵のモデルと言われれば,何時間も動かずにおとなしくしているイメージが強い。

 しかし,オレの選んだ対象はそこまで忍耐力もなさそうだし……って口には出せないけど。


 描き始めたのは,ちょうど太陽が西の鉄塔にさしかかった頃。

 そこから山の瀬まで行くには,およそ1時間半かかる。

 つまり,こんなやり取りが1時間半も繰り返されていたわけだ。


「先輩,本来は絵のモデルって修行僧みたいなモンなんです。でも僕の描きたい絵はちょっと特別だから……また,明日もお願いできますか?」


 画家に限らず,世の職人には“こだわり”というものがある。

 その意味で言えば,オレの求める条件は1つのこだわりだろう。


「ちょうど,さっきの時間帯がいいんです。夕陽が落ちそうで落ちないところが。結局は放課後になってしまうんですが……」


「……大丈夫よ。知史君の真面目なお願いだし,私も練習しなきゃいけないから」


 一瞬だけ間をおいて,先輩はにっこりと笑ってくれた。


 そう言って先輩が金管楽器を取り直したかと思うと,オレには理解不能な楽曲がはらはらと流れていた。


「じゃあ先輩,また明日。今日と同じ時間で!」


 オレは描きかけの画用紙を大切にケースにしまい,一礼して背を向ける。


 校舎を出て校門をまたいでも,彼女の音色は衰えることなくオレの耳を刺激していた。




 ―――高橋茜音。


 彼女はオレより2つ上の3年生。

 小さな頃からのご近所付き合いで,よく一緒に遊んだ幼馴染み。

 小学校も中学校も,果ては高校まで,彼女を追うように同じ進路をたどってきた。


 昔からいろんな楽器を触っていて,どれだけ2人きりのコンサートに付き合わされたことか。

 とはいえ,かく云うオレだって,何度も茜音をモデルに絵描きの真似事をしたものだ。

 幼いながらに,互いの夢を語り合ったあの頃が懐かしい。


 昔はもっと間が抜けていたのだが,高校で再会したときには“よくできた”普通の女子高生になっていた。

 とにかくお節介者で,慣れないことでも平気で手を出すし,そのくせ最後はオレの手助けが必要となるキャラだったのに。


 だがここ最近,とくに3年になってから彼女は変わった。

 よくは分からないが,長年の付き合いで培ったカンだ。

 もう少しマシな証拠といえば,彼女はあんなにおとなしい性格じゃなかったということ。


「茜姉……やっぱ,変わったよなぁ……」


 ちょっとだけ,オレの知らない茜音に寂しさが募った帰り道。

 手にしている画用紙には,どちらの茜音が映えているのだろう。

 それを知るために明日もまた同じ場所に行くのなら,少し切ない。


 そんな哀愁漂う冬の空。


 気がつけば,あの意味不明なメロディは止んでいた。




 日付は変わり,再び放課後。


 暮れゆく夕陽を称える,真っ赤な吹き抜け。

 やけに大きく見える太陽は,昨日と同じ場所でオレを待っていた。

 そしてもう1人,トロンボーンに夢中の赤い影。


 フェンスの傍にたたずむそれは,なぜか少しだけ物悲しい。

 屋上に出た瞬間,オレが最初に目を向けたもの。

 その影を振り向かせようと,オレは胸いっぱいに真っ赤な空気を吸い込んだ。


「せんぱ〜いッ!」


 たまには年下っぽく見せようと,無邪気に大手を振って見せる。


「ぷ……知史君,どうしたの?」


「いや……ちょっと感動の再会っぽくしようかと」


 ここで怯んでは,せっかく演じた年下の男の子が廃ってしまう。

 そう言い聞かせ,自分でもクサくて鼻をつまみたくなるようなセリフを吹っかける。

 ……が,軽くスルーされてしまった。


「あは……変わらないわね,知史君は」


