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闇垢戴天  作者: 樹嵐
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3章

和睦当日。

 その日、空は晴れていた。が、雲一つないとまではいかなかった。時折、雲に隠れ日差しが弱まるが、コンクリートの照り返しか、東部指令基地はやけに暑かった。この時期には珍しい暑さに、ユリエルは額を拭った。

(この時期にこの暑さとは異常ね。夏が思いやられる)

 そんなのんきなことを考えつつ、空を見上げる。ちょうど大きめの雲が、日差しを遮っていた。その切れ間より太陽をのぞかせる。まぶしさに目を細め、顔を戻した。

(?)

が、何かあったのか再び空を見上げる。

「何かあるのか」

 彼女の不審な動きにあわせ、パオロも額に手をかざし上空を見る。

少し離れたところで、ゼノがこちらを見ていた。その側には、ハウルセンが立っている。

 計画当初、彼女は居残り組であった。マラッサのリーダーが女であることは知られていない。それを逆手に取り、ゼノをリーダーとして和睦を執り行うというのが今回の計画であった。マラッサ設立当初からメンバーにいる彼の実力は皆よく知っており、それが最善策だと思われていた。ただ一人、当のハウルセンが、自分も和睦に立ち会うと言って聞かなかった。なだめすかすイーデンやレジオンの姿をユリエルは馬鹿らしげに眺めた。

「守りたいのよ。私は主人の……マグナス=マラッサの意志を守りたいの。そのためにマラッサのリーダーとなったのです。だから、こそこそせずにジェルナと対峙したい」

 いつもの変わらない柔らかい声であったが、その声には見かけからは想像できない思いの強さを感じられた。彼女が甘い考えの持ち主であったのは確かだったが、リーダーとしての責務は紛れもなくこなしていた。それを裏付けるように彼女の手は、柔らかなそれとは違い、ごつごつとまめができていた。

「いえ、何でもないわ」

 小さく頭を振るユリエルに、パオロらは視点を転じた。濃紺の壁がこちらを見ている。壁までの距離はわずか十数メートル。真意を見せるためか、見渡す限りのジェルナ兵は皆、素手であった。それに対してマラッサは全員が武器を携帯していた。だが、十人にも満たない人数と武器に比べ、その両方で圧倒的な量を誇るジェルナの軍事基地にあっては、それでも対等とは言い切れなかった。

 約束の時間はとうに過ぎていたが、ジェルナ代表のザフィート市軍長はなかなか姿を現さなかった。ハウルセンを囲むように立つマラッサ陣営にはしびれを切らしはじめた者もではじめていた。その筆頭を勝手でたのは赤毛の自称エースだった。

「おいおい、いつまで待たせるつもりだよ。まさかジェルナがじらし作戦か」

 相手に聞こえるようにぼやく彼に若い兵士がいきり立つ。どうやらジェルナ兵も上官の遅れの理由を知らないらしい。ただ単に知らないのか、それを言うに値しないのか。ジェルナ兵相手にヤジの飛ばしあいをするパオロたちを尻目に、ユリエルは一人落ちつきを保つ男に近づく。

「何も知らない下級兵をからかって楽しいのかしら。この遅れ、ゼノ、あなたはどう思う?」

「問題にすることでもないな。ユリエルはザフィート市軍長がどんな人物か知っているか」

 横に並んだユリエルの頭はゼノの肩ほどであった。その成長にゼノがわずかに微笑を浮かべたのをユリエルは気づかなかった。 

「ジェルナ一の好戦家で好色家。闇に魅入られし者と同じで全てを破壊尽くすのが得意」

 ゴルウェイの好色家はこの地帯では有名な話である。

 この世界では長年ジェルナが闇に魅入られし者と戦ってきたため、それ以外の軍事力がなかなか育たなかった。それに目を付けたジェルナ経済部が運営の寄付金とばかりに金を集め、その寄付金の金額順に都市や街・村を守るようになった。

 ゴルウェイがザフィート市軍長になった年、ひどい日照りが続き、多くの村が農作物が育たずに寄付金を集められなかった。その内の一つであったイェノ村は、金の代わりに市軍長好みの娘を彼が満足するまで提供したのであった。ゴルウェイはそれに満足し、イェノ村に十人の兵を在駐させた。二倍に増えた在駐兵に村長は気をよくし、次の年も娘を送り、同じ女は飽きたと返された話は彼の好色ぶりをよく物語った。  

