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闇垢戴天  作者: 樹嵐
6/6

5章

「そうか、奴は現れたか」

「はい。推察通りに」 

 暗い室内に機械音のみが響き渡る。時折、ぐぽぐぐぽ、と容器の中の液体が空気を出した。

「それとあいつの居場所はわかったか」

「それらしき人物は確認しております」

 巨大な円柱の容器を目の前に、濃紺の制服に身を包んだ者は背後に控える部下の報告を聞く。

「そのほかの首尾は」

「上々です。今は鷹と蛇に鼠を与えていますので」

 周りで働く者どもは、まるでその二人の存在にも気が付かないように黙々と動く。その動作は実に機械的で、表情も人形のようであった。

 退出の命令がでた男は、上官を残しその部屋をでる。ドアが開くに合わせ、胸ポケットにしまってあった眼鏡をかける。今までの表情は消され、信じられぬような柔和な笑顔が浮かび、光に満ちた廊下に足をだした。



「大変だっ。大変だあっ」

 ドアを開けるなくても誰だかわかる足音を、さらに音量を上げ、ゲイルは今にも壊れそうな廊下を駆けた。前方後方から飛んでくる罵声や苦情も彼の足音にかき消されていく。

「ったく、誰だよ。うるせぇ……って、ゲイルじゃねぇか」

 一〇数メートル先の振動を足の裏に感じ、パオロは開けたドアにつかまりため息を付く。その間に足音は絶叫に取って代わる。

「どけ、どけぇ。足が止まんねえ」

 普段ならさほど気にならない傾斜も、百キロ近い弾丸には天敵である。 

「うわっ。来るんじゃ」

 無意識にドアを盾代わりにしようと動いたが一歩遅く、ゲイルと共に室内に転げ込むこととなった。ラグスは毛布を引き寄せ壁際に丸くなっていたが、あまりの惨劇に恐る恐るベッドの縁に這う。ドアの横の定位置にいたゼノはやれやれと小さく息を吐く。

うーんとゲイルのうなり声がするのでその無事は知れたが、その下敷きとなったパオロは声もなく埋もれている。

「パ、パオロさん。平気ですか?」

 しゃがみ込んで顔が埋もれているだろう、ゲイルの胸の下を精一杯のぞく。返事はないが、指がぴくぴくと動いた。無事である。ほっと気を抜くと、二人に近づく足音に声をかけた。

「どうするんですか?」

「放っておきたいところだが、このままだとパオロが窒息するからな」

細い木の幹ほどの腕を掴むと力一杯に引く。食いしばった歯の隙間から短いうめきが漏れるが、ゲイルは少し浮いただけでびくともしない。一度力を緩めると短くかけ声を出し、もう一度引っ張る。少し動く、と下からも力が加わり、ゲイルは派手な音をたててひっくり返った。ぜえぜえと仰向けのまま、パオロは思いっきり肺に酸素を送る。ゲイルもさっきの衝撃で気が付いたらしく、痛そうに頭を抑えながら身を起こした。

「ててて、何しやがんだ」

「それはこっちの台詞だ。お前、人を殺す気か」

 首元を抑えて、まだ苦しそうにしているパオロは、犬歯ををむき出しににらみつけた。「悪ぃ悪ぃ」と頭を掻くゲイルに、怒る気も萎え、体の調子を見るようにあちこちを動かしていく。その様子にこれといった怪我がないのがわかると、ラグスはよかったと知らずに漏らしていた。

二人が落ち着くのを待たずにゼノは尋ねた。

「そんなに慌てて何があった」

 その問いに、自分が駆け込んだ理由を思い出したゲイルは跳ね起き、ゼノに迫る。

「そうだ、大変なんだ」

「大変大変って、それじゃわかんねえよ」

 パオロの茶々に、がるると一々反応するゲイルをなだめ、その先をゼノは促す。ゲイルもことの重大さを思い出し、パオロと一時休戦を心に誓う。いざ話そうとすると、何から話したらいいのか迷い、口を開けたり閉めたりと繰り返すばかりで、なかなか言葉が出ない。それをまた茶化そうとするパオロを目で制し、ゼノは助けをだす。ゲイルの大変をそんな重要なことじゃないと決めつけたパオロは、片腕を回してベッドの端に腰を下ろした。いいんですかと目で語るラグスに、あいつにまかせるよとゼノに向かい顎を向ける。

