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闇垢戴天  作者: 樹嵐
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2章

 ランコッドを抜けたユリエル一行が、街に到着したのはそれから数時間後であった。

 パオロにせかされるまま、街の外で車を降り、急ぎ走るザックスの後にユリエルは続き、街に入った。彼女の頭の中はラグスの怪我で半分以上占められていた。止血は試みた。弾も運良く貫通している。後はどこか休めるところで静養させないと。前を行くザックスの広い背中からはみ出した細く白い足が、力無く揺れている。

(もっと早く別れていれば)

 いずれこのようなことになると薄々感じていたのだが、幸いにも今日までたいした怪我を負うことなく旅を続けてこれた。その日々が長かったためにユリエル自身も、懸念をしながらもどこかで大丈夫だと高をくくっていたのだろう。〈渡り鳥〉には安全などないということを、ラグスと共に旅をしてきたつかの間の平穏の中で、知らずの内に忘れようとしていた自分がいたことにユリエルは闇の中で笑った。まだ自分は人間だったのかと、パオロの言葉を借り、自嘲した。

 何度か道を曲がったところで、先頭を走るパオロが足を止めた。ここだとばかりに、明け放れたドアにザックスは迷わず消えた。早く、と辺りを伺いながら促す手に、ユリエルはためらった。ラグスの件もあり、後をついてきたが、今になってどこに連れて行くのだと疑問に思ったのだ。そのことに今頃気がついた自分に嫌気がさし、軽く舌打ちする。その行儀悪い音を耳にしたパオロは、両手をあげて大げさに驚いて見せた。

 夜の闇の中でも消えることの無い赤い炎を持つ彼の陽気さもこれくらいでは消えないようだ。背を優しく押され、ユリエルは足を動かした。ラグスが連れて行かれた以上、今更引くわけにも行かなかった。

「そういえば、ゲイルはどうしたの?」

「さあな。気がついたらとんずらしていたからな」

「そう」

声が微かに響いた。暗い、石に囲まれた通路をユリエルを前にして二人は歩いていく。思ったよりも通路は長く、複雑に横穴が開いていた。所々にドアがあり、試しに一つ開けようとしたが、鍵がかかっていて開かなかった。遠くで水滴が落ちる音が聞こえる。ザックスの姿は見えない。先に行ったのだろう。複雑な通路を迷うことなく歩けるのだ、ここが彼らの巣穴で、危険がないのは確かなようだ。

「あ、次、右ね」

 思い出したかのように言うパオロは、ぴたりとユリエルに歩調を合わせている。決してくっついているわけではないのだが、もしユリエルが逃げ出したとしてもすぐに追いつける。そんな距離を保ったまま彼は歩いていた。まるでユリエルを監視しているかのようだった。さっきのレジオンと現れたことといい、パオロがただの商人でないことは明らかだった。そうこうするうちに足は行き止まりの前で止まった。目の前には何度か目にしたのと同じ扉があった。ノブに手を置く。このドアはさして抵抗もせずに開いた。

 扉の奥は小さな部屋になっていた。作りからしてどこかの物置だったのだろう。壁にそって棚が作られ、木箱がいくつか置かれていた。今来たのとは別のドアが、四、五段の階段の上にあった。その扉が開き、ザックスが顔をのぞかせる。

「こっちっす。坊主は、今、怪我を見せてるっす」 

 ザックスが開けてくれたドアをくぐると、また別の部屋にでた。使用人部屋といった感じの部屋であった。広くない部屋に数人の男女がいたいた。その内の一人はユリエルも知った人物であった。ユリエルの肩越しに、パオロの声が飛ぶ。

「レジオン、そっちは大丈夫だったか」

 街の執政官に対する口調では無かったが、レジオンが気分を害した様子はなかった。むしろにこにこと実に楽しげであった。

「ええ、ジェルナの下っ端に少し嫌みを言われたぐらいで、何ともありませんね」

 白髪が目立つ口ひげをなでる仕草は、優しげな老人にしか見えなかった。老人といってもレジオンはまだ六〇歳を少しでた程度で、当人が自分をどう思っているかはわからなかった。都市での平均寿命は高く、六〇歳を過ぎる者はかなりいる。が、一方、村では闇に魅入られし者の襲撃などにより、極端に平均寿命が短かった。だから、一概に老人といってもその年齢差は各地域によって多少異なった。

「待って。なぜランコッドの執政官が::まさか」

パオロとの会話を無理にうち切らせる。二人ともそのことに気を悪くしたと言うよりも、ユリエルの言葉にうれしそうに顔を綻ばせた。

「そうですわ。ここはランコッド。ちなみにここは執政官の私邸です」

 声の方に目を向けると、メイド服の女性が柔らかい笑みを見せる。その横には執事と思われる男が、渋面を作って立っていた。

「つまり、いったん外に出て、別の門から中に入ったってことね。林を通ったのは、どこに向かっているのかわからなくするためってことかしら」

「ビンゴ。頭がいい女って、俺、好きだぜ」

 なれなれしく肩に置かれるパオロの手をさりげなく払い落とす。

「口が軽い男って、私、嫌いよ」

 ころころと二人のやりとりを笑う女性にユリエルは向き直る。金髪を結い上げ後ろでまとめた姿は、どこにでもいそうなメイドであった。三〇歳を少し越えたくらいの年齢だろう。きっと家庭でも優しい母親だと思わせる女性だ。自分には決して手に入れられないものを彼女は持っている。そんな勝手な思いこみが、ユリエルの口調を皮肉なものに変えた。