「お前の感想は?」

「見た目の派手さに隠されているけど、意外に緻密な計画をたてて、相手を追いつめるのは侮れないところね」

 ユリエルの言葉にゼノは口端をつり上げた。

「人を見る目を育てたな」

「子供扱いするのはやめて。それで、問題ない理由は何なの」

「ああ。同じ女は抱かない趣味の男が、ここ半年の間、たった一人に夢中なのさ」

 その言葉の意味を悟って、ユリエルは隠すこともなく嫌悪をみせた。

「つまり、和睦よりも女の体の方がいいってことね」

「女じゃなく男だ。日夜、側に侍らせるために市軍次官にしたほどだから、よほど相性がいいんだろう」 

「どちらでも同じこと。約束を守れないような奴と和睦を結んでも裏切られるのがおちね。あなたは自信があるようだけど、一戦あるのは必至ね」

 ユリエルもあの後パオロからディオムの件は聞かされている。パオロにしても半信半疑、いや三信七疑といっても言い過ぎなぐらいであった。唯一、情報源がゼノだと言うこと以外信じられる要素が何一つ無い。ユリエル自身、その情報がもたらす利益を考えから除いていた。

「いや、和睦はなるだろう。だが、軍事がすんなり言うことを聞くかどうかは賭だ」

「衝突は起きないんじゃなかったの」

「全面衝突は、な。一戦もなく和睦がなるとは俺も思ってはない」

「あら、パオロの口振りだとそう聞こえたけど」

「あいつは何かと俺に張り合うから、そのせいだろう。それにマラッサ一の好戦家もあいつだ」

 いつも達観している男の子供っぽい笑みは、ユリエルにとって意外なものであった。出会ったときから完全無欠の男だったが、ここにきてユリエルは思う。ゼノにもきっと人には言えない重い枷があるのだと。

「それよりもさっきはどうしたんだ」

思いに沈みかけるのを阻止するように、話を振られた。横目で騒ぐ群衆を見る。一体何しにここに来たのか問いたくなるような幼稚な騒ぎは、まだ続いている。

「本当に何でもないわ。雲の上に何かがいた気がしただけよ。きっと鳥ね」

「雲の…上」

 不安げにゼノは頭上を見上げる。ユリエルもそれにならう。先程より、雲が多くなっていた。日差しが遮られ、幾分だが暑さが和らいだ気がする。

「飛行機か?」

「さあ、どうかしら? 何かいたような気がしただけで、確かに見たわけじゃないから」

「そうか。なら、気のせいだろう。もし飛行機ならとっくに攻撃を仕掛けてきているはずだからな」

 言葉の終いの方で、声がかぶる。二人して振り向くと、パオロが手で呼んでいる。彼の先には制服の違う、あきらかに高官とおぼしきジェルナ兵が立っていた。事態の進展を察したゼノは、愛刀の大剣を肩からおろすと足早にそちらに向かう。ユリエルも足を向けるが、ゼノについた嘘が気になったのか、もう一度空を見た。 

雲の合間から見える空に、一抹の不安が胸をよぎる。

(何もなかった。だから何も起こらない) 

 声もなくつぶやく。何度も何度も自分の聞いた彼ら・・の声をかき消すように。  

それが、ユリエルが他人を避ける理由だった。




 ザフィートから北西。ディオムから東に見える山の麓に生い茂る森。そこに彼はいた。

 木々の間を縫うように微かに届く光は、辛うじて今が昼間であることを告げていた。彼、メーファーズはそこが所定の場所であるかのように倒木の幹に腰を下ろしていた。黒ずくめの中で彼の唇の赤がやけに目立っている。

(ここはどこだ)

 今、目覚めたと思われるうつろな目が、地を覆う枯葉を映す。広げた手のひらには、落としきれなかった血がこびりついていた。それはリグルドのものだったが、彼には自分が何をしたのかすら記憶になかった。

(必要とされたからここにいる。それ以外に必要はない)

 手から瞳を移すと、耳慣れた音が葉のささやきの中から聞こえてくる。骨を砕き、肉を喰らう音。見ると、ただれた肉の塊が群をなしていた。それの手の中には、どこで採取したのか、衣服の残骸から村人とおぼしき人物があった。腸が引きずりだされ、それぞれが思い思いの場所を喰い漁っていた。闇に魅入られし者の口らしいところからは、白濁とした体液がどろどろとこぼれ落ちている。それは大地につくと、じゅわわ、と煙りをあげ、つもった葉を溶かした。周囲には独特の腐敗臭が漂っていた。 