「落ち着け、一度に全部話そうとするな。まずは一番大事なことを」

「ランコッドが攻撃されちまう」 

 説明半ばで張り上げられた声に、パオロは腰を浮かした。今朝方聞いた噂では、ジェルナは昨日ルレスフィア北東のケセラを襲撃し、制圧に手こずっているという。次に狙われる場所も、フェナーという北方の村が濃厚という話だ。鵜呑みにこそしなかったが、いきなり南下するとは思っていなかっただけに、この情報を信じることができなかった。いや、そうしたくなかったというのが正しいだろう。

「馬鹿なことを言うなっ」

「それはどこからの情報だ」

 ゲイルに掴みかからんとするパオロを自分の背で押さえ、的確な質問を飛ばす。その冷静な姿に、気が高ぶってわめくことしかできない自分を思い知らされ、パオロは余計に腹が立った。おもむろに自分の頬をぱしっとはたくと、冷静になれと言い聞かせる。その音にゲイルは変な顔をしたが、ゼノに答えをせかされ口を開く。

「墓場の爺様からだ。さっき仕事をしていると、ジャンが来てよ」

「ランコッドが攻撃される、と」

大きくゲイルは頷く。それから、思い出したようにポケットをさぐる。出てきたのはぐちゃぐちゃの紙。それをゼノに押しつけると読め読めと手で繰り返す。ゼノが紙面に目を落とすと、パオロがその跡を継ごうと口を開きかけたが、ゲイルはその質問を予想したのか、コツを掴んだのか信じてもらおうと口を動かす。

「墓場の爺様は、陰鬱な爺様だがよ。手に入れる情報はピカイチだ。特にジェルナに関する情報には狂いはねぇ。なんせ通信機を使えるんだぞ。ラジオじゃなくてな」

「通信機だと。さすがザフィートの闇だな」

 皮肉っぽく口角をあげるパオロに、ゲイルはけっと吐き捨てた。 

 だが、パオロの反応はいたって普通の反応といえた。科学がジェルナに掌握されているこの世界では通信機も都市の、それもかなり発展したした都市のそれも市長などわずか数人にしか民間人には与えられていないものだからである。通常、街・村の長や商人はラジオで情報を得る。非法合をモットウとする輩は、危険を犯して遠くまで遅れるラジオの電波に情報を載せるか、各地点に人員を割いて擬電波と呼ばれる短距離にしか遅れない電波を駆使してリレーするかのどちらかであった。噂では通信機は、遠くにいる人間の姿を見ながら話ができるそうだが、実際どんなものだかは想像もつかなかった。それが〈蜘蛛の巣〉にあると誰が想像するだろうか。

 ゲイルも口では自信たっぷりに誇ってみせたが、内心では実際見たこともない機械にはらはらしていた。なにせ〈蜘蛛の巣〉にいる住人が手にする外部情報も大半は電波リレーによるものであったからだ。墓場男爵が持っている秘密の情報源を見た者は、ほんの一握りである。

(たぶん長やその周辺の人間だけだろう。でも、俺は墓場の爺様を信用すらぁ) 

 頼る人間もなくザフィートに流れてきたまだ若かったゲイルを拾って〈蜘蛛の巣〉に居着かせてくれたのが、墓場男爵であった。あの日から十数年。豪快なゲイルとは性格こそ合わないが、あの日の恩と信頼は変わらずに存在した。

