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月光譚

月光譚

――――ギィィィ――――


小さな音を立てて扉が開く。

その隙間から長靴が現われ長身の堂々とした体躯の男が自室に入る。

一匹の狼も男の後を追う様にしてするりと部屋へ流れ込んだ。


「ラギィ」

ソファーに座り軍服の襟元を緩めながら男は狼へ話しかける。

男の口から出た言葉には、優しさが見え隠れする。

だが、傍から見ればこの男が狼といえど、優しい口調で声を掛けるという事自体がまずおかしい。

この国を守る軍隊は大別して三つ。

まず王宮内部を守る近衛隊。通称「白獅子」。

そして王都を守る治安部隊は「黒狼」と呼ばれる。

国境部隊は最も大きく、総称を「山猫」という。

その「黒狼」の隊長が、泣く子が更にギャン泣きするとまことしやかに影で囁かれている隊長が、優しい口調を吐くなどと。

隊長の下で常日頃緊張を強いられる隊員が見たら、絶対に凍りつく。

そんな男が声を掛けたお相手は、毛並みも瞳も真っ黒の狼だった。


ソファーに座る隊長の足元でうずくまっていた黒狼が顔を上げた。

そうして返事をする。

(なに?)

「疲れたか?今日は一応顔見せだけだが。」

(別に、大丈夫)

でも「黒狼」の隊長が黒い狼連れて歩くって、出来すぎ。と言いながらラギィと呼ばれた狼は笑うように小さく口を開けた。

その間にも隊長ことアーベルは狼の毛並みを優しく撫でている。その硬質でありながら極上の手触りを思う存分堪能しているという訳だ。


執務室の隣にある個室は、隊長の肩書きを持つものに与えられた特権の一つである。

応接室の隣に続きの仮眠室と簡単な浴室が付いている。

その応接室で寛いでいた一人と一匹を取巻く空気は静かで穏やかだ。


頭を撫でられてうっそりと目を細めていたラギィがアーベルに、もう寝るから寝室の扉を開けて欲しいと言った。

疲れたと問われて「別に」と言っていたのだが、やはり疲れたのだろう。そんなに気を遣わなくてもと思いながらアーベルは口の端をゆるく持ち上げた。


銀とも見紛う淡い金色の髪が覆う顔の輪郭は荒削りであるが若干細い。一重瞼の鋭い目元は今の口元と同じくゆるく吊り上っており、中の瞳は深い紺碧で、ラギィはその瞳を見るたびに故郷の空または海を思い出すのだ。

そんな顔が黒くて長い鼻先にずんずん近づいてくる。「うっ」と仰け反りそうになる狼の顔をごつごつした手がガッツリ抑えて固定する。

「扉を開けておく。」

ゆっくり頬ずりしながら不敵に笑うアーベル。

(うん。首輪の件はどうす)

聞いた途端に相手の機嫌が垂直降下していった。ラギィは黒い瞳でちらりとアーベルを見た。

それが間違いだった。


「お前はペットじゃない。それをあの馬鹿どもが。」

アーベルは軍の上層部に言われた事を思い出したのであろう。笑う表情はそのままだが、目は決して笑ってなどいない。その表情はとても恐ろしいものである。

「ラギィ、俺がお前に首輪をすると思ったのか?」

聞かれたラギィはヤクザに凄まれている様な心持になった。何も悪い事していないのに、突然因縁つけられた、みたいな。しかも凄む顔は自分の鼻先なのだ。

視線を外した方が負けだと獣の本能が煩く騒ぐ。だから黒い狼は視線を外さない。そんな目の前の相手の毛並みを満足そうに撫でるアーベル。

大きな手の動きを意識の隅で心地よく感じながらも、ラギィは何処が相手の地雷を踏んだのか必死で考えていた。だが、焦っている所為か、どう考えても思いつかない。

そして苦し紛れに出した言葉。

(あ、そうか。首輪しなかったらここから出れる・・・・・)