(私は彼らと共にルフィアに従えばいい。ただそれでいいはず)

 メーファーズは立ち上がると彼らの元に歩み寄る。彼の中の埋まらない穴が、その歩みを苛立たせた。自分は彼らと同じ、闇に魅入られし者で、神の僕。そう分かっているだけ余計に彼は自分でも気づかぬ内に苦悩していたのだ。

 おもむろに止めた足下で、獲物を漁る赤茶けた物体を黒い瞳はとらえた。衝動的に、メーファーズは手を振り上げ、それに突き刺す。引き戻した手の中には、黒い楕円形のものが握られている。核を奪われた闇に魅入られし者は、仲間の前に崩れ落ちた。その肉を食わんと、我先に肉塊が動く。メーファーズは白煙を上げる手を一瞥し、その手で長い前髪を掻き上げた。

 闇に魅入られし者である自分が、なぜ彼らを殺すのか、ルフィアより与えられた使命が、彼に苦悩を与えていた。

『…タイ………カエ…リ……タイ…』

 赤い瞳を妖しく光らせながら、肉を漁る彼らの声は、木々を走る風と共に、メーファーズの周りを駆け抜けていった。

「私はどこへ向かい、彼らはどこに帰るのか」

 誰に言うでもなく漏れた言葉に、遠くで誰かが鼻で笑った。手にした核を握りつぶすと、中から漏れ出た液体を彼は嘗めた。

「地獄に向かい、地獄に還るに決まっている」

前髪で隠された眼はいつの間にか赤く染まっていた。それに呼応するように闇に魅入られし者は動きを止めた。彼にひれ伏すかのように、姿勢を低くしたままうずくまっている。メーファーズが足を出すたびに、肉塊が割れた。ほぼ中心に来たとき、突然、メーファーズは笑った。冷笑と呼ぶに相応しい笑いだった。

「バージルが動き出したか。神を恐れぬ罪人め」

 目だけでその方角をとらえると、再び歩みを進めた。

「ならば、我らも動くか」

つぶやきは、閃光を生み、辺りを包んだ。光が消えたときには、いつもの平穏が訪れていた。彼らがいたことを告げるのは、微かに漂うあの臭いのみであった。





 東部司令基地はにわかに慌ただしい動きを見せた。和睦をなすために、ザフィート市軍長代理として現れた古参の市軍次官にマラッサは眉をひそめた。市軍長の下にはラッツを含め、数名の次官がいる。今回代理として現れた、シュハラルもその一人であった。  

「お前らの気持ちも分からなくはない」

 ため息混じりに苦笑するシュハラルもことの異常さに気づいていた。

 今回の和睦はジェルナ総帥が取り決めたことだ。その代理としてゴルウェイがマラッサと書面のやりとりをすることになっていたのだが、それを自分の部下にやらせるというのだ。ジェルナ代表がいくら三大都市の市軍次官とはいえ、一地方の軍人が行うとは、誰が思いつくことであるか。

(市軍長になっても、あのいい加減さは治らない、か) 

 人知れず二度目のため息をつく。決して表には出さないが、この和睦に至るまでのやりとりを思い出すと、あと数十回はため息をついてもいい気がした。実際、和睦の件が伝えられたのはつい数時間前のことなのである。普段なら本部との交信に使われることのない下級兵の端末で、重大な事実はあっさりとザフィート支部東部指令部に伝わった。回線ジャックにより、かなり乱れた画面で応対したのは本部のカシェル軍事次官とその書記官であった。

『本日一〇を持ち、和睦をなすと、そちらの軍事次官殿に伝えているが、手はずの方はどのようになっているか』 

 そう、鼻持ちならない口調で尋ねる書記官に、何のことだとぽかんとするしかなかった己と部下たちを思い出し、またため息をつく。半ば諦めているが恨み半分の目で、ザフィート支部のある方角を見た。きっとゴルウェイは今もあの小綺麗な同僚を組み敷いているのだろう。

(ったく、好き勝手にするのはいいが、肝心なことは伝えろよな。オレやパスクにつけがまわるんだからよ)