「だが、嘘ではないようだ」

 目は文字を追っていたゼノは、顔を上げると、手にしたメモをパオロに差しだす。受け取ったのを見ると、本文に目もくれずに最後にかかれたサインを見るよう指し示す。

「ムハルドの弟子 ユリエル=シークエンス? これが何だって……待てよ。おい、何でユリエルの名前があるんだ」 

「ユリエルさんがその墓場のおじいさんと一緒にいるってことですか?」  

 不安そうな顔をラグスは一層曇らせる。ランコッドにいるマラッサの人たちのことも心配だったが、まだベッドから出ることすらできない自分の足に、ユリエルに置いて行かれるのではないかと不安が募る。彼女がいなくなると言うことは、あの恐怖が忍び寄ってくるのと同じことである。

「だろうな。だが、名前だけでは信用してもらえないと思ったのだろう。だからそんな書き方をしたんだ」

「ムハルドって、あのとき話してた、先生だっけ」

 荷物などほとんどないが、パオロは素早く支度を整える。対するゼノは自分の荷物から何かを取り出すと、不安に揺らぐラグスの手にのせた。ずしりと思い感触が、薄い布から手に伝わっていく。細いひもをほどき、中をのぞくとハーツやネルガ硬貨が詰まっていた。はじめて目にする大金に目を丸くし、言葉を失った。その驚きに不安も一瞬でその影を潜める。

(これで一人で生きろってこと。やっぱり、僕は)

ここに置いて行かれるんだ。不安が絶望に変わっていく。視界がゆらぎはじめる。

「ゲイル。悪いがラグスを預かってもらえないか。こちらが一段落ついたら迎えにくる。だから」

「おうっ。それなら任せとけっ。一時と言わずに一生ここにいちまえよ」 

 急に自分の提案が受け入れられる形となり、ゲイルは上機嫌で承諾する。

「それじゃ、このお金は」

「気にするな。俺からの餞別だ。金はないよりあった方がいい」

「でも、こんな大金」

「それなら、半分をお前に、残りの半分はゲイルと墓場の爺様とやらに渡せばいい」

 準備の整ったパオロは、ドアの前で話が終わるのを今か今かと待つ。まだ何か言いたそうなラグスを、ゼノはこれで終わりだと言い切る。

「それが当座の迷惑料だ。ゲイル頼んだぞ」

 豪快に胸を叩く音がする頃には、二人は廊下に飛び出していた。曲がりくねった廊下を、疾走する男たちの後にいくつものドアが開き、何事かといくつもの顔が次々に現れる。

「で、どうやって戻るんだ」

「まずは、ユリエルと合流が先だっ」

あっという間に外に出ると、目の前にそびえる巨大な門を目指す。。



 星が見え始めた街道を、一台の小さなトラックが、黒煙を巻き上げて街道を駆けていく。ガコンガコンと歯車がずれたような音が止まる気配を見せずに辺りに鳴り響く。街道を照らすライトが、時折乗り上げる小石に一瞬切れる。

 ガイケラを立つときには、すでに日は傾きだしていた。ザフィートの衛星都市して知られるガイケラは、ザフィートに訪れたが入都市希望をを待つ人や、そういう人間を狙って商売する人間が集まってできた。そのせいか治安が悪く、わけありの者が集まるには最適の場所でもあった。

 そこにあるギルドの出張所で落ち合った三人は、墓場男爵の年代物の車を借りてランコッドに向けて出発した。街道を通るか否か、ガイケラを立ってすぐに意見が分かれた。ザフィート近くの小高い森を突っ切れば最短距離でランコッドに向かう。街道を行けば森を迂回するのことになる。不穏な情報が飛び交う現状では、早急に到着することが先決だと主張する声もあったが、二対一で街道を行くことになった。限りなく黒に近かったが、情報の真偽がわからない以上、目立つ行動は避けた方がいい、それが一致の意見となった。

 左に森を見ながら、街道を登っていく。車中には不思議な沈黙が流れていた。

「ここを登り切ればタニージャだ。そこまで行けばランコッドが見渡せる」  

 運転席から飛ばされる言葉に、荷台の二人は顔を上げた。

「わかったわ」

 そう応じたユリエルが視線を落とすと、パオロがどこからか銃を取りだし、暗がりで弾薬の数を確かめている光景に遭遇した。タニージャからは三〇分ほどの距離だが、気の早さを感じた。

