雨の中の君
その日は、異様なほど雨が降っていた。
何かを暗に伝えるように黒く重い雲が空を覆っていた。
「早く帰ろ」
私は小さく呟き、足を速めた。
今日は私が晩御飯当番だ。母は仕事で忙しく、家では自然と役割分担ができている。
私なりにできることはやる。
それが私の生き方だ。
家の近くの公園を通り過ぎようとしたとき、違和感に気づいた。
雨の中に、人影が一つ。
「あれは……佐藤君?」
クラスメイトの佐藤彩人。
学校では有名な、目立つ存在の男子だ。
彼は、傘も差さず、ただ立っていた。
濡れているのに、動こうとしない。
——おかしい。
理由は分からない。ただ、見過ごせなかった。
「どうしたの?」
声をかけると、彼は一瞬こちらを見て、すぐ視線を逸らした。
「一人にしてくれ……」
拒絶の言葉。
でも、その声は弱い。まるで、雨のカーテンに防がれているかのようだった。
「風邪ひくから」
「それでも構わない……」
会話はそれ以上続かない。
私は少し迷ってから、傘を差し出す。
「なら、これだけでも持ってて」
佐藤君は少しだけ声を震わせて言った。
「……聞いてなかったの?」
「聞いてた。でも、私が気になるから」
沈黙。
雨音だけが二人の間を埋めていた。
私はそれ以上踏み込まず、踵を返した。
「じゃあね」
振り返らずに、その場を離れた。
雨の音に混じりその場には静かな足音が残った。
⸻
翌朝。
鏡の前で髪を整えながら、私は自分の顔を見る。
可愛くも、美人でもない。
愛嬌もない。
情熱を持てるものもない。
まるで、色のない世界にいるみたいだ。
それでも、時間は止まらない。
「今日も、なんとかなる」
そう自分に言い聞かせ、学校へ向かった。
教室では、誰とも話さず席に着く。
友達はいない。
嫌われてはいないけれど、私と一緒にいると迷惑をかける。
だから距離を取っている。
いつものように机に突っ伏していると、肩を叩かれた。
顔を上げると、佐藤君が立っていた。
「これ」
差し出されたのは、昨日の傘。
「え、別にいいのに」
「よくないだろ」
「なんで?」
「……これ、お気に入りだろ」
驚いて傘を見る。
「どうして分かったの?」
「どうでもいいものに、名前は書かない」
取っ手の部分。
小さく書いた私の名前。
「……ありがと」
「こっちこそ、助かった」
彼はそれだけ言って去っていった。
教室がざわついたけれど、私にはまるで遠い世界の音のように聞こえた。
⸻
放課後。
当番がなかった私は、ゆっくり帰っていた。
公園の前で、また人影を見つける。
佐藤君だった。
「どうしたの?」
「相談に、乗ってほしい」
意外な言葉に、言葉を失う。
「私でいいの?役に立たないと思うけど」
「誰にも言えない。でも……斉木さんなら、できると思った」
「なんで?」
「雨の日に俺を見ないふりしなかったのは斉木さんだけだったから」
その言葉が、胸に残った。
確かな重みとして。
「……分かった。私でよければ」
「ありがと」
彼は、少しだけ笑った。
雨の日とは違う、柔らかい表情で。