 ザフィート市軍の上層部の構成メンバーの半数はゴルウェイと共に歴戦をくぐり抜けてきた猛者たちである。それ故に、ゴルウェイの気性や性格は熟知していた。特に市軍次官のシュハラルとパスクはゴルウェイの両腕と呼ばれる存在で、今回のマラッサ掃討戦の指揮も委ねられていた。 思いも寄らぬ本部の接触で大きくその計画が変更させられたが、シュハラルらにこの機会を逃すつもりはなかった。上司同様に彼らもまた経済部門が目障りだったのだ。

「大変遅れて申し訳がない。私はザフィート市軍長ザン・ゴルウェイの代理を務めるニー・シュハラル市軍次官である」

 ザフィート南部出身者特有の黒い肌に白いものが目立つ髪は、ゴルウェイよりも体格は劣るが風格を備えていた。その声に、ハウルセンが足を出すよりも早く、ゼノは一歩前にでた。焼けつく風が白銀の髪をなでる。

「ゼノ=ウディウム。マラッサの代理だ」

「代理だと」

「ああ、ジェルナとはリーダーが直々に来ることを条件にされたが、そちらも代理の代理。文句はないだろう」 

 通常なら、その一睨みで他者を屈することができたが、ゼノの眼光もシュハラルに負けず劣らずに見えた。二〇年以上戦場にあり、赤い魔物による凄惨な現場を幾度と無く見てきた自分が、一瞬でもひるみそうになったのを巧妙に隠すと、渋々了承の意を伝える。隙あらば、隠し持った銃で撃ち抜いてやろうと思っていたのだが、シュハラルは断念せざるを得なかった。一対一は分が悪い、そう長年の経験が告げていた。ゼノがシュハラルの企てに気づいていたかは分からないが、ハウルセンが名乗りを上げていたら、銃弾を浴びていたのは必至だろう。

ゼノとシュハラムの和睦会談は静かに進められた。そもそも和睦の原型はすでに決まっており、残すはこの儀礼的な書面のやりとりのみだった。百メートルほど離れた位置で並ぶ両陣営。その中央付近で、立会人のもとにゼノとシュハラルは書面に記入していく。マラッサの立会人はザックスが、ゼノの指名のもとになった。パオロも彼の思考が読めたらしく、気取られないようにハウルセンの側に立っている。いつ不測の事態が起きても、彼女を守れるようにだろう。もしかしたらはじめから二人はこうするつもりだったのかも知れない。一人、マラッサの輪から離れた場所で、ユリエルは状況を見守った。何が起きてもいいように、ルアムーンを手にし、背後にも注意を注ぐ。

 時折、やはり気になるのか、上空を見上げる。

 書面の交換はもうすぐであった。それが終われば、和睦はなる。何か起こるのなら、そこである。マラッサに緊張が走る。

「来るっ!」

 不意に背後から上がったユリエルの声に、パオロたちは振り向いた。それ幸いにと、隠れていたジェルナ兵が銃口を向ける。

「ちっ、やっぱりいやがったか」

 咄嗟にハウルセンの前に立ち、盾となるパオロ。その彼をも押しのけ、ユリエルはゼノに、いや、そこにいた人々に向かい叫んだ。

「逃げろっ。闇に魅入られし者が来るぞっ」

 その必死な叫びと、口にされた名に、辺りが騒然となる。中には鼻で笑おうとした者も……

「な、何か振ってくるぞ」

 その声はジェルナ兵より上がった。狙撃用のライフルを構えた兵の中からユリエルの叫びが消える前に。すさまじい轟音が頭上より響く。隕石かと思われるような物体が、地上に落ちてきていた。ゼノは素早く身を翻し、地を蹴った。シュハラルも数歩、出だしが遅れたが、陣営に走る。

 ズダーーーーン

 盛大な衝撃音と共に、コンクリートが割れ砕け、辺りに飛び散る。逃げ遅れたシュハラムの背を石の塊が襲う。地面に叩きつけられ、背に走る痛みに顔が歪む。それでも、身の危険を感じ起きあがろうとした時、それが動いた。一瞬、シュハラルは自分の身に何が起きたのか分からなかった。ただ口から飛び出る赤い液体が目に入っただけであった。再び地面に叩きつけられたとき、彼はすでに屍となっていた。

 ぐぐぐうううぅううぅううぅぐぐぅうぅうぅ

 長い唸りと共にそれは、シュハラルの内蔵を引きちぎり喰らった。血色の瞳が物足りなげに周囲を見渡す。

「う撃てぇっ」

 その声に、ライフルを構えた兵たちが四方から鉛の弾を降らせた。市軍といってもその半分は闇狩である。相手は立った一匹。ことはすぐに片づく。誰もがそう思った。

(違う。私が聞いたのはあいつの声ではない)

 目の前で繰り広げられた凶行など目にもくれず、ユリエルはその異常さにとまどった。目の前にいる闇に魅入られし者から何も声が聞こえなかった。

(どうして何も言わない!)