(これが普通なのか)

 人と常に一定の距離を保って接してきたユリエルには、気がせくほど守りたいと思った人間はいなかった。最近ではラグスに対してそれなりに親しくしているが、それに値するのかは疑問であった。それ故、パオロの行動に普通を感じユリエルは自嘲気味に息を付いた。その空気の動きを感じたのか、パオロの動きが止まる。

「どうした」

 少し早めの言葉に、彼の興奮が伝わってくる。

「いえ、何でもないわ」

「そうか……。ちっ、なんだかみっともないな」

 髪を掻き上げる仕草が、破けた幌から差し込む月明かりに、浮き上がる。そのままぐしゃぐしゃと髪をかき回すと、はあ、と大きく息を付いた。

「なんか、お前もゼノも落ち着きまくっててよ。一人焦っているのがカッコ悪。ゼノはともかく、お前よりは年上なのによ。もう少し」

「私は……普通ではないから」

 すねた声を遮ったユリエルの声からは何も感情が読みとれなかった。ただそう事実を伝えるのみだった。〈渡り鳥〉で、闇狩で、愚闇で…。言葉にすればたったそれだけだが、ユリエルが生きてきた道はその容姿からは想像も付かないほど過酷なものだったのは確かである。その白い手を血で染めたことは一度や二度ではなかったはずだ。

(俺やマラッサの誰よりも過酷な生き方をしてきた)  

 その時、ふとゼノたちとかわした疑問を思いだす。ランコッド襲撃の衝撃ですっかり失念していたが、落ち着かない暗がりでその疑問を口にする。  

「あのさ。普通じゃないって、もしかして赤い魔物の声が聞こえるってことか。ほら、和睦の時も奴らが来る前に」

 衝撃は突然だった。轟音が聞こえたかと思うと、車体が大きく揺れる。轟音は立て続けに繰り返され、車は動きを止めざるを得なかった。

「どうしたっ。何が起こった!」

 叫ぶパオロの声に、しばしの沈黙が流れた。焦れてもう一度口を開けようとしたとき、

「わからない。とりあえず急ぐぞ。しっかりつかまっておけよ」

 そう言い終わらないうちに、車は今までにない唸りをあげ、坂を上がっていく。その間にも爆撃の音と地響きは続いていた。村を区切る木製の柵が見えてくるにしたがい、夜が赤く染まっていく。その様子は、破けた幌の隙間から荷台にいる二人にもわかった。音と地響きが止まったのと同時に、車も止まった。車から転げる様に飛び出した三人は、走って高台から街を見下ろす。そこには炎に飲み込まれたランコッドがそこにあった。

「畜生っ! 遅かったか」

 土を蹴り上げるとパオロ。ゼノは夜空に動く黒い点を仰ぎ見ている。その何機かはランコッドの周辺に着陸している。声なくその光景を唖然と見つめる三人。今からランコッドに向かっても無駄なことはみな理解していた。下手に近づきジェルナに睨まれるよりは、はじまった惨劇が落ち着くのを待つしかなかった。それがわかっているだけに、余計に苛立ちは募る。

「ちょっと待って。……あそこ」

 指さすユリエル。その先には膝丈の草原に隠れ目を盗みながら坂を駆け上ってくる人の姿があった。乗り出して見るパオロはあっと短く声を上げた。まだ遠いシルエットに知り合いの面影を見たのか、パオロは歩み寄り、その足取りはいつしか速度をあげていた。 

「ニル。無事だったか。何があったんだ? リーダーは?」

 矢継ぎ早の質問に、ニルは息荒く呼吸し、しばし待つようパオロに触れた手で訴えた。粒の汗が次々に額に噴き出て、落ちていく。濡れた銀髪とよれた服からは、いつものきっちりした彼の姿を想像することはできなかった。