更にアーベルの笑みが深くなる。ラギィは相手の機嫌が高い建物の屋根からまっさかさまに降下して地面にめり込む音を聞いた。

「ここから出て何処へ行く?」

思わず立ち上がったラギィは、その問いに答えられなかった。

沈黙している狼の黒い瞳が僅かに潤んだのをアーベルは認めた。そして黒くて柔らかな首筋に顔を埋めながら「悪かった」の言葉と共に小さく息を吐く。

暫くして「先に寝ろ」と言いながらアーベルは立ち上がった。

そして寝室へと長靴の音を立てながら歩いていく。


寝室の扉を開けてその近くの壁に背を預けて腕組みしているアーベルの視線の先には、ぴんっとした姿勢で立ったままじっと此方を見る黒い狼がいた。

床で寝るな、別の部屋で寝るなと言い続け、寝るなら俺の寝台で寝ろと口喧しく言った甲斐があったというもので、最近は狼が先に寝る時は「扉を開けて欲しい」と口にする様になった。


ゆっくりと黒い狼が歩を進める。

奥に行くほどに柔らかくなる毛並みが隠す地肌は白く、そして温度が高い。同じ色をした瞳もこれまた真っ黒で、夜空の様に艶が舞う。均整の取れたその体が音も無く歩くさまは、さながら一幅の絵画の様である。

アーベルの横を通り抜ける時、ラギィは一言言った。

(ありがとう)

扉を開けてくれた事と、おそらく先に視線を外した気遣いへの礼だった。

するりと通り抜ける黒い背中を掠める男の指先が首から尾へと流れてゆく。


----------


湯から上がったアーベルが髪を拭きながら寝台の側にある椅子に座った。

狼は寝台の上でうずくまり、そして眠っている。

粗方髪を拭き終えたアーベルは、タオルを椅子の背に掛けるとゆっくり寝台に上がった。

狼の上に覆いかぶさるように四肢を突き黒い首に顔を落とす。アーベルの薄い唇から出たくぐもった笑い声は艶やかな黒い毛が吸収してしまった。

一時の後、アーベルは狼を跨いだまま膝立ちに身を起こし、左手で寝台の横の壁に付いている窓のカーテンを勢いよく開けた。


――――シャッ――――


細い悲鳴の様な音と共に月光が静かに部屋へと侵入して、黒い狼を目指す。

アーベルの髪の色にも似た淡い光に包まれたラギィは次の瞬間、本来の姿となっていた。


象牙色の肌と項までしかない短い黒い髪。うつ伏せて曲げた両腕に顔を埋めているが、僅かに見える瞼はぴくりとも動かない。

脇から下は柔らかな曲線で、アーベルとの性別の違いを描いていた。

一糸纏わぬ白い背中が小さく上下する。その背中を大きな掌が触り心地を楽しむ様に、月光の中で殊更ゆっくりと滑った。

余程疲れていたのだろう。紺碧の瞳が見つめるその姿で眠りはとても深いと解る。

(ヤマオカ・ヒイラギ)

真っ直ぐにアーベルを見て初めて己が名を名乗ったあの時と、ラギィは何一つ変わってはいなかった。


----------


獣である狼がその意識を放り出し、尚且つ満月の光の下でという限られた時にだけ本来の姿を垣間見る事が出来る。

試行錯誤の末、その結論に達したのは半年前だった。

そして今宵は満月だ。それを知る「黒狼」の隊長ことアーベルは日中わざと気疲れする状況へとラギィを引きずり込んだ。

「獣のクセに、危機感が無さすぎだ。」

アーベルは笑いながらラギィの背中に自分の肌を密着させる。

窓のカーテンはそのままに。

布団を身体に掛ける事もせず。

白い肌と体温を堪能する為にアーベルはラギィを包み込んだ。



銀とも見紛う淡い金色の満月の夜の、それは月光譚。




テーマは狼男の真逆。

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