 他の闇狩がどうかは知らなかったが、ユリエルは闇に魅入られし者の声が聞こえた。攻撃が当たれば痛いと叫び、常に還りたいと懇願する彼らの声が、嘘のように目の前の魔物からは何一つ聞こえなかった。それは、つまり……

「逃げるぞ、ユリエル」

 突如腕をつかまれ、ユリエルは意識を戻した。眉間にしわを寄せて、ゼノが逃げるようメンバーに伝えていた。

「何でだよ。闇狩がこんなにもいるんだぞ。たかが一匹、恐れることはないだろ。それに、今逃げたら、ここに来た意味がない」

 くってかかるのはやはりパオロだ。他のメンバーもその意見に同意らしく、それぞれ首を縦に振っている。銃撃は、最初の勢いはないが、とぎれぬよう続けられる。闇に魅入られし者は飛んでくる鉛の弾を煩わしいハエと変わりなく思っているのか、片手で軽々とはじき落としていく。中には地に落ちずに、ジェルナ兵に打ち返されるものもあった。あまりの煩わしさにか、闇に魅入られし者はその体躯からは想像できぬほどの敏捷さを見せ、兵の塊へ突撃する。それが飛んだと理解した次の瞬間、彼らの体は痛みを覚える暇もなく、後方にはじき飛ばされ、そのまま絶命した。運悪く生き残った者は、骨が外にはみ出したまま地獄の苦しみを味わい息絶えた。

「おいおい、一体どうなってんだよ。なんで核を撃たない」

 ゴミのように蹴散らされていくジェルナ兵を見て、マラッサの空気は一度も二度も下がった。誰もが身を震わし、死の恐怖に支配されていく。

「撃たないんじゃない。撃てないのよ。何せ核が見あたらない」

「何だとっ」

 ユリエルに詰め寄り、パオロはその肩をつかむ。

「こんな場所で、冗談はよせよ」

 口調はいつものように軽かったが、込められた力とその視線には冗談を強く切望していた。肩の痛みに少しだけ苦痛を顔に表すも、ユリエルはきっぱりと首を横に振った。

「だから逃げると言ったんだ。今からでも遅くない。気づかれる前に行くぞ」

 全員が死を意識する前に、ゼノが最後の希望を与える。パオロはちっと悔しそうに舌打ち、ハウルセンは他のメンバーに指示を飛ばす。こんな時にもあの柔らかい口調はそのままだった。誰もがこのまま気付かれずに逃げられる、そう思いはじめたとき、ユリエルはまたあの声を聞いた。それはマラッサの頭上からであった。 

「来るっ。みんな、伏せてっ」 

 声が消える前に閃光が生まれ、辺りはまばゆい光に包まれる。その中から轟音と共に、肉の塊が飛び出していく。マラッサのメンバーの頭上をすれすれのところで移動していく。仮にかすってでもいたら、きっと生きてはいられなかっただろう。それだけの高速と重量でいくつもの影が現れる。

『殺せ』 

 光が消えるその前に聞こえた声にユリエルは頭を上げた。

「嘘っ…すよね」

 目の前に広がる絶望はそう声にするしかなかった。あの独特の臭いが鼻をつき、皆むせはじめる。空を切って、そう表現するしかできない出現をした闇に魅入られし者は十数の群をなし、空から振ってきた闇に魅入られし者に対峙する。

「殺せ」

 その化物の群の中央に立った黒ずくめの少年は、軽く右手を振る。その動きにあわせ十数匹の似てもにつかない塊の群が、一匹に襲いかかる。辺りには、まだ数十の兵士がいたが一向に構う素振りを見せない。

「どういうことです。これは。赤い魔物が同士討ちだなんて」

 たった一匹だというのに、それは恐ろしく強く。同胞を切り裂き、喰らっていく。その化物同士の殺し合いに巻き込まれた兵士の絶叫と、化物の唸りが基地中を駆けめぐる。

「ユリエル、他にはもう来ないのか」

 半身を起こしたままで、ユリエルは闇に魅入られし者の群に見入っていた。肩をつかまれ、ようやくパオロの存在にユリエルは気がつく。ため息混じりながら、もう一度同じ事を聞くパオロに、ええ、と上の空で答えるのがやっとだった。 