「それで、この集まりはいったい何なの? ついでに招待された理由も教えていただけるかしら」

 向けられた棘を予想していたのか、女性は笑みを崩さなかった。そればかりか、ユリエルに近づきその手を取ると、彼女の深い緑の目を真っ直ぐに見つめた。

「どこから話をしたらいいのか分かりませんから率直に申し上げます。私たちの仲間になってください」

「仲間?」

 困惑したのはユリエルのみではなかった。パオロやレジオンもそうくるとは思わずにいたらしく、それぞれが驚きを見せた。女性はただ、ええ、と頷くだけであった。

「後数日もすると、私たちにとって大きな催しがあります。それにあなたの力をお借りしたいのです。……駄目かしら」

「駄目かしら……って」

 調子が狂う。それがユリエルの素直な感想だった。きっと彼女が話した内容は危険なことなのだろう。だが、まるで危険な感じがしない。遠足があるから手伝って、というような口調で話す女にただ困惑を見せるしかなかった。

「ちょっと待って。まずあなたの名前を教えて。それから何があるの?」

「あら、ごめんなさい。私ったらまだ名乗ってなかったですね。私はマグナス=ハウルセン。それから、彼はイーデンよ。後は皆知っているわね」 

「イーデンはマッラサ唯一のデスクワーク専門だ。つまり、唯一の非戦闘員」

 聞こえるほどの声で耳打ちするパオロに、イーデンはこめかみに青筋を立て歯ぎしりをする。なんとか平静を繕うと眼鏡の縁を押し上げ、観察するかのようにユリエルを見た。眉の間の皺は平素からそうであるかのようにくっきりと刻まれている。そのせいか大分年を取って見えたが、ハウルセンと同じ年なのだそうだ。

「ユリエルとかいったな。我々は、皆、ジェルナを打倒するために集まっている。手っ取り早く言えば、我々はマラッサの一員だ」

 ハウルセンの話では埒があかないと見たのか、イーデンがその後を継いだ。パオロもザックスもレジオンも、それぞれに頷く。

「ジェルナとの和解は、はなはだ不本意だが、赤い魔物が活発化している現状ではいたしかたがないこと。それで、数日後に控えた和睦に、お前も参加させると言うことだ」

「イーデンっ!」

 ハウルセンの声は、言われたユリエルよりも早かった。両手を腰に当てて、イーデンの顔を睨みあげる。本人は怒っているのだろうが、優しげな顔に作った怒りは迫力に欠けた。

「そんな言い方は、失礼よ。私たちは自分から集まってきたメンバーなの。ジェルナのように強制するのなら、マラッサなんてない方がいい。私の考えにあわないのなら、無理にいてもらわなくてもいいのよ」

 ハウルセンの講釈にユリエルは気づかれないように笑った。甘い。きっとイーデンはパオロから私が愚闇であることを聞かされている。だから、少しでも戦力の幅を増やすために強制してでも従えたいのだろう。その考えは実に利にかなっていた。愚闇を見つけることは、森の中に隠した木の葉を見つけるのと同じくらい至難だからだ。闇狩だとわかった時点で強制的にジェルナに連行される世界で、愚闇で居続けるのは難しい。下手をすれば、ジェルナから命を狙われることもある。ユリエルは自分の過去を振り返り、ハウルセンの甘い考えを鼻で笑った。笑わなければ、自分の生き方を否定しなければいけなかった。

「ごめんなさい、ユリエル。イーデンが失礼なことを言って。私はあなたを無理に従わせる気はないの。お願いはします。だけど、決めるのはあなたです。あなたの意志をマラッサは尊重します。」

 尊重か、ユリエルはそう思い、パオロとザックスを盗み見た。

「それを約束できるだけの力があなたにあるという証拠は?」

「あります。私が、…マグナス=ハウルセンがマラッサのリーダーです。まだ小規模な組織だけどリーダーの命令は絶対ですから。安心してください」

「あなたが…リーダー?」

 その驚愕の事実に、ユリエルの脳裏で全てのことがつながった。ハウルセンは一応の信頼の元でリーダーになったのだろう。だが、その甘い考えは全てが迎えられたわけではない。今回のように彼女の知らないところで圧力を加え、従わすこともある。現に、パオロたちは、ラグスを連れて行き、ユリエルから隔離している。言葉には出さないが、拒否したら人質にされるのは目に見えていた。多分、ゲイルについても誰かが監視をしているのだろう。そうでなければ、いくら執政官の力があっても情報が流れたとき、ジェルナを追い返すことはできない。

(所詮、反ジェルナといってもやっていることは似たようなものね)

 他人はどうであれ、闇狩に対しては、ジェルナだろうと、マラッサだろうと変わらない。当人の意志を無視して強制的に従わせるだけだ。信じるだけ無駄なのだ。それはユリエルが今まで生き抜いてきた末で、見つけた答えだった。

「わかった。協力しよう。…ただし、条件が一つある」

「条件? 何かしら。できるだけ期待に添えるようにします」

「簡単なことよ。私はマラッサには入らない。ラグスの怪我が治るまでは依頼を受けるけど、それ以外は知らないわ」  

 突きつけられた条件に一同は顔を見合わせた。できることならマラッサに入ってもらいたいと、少なからず顔に書いてある。パオロはあからさまに、どうせなら仲間になろうぜ、といってくる。ハウルセンは少し思案をしていたが、おもむろに口を開いた。

「それで今は十分だ」

 発せられたのは、ハウルセンの柔らかい声ではなかった。低温の男の声。だが、それはユリエルの記憶の中にある声であった。

「ゼノ=ウディウムっ!」

 新たに部屋に姿を見せた男の目に映るユリエルは、驚きにわずかに目を見開いたが、すぐに怒りに変わった。ユリエルのその態度に、ゼノは苦笑した。パオロたちは二人を交互に見るしかなかった。

