第二話 精神医療を信じない
「神様になれたら何したいの?」。僕は訊ねた。
「何もしない」
「えっ、何もしないの」
「うん。何もせず、ただ静かにパパと暮らす」
「ふーん。それも良さそうだな」
彼女が神様になったら、僕だってもう働かなくてもいいだろう。何もせず、神様であることを隠して、こっそり生きていくのも悪くない。
「でも僕が神様になれたら、世界を平和にしてみたいな」
彼女が言うように、たとえ僕が超能力者でも、世界を平和にできるほどの力はない。アメリカの大統領や、スーダンや北朝鮮の独裁者を超能力で暗殺するぐらいでは、新しい戦争が再生産されるだけだ。
「神様くらいの人物が世界を治めないと、平和にならないと思う」
「そんな難しいこと、パパはしなくていいよ」と彼女は言う。
それから、こうも言った。
「神様になれたら、ママや弟にも会いたい」
翌日は通院日だった。僕も仕事を休み、彼女に同行する。待ち合いロビーで一時間待ち、やっと呼ばれて診察室に入る。
「具合はどうですか」。医師が彼女に質問する。
「……あの、まだ頭のなかで声に話し掛けられるんです」
「夜は眠れますか」
「はい」
「食欲はどうですか」
「ときどき、吐き気がして食べられなくなります」
「じゃ、お薬を少し変えておきましょう。はい、いいですよ」
「ありがとうございました」
約五分間の診察。
僕は既存の精神医療をあまり信頼していない。五ヵ月間入院して治療を受けたはずの彼女は、ポルターガイストなど妄想がひどくなっていたし、通院してもスピード診察で、これじゃただの薬屋だ。
診察する医師のなかには威圧的な人物もいて、彼女が入院中にバケツ一杯分の血を抜き取られたと訴えたら、即座に「そんなこと、ありえませんね」と否定した。
医師は患者の妄想に振り回されてはいけない、という原則があるのかもしれないが、人の精神に携わる者なら、もう少し相手の「心理的事実」を尊重してもいいだろう。
おかげで彼女は病院を怖がり、何度も通院先を変えてきた。
ただし、どの病院もスピード診察であることは変わらず、治療は薬だけで済まされた。生物学的精神医学が主流だからだろうが、薬を出すだけ、悪化したら入院させるだけでは対症療法にしかならない。
脳や遺伝子が原因なら、生物学的治療も大切だろう。でも僕は、「精神病は対人関係の病」と言われた方がしっくりする。
精神病は医者だけが治すものではない。医療が無用とは言わないが、家族や友人、恋人が支えて治す病気だと思う。
五月九日になった。普段はベゲタミンとハルシオンで昼まで寝ている彼女も、今朝は早起きして出勤する僕を見送った。僕もつられて、そわそわした気分だ。
明日には神様になれる、三百万円が振り込まれる、と彼女は信じている。僕は、そんなことありえない、と思いつつ、ひょっとしたら……なんて考えたりもした。
それは楽しい空想だった。
子供の頃、ドラえもんと同居するのび太になりたい、と夢想したことがある。
ドラえもんは、いろんな夢の道具を出してくれる。だけどのび太は、それを活かしきれない。自分だったらもっと上手く使いこなし、幸せになれると思った。
彼女をドラえもんに例えるのもどうかと思うが、恋人がドラえもん以上の神様に進化するなんて素敵な話だと思う。
気が向いたら、新興宗教でも始めようか。彼女が教祖で、僕が教団経営を担当する。
仕事帰りに駅前で彼女と待ち合わせた。めでたい気分なので、焼肉屋に行くことにした。骨つきカルビ、塩タン、ミノ、ビール。美味しく食べた。
レンタルビデオ屋で、『ザ・仏陀』なんてビデオを借りて帰る。僕がギャグを言い、彼女が笑いながら歩いた。ところが煙草屋の自販機の前まで来ると、急に彼女はトーンダウンして大人しくなった。
小さな声で、「あたし、ほんとに神様になれるかな」なんて言う。
「どう、だろうね」
マイルドセブンを買う彼女。不安なのだろう。
「まさか……神様になるって、死んじゃうことじゃないよね」
「そんなことないよ。でも、煙草は減らした方がいいな」
「死ぬなんてイヤッ。パパと会えなくなる」
「死んだら、化けて出てこいよ」
「パパ!」。しがみついてくる。「でも、でも……」
「でも、なんだよ」
「でも、お化けより神様になりたい」
ははは。吹き出してしまった。
帰宅して『ザ・仏陀』を見た。画像はサイケだが、哲学的で真面目な映画だった。けれどゴータマシッダルタの生涯なんて退屈だったみたいで、彼女は途中でイビキをかきはじめた。
仏教的に悟ると、人は無の境地に至り、苦の輪廻を脱するという。
神様になりたいなんて言うと強欲に聞こえる。仏陀は、執着を捨てよ、と教えた。強欲な望みと悟りは無縁のものだろう。でも彼女は、神様になっても「何もしない」。僕と静かに暮らしたいだけだという。
神様にでもならなければ静かに暮らせないと、彼女は思っている。