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彼女は三度、月を去る(第二版)

作者: triskaidecagon

●緒言●


 当作は、第一にとあるカリスマの生き様を描いた物語である。

 彼女の(せい)の物語は、難解なその思想に対する理解がなくとも、その強い輝きで記憶に残るものになっている。






★Monologue (Off-screen)★


 月面、シュレーディンガーの街。

 ()()()()があって以来、来たことはなかった。

 苦い思い出のある街に久しぶりに訪れるために、少し値の張るホテルを選んだ。もう遠い思い出だからあまり細かいことを考えず、クラスと名前だけを見て。

 ぼんやりと街に来て、宿に向かう最中で、奇しくも()()()()()()()()()()()を受けていたのと、ほど近い場所であることに気がついた。

 誰が悪いわけでもないことだから、あえて宿を変えて遠ざかるほどのことでもない。


 夜。

 窓の外は夜景。

 その手前、窓ガラスに自分の顔が映っている。

 秋山清歌(あきやまさやか)、私の名前。秋歌(しゅうか)と名乗っていた時期もある。

 あれからずいぶん経った。

 十年、十五年か……。

 薄い闇の手前にぼんやりと浮かぶ自分の顔。

 その頃からあまり容貌に変化はないけれど、身の回りの環境や様々な好みが変わり、いくらかの外見的な変化につながっている。

 一番目立つ変化は髪型か……。

 これから、()()()のドキュメンタリを見ることにしよう。

 今日、自分の番が来るのだということが{{わかった}}ので、なにをする気にもなれない。それならせめて、彼女の顔を見たいと思った。

 奇しくもあの子が去った、この月のシュレーディンガーの街で。

 このドキュメンタリは、()()()の最後のインタビューとキャスター独自取材の事実の紹介で構成されている。

 清歌自身も渦中にいた出来事なので取材も受けた。

 内容には間違いもあるけど、上手く編集されている。


 ()()()の言葉は難解で、映像に残されたインタビューだけでは全てを理解することはできない。それでも、若いあの日のあの姿の美しさ。くすみひとつ無い滑らかな肌、濡れた色の理知的な瞳、美しい声で親切そうな温かな声色で話す口元。それらの欠片が、プロの映像制作者の手によって切り取り残された貴重な映像だ。

 清歌も好きで、もう何度も見返している。

 再生を開始すると、あの子──空子(くうこ)──の顔が映る。




◆Interview◆


〜本日は、遠く海王星から、巡業で月のシュレーディンガーまでいらしている、思想家でプリマ・ドンナの空子さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします〜


 よろしくお願いします。空子です。

 ……思想家と呼ばれるのは慣れませんが。



~悟りを開いたといううわさを聞いたのですが~


 そのように言われていますが、自分ではよくわかりません。

 よくわかりませんが、言葉の意味を考えると、おそらく私は{{悟り}}をしているのだと思います。

 ……私は学がなくて、上手に言葉を選んで使うのがあまり得意ではありませんからなかなか正しく説明できないのですけど、私の状態をより細かく言葉にすると「私はあるやり方で考えることができる」ということに近いと思います。

 ただ、それを「悟り」と呼ぶのが正しいかどうか、自分では判断しかねています。



~あるやり方で考えることができるというのは?~


 ある種類の問いに対して、ある種類の思考経路で、ある種類の答えにたどり着くことができる、ということになります。

 しかしそれは直感的な作用なので、ここでいう「思考経路」について自分の中から取り出すことができないのです。上手く経路を取り出せないので、単純に結論を先取りしているように見えるかもしれません。



~自分の中から取り出すことができない、ということの意味がよくわからないのですが~


 ……そうですね、とりあえずジャンケンをしましょう。私とあなたとです、実験ですから勝ち負けにはこだわる必要はないですよ。

 ジャンケンポン。

 はい、パーですね? 私もパー。引き分けです。

 ……あなたは腕を振ってパーを出しましたが、どうやって自分が腕を振ったりパーを出したりしたか説明できますか? 指が五本伸びていればパー、というのは出した符号に対する解釈です。それはやり方ではありませんよ。

 ……どうやって指を伸ばしました? 伸ばそうと考えれば指が伸びる?