「わかりません。私はタニージャから戻るところだったんです。いきなりの爆撃に驚き、慌てて逃げて」

 そこまで一気にしゃべると、大きく息を吸う。まだ苦しいのか、深呼吸を繰り返している。その背をなでつつも、パオロは街中の様子を少しでも聞き出そうと質問を繰り返す。ユリエルとゼノはその周辺に目を向けると、何人かの人間がニル同様に草原に這いつくばってタニージャに向かっていた。

 パンパン、パパン

 草原にも銃声が聞こえてくる。見ると、タニージャ側の門の辺りで、数人のジェルナ兵が逃走する人々に威嚇射撃をしていた。

「まずいな。パオロ、話は上に行ってからだ」 

「わかった」 

 ニルに肩を貸し、二人は登っていく。ゼノ、ユリエルとその後に続く。

タニージャ村の門の周辺には、開門を待つ避難民が群をなしていた。何人かの男女が木でできた門を叩き、助けを求めている。だが、大半のものは昼間の暑さが想像できないぐらいの夜の冷え込みを防ぐために、見知らぬもの同士が固まりあい暖をとっていた。ユリエルたちはその群から少し離れ、ザフィート大森林の近くに腰を下ろした。そこは街道から反対の位置にあり、乗り捨てたトラックから最も遠かった。パオロはニルを座らせると、ふらっと避難民の群に足を向ける。それをユリエルは目で追うがすぐに視線を戻した。

「もう歳だと認めないといけませんかね」

 口では若い者には、といつも言っているが、五〇代半ばに近づいた体は確実に年老いていた。ニルは呼吸を整えると、大丈夫だと背をさするゼノに笑みを見せた。

「落ち着いてからでいいから、事情を話してくれないか」

「何が発端なのかは、私も知らないんですよ。タニージャに用がありそちらにいたら、飛行機が群をなしてランコッドの上空を旋回するのを見て、一目散に戻ったのです。ですが、すでにジェルナの攻撃がはじまっていて」

「ジェルナの攻撃はさっきの爆撃からじゃなかったの」

 ニルはユリエルを振り向くと、首をきっぱりと横に振った。レジオンの秘書は、かつて銃口を向けられた相手でも恨みも嫌悪も少しも表情に出さなかった。

「違います。推測ですが、駐在している部隊が最初に動いたのでしょう」

 頭に宿屋での襲撃が浮かぶ。あの時同様、夜に奇襲をかけたのだろう。だが、その後に大軍が迫っているのに、少数の部隊で突撃することに意味があるのだろうか。突然の爆撃の方が、衝撃と混乱は強いと思うが。

「狙いはレジオンか」

「考えたくはありませんが、多分そうでしょう。あの方は何かとジェルナのやり方を否定してきましたから」

「レジオンの首を確実に取るために、駐在している部隊が動いたのかしら」

 闇に落ちたつぶやきに、ニルはわからないと力無く首を振った。肩を落とした姿は知り合って間もないユリエルが見ても随分老け込んだ気がした。何か言おうかとゼノが見上げたが、背後から近づく音に首をやった。見ると村とは別の方角から身をひそめながらも、パオロが小走りで戻ってきた。

「どうだった」

 慌ただしい戻りに、二人は顔を見合わせたが、パオロに問いかける声は言ったて普通だった。

「最悪だ」

 感情のない彼らしくないつぶやきに、ニルは彼の足にすがりつく。

「レジオン様は」

 パオロの様子に予測は付いていたが、それでも長年ともに辛苦を重ねた者の最後を耳にするまでは望みを捨てられない。その気持ちは三人にも伝わっていた。恐れるように、パオロはニルを視界に入れなかった。何度もためらうように唇が上下に動く。