「旦那、もしかして知り合いなのか?」

 ぽかんとパオロの開いた口から漏れた言葉にゼノは重々しく頷いた。




「しっかし、あの二人が知り合いだったとはな」

「世間は狭いって本当だったんっすね」

 テーブルに並べられた皿は次々に空けられていく。レジオンは給仕係に空いた皿を下げさせた。

 すでに夜は終わりかけていた。

どんなときにでも食料の確保だけには余念のない二人に、夜食とは言い難い量の食事を作る方はたまったものではない。といっても、本日の料理を作っているのはハウルセンであったが。

「でも兄貴、これでユリエルさん、こっちの仲間になってくれるんじゃないっすか」

 ザックスのささやきに、パオロは手を止め、フォークに刺さった肉を眺めた。レジオンもグラスを傾けながら、黙って聞いている。

「さあ、どうかな。何かもっとこう決定的なものがないと、ユリエルは無理なんじゃないかな」 

「?」

「それはどういうことですかな。よろしければお聞かせもらいたいですね」

 肉を口に放り込んだパオロは、レジオンの問いに肩をすくめただけだった。フォークを持ったまま額を掻くと、グラスに注がれた液体を飲み干す。わずかな時間であったが、待たされる方にしては長かった。

「別に、何か根拠があってってことじゃないけど、よ。ま、なんて言うか、直感みたいなもんだな」

「直感ですか」

 ため息混じりの声を、パオロは聞かないように口の中に食べ物をいれていく。そして、最後に残った添え付けの人参をこっそりザックスの皿に移そうと試みる。

「ちゃんと人参も食べないと駄目っすよ」

母親かよ、とつっこみたいのを我慢し、パオロは嫌々そうに人参にフォークを刺した。

「ま、それでも次のビックイベントには出席してもらえそうだから、いっか」

 フォークの人参を口に放り込み、パオロは横目でドアをちらっと見た。

(不本意だが。あとは、旦那に任せるか)

 そう思うと、一気に酒で飲み干した。




 パオロが見たドアの奥に、二人はいた。

静かな室内には、ラグスの寝息が聞こえるだけだった。ゼノが与えた薬草は鎮痛作用があるらしく、ラグスの寝顔は穏やかであった。その様子に、ユリエルの顔は自然にほころぶ。ベッドを挟んで立つゼノは、意外そうに、そして懐かしげにその様子を見ていた。

「思い出すな」

 何を、と問いたげにユリエルはゼノを見た。

「お前と出会ったときも、こんな感じだったと思ってな」

「私と」

「ああ。血まみれで化物の死骸と一緒に倒れてたのを助けたときも、今見たいに看病をした。…あれからもう八年か」

 目を伏し、ユリエルはラグスを見る。

八年前。ユリエルとゼノの二人が出会ったのは、半分崩れ欠けた小屋の中でだった。ユリエルは一二歳で、ゼノは今と外見こそあまり変わらないが、二〇歳前後だったはずだ。

 二人が知り合うきっかけとなった家の主は、その時すでにこの世に亡かった。各地を転々とし、大地に穴を掘る姿は、近隣の村人から狂人と思われ敬遠されていたが、彼、ムハルド=メリサルはそのことを大して気にもしていなかった。彼はジェルナの目を盗み各地の遺跡から過去の遺物を堀り出すことに一生を捧げていた。

 現在、この世界の科学力は過去の遺物より遙かに劣っていた。特にレーザー式の銃は、火薬式のそれとは違い、現在の技術で製造することができず、遺跡から発掘するしかなかった。ユリエルの持つルアムーンのようなレーザーと火薬の両方を使える両式の銃は特に希少だ。それ故に、ジェルナは遺跡の管理を厳しく行い、〈渡り鳥〉による盗掘を阻止していた。だが、ムハルドは〈渡り鳥〉ではなかった。自分は考古学者だと誇らしげに語る姿は、ユリエルの中でいまだに生き続けていた。その彼が、旅のさなかにユリエルを拾い、知識と銃の腕、そしてルアムーンを与えたのだった。はじめて白銀の銃を手にしたとき、ユリエルはなぜ技術が失われたのか尋ねたのを覚えている。ムハルドはひどく悲しそうな顔で、そのごつごつした大きな手を彼女の頭に乗せ、

『ルフィアを……皆がルフィアを怒らせたのさ。だから、神の鉄槌がおきたんだよ』

と教えてくれた。彼女がどんなに馬鹿げたことを聞いても、彼は丁寧に答えを返した。その知識は広く、ありとあらゆることを不気味なぐらいに知っていた。特にこの世の成り立ちについては、まるで見てきたことのように詳しかった。ムハルドは、それが仕事だからさ、と穏やかに笑っていた。そんな彼が死んだのは、ユリエルがはじめて闇に魅入られし者を殺した日だった。ムハルドを訪ねに来たゼノと出会ったのはその翌日のことである。

「それにしても、元気そうで何よりだ」

「そうね。あなたも」 

 極力会話を避けようとするユリエルに、ゼノは苦笑する。

「そういうところは相変わらずだな」

 まるで関心を示さないユリエルだが、ゼノも一向にそれを気にせずに続ける。

「他者を避け、自分を見せない。出会ったときと変わらないな。それとも、ムハルドのことをまだ気にしているのか」

 ムハルドの名に、ユリエルは一瞬緊張したが、それも注意深く見ていなければ気が付かない程度のことだった。ムハルドが死んだとき、あったのは闇に魅入られし者の遺骸のみで彼の亡骸は肉片一つなかった。彼女はゼノに、闇に魅入られし者が食べたのだと伝えた。それ以上は、何を聞かれても答えられなかった。