「どういうコトですか?」


 オレは,徹底してマイペースな先輩に少しだけ突っかかる。


「いや……べつに,大した意味じゃないよ。言ってみただけ……ってトコかしら?」


 相変わらずつかみ所がないけど,その舌回りがテンションの高さを示しているのは間違いない。


「さ,さ……先輩。時間は限られてるんですから,ビシッとお願いしますよ?」


 そう言って彼女の機嫌をとりながら,その笑顔を描けることにオレの創作意欲は満たされようとしていた。




 昨日と同じく,夕陽が山の瀬に手をつけようとしている。

 そして彼女も昨日と同じ姿勢でオレの視線を受けていた。


「先輩……。今日はラフが上がってますんで,ちょっと話とかしてもいいですか?」


 べつに話し相手を求めているわけではなかったのだが。

 そのままにしておくと,先輩はどこか遠くへ行ってしまいそうな……そんな目をしていたから。

 そして,その提案に彼女は快く目線で頷いてくれた。


「……っと,じゃあ先輩,悩みとかってありますか?」


 話を吹っかけたのはオレだから,こちらから声をかける。


「え……な,な……そんなコト,いきなり言わないよ,普通は」


「ええ……僕は普通じゃないですから。あ,先輩……あまり身振り手振りされると絵になりませんよ?」


 ちょっと悲しげな,それでいて少しだけ血色の戻った頬。

 夕陽のせいでよく分からないが,きっと真っ赤だろう。

 画用紙には,うつむきかげんにどこか遠くを眺める彼女の輪郭。


「絵は……できたのかしら?」


 今度は,彼女が唐突な質問を吹っかける。


「先輩……できたら『できた』と言いますから……ね?」


「そ,そうだよね。ごめんなさい」


 なんかオレの口調が真面目に聞えたせいか,彼女は申しわけなさそうに首を縮めてしまった。


「いや……そんな意味で言ったんじゃないんですよ。ほら,その……」


「くすっ……やっぱり変わってないね,知史君は」


 けっして嫌らしくはない微笑だが,なぜかそれはオレの心を揺さぶった。

 何が変わっていないのか分からないが。

 むしろ“変わっていない”からこそ“分からない”のかも知れないのだが。


 そしてその言葉はオレに,ちょっとした尋問のような聞き方を促した。

 確かに嫌らしい聞き方だが,やはりオレ自身が気になってしまっていたのだろう……茜音を。


「先輩,僕思うんですけど……先輩は,ホントは卒業したくないんじゃないですか?」


 卒業を控えた3年生にとっては,あまりに皮肉な言い方かも知れない。

 だがその言葉に,一瞬だけ彼女の胸元がビクンと反応したのをオレは見逃さなかった。


「先輩が音大に進学するって話,1年でも少しは聞いてるんです……先輩って,けっこう有名人なんですよ」


「へぇ……優等生を演じることで有名人になれるなんて,驚きね」


 疲れ混じりの溜め息に,オレは彼女の本心を射たと実感する。


「先輩って,本当は音楽がそれほど好きじゃないんですよね? 僕,たしか聞いたことありますよ。中1の頃だと思うけど」


「はぁ……さすがトモ君,ヘンなところで記憶力が冴えるねぇ」


 まぁ中1の頃かどうかは,オレ自身が分からない。

 ただ,先輩が音楽好きではないことだけは知っていた。






 ……私ね,ホントは音楽とか苦手なの。


  ……でもね,私が楽器を吹くとトモ君が笑ってくれるから。


   ……だから,そんなとき,私とってもうれしいの。


 だって……こんな私でも,世界中で1人は笑顔にさせることができるんだぁ……って思っちゃうから。






「はぁ……よくもまぁあんなコトを高3で言えたもんだ……ったく」