「…殺された」

 ようやく絞り出された言葉は素っ気なくレジオンの一生を閉じた。

「そ…んな。都市ではないとしても、レジオン様は執政官。取り調べもなく裁かれるなど」

「聞いた話だと、夜襲を仕掛けてきたジェルナに抗議したら、マラッサだと言いがかりを付けられて、その場で射殺されたそうだ」

「射殺。……あの方が、そんな」

地面に崩れ落ちたニルは、呆然と射殺の二文字を繰り返す。その横でパオロは拳を地面に叩きつけた。

「事実はともかく、あちらも手段を選んではいられなくなったということか」

 どこか作ったような冷静さに、ユリエルはゼノの歪みを見た。自分と同じ押し殺した感情の果ての冷静さを。

「そうじゃないっ!」

「パオロ?」

「俺のせいだ」

 叫びに近い声に驚き、差しだしてしまったユリエルの手を軽く払うと、暗い怒りを帯びた目が闇に混じる。

「きっと和睦の時だ。今までばれなかったからと高をくくっていたから。だからっ」

「そんなことは」

 ニルの優しい否定を遮り、パオロは続ける。

「いや、間違いない。街の奴らも俺が出入りしていたからレジオンが狙われたんだと言ってたしな」

「…」

「そればかりか、ランコッドの奴ら、レジオンを死に追いやったマラッサを恨んでやがる。見つけたら血祭りにして復讐するってよ。こうなったのもみんな俺のせいだ」

 目に見えないナイフを己に突き立て、パオロは悔しそうに唇をかむ。握った拳も小刻みに震えている。誰も声を継ぐ者はなかった。沈黙が夜を一層色濃くしていくようだった。はあ、と疲れたニルのため息が現状を物語っている。

 マラッサの一員として、経済的にも優れ、メンバーの安全を確保してきたレジオンの喪失はまだ勢力の弱いマラッサには痛恨の痛手であった。それに加え、リーダーをはじめランコッドにいたメンバーの行方が知れない今、ジェルナを相手にする以前の問題である。

「一度、戻った方がいいようね」

 どれぐらいたってからか、ぽつりとユリエルがつぶやいた。丘から見下ろしたランコッドはすでに火も消え始め、辛うじて闇に浮き上がっているのが見える程度だった。

「そうだな」

 ゼノの同意にパオロもうなづく。頭に昇った血はすでに引いたらしく、上着に片手を突っ込んで照れくさそうに髪を掻き上げている。これからの方針がなんとか決定したのを見ると、ニルは立ち上がり三人の若人の顔を見回した。暗がりでよく見えなかったが、老年は何かを決心したらしく居住まいを正した。

「私はここに残りましょう。ここで少しでも情報を集めて、後方支援を行ったほうがよろしいでしょう。……なに、心配はいりませんよ。ここら辺なら知り合いも多いですからね」

「……そうか。悪いがそうしてくれると助かる」 

「おやおや、パオロさんがそんな口をきけるとは思いませんでしたね。少しは成長されたようですね」

 まるっきり子供扱いされパオロはむすっとする。口元に微笑を浮かべたニルは、ルフィアに旅の加護を祈った。誰も見上げぬ夜空に一筋の星が落ちた。



ぱちぱちっと暖かい炎の中で、小枝が悲鳴を上げる。それを見つめながら、でかかったあくびをかみ殺すと、パオロは手近な枝を放った。その拍子に、自分に寄りかかる人影がわずかに動いた。パオロは瞬間身を固くしたが、ユリエルが起きないのを知ると彼女が寝やすいように体勢を直した。

 見張り役を勝手出たゼノが、様子を見てくると森に消えてからだいぶ立つが、近くにいる気配はなかった。

(ま、旦那なら何があっても大丈夫か)

明かりのせいで一層濃くなった森にむかって肩をすくめる。それよりも、と肩の辺りの体温にパオロは困惑げに視線を落とす。先程から静かな寝息を立てているユリエルを見ると、ため息混じりに頭上を見上げた。枝を振り上げる木々の奥に一つ、二つ星が瞬いている。

(役得か……にしても)