「先生のことは関係ない」

 追求を恐れるように、ユリエルはその話題を断ち切った。

「そうか、ならいい。それに、」

 眠るラグスを見、ユリエルの横顔に視線を戻す。

「彼のおかげで変わったところもある」

「私が?」

「和睦の噂は聞いているだろう。昔のお前なら、真偽に関係なく危険な場所からは遠ざかったはずだ。それを他人の命のために冒すとは、変わったとしかいえないだろう」

 ユリエルはゼノに向きなおると、自嘲気味の笑みが現れた。

「わかってるわ。らしくないってことぐらい」 

「いや。その方がお前らしいと思うがな。それよりもここで会えたのは運がいい」

 ゼノの声音が固くなり、〈渡り鳥〉のそれとなった。

「知っての通り、和睦の話だが、あれは事実だ。そこでお前に一つ頼みがある」 

「断るわ」 

 問答無用の台詞にもゼノは引く気配をみせない。ゼノの言うとおり、ラグスの怪我のために仕方なくここに来たのだ。たとえ金になったとしてもこれ以上の騒動に巻き込まれたくなかった。

「あなたのジェルナ嫌いはこっちも承知の上こと。ジェルナの鼻をあかすためにマラッサについたみたいだけど、私を巻き込まないで。私はマッラサに入るつもりはないわ」

「交渉の余地なしか。嫌われたものだな」

「あなたにしてもパオロにしても、私を買いかぶりすぎている。ただの〈渡り鳥〉にジェルナと争えというの。冗談じゃないわっ!」

「闇狩が、ただの、と言えるのか」

 ゼノは敢えてユリエルの逆鱗に触れた。冷静すぎる男に、ユリエルの声は大きくなる。

「好きでなったのならその言葉、甘んじて受けるわ。でも私は、なろうと思ってなったんじゃないっ!」

 あまり見せないユリエルの激昂に、ドアがおそるおそる開けられた。

「取り込み中悪いんだけど、そんなに大声だとラグスが起きるぞ。それから……ここにはマラッサじゃないのもいるんだから少し声を落としてくれないか」

 頭だけ出すパオロの忠告に、ユリエルは自分が激怒したことに気がつく。その気まずさからか、彼女は視線を避けるように部屋を出ていった。ザックスのうろたえながらも部屋の場所を教える声が二人の耳に届く。どうしたものかと、パオロは頬を掻いた。

「旦那、言い過ぎじゃないの」

 パオロとさして変わらぬはずの年齢なのに、旦那と呼ばれても動揺一つ見せないゼノに、いつもの如く、パオロは心密かに舌を出す。

「どういう知り合いか知りませんけど、言っていいことと悪いことがあると思うけど」

「そうだな。だが、時として事実を突きつけなければいけないときもある」

「言い分はわかるけどよ。虫が好かないな。確かにどんなに隠そうとしてもユリエルが愚闇で」

「闇狩だ」

 ゼノの訂正に、パオロは抗議の気をそがれた。

「どの呼び方をしても嫌うだろうが、蔑みの言葉よりはましだろう」

 横に立つ自分よりも頭一つでかい男を、パオロはにらみつける。結局、心配するなら最初から態度に見せろっとでかかったが、言葉を飲み込む。

(相変わらずいけ好かない奴だ)

 言っていることが正当なだけに、さらに腹に据えかねる。もともと気が合わないのだから仕方がないと、これも毎回のことだが思い直す。

「ユリエルが闇狩である以上、ジェルナにつくか、その敵に回るかのどっちかでしかない。だからマグナス=マラッサのように、腹をくくるしかないって言いたかったんだろ」

 刺々しさが隠しきれないパオロに、ゼノは嫌われ役が板に付いたなと自嘲する。

「パオロでさえ俺の言葉がわかったんだ。ユリエルもわかってくれる。それに、ユリエルが必要なのは俺だけじゃないだろ」

 パオロもザックスもわかっていた。今のマラッサに一人でも多くの戦力が必要なことを。特に闇狩は闇に魅入られし者が活発化した今、喉から手がでるほど欲しかった。そのために、二人は騒ぎに乗じてユリエルをここに連れてきたのだ。

「そういえば、ゲイルだったか。そいつの足取りを追った者からそろそろつなぎが来る頃じゃないのか」

 そんなこともあったな、とパオロは思い出す。基本的に中心メンバーを知られないように、つなぎや交渉は商人のパオロが担当していた。特にゼノは裏で情報の収集に当たることが多く、表に顔を出すことはほとんどなかった。それも彼が〈渡り鳥〉だからなのだが、表と裏、と大概ペアで評されるのもパオロには気に入らなかった。決して自分がゼノに劣るとは思わなかったが、明らかに他人の評価はこの褐色の男の方が上なのである。

 まだ文句は言い足りなかったが、そんな感情も子供っぽくって、さらにゼノに劣るようで気に入らなかった。腹立たしさを隠せないまま、パオロは無言で部屋を後にしようとする。

「和睦は間違いなく成立することになる。だから、ジェルナとの全面衝突はないぞ」

 動きを止めた背中が無表情に応じる。

「それはどっからの情報だ」 

「個人的な情報網だ」

 暗緑色の目が白銀の男を射抜く。その目からは、普段の陽気さは感じられない。ゼノは知っている。陽気さの下に隠されたジェルナへの憎悪を。マラッサに集まった人間は程度の差はあれ、ジェルナを恨んでいた。今はまだ、復讐のための集団だが、いずれそれが変わることになるだろう。この組織に足りないのはマグナス=マラッサに代わるリーダーだけであった。

(マラッサが大きくなれば、奴のもとに近づくのは必至だな)

 そのためであれば、多少の恨みなど痛くもかゆくもない。また、その覚悟もしている。

「それで、その根拠は」

 これを聞いた後、パオロは言葉を失うだろう。そんな予測とも言えない思いを持ちながら、ゼノは口を開いた。

「ディオムが闇に喰われた」




 一人、暗い部屋でユリエルは息をついた。人前で声を荒げたのは久しぶりのことだ。興奮が収まるにつれ、緊張が疲労に変わっていく。倒れるように、ベッドに横たわる。ぼやけた視界では夜が薄らぎはじめていた。