 結局あれから昔話を掘り返してしまって,今日は予定より少し手前で終わってしまったが。

 かわりに,学校の都合で先輩が好きでもない音楽の道を余儀なくされていることが分かった。


「ちょっと単刀直入だったかなぁ」


 でも,やはり遅かれ早かれオレは聞いてしまったと思う。


 同時に,それは絵を描くためでもあった。

 良い絵を描くには,描く側も描かれる側もまっすぐな心でなければならない。

 それは絵描きに限ったことではないと思う。


 だからオレは,茜音に本当の気持ちを聞いたのだろう。

 彼女が今をどんな気持ちで生きているのか。

 その彼女をオレはどう感じて,どう見ているのか。


 2人の心が1つにならないといけないと思ったから。

 だから,あんな突拍子もない言葉を吐いてしまったんだ,きっと。


「トモ君,明日は完成させよう……ね?」


 その言葉で,オレたちは解散した。

 実際,ラフは仕上がっている……スミ入れだってすぐできる。

 だが肝心な人物そのものがボンヤリとしていて……それも内面的にそうだから,よけいに手が進まなくて。




 そしていよいよ最終日。

 明日には作品を事務局へ提出しなければならない。

 それはまた,先輩もといモデルとの契約期限でもあった。


 約束の時間は放課後。

 オレは水彩道具も携えて屋上へと足を運んだ。


 ……がちゃ。


 手にしたドアノブが生温い気がする。

 その先に先輩がいる。

 ただの幼馴染みではなく,絵描きとして描きたい1人の女性が。


「あ……トモ君」


 その姿にオレは一瞬唖然とした。


「せ,せんぱ……ぃ? 何ですか,その格好は……」


 そこには,思い出すのに時間がかかったものの,中学の制服を着た先輩がいた。

 なぜそうなのかは知らないが,どうやら今日は忘れられない放課後になりそうである。

 ……というか,すでにこんな格好をした先輩だけでお腹いっぱいだったりもする。


「あのね,今日は色塗りするんでしょ? だから,私のいちばん描いて欲しい服を着てきたんだよ」


「それが……中学の制服ですか?」


 たしかに何をするか先を読めない人だが,ここまで予想を裏切られたのは初めてだ。

 でも,けっこういいかも知れない。

 とりあえず下書きの最終段階,表情の描き込みから着手する。


「ところで先輩,コスプレとか好きなんですか?」


「ぅ……最初に言われると思ってた……」


「答えになっていませんよ?」


 夕陽の悪戯ではなく,本当に先輩の顔が真っ赤になるのが分かった。

 だがその表情は昨日までと違って,どこか優しくて,温かい。


「でも,今日の先輩はとてもいいです。なんだか,その……イキイキしていると云うか,何と云うか……」


「な,そんな……着てるだけで恥ずかしいんだから。そんなコト言わないで……」


「なら,いつのも格好でいいじゃないですか」


 わざと否定すると分かっている言葉だけを投げつけるのは,どこぞのエロオヤジにでもなった気分である。

 だがその姿はとても初々しいだけでなく,最後に先輩の楽器を聞かせてもらった刻を彷彿させる。


「たしかオレが中1のときでしたよね?」


「あ,やっぱり覚えてた?」


「もちろんですよ。僕,先輩の演奏がとても好きでしたから」


「な……そんな,恥ずかしいコト言わないで」


 そんな風にじゃれあっている間にも,着々と先輩の表情が画用紙の上に映し出されてゆく。




 ―――生き写し。


 今オレの目の前にいる先輩,そして筆先にある二次元の先輩,どちらも1人の高橋茜音そのもの。


「先輩,もう少しですからね。あとは制服の色だけ……です」