 一枚しかない外套のせいで男とくっついて寝ることになったにもかかわらず、大して気にもとめずにパオロに寄りかかったまま眠るユリエルに、範疇外なのかそれとも安全牌だと思われているのか、どちらにしてもあまり男としてはうれしくはなかった。栗色の髪が寝顔を隠していたが、それはどこにでもいるような年頃の娘のそれと同じだった。見た目は何一つ変わらないのに、その細い腕で何匹の赤い魔物を屠ってきたのか、服の上からその腕にそっと触れる。漏れた声に慌ててずり落ちた外套を直す振りをする。

「…ん……メ」

「目?」

「……メーファーズ」

 微かに震えた空気が紡いだ言葉に、パオロは眉を寄せた。まるで異国の言葉のような、そんな響きの言葉をどこかで聞いたことがあるようなそんな気がした。その名に思いを馳せようとしたとき、苦しそうな息づかいが耳に飛び込む。のたうつユリエルに驚き、慌ててその身体を押さえる。外套がずり落ち、冷気が襲いかかるが構っている場合ではなかった。

「…嫌っ……いかな」

 腕をふりほどこうとするユリエルを、たき火から遠ざけようとつかむ。そのパオロの手が誰の手に変わっているのかわからなかったが、忌々しい悪夢に毒づいてやりたかった。

「ユリエ……いてっ」 

「……っ」

 呼び声と目覚めは同時だった。強い力で払われた手を抑えたパオロは、目の前で荒い息をするユリエルの背を見た。冷静で強い闇狩の姿はどこにもなく、小刻みに震える肩がやけに弱々しく見えた。声をかけていいものか悩んだが、パオロは結局かけることにした。

「大丈夫か」

 拾い上げた外套を背にかけてやる。荒い呼吸の下から、短い言葉が聞こえた。よく聞き取れなかったが、パオロは聞き返さなかった。ユリエルの脇に座り直すと、思い出した冷気にくしゃみをした。

「あー、そういやゼノの旦那は、どこまで行ったんだか」

 赤毛をかき回しながら、気まずい沈黙を破ろうと辺りを見回す。相変わらず闇に没した木ばかりがあるだけで、ゼノの姿も気配も感じられなかった。いなくなってからの時間を思えば不安がよぎるが、旦那だから、と意味不明の理由でそれはうち消された。それよりも小さく漏れたため息の方に気を取られたといった方が良かったか。

「……よく、見るのか」

 聞こえていないかのように、振り向きもせずにユリエルは身を抱えた。その質問に一切答える気はない。無言の拒絶を感じたがパオロも引く気はなかった。

「さっき、寝言でメーファーズって言ってたんだけど」

 その言葉に反応し、ユリエルは身を硬くした。赤々と燃える炎を見つめる瞳に、感情を読みとることはできない。もしこれを言ったら、ユリエルは自分の前から消えるのではないか。そんな気持ちが芽生えたが、パオロは自分の疑問をぶつけていた。

「俺の記憶違いじゃなかったら、和睦の日に後から現れた赤い魔物に向かってそういってなかったか」

 ユリエルは顔を上げた。が、そのまま固まり動くことはなかった。

しばらくの間、燃えてはじける木の音だけが世界に響いていた。

「あー、やめだやめだ」

 飛び起き、木々の間から覗く星空を見上げる。

「辛気くさいのは性に合わないんだ。悪いな、さっきのは忘れてくれ。……こんな世の中だ。言いたくない過去なんて山のようにある。残念ながら、……俺にもな」

赤い魔物がいる限り、この不幸の連鎖は終わらない。見上げた空に輝く赤い星を睨む。あの星によく似た光にどれだけの不幸が生み出されたのか。気がつけば握った拳に力が入り、じんわりと汗がでていた。

「…の……くま」

「?」 

 微かに聞こえた人の声に、パオロは視線を落とし、同じようにあの赤い星を見上げていたユリエルと目があった。

「何か言ったか?」

 パオロはわざとそう聞いた。それがユリエルの過去に触れることだと察せられたから、わざと引き返せるように問い直した。一瞬、口を閉じかけたが、形のいい唇はしっかりとその言葉を刻んだ。