 かつて夜は闇に魅入られし者の世界として人々から嫌われていた。〈大流出〉が起きる前のことだ。夜、目を閉じ、明日も朝を迎えられるようルフィアに祈る。闇に魅入られし者の活動は、今が信じられぬほど活発だった。毎日どこかの集落が被害を受けていた。都市ですら防衛に徹するしかなく。他都市との交流はほとんど途絶えていた。それなのに、ジェルナはどこからかぎつけるのか、闇狩に目覚めた人間を連れて行くのだ。ユリエルがそれから漏れたのはただ運が良かったとしか言えない。だが、それが幸運だったのかは今でもわからなかった。

闇狩であったことを恨んだことは数え切らぬほどであったが、闇狩でなければ今まで生きてこれなかったのも事実である。ゼノに指摘されなくとも理解している。闇狩としての能力を持つ以上、ジェルナに入るか、マグナス=マラッサのように反旗を翻すしか選択肢はないということを。今はまだ、追っ手はないが、いずれ他の愚闇同様に自分も抹殺対象になるのだろう。そうやって今まで、ジェルナは不穏分子を排除してきたのだ。自分だけが例外などありえない。

 ユリエルの腹は当の昔に決まっていた。服従するぐらいなら、戦うだけ戦って死んでやろう。ゼノのようにジェルナに対して恨みはなかったが、相容れないものを感じているのも事実であった。それは一種の生理的嫌悪みたいなものである。

(だからといって、マラッサに入るつもりはないけど)

 もし入ったら嫌でも人と関わることとなる。仲間意識なんてごめん被りたい。というのがユリエルの真情であった。

ベッドに身を沈め、闇を感じる。ユリエルは闇が好きであった。何もない闇に身を沈めると心が落ち着いた。闇が好きなどと知られたら、袋叩きにぐらいはあうだろう。運が良ければそのまま死ねるかもしれない。この生き地獄で生き続けるぐらいなら、それも一つの手だろう。

 静かな心地よさの中で不毛なことが浮かんでは消えてゆく。ゼノとの会話のせいか、いつしかユリエルは昔を思い出していた。

(そういえば、私が闇狩だと気がついたのは先生だったはず)

あれはムハルドに出会ったときのことだ。数匹の闇に魅入られし者にムハルドは襲われた。今は活動している数が少ないのか、一匹で活動することが多かったが、あのころは複数で動くのが普通であった。多いときは数十匹の闇に魅入られし者が三日三晩、都市を食い散らかしたこともあった。いつ補食されるのか、常に恐怖と隣り合わせの生活だった。

 何故あのとき自分がそこにいたのか、すり切れた記憶に答えは無かった。だが、ユリエルに差し出されたまめと土だらけの手は今でも思い出された。

(先生は信じてくれた。悪魔の言葉を……聞いてくれた)

 重くなる瞼の裏で、あの日の会話がよみがえる。 

『…いたいって……かえりたいって』

『君は彼らの気持ちが分かるのかい』

『………きえちゃった』

『そうだね。…でも、これでよかったんだ』

『……』

『きっと彼らは帰りたい場所に帰れたはずだ』

 汚れた手を服で軽く拭くと、小さい子供の前にさしだす。小さなうつろな目が手、顔とゆっくり動く。

『僕はムハルドだ。一緒に行かないか』

 しばし時間が流れたが、少女はその手に自分の血で汚れた小さな手を置いた。





時間は少し遡る。

ユリエルとゼノが話をしている頃、ザフィートでも話し合う者がいた。

 眼下に広がる光の洪水を楽しむこともなく、ジェルナザフィート支部で舌戦が繰り広げられていた。

「何だとっ! みすみす見逃せというのかっ!」

 ガタンっと激しくデスクが叩かれ、目の前の画像が乱れた。デスクに置かれた通信機が浮かび上がらせるのは、枯葉色の髪をした二十代後半の青年であった。画像に映る者も、見る者も共に濃紺のジェルナの制服を見につけている。

「カシェルっ。貴様ぁ、いつから俺に指図するようになったぁっ!」

 空気を震わす怒号はたいていの者なら腰を抜かすほどだった。カシェルは眉も動かさずに、小さく息をつくと、一回りも年上の男にもう一度、命令を告げた。意外なことにゴルウェイが興味を示したのはディオム崩壊ではなかった。

「ゴルウェイ軍事次官、先ほども申したとおり私は卿に命令をしているのではありません。ブラウヒッチュ総帥の決定事項を伝えているに過ぎないのです」

「ほう、それではカシェル軍事次官よ。何故今回の命令に限り、アーチボルド軍事長官ではなく卿が伝達をするのかそのわけを聞かせてもらおう」

 顎に生えた自慢のひげをさすりながら、ザフィート市軍長ザン=ゴルウェイは答えて見ろとにんまりと嫌みを含んだ笑みを見せた。画面の奥でカシェルが歯がみしているのがわかると、鼠を追いつめる猫の如く相手をいたぶりたくなる。ジェルナ軍事部門一の好戦家で名を知られるゴルウェイの最近の狩りの標的は、マラッサと年下の同僚であった。

「確かにゴルウェイ軍事次官がおっしゃるとおり、今回に限り伝達が私になったのは不思議に思われようが、私も命令されてのこと。理由を問われても答えようがありません」

「答えようがないとは、よく言ったもんだ。どうせ経済のあの女がでしゃばったんだろうが」

 椅子ににふんぞりかえって座る。その見事な体格に、椅子が悲鳴を上げた。どうみても高官のとる態度ではなかったが、その剛力の前にたしなめる者はいなかった。カシェルも以前はたしなめたが聞く耳を持たない態度に、その気力をなくした。