 ぐぎゃあぁああぁあああっ

 生きたまま食いちぎられた闇に魅入られし者の絶叫に、ユリエルは耳を塞ぐ。食いちぎられても、腕をもがれても、核を潰されるまで何度でも再生していく彼らの絶叫は、人間のそれと対して変わりはなかった。

ずさぁっ

切り裂かれた腕が、ユリエルの脇に落ちる。その風圧で、頬に一筋の赤い線が描かれる。たらりとこぼれ落ちていく血にすらユリエルは動揺しなかった。彼女の目が捕らえるのは辛うじて塊の中で判別できる黒ずくめの人影だった。

「この混乱に乗じて逃げるぞっ。ユリエルっ!」

 腕を捕まれ、ユリエルは「分かった」とつぶやくと、後ろ髪を引かれるのをぐっとこらえ、戦場を駆けだす。しばらく行ったところで、ユリエルは後ろを見た。もう戦火の中心からだいぶ離れ、化物もかなり小さく見える。

(メイファーズ? ……まさか)




「あーあ、折角の楽しい舞台が台無しですよ。これでは」 

 雲の上。その遙か上空に、ゼノが推測した通り、一機の軍用輸送機がいた。

その内部の大型スクリーンに映し出される地上の映像に、その前に立つ男は芝居がかったように両手を広げ落胆を示す。その割に表情とその口振りは落胆というには遠く及ばなかった。それもその男の特性というものなのかもしれない。

「まぁ、実験体のテストにはこれほど相応しい演出はないのですが、ね。おやおや、マラッサは撤退しますか。賢明ですね」

 ぴぴぴぴぴぴ……

 突然鳴る無線の無粋の音にわずかに顔をしかめるが、上官からの連絡だと知ると、途端ににこやかになる。おもむろにスクリーンを消すと能面のような部下から、帰還命令を伝え聞く。

「それでは、帰りますか。サンプルも十分取れましたから」

 ゆっくりと旋回し、来た道を輸送機は誰にも知られずに戻っていった。




 遠く基地の方から聞こえる機械音とは違ういくつもの唸りに、ラッツは顔を上げた。額に張り付く髪を軽く掻き上げる。

「どうした、ラッツ。気が散ってるな」

 自分の肉体の上にまたがっているラッツの胸に手を滑らせながら、ゴルウェイは不機嫌をにじませる。昼間っから何をしているんだとも思わなくもなかったが、ラッツは這い回る手を捕らえ、その指先を嘗めた。

「ええ、先程からやけに騒々しいなと。鼠狩りの成功の花火ならいいんですけど」

 もう一度というように、節くれ立った指をラッツの口に押し込む。従順に舌を使うラッツに気をよくしたゴルウェイではあったが、この耳障りな音が銃声でないのはわかっていた。行為の途中から闇に魅入られし者の気配をわずかに感じていたのだ。マラッサの連中が血迷い、奴らを利用したのだろうとたいして気にもとめなかった。シュハラルとパスクなら上手く処理するだろうと思っていたのだが、まだ気配が消えないのを見ると手間取っているらしい。ゴルウェイの目に戦士の光を見たラッツは、あっさりとその指を放した。起きあがるゴルウェイに迷ったが制服を渡す。その配慮が当たっていたらしく、ゴルウェイは上機嫌にそれを受け取った。

「さっき風呂に入って、正解だったな。シュハラルたちが手こずっているようだ。少し出てくる」

「私も参ったほうが」

 自分の制服を素肌に羽織っただけのラッツは、ベッドの上から制服を着込んだゴルウェイを見た。服を着てもそうでなくても筋肉質な体型はごまかせなかった。

「いや、お前はここで、勝利の美酒を用意しておけ」

「仰せのままに」

 差し出された手に唇を寄せたその時、慌ただしく扉が開いた。

「ゴルウェイ閣下」

その勢いのまま入った兵士は、その部屋の様子に一瞬自分の役目を忘れた。上官の好色やラッツ次官との関係も理解してはいたが、現実にその情交の余韻を見せられるのとでは違っていた。だが、兵士は間一髪のとこで我に返り、規定通りの挨拶をした。