「ヘッジの悪魔」 

「ヘッジ…の悪魔? ヘッジって、黒の時代の終焉となった村だろ。それが一体」

 とまどうパオロの視線から、一度ユリエルは目をそらした。その目はほんのわずかだが、深淵の闇を慈しむが如く微笑んだように見えた。

「気になるなら、調べればいいわ。私が言えるのはここまでよ」

再び向けられたその表情は、すでに平素のユリエルであった。



 風に揺らされながら静かに輝く銀糸。肩をわずかに過ぎた髪は、邪魔されることなく風と戯れている。蒼海に似た瞳は、目の前に広がる砂漠を食い入るように見つめていた。

 それは進じがたい現実。

 そこは闇なのか、ただの黒なのか。何とも言い表せない空間がゼノの周囲に広がっていた。

(まるで浮いているようだな) 

 そう彼が感じてもおかしくなかった。その空間は足下からさらに下に向かっても進んでいた。 

目の前の空間が歪む。かつての故郷は乱れ消え、贖えない過去が突きつけられる。体は硬直して動けない。いや、動かせないといった方が正しかったが、ゼノにはその気もなかったのでどう表現しても同じことであった。

 底に浮かび上がったのは何も知らなかった無力な過去のゼノ自身。そして、もう一人。白衣に身を包み、長く闇色の髪を持つ女性がいた。彼女は頭を押さえ、悶え苦しんでいる。髪を振り乱し、上体を屈め、すさまじい叫びをあげて喘いでいる。聞こえるはずのない叫びをゼノの記憶は蘇らせる。決して、ゼノに助けを求めようとしなかった彼女は、雪のような白い肌を鮮血に濡らしていた。痛みから逃れようと力が入ったのか、爪が自らの皮膚に食い込んでいた。

その異常さに恐怖した過去のゼノは目を背け、感情のない今の蒼い眼は、その様子をじっと見つめていた。

 悶え苦しむ女が、憎しみに満ちた目でゼノを睨みつける。

「っ!」

 そこにあったのは女の紫の瞳ではなく、赤く淀んだ闇に魅入られし者のそれであった。そう思った刹那、像は乱れた。微かに風を体に感じはじめる。それは徐々に強くなり、やがて突風に変わる。目を開けているのも辛いその中で、わずかに開けていた目が捕らえたのは一人の少年。それだけは、今までの映像とは違い、生身の人間のようであった。

 それ違い様に二人の目が合う。さっき見た赤い瞳と同じ眼に。

「…っ!」

 そこでゼノは現実に引き戻された。

「はあ、はあ」

 乱れた呼吸を整える余裕もなく、当たりを確認する。手探りで木の幹を探すと、背を預け、そのまま地に崩れ落ちた。額からこぼれ落ちる滴に、急速に体温を奪われていく。火照った体にそれは心地よかった。

(あの男は、まさか)

体の疲労に比べ、頭の中は意外なほどに静まりかえっていた。脳裏に刻まれたあの赤い眼が、身震いを起こさせる。闇に落ちし者に続き現れた赤眼の少年に、ゼノは拳を大地に叩きつけた。

(あいつはアレを完成させたのか。それにしても……バージルのあれといい。面倒なことを)

随分使い込まれた剣をつかむと、踊るように空を切った。見えない何かを断ち切るように。

(二度と繰り返すか。あんなことを二度と繰り返して良いはずがないんだ)

 剣を手にしたまま、ゼノはパオロたちのところに向かい歩きだす。

「忘れるな、ゼノ=ウディウム。お前が何のために生かされているのかを」

 闇によぎるのは先程見た一面砂漠の世界。それは二度と蘇ることのない彼の故郷だった。

そんなゼノを頭上のあの赤い星が静かに見下ろしていた。

 夜は更けたばかり、まだ夜明けにはほど遠かった。

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