 それは嘘です、別に考えても指は伸びません。「指を伸ばそうかな」と頭に思い浮かべるだけ思い浮かべて、指を伸ばさないことはあなたにもできますよね? わからないですか? 例えば朝起きるとき、目覚ましを止める時、腕を伸ばそうとしたのに実は伸びてない、みたいなことはありませんか? それと同じです。

 ……どうやってパーを出したのか、うまく説明できないでしょう?

 私が「思考経路」についてうまく説明できないのも同じような理由です。ごく自然に実行できていることについて、必ずしもやり方を知っているとは限らないのです。



~その説明できない「思考経路」が「悟り」なのですか?~


 どうもそうではないか、というのがここでの私の回答です。

 「悟り」という言葉を日本語の辞書で調べると、もっとも根源的な意味では「気がつく」事を意味しています。

 いわゆる仏教の言葉の「悟り」に限ると、「真理に気がつく」事を指しています。

 私はなにか──つまりその、私というか「思考経路」がですが──に気がついているようですが、それがいわゆる「真理」であるかどうかは保証しかねる、という感じです。仏教の真理かどうかということならば、おそらく違うと思います。

 保証しかねるのは、定義の問題に関わると思うからです。「私」はなにかに気がついていますが、そのなにかが、万人にとって有意味である「真理」という言葉に相応であるとは思えないのです。

 そのため、いわゆる「悟っている」のかと聞かれても、「人からはそう言われた」とか「多分悟っていると思う」という返答になるのです。




■Documentary■


 海王星は、およそ三〇天文単位の、太陽系でもっとも大きな軌道を持つ惑星だ。

 天王星のさらに外、海王星が発見されるきっかけになったのは、周転円宇宙にとどめを刺した万有引力の法則である。大まかに言えば、惑星の軌道の計算が合わないので、ずれる原因になる重力源の惑星があるはずだという仮定の元、計算のとおりに観測することによって発見された。

 しかし海王星まで計算に入れてもまだ計算がずれるので、更に詳しく探したところ、望遠鏡を向けたところにまたしても天体があった。このときに見つかったのが、冥王星と呼ばれた惑星である。

 現在でもその天体は冥王星と呼ばれているが、いくつかの基準を満たせなくなったために惑星とは呼ばれなくなっている。地球の二十一世紀以降、冥王星は準惑星としてエッジワース・カイパーベルト天体の代表的な要素に数えられることになった。

 エッジワース・カイパーベルトは、現在、大まかに人類の活動の最外延であるとされている。エッジワース・カイパーベルトの外側は天体や天体未満の物質の密度があまりにも薄いため、人類の活動として足を伸ばす意味がない。


 天文学的に「太陽系」と呼ぶ場合、太陽の重力的な影響範囲である一万天文単位から十万天文単位程度の球を指し示すことになるのだが、人類の日常で「太陽系」と呼ぶ場合、このカイパーベルトまで、半径五〇天文単位にだいたい等しい円盤を指している。

 海王星は軌道半径がおよそ三〇天文単位。

 「人類の太陽系」の中心から半分より遠い、ただひとつの惑星である。

 海王星は深い青に輝き、その地上では、音よりも速く青い烈風が吹きすさんでいる。




◆Interview◆


~法力というのですか? 超能力で難病を治療したという話を聞きましたが~


 私が治療をしたことはありません。

 医者ではありませんから、治療をする方法は知りません。



~植物状態になっていた子供が、あなたの踊りで目を覚ましたという話ですが?~


 踊りで目を覚ました? それは明らかに間違いです。

 でも、どの話のことかわかりました。やはり私は治療をしていません。

 あの時は、ある子供の病状を詳しく聞いて、人からそう呼ばれている{{悟り}}、私がここまで言ってきた「ある思考経路」によって、分子治療を行う部位について示唆を行ったということになるのだと思います。お医者さんの医療行為にまつわることなので私には正確な言葉がわかりませんから、そう聞かされました、という意味なのですが。