「え,あ……うん。キレイに,ね?」


 そう言って先輩は緊張気味に視線をオレへと向けた。

 ついさっきまでの恥じらいはなく,むしろ思い出の品で思い出に浸っているようにも見える。


「先輩……先輩にお願いした訳は,もう1つあるんですよ」


「あら,何かしら?」


「あの……今日はほら,誕生日,でしょう? 先輩の……」


「え? あぁ……そだね,そうだったね。あは,忘れてたよぉ……あはは」


 なんというか,照れ隠しのような,そうでないような。

 夕陽という小道具が似合っているのか,顔の火照り具合がちょっとだけ艶かしい。

 こうして見てると,なんか先輩ってけっこう可愛いのかな,なんて思ってしまいそうだ。


「僕……今年は忘れないようにメモしてたんですよ」


 そう言ってオレは制服の裏ポケットへと手を伸ばす。

 それから唯一折り目のついているページをめくって,彼女の目の前に差し出す。


「ぷ……トモ君……そんなのよりも大事な行事は,いっぱいあると思うよ?」


 だが言葉とは裏腹に,彼女の顔はクシャクシャだった。

 嬉しいのだろうか……?


「でも,しょうがないじゃないですか? 今日は先輩の誕生日なんですから……」


 そうやって頭を垂れるオレの前で,茜姉もまたうなだれている様子。


「ねぇ……トモ君?」


「な……なんですか?」


 いつからかオレを凝視する瞳に,なぜか悲しさを感じた。


「もしも……もしも,だよ?」


 強い仮定で彼女は話を始める。


「もし,私が……その,死ん……じゃったら。トモ君……どう,する?」


「え……? え,え……死ん……?」


 小さな頃,茜姉と一緒に手を取りあって歩いた遊歩道が浮かんだ。

 公園で遊ぶたび,オッチョコチョイな茜姉のかわりに怪我を重ねた記憶も。

 そういえば,路地に飛び出した茜姉をかばって一度だけ轢かれかけたことがある。

 それを思い出すと,背筋が少しだけ汗ばんだ。


「あのね,私……トモ君がいなかったらって。ときどき思うの。そして,こうも思うんだ。」


 ―――そんなの,考えられない。


「それが私の出した結論。もし私の前からトモ君がいなくなったら……なんて,それ自体が愚問なの。そんなこと,考えたこともなかったから」


「せ……せんぱい?」


「そんなこと考えるようになったら私,ホントにトモ君から目を逸らしちゃうんじゃないかって……でも,私にはできない」




 夕陽はもう山の瀬に押し潰されそうなほど。

 その光景は,まるで今の茜姉の内面を映しているようにも見える。

 刹那,真っ赤なコンクリートに乾いた金属音が木霊した。


「トモ君……」


 茜姉の悲しそうな顔を見るのは,いつ以来だろう。


「私ね,ホントは辛いの……」


 その短い一言に,オレの心もまた新たな不安を覚える。


「……っく……ぅぅ……ぇうっく……」


 突然の乾音は見る見るうちに嗚咽となり,あたり一面を覆ってゆく。


「あ,茜姉……?」


 その展開に,もれなく五感が置いてかれるくらいの不安が付きまとう。


 ―――カラ……ン,カ……ラ……。


 それは時間にしてほんの十数秒足らずだろう。

 身軽になったトロンボーンは,いまだ休むことを知らない。

 だが,そこには休むことを知らない,か細い涙声もあった。


「あの……さ,どうしたんだよ? あ……かねぇ?」


 ふるふると強張った肩に軽く手を触れたとき。




 ぽむっ……!




 柔軟な何かがオレの右腕を程よく包み,冬空のようにしんみりとした心を現実の世界へ引き戻す。

 ここ数年で肥えた,わりと新しく柔らかなマシュマロのような膨らみ。

 