「確かに経済次官が三部会議に出席なさっていましたが、それは経済長官が」  

「甘いなカシェル。そんなのただの方便に決まっている。大方、ミラーの腰抜けは蛇女に食われただけよ。卿みたくな」

 そんなこともわからぬのか、とカシェルを見下げる目が語っていた。

 三部会議はジェルナ全体の方針を決める重要な会議であった。ジェルナは総帥の下に三部門を置き、総帥と各部門の長官、そしてジェルナ本部がある三大都市の一つルレスフィアの市軍長をいれた五名により三部会議は行われる。ただし、各部門の長官が欠席できない時に限り特例でその部門の次官が出席を認められていた。経済部門は現在、長官のフレッド=ミラーが療養中のため次官のP=ステアラが三部会議に出席していた。噂ではミラーの療養もステアラが毒を盛り、その地位を我がものにしようと謀略しているのだとささやかれている。そもそも軍事部門と経済部門の仲は決して良好とは言えなかった。元来、闇に魅入られし者をせん滅するために、ジェルナは結成されたのだが、結成して一五〇年以上も経てば、結成時の理念など埃のようなものだった。結成当初は、軍事と化学の二部門しかなかったのだが、次第に人数が増えたため、経済部門が設立されたのである。軍事部門がジェルナの主流であるため軍事部門はなにかと優遇措置が執られていた。例を挙げるなら、経済と化学には長官・次官共に一人であるところ、軍事部門のみは長官一人、各市軍長を兼ねた次官が三人である。三部会議も軍事部門のみ長官・次官の二名の出席が認められていた。経済部門も設立当初は軍事部門と折り合いが良かったようだが、扱う金額が巨額になるごとに、発言力を増し、〈大流出〉至ってその地位を化学部門の上にのしあげた。軍事・経済両部門の軋轢が表面化したのもそのころである。

 その苗床を利用し、ステアラが経済次官に就任したのが数年前のことであった。闇狩が高官を占めるジェルナの中で、非闇狩が高官になるのは難しかった。がここ最近、化学部門を口火に非闇狩が次官に立て続けになった。今年になり、不可能といわれた非闇狩の軍事次官に若きカシェルが就任したのにはステイラが裏で何かしたのだと、まことしやかに語られていた。カシェルにしてみればいい迷惑である。同じ軍事次官といっても、任されている都市により力関係があり、彼の担当しているディオムは、その中でも一番下だったのだ。上官三人が三人とも噂を鵜呑みにし、カシェルをステアラの飼い犬と思っているのだから、風当たりは一層厳しかった。かといって追従もできない性格に恨めしさを感じていた。

「ゴルウェイ軍事次官の言も一理ありますが、その話題を議論するのはまた後日に。今は、先に申し上げましたが、ブラウヒッチュ総帥の指示通り、マラッサとの和睦を成立させ、一刻も早く本部にお戻りください」

「はっ、せっかく鼠どもを一掃できる機会だというのに、異例昇進した非闇狩に邪魔されるのは虫酸が走る。おい、カシェル、ディオムの市軍長殿に伝えておけ。赤い魔物に都市を食わせて、市軍長殿のみのうのうと生きておいでかと。所詮、非闇狩には荷が重すぎるのだとな」

ゴルウェイはそこまで言うと、通信を一方的に断ち切った。椅子に深々と腰掛けると、デスクに太い足を乗せる。その時にデスクの上にあったグラスが落ちたが、わずかに目を向けただけであった。

(あの小僧め。どこまで図太いんだ)

 最後まで表情を崩さなかったカシェルに、腸が煮えかえる。発散できなかった怒りに、思い切りデスクに足を叩きつける。その轟音に、隣に控えていたラッツ市軍次官が姿を見せた。カシェルよりやや若いラッツは、二五歳とこれまた異例の若さで昇進をした非闇狩であった。カシェルの昇進の影に隠れ、その昇進が口に上がることは滅多になかった。その最大の原因はラッツが上官とただならぬ関係にあったからである。一部の者は、日夜問わずラッツを側に置きたいがために、自分の裁量で人事が動かせる市軍の次官にしたのだと上官の腐敗に嘆いた。事実、都市に常駐しなければならない市軍次官を、ゴルウェイは二度も定例の部門会議の折りにルレスフィアに連れてきていた。

 ラッツは荒れた部屋を一瞥すると、真っ直ぐにゴルウェイのもとに近づいた。鼻息荒いゴルウェイの姿にやれやれと内心では嘆息をつきながら、男らしくない秀麗な顔に憂いを見せた。

「ご機嫌が優れないようですね。閣下」

「ラッツか」

 差し出された手にすんなりラッツは身をゆだねる。 

「本部からの通信とお見受けしましたが?」

「ああ、カシェルからだ。総帥の名を出せば何でもできると思ってる若造め。和睦をしろだと。ふんっ、ブラウヒッチュも年を取ったもんだな」

「昨夜のアーチボルド長官からの通信の通り、作戦は変わらずに実行するように手配してあります。先ほどの通信の件も私以外知られておりません。後は、閣下が狩りをお楽しみになるだけです」

 ラッツは妖艶に微笑む。市軍の中では男娼崩れと陰で言われているが、それがなんだ、とラッツはその笑みの裏で語る。武芸や戦術では他者に勝てないことをラッツはよく知っていた。だから、勝てるところで勝負をしたのだ。容姿だけは自他共に優れていると認めている。それを利用して何が悪い。負け犬の鳴き声はラッツにとって勝利を彩るオプションでしかなかった。