「何だ。騒々しい。大した用でなかったら貴様は狙撃の的にしてやるぞ」

 声を荒げたわけではないが、低く不機嫌を隠さない声は、兵士の背筋を伸ばすには十分だった。もとよりゴルウェイの顔つきからして、他者を威圧するのに言葉は不要であったが。

「申し訳ありません、閣下。パスク次官が至急、閣下とお会いしたいとのことです」

「パスクが? 何事だ。あいつらしくもない」

 自他共にゴルウェイの右腕と確信し、その期待に応えてきた男の慌ただしさなど実に久しぶりのことで怒るよりも先に驚きがでた。自分に問われたのかと思った兵士は、しどろもどろで切り出す。

「それが、私にもよく分からないのですが、作戦実行中に化物が降ってきたと」

「なんだとっ! そんなことがあるわけないだろっ」

「ですが、パスク次」

「貴様では埒があかぬ。パスクの通信をこちらに回せ」

 今にも殴りつけられそうな勢いに、兵士は縮み上がる。上手く了解の返事もできぬまま、部屋を逃げるように出ていく。ラッツは素早く制服を身に纏うと彼の背後に立つ。これぐらいで震えているようでは、出世など望めなかった。

「空から降ってくるとは。仮にそれが事実なら、赤い魔物は空を飛べることに。もし故意なら」

「いわれるまでもないな」

 この世界で飛行機を使用しているのはジェルナのみである。もしそれが利用されていたとすれば、大方、軍事部門を蹴落とそうとするステアラの陰謀であろう。ゴルウェイの目に炎がくすぶりだす。隣室に姿を見せると、待機していた兵たちが一斉に敬礼する。画面の中でパスクも簡単な礼を取り、すぐさま口を開く。

「ゴルウェイ。大変だ。シュハラルが喰われた」

 気性の荒い上官を呼び捨てにできるのは、長年戦友として共に過ごしてきた証である。その気の置けない友からの戦友の死に、ゴルウェイはさすがに瞠目した。しかし、すぐに落ち着きを表面に戻す。

「何があった」

「作戦通り、書面の交換が行われるのを待っていた。が、聞いたと思うが、空から一匹、化物が降ってきた。そいつに構っている間に、気がつけば群をなして現れやがった」

 いつも慎重な行動を心がけるパスクの慌てた口振りに、事の異常さがひしひしと伝わってくる。

(こうなったらあれを使うか)

 側に控えるラッツを手で呼ぶと耳打ちする。その様子を画面から見ていたパスクが、急ぎ付け加える。

「ちょっと待て。もう少し様子を見させてくれ。奴ら同士討ちをはじめたんだ」

「同士討ち? 赤い魔物がですか」

 ラッツの驚きに、パスクは徐々に本来の平静さを取り戻したのか頭を使いはじめる。ゴルウェイはただ黙ってパスクの考えを待った。

「そうだ。多勢に無勢って感じだったが、最初に降ってきたのがやけに強くてね。そっちにもこの唸りが聞こえないか」

 ああ、これは奴らの、納得しながら頷くラッツに、パスクは耳に栓をする仕草をした。だいぶ離れたここまで聞こえるのだ、基地ではどれほどのことか。

「しばらく静観して、数を減らさせる気か。分かった、お前の采配期待しよう。だが、あれの使用は許可しておく。後方にでも置いておけば安心だろう」

「ああ、そうさせてもらう。何せ一〇は軽くいるからな。それともう少し人数をよこしてくれ。新入りの非闇どもが喰われちまったからよ」

 分かった、そう口を開きかけたとき、画面が真っ白になる。乱れる映像に、パスクや彼の部下の慌てる声がとぎれとぎれに聞こえてくる。だが、それも長くは持たなかった。ぷつりと唐突に映像は切れ、暗い画面に変わる。その異常さに息を飲んだラッツは、辛うじて残った思考により、窓際に立ち基地の方角を見た。そして、白い光に包まれぼやけている基地を目にする。

「基地に偵察を。対赤の武装をさせておけ。それから、分子分解の準備だ。いつでも発射できるように。それから、アーチボルト長官に連絡を」

 次々に部屋を出ていく兵士を背景に、ゴルウェイは作戦失敗の報告をいかにするかを考えはじめていた。

 後に、この事件は《神槌戦争(バルバディッシュ)》のはじまりとして歴史家たちに語られることになる。


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