「トモくんッ! まぁ〜た,ヘンなコト考えてたでしょう?」


 声の主が,真犯人に詰め寄る刑事のごとく,どアップで食い入っている。

 陽気を装った言動とは裏腹に,瞼から頬まで幾筋もの湿り気が残っている。

 それでも無理して作られた笑顔が痛々しい一方で,懸命に明るく振舞う茜姉にオレは振り回されている“フリ”をした。


「痛いですよ茜姉。そんなコト,ちっとも考えちゃいませんって!」


 ……とか,強気で言い返してしまうのはいつものこと。

 いやはや,この口調が「私がやりました」と物語ってるんだけどな……。






 校舎の影が限界まで伸び,この日も茜姉と一緒の下り坂。

 意地悪い言い様に聞こえるが,別にコイツを鬱陶しいと思ってるわけではない。


「トモ君,元気ないみたいだね。茜音お姉さんがお悩みを聞いてあげましてよ?」


 貴品があるのか分からぬ語調で,ゆっくりと茜音がオレの前に出る。

 長い付き合いだが,昔からよく姉貴ぶってオレの世話役を気取るさまは相変わらずだ。


「べつに,何でもないです」


 そう言って少しだけ目を下に移すが,何か反応を待つような円らな瞳がオレを捕えて離さない。


「ホントかなぁ?もしかして,人には言えないお悩みだったりしてぇ?」


 コチラの視線にあわせるように,さらにオレの顔を覗き込む。

 その仕草にちょっとだけ熱が上がって,オレは慌しく首を振ってしまう。

 いつものように緩やかな下り坂を歩くこと10分少々。


 我ながら見事なまでのボロ屋が見え,視界の隅には茜音の住むアパートも映っていた。

 互いの家に挟まれて,昔よく一緒に遊んだ小さな遊び場がある。

 ポッカリと開いた入り口にそびえる,背の低い水飲み台は当時のまま。


「先輩,ちょっとだけ寄ってきません?」


 TVの中でなら,その一声はよこしまな展開を確定させるだろう。

 だがオレたちはどちらの家でもなく,思い出の詰まった公園へと足を向けていた。


「トモ君……」


 茜姉と初めて会った,思い出の詰まった公園。


「私のせいで……トモ君,大ケガさせちゃったの,覚えてる?」


「いゃ……ケガしすぎて,どのケガか分かりませんよ」


 そんな下らない冗談をスルーして,彼女は目の前に広がる朱色の光を袖口で遮りながら言葉を続けた。


「たしか8才くらいだったかなぁ……私がここから飛び出したのを,トモ君が助けてくれたんだよね?」


「あれは人助けなんてモンじゃなかったですよ。タチの悪い度胸くらべみたいな感じです」


「あは……たしかに。でも,トモ君はちゃんと私をつかまえてくれた。もちろん無意識だろうけど,あのとき私,トモ君の腕の中なら安心できるって思ったの」


「当の本人は安心どころじゃなかったんですけど……」


 いや,冗談ぬきで死ぬかと思ったんだから。

 あれ以来,茜姉と一緒にいるときは常に“最悪の事態”を考えるようになった。


「でも……こんな私でも……一緒にいてくれて嬉しいよ。イヤならいいから……お願い,トモ君。これからも私のそばにいて?」


 いつしか宵の明星も分からぬほどに暗くなり,彼女の声がよけいに寒気を苛立たせた。

 一言,一言がとても心地よく,それでいて今までに味わったことのない別の感覚が背筋を走る。


「先輩……僕は不器用で,先輩のようにはしゃぐこともできない地味な人間ですよ? 先輩の足を引っ張るかもしれませんよ?」


「うぅん……いいよ,もっともっと私を引っ張って。そして,私がどこかに行かないくらいにトモ君のそばに引き止めて!」




 ぱちくりと点滅する街灯が,田舎道であることを主張している。

 そんな薄暗い中,僕たちは身を寄せ合っていた。

 どれだけの時間が経っただろうか……あたりを漂う夕食の匂いにお腹が悲鳴をあげていた。


「先輩,いや茜姉……僕も,茜姉のことが好きです。なんだか,こうしているうちに茜姉のことを好きになってしまったのかも知れません」


「何よそれぇ……ロマンチックじゃないよぉ……」


「すいません,ホントに僕って不器用ですよね? でも……やっぱりどんなに不器用でも“好き”だという気持ちだけはホントです。真実だと言った方が雰囲気が出ますかね……はは……」


