2 咆哮
祠の中は外よりもなお暗い。
しかし見てみると、2畳程度の広さに腰の丈ほどの高さの装飾のついた台のようなものが置いてあるだけで、中を物色するほどのこともなかった。
考えていたような恐ろしい物はなかったが、そうとわかっても足を踏み入れる勇気が出ずに、二人は立ち尽くす。
先ほどから鳥肌がおさまらない。さとるは不吉な空気を肌で感じ、知らぬうちにこぶしを握り締める。
風が高い音を鳴らして、背後の森を揺らした。それは警笛のようであった。
さとるはこんな恐ろしい場所を早く抜け出したかったが、それには祠にはいって、駄々をこねている美咲を満足させるしかないのだ。
さとるは、覚悟を決めた。
「……はいるぞ」
美咲の返事も聞かずさとるは足を踏み出した。古い板がきしみ音を立てる。そんなことさえ飛び上るほど、さとるは恐ろしかった。
中は簡素であっても、押しつぶされそうな圧力を感じ、息苦しい。見えない大きな力が二人をつぶそうとしているようだ。
恐ろしいと思うのは気のせいだ、落ち着こう、そう意識しながらさとるは台に近寄り中をのぞいた。
これを見て、そうして美咲を引っ張って帰るんだ。
さとるは恐怖を押しこめて、早く帰ることだけを考えて動いた。
入り口からは暗くてよく見えなかったが、台上に短剣が納められていた。剣は、祠の中で薄く光を放っているように見えた。
さとるは引き寄せられるように、短剣を手に取った。短剣は軽く、さとるの手によくなじむ。
「さとるちゃん」
美咲がいつの間にか、台の裏側に回り込んでいた。しゃがんでいるのか姿が見えず、声だけが耳に届く。
「箱が置いてあるよ。隠してあるみたいだね。また紙が貼ってある」
美咲の声は無邪気だが、上ずっていて何か空々しい。
嫌な予感がして、さとるは止めようと近寄った。
しかし、もう遅い。
紙を破く音が、祠に響いた。
「美咲っ」
さとるが美咲を呼ぶのと同時に、箱が開かれた。
「きゃ」
美咲が小さく声をあげる。
箱を開くと、大きな風が起こり、祠が揺れた。
風と共に咆哮がどこかから運ばれてくる。
小さな祠の中に風が渦巻いて、立つのがやっとだった。
さとるは目を開けられないほどの強風から体を守ろうと、必死に踏ん張った。本当は耳をふさぎたかった。咆哮に心臓が締め上げられているような状態で、今にも倒れてしまいそうだった。
どんどん咆哮の数が増し、さらに笑い声が重なり、嵐のように森がざわめく。なにか悪しき宴が始まるような様相であった。
さとるは風にあおられ、下を向いていた。何かが起こるという、恐ろしい予感に顔をあげられない。
「……もう、帰してくれ」
涙を流しながら、気が付くとそうこぼしていた。体の震えが止まらない。恐怖と緊張が体を支配している。
風が吹き荒れ、咆哮が大地を揺らす……まさに地獄のようだった。
「帰りたい」
下を向いたまま、涙を流して全てが収まるのを待った。
早く過ぎ去ることを、ただただ祈った。
ふいに風が止まったので目を開けると、肩がずしりと重くなった。反射的に目を横にやると、とてつもなく大きな顔がそこにはあった。
ぎょろりとした目が、さとるを見ている。
さとるは声もあげられないまま、それから目を逸らせずにいた。
『マズハ、オマエヲ、喰ラオウ』
地の底から響くような声を聞き、さとるはそのまま気を失ってしまった。
祠の日から時が経ち、さとるは何事もなく日常を送っている。
同じような毎日を送る中で、祠の出来事も記憶からなくなりつつあった。
毎日さとるは掃除や風呂焚きなど、家の手伝いを熱心にやった。
それがさとるの仕事で、やらないと食事がもらえないのだ。
さとるの食事は毎食、苦い薬草のスープで、いつまでたっても味に慣れない。ないよりもましだと思いながら飲むが、腹はいつも満たされず力が入らない。
それでも毎日必死になって生きた。祠の出来事は記憶から薄れていても、生きていこうという強い気持ちがさとるの奥に密かに芽生えていた。