「ですから、和睦までのあと数日の間に、閣下にご機嫌を直していただかないと」

 下卑た笑みを見せたゴルウェイは、おもむろに立ち上がるとお気に入りの部下の腰を抱き、その顎に手をかける。

「もちろん、その役目はお前がしてくれるのだろう」

「閣下の仰せの通りに、私は従うだけですよ」

 ゴルウェイの手に細く形のいい指を添える。榛色の瞳が妖しくきらめく。

「それではそのようにしろ。お前に見せてやろう。このザン=ゴルウェイに睨まれたも者どもがどうなるかをな」

 片手に花を抱き、豪快に笑うと、ゴルウェイは自室へと続くドアに手をかけた。




ザフィートより遙か北。この大陸の化学力を結集させた都市ルレスフィア。その都市の中心にそびえ立つジェルナ本部に、ポナート=カシェルはいた。先ほどまでのゴルウェイとの無意味な通信に気力をそがれ、与えられた執務室に入るなり、盛大に息を吐いた。ドアに背を預け、苛立たしげに前髪を掻き上げる。毎回のことながら狭量な視野しか持たぬ上官たちと話をするたびに体重が減る気がした。

 二度目の溜息と同時にドアを叩かれた。

「軍事次官、いつまでドアを塞いでいるおつもりですか。職務妨害で訴えても構いませんが」

 上官を上官とも思わない硬い物言いに、カシェルは無言で苦笑すると、部下のためにドアを開けた。声音と代わらない生真面目で堅苦しそうな男が冷めた目をしてそこに立っていた。プライドの高そうなエリート然としたその男は、上官に断ることもなくずかずかと執務室に入っていく。

「わずか数分、ドアを塞いだだけで訴えられるのか。ジェルナの規則はいつからそんなに厳しくなったんだ、ジェイク」

 ドアを閉め、カシェルはジェイクに近づく。眼鏡を人差し指で押し上げ、ジェイクは横目で上官を睨んだ。

「名前で呼ぶな。貴様にそう呼ばれるのは虫酸が走る。それから、私が問題にしているのは時間ではない。回数だ。貴様が上官と会うたびに必ず部屋の前で待たされるのでは、職務に支障をきたす。そうなることは予測の範囲内だ。対処するのは当然だろう」  

 人の耳がないことをいいことに、ジェイクは敬語を使うのをやめた。言いたいことを言い終わると、彼は自分のデスクにつき、カシェルの存在を無視して仕事をはじめだす。

「お前の意見はわかった。が、治せるかは自信がない。ジェイク、お前から言ってくれないか。ザフィート市軍長殿に素行を正すように」

「馬鹿なことを。ジェルナは実力世界だ。素行の善し悪しが気になるのなら、貴族社会にでもいけばいい。だが、……男を抱こうと興味はないが、公私混同は困るな」 

 うずたかく積まれた未決済の書類に、ジェイクは次々と目を通していく。その書類の山は、ディオム崩壊により生じた事務処理だった。ゴルウェイの先ほどの揶揄が思い出される。カシェルがルレスフィアにいたのは決して逃げたせいではなかった。最近、頻発に起こる闇に魅入られし者の事件にどのように対処するか、特別軍事会議を開くと市軍次官ともども呼び出されたのだった。もちろん、ゴルウェイもそのことは知っている。

(会議にもまともに出席しない奴が上官とは)

 腹いせまがいの悪態を胸中でつく。だが、ディオム崩壊の事実は変わるわけではない。カシェルはその事実を知った時点で、現地調査に名乗りを上げたが、退けられた。その代わりに上官が言い渡したのは、監視付きの軟禁である。不幸中の幸いは、その監視役がジェイクだったということだ。ジェイクとは過去のいざこざのせいで、自分のことを嫌っているのは知っていたが、闇狩でも非闇狩でも公正なルールで見るところは気に入っていた。

「苛つくのも結構だが、さっさと仕事をしろ。貴様の尻拭いなどやるつもりはない」

 すでに半分ほど書類が片づいたジェイクは、しびれを切らしてカシェルを見上げた。

「ああ、それから、ワルトシュタイム市軍次官だが、先程取り調べが終わったらしい。担当官に知り合いがいたので、終わった時点でこちらに顔を出すよう伝えさせた」

 ジェイクの事後報告にカシェルは頷く。ワルトシュタイムの取り調べは、どうひいき目で見てもカシェルの巻き添えを食らったものだ。事実がどうであれ、カシェルにはそうとしか思えなかった。軍事次官就任以来、何かにつけてカシェルのミスを捜し出し、あわよくば降格させようと上官たちは躍起になっていた。そんな彼らにディオム崩壊は恰好の餌である。ここで少しでもカシェルの粗を見つけ、こじつけてカシェルを失脚させようと言うのだろう。そのためにワルトシュタイムが入念な取り調べを受けたのだった。カシェルの処置にしてもすでに有罪が確定するのが目に見えている扱いだ。以前からその傾向はあったが、ここにきて重要な書類が一切まわされなくなった。罪が確定していないので、会議等の出席は認められてはいたが、彼の行動は常に監視されている有様だった。あからさまな疑いの視線とディオム崩壊の事実の重さが、カシェルの神経をすり減らしていた。

(今は他人の粗探しよりも、闇に魅入られし者の異常行動の調査と緊急防衛、それと今後の対策を考えないといけないだろうに。なわばり争いをしている場合じゃないのがわからないのか)

 彼は決してステアラの犬ではなかったが、こんな時には彼女の唱える軍事無能説に賛同したくなる。消えない苛立たしさに、ジェイクに向ける口調が刺々しさを増す。

「仕事をするにもその仕事がなくてね。仕事をさせたいのなら、軍事長官殿に言ってくれ。他人の粗探しで忙しいとは思うが。いや、有能な秘書官殿ならそれぐらい言われなくともわかっていたか」

 ぴくりとジェイクのこめかみが微かに動いた。眼鏡の下の冷たい視線がさらに温度を下げる。舌戦が開始されようとしたとき、豪快なノックが割って入った。 

「ワルトシュタイム、お呼びにより参上いたしました」

 ノック同様、快活な声がドア一枚隔てているというのに、部屋に響いた。ちっと口の中だけで舌打ちをすると、ジェイクは上官の許可を得ずに入室を許可した。開かれたドアから、白髪の小柄な男が入ってくる。ワルトシュタイムは律儀に、上官に敬礼をする。