 オレにだって茜音を想う気持ちはある。

 でも,今まではそれを無視してきたのだと想う。


「僕は茜姉を幼馴染みとしてしか見てきませんでした。同い年ならクラスメイト程度にしか見てませんでした。でも,やっぱり茜姉って何かが違うんです,その……」


「私もまだちゃんと好きなのかは分からない。でも,トモ君と一緒にいると,自分がとっても幸せに見えるの。そんな人はトモ君だけ」


 それはオレだってそうだ。

 茜姉以外に無理なほどに腕を,身を,心を寄せたいと思うヤツなんていない。

 だから,きっとオレは彼女のことが好きなんだと思う。


「そういえば先輩の誕生日プレゼント,まったく忘れてましたよ……だから,僕も先輩の想いに応えられるだけのものを今ここで贈ります」


 そう言ってオレは,かばんと平行に置いてあったプラスチックケースを取り出した。


「え,トモ君……それって……」


「いいんですよ,僕だって画家になろうと思って描いてたんじゃありません。きっと先輩と同じです」






 ……僕は,ホントは絵画とか苦手なんです。


  ……でも,僕が絵を描くと茜姉が笑ってくれるんです。


   ……だから,そんなとき,僕はとっても嬉しいです。


 それは……こんな僕でも,世界中で1人は笑顔にさせることができるんだって思うから。






「だから,受け取って下さい。コンクールとかなんて,ホントは初めからどうでもよかったのかも知れません。ただ先輩を描きたかっただけなんだと思います」


「ぇ……あ,トモ……くん?」


「先輩……茜姉……僕がいて,不愉快じゃないですか? 僕は,あなたを幸せにできますか?」


 思わず雰囲気にのみこまれて,やや焦り気味の彼女の首元に,がっしりと腕を巻きつける。


「ううん……,嬉しいな。私を描きたいって思ってくれるだけで嬉しいよ,トモ君……ホントに嬉しい。それはホントだよ,嘘じゃないよ」


「……僕も,先輩を幸せにしますから……だから,ずっと……一緒にいさせてください。もっと先輩の笑った顔を見たいです」


「……っく,ぅぐぅ……と,もく……ぅんッ……!」


 華奢な身体と繊細な黒い長髪が,抱きしめているようで実はオレを抱き込んでいた。


「先輩……なんて言わないで。茜音……茜音って呼んで,トモ君!」


「茜音……茜音。大好きです。だから……」


「ぅんぅん……いっしょ,だよ。うん,ずっと……」






 翌日。


 校内絵画コンクールの審査がされた。


 そして。


 最優秀賞……。




 1年F組,辻本知史。




 タイトル。






 『 茜音色の瞳 〜たそがれの君色美空〜 』






 だがタイトルに人物名を入れたとして,同作品は特別賞に格下げされた。

長々のお目汚し,お付き合い下さり有難うございます。

諸用につき,完全当日書下ろしです(苦笑)

時間を縫って修正しようとも考えておりますが,まぁこれもまた1つの結果かと思いますので。

まずは企画参加を果たしたことで今回はご容赦くださいませ。

では,またどこかで。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは、拝読させていただきました。 夕日に染まった学校の様子が、脳裏にはっきりと浮かんできます。先生の作品は、いつも世界のイメージがはっきりとしていて、とてもいいと思います。 ただ、も…
[一言] あまぁーーーーーーっい!!(@スピードワゴン) こんにちわ。小説を読みながらほくそ笑んでた自分が気持ち悪かった伊勢です。 女の先輩と後輩の僕、んでもって幼なじみ。微妙な関係にくすぶってた思い…
[一言] まず、めろんしゃーべっとさん、おかえりなさい。ご無事でなによりです(笑) わー なんていうか、甘いですね。会話の一つ一つが。 恋愛ものを書くのが苦手な私としては、信じられない光景が広がっ…
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