「疲れているところをお呼びだてして申し訳ありません。この後に休暇を出しますので、今しばらくおつきあいください」

 カシェルの時とはうってかわるジェイクの口調には、尊敬の念が込められている。六〇歳に手が届きそうなワルトシュタイムは腐敗が激しいジェルナの中でも、珍しく騎士道に通じた人間だった。闇狩であっても鼻にかけることなく、日々己を磨くことを怠ることのない彼は、出世からは疎遠であったが、人望は厚かった。

「いや、エミリカ秘書官、その必要はない。この大事なときに休むほど老いぼれたつもりはない。時に市軍長」

「何ですか」

 向き直った敬愛する部下に椅子を勧める。ワルトシュタイムは断ったが、やはり徹夜と執拗な取り調べが堪えたのか、しぶしぶと腰を下ろした。

「ディオムの件ですが、我々も本部とは別に調査をしたらいかがでしょうか。本部のやりようにけちを付けるつもりはないですが、本筋とは違うことばかりをしているように感じられまして。赤い魔物の生態の特徴が少しでもわかり、せん滅への礎にでもしなければ、やりきれんわ」

 最後の方は声が震えていた。本部から派遣されていたカシェルとは違い、ワルトシュタイムはディオムに暮らし、家族や友人たちがそこにいたのだ。特に先月、息子夫婦に孫が生まれたばかりだった。それを祝いに行ったのは、確か先週のことだ。無理矢理抱された小さな赤ん坊の重さが、カシェルの両腕によみがえる。

(ゴルウェイたちの言動に苛立っている場合じゃない。やることは他にある)

 幸い仕事もろくにないのだ。この時間を無駄にする必要もない。そこまで考えて、カシェルは気づき、ジェイクを見た。先程、ジェイクが言おうとしていたのはこのことだったのか。なんだかんだといいつつも、結局、ジェイクも今回の件については上層部のやり方が気に入らないらしい。相変わらず素直じゃないなと思うも、頬がゆるむのは止められなかった。

「何を笑っている気色悪いぞ。何か勘違いしているようだから言っておくが、貴様が行うことは全て私を通じて上に報告されている。勝手に嗅ぎ回るのも結構だが、聞かれれば私は貴様がやっていることを報告するだけだ」 

 嫌いな奴に助言をするのはジェイクのプライドに反するらしい。照れ隠しのつもりか、早口でそう言う。ワルトシュタイムはジェイクの上官を上官とも思わない口調に驚き、口を開けている。カシェルの笑いに気がつき、老兵は背筋をのばし、秘書官はふんっと顔を背けた。

(聞かれればということは、聞かれなければ報告はなしということか。それで十分だ)

さっきまで停滞していた思考が、急速に動きはじめる。それにあわせ、苛立ちも消えていく。

「それでは、これからの方針を決めよう」

 行儀悪く、自分のデスクに腰を下ろしたカシェルは、その時になってはじめて思い出した。

ディオムの異変にいち早く気づいた者は各部門ごとに数人いた。カシェルもその中の一人であった。それはディオム市経長のリグルドに通信を入れたときのことだ。その通信から雑音に混じり人の話し声を聞いたはずだ。

「ワルトシュタイム市軍次官、ディオムにバージル、またはステイルという名の者はいないか」

「馬鹿か。ディオムの人間だけで何人いると思っている。名前だけなら何十人。下手をしたら何百人といるだろう」

 聞かれた当人よりも早く、ジェイクが馬鹿にする。すでに居直ったらしく、口調を取り繕うのをやめていた。ワルトシュタイムも上官本人が、文句を言わないのに口を出すのも悪いと思ったらしく何も言わない。ただジェイクの意見に賛同の意を示した。

 顎に手を添え、思いを巡らす。リグルドがその名を口にした後、誰かが答えたはずだ。抑揚のない、機械のような声。

『い〈生き残り〉だな。私も所在は知らないが、バージルとステイルがどこかにいるはずだ』

『あいつの居所は見当がつく。残るは、ステイル=Z=ウディールか』

 記憶の箱から飛び出した会話に、カシェルは疑問点を見つける。

(リグルドのこの会話と崩壊に関わりがあるのか? あるとしたら、〈生き残り〉とはなんだ?)

 リグルドのことを調べるとなると、経済部門に関わらなければならない。それはゴルウェイたちを喜ばせることとなるが、いまさら疑惑の一つ二つ増えたところでどうにかなるものではなかった。現地に行って調べられない今、本部と同じことをしても無駄足だろう。ならば自分の勘に頼ってみるのも一つの手だ。

「ジェイクはリグルドの死因と、死亡時刻を調べてくれ。死亡時刻は襲撃前に死んだのか、最中かでいいからな」

「私まで狩り出すのか? 手伝うと言った覚えはないが。しかもポリー=リグルドだと。貴様が最後に話した相手について調べるのか。それで一体何がわかるんだ」

 時間の無駄と言わんばかりの顔をジェイクはする。

「手伝えとは言っていないよ、エミリカ秘書官。これは上司からの命令さ。優秀な君のことだから命令無視をすることはないだろう」

「くっ」

 執務を忠実にこなすのをポリシーとしているジェイクにとってカシェルの言葉は的確だった。プライドの高い彼は、命令無視をするよりも、嫌いな上司の命令が聞けないと思われる方が苦痛であったからだ。

「それで私は何をすれば良いですかな」

「ワルトシュタイム殿には、苦痛だと思われるかも知れないが、知人の消息を探す振りをして、ディオムの全戸籍からバージル、もしくはステイル=Z=ウディールという者を探してくれ。それからリグルドとその両名の関係もだ」

「は、わかりました」 

 真面目に敬礼をするワルトシュタイムにつられ、ジェイクもおざなりの敬礼をした。


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