 主観的に言えば私は「わかる」ことができたので、それを伝えただけです。治療を行ったのはお医者さんですし、治ったのはその子のお手柄です。



~抽象的過ぎて信じにくい話ですが、どういうアドバイスですか?~


 信じられないならば信じる必要はないと思いますが、覚えてる限りの話で良いですか? ある体内物質の生成なんですが、それが機能不全なわけではなくて機能が発現していないだけなので、スイッチを入れてあげれば良いという程度のことがわかったので、それを伝えたのです。

 なんという体内物質かという事までは私にはわかりません。

 お医者さんたちは、機能が存在しないのか、発現していないだけなのかの判断ができていなかったそうです。なので私のアドバイスを元に、それに適した治療に切り替えたということでした。



~そのようなアドバイスはかえって無責任ではありませんか?~


 根拠を尋ねられても「私には当然そのように思える」としか言えませんからね。医療的な根拠がないので、医療行為として責任のある発言なのかと聞かれたら、私も違うと思います。

 とはいえ、探し物をしている人に、物がどこにあるのか判っているのに教えないでいるのはやっぱり不親切だと思いますから、間違ったことをしたとは思いません。

 難しい問題だとは思いますが、その時は私がその場で示唆すれば、状況が改善されるのが{{わかり}}ましたから、それで言わないでいようとは思えなかったのです。



~「改善されるのがわかった」というのは{{悟り}}でですか? 単なる予知能力のようですが~


 なんと言えば良いのか……。

 たとえば弾道計算を予知能力と呼ぶなら、私のこれも予知能力かもしれません。

 ……ああ、弾道計算というのはなかなかよい比喩ですね。コツと勘で、計算機に頼らないで答えを出せる人もいるそうですから。野球選手とかね。

 改めて言い換えましょう、私の「思考経路」は、飛んでくるボールを受け取るときにどの辺りに落ちてきそうか判るように、ある事柄に対して答えがわかるんです。

 確かに、私は投げて寄越された小道具を受け取るのも得意ですから。

 なるほど、同じことだったんだ。いま気がつきました。ありがとうございます。




■Documentary■


 あるとき、海王星のコロニーにやって来た女があった。

 そのコロニーは、天然氷を熱で溶かして温度と環境を維持して成分を調整し、水中呼吸ができるように肉体改造した人間たちが住む、海王星独特の水棲球殻(すいせいきゅうかく)を基盤とした水中コロニーである。

 コロニーの名前をトウキョウ湾と言った。

 トウキョウ湾では常識的な産児制限で人類の経済圏とコロニー内の生態系を適切に保っていた。なにより「水の中で暮らす」ライフスタイルが必要になるため、移民の数も多すぎはしなかった。

 増えすぎず安定した人口と豊かな海が、このトウキョウ湾に生存に充分である以上の余裕をもたらしていた。

 トウキョウ湾は豊かで人の出入りが少ない、完成されているがとても不活発な世界だった。


 やって来た女は、トウキョウ湾に暖かく迎え入れられた。

 停滞しやすい水中コロニーの社会生活に何らかの刺激があることが期待されたから。

 その女は、いつの間にか「冥王星から来た女」と呼ばれるようになった。

 名乗る名前を憶えていなかったのが第一の理由で、どこから来たのかを尋ねられ「外から来た」と答えたのが第二の理由。そしてなぜここに来たかと尋ねられて「死者の神から追放された」と答えたのが第三の理由だった。

 海王星の外にあるのはカイパーベルトばかりであるし、カイパーベルトといえば冥王星。死者の神といえば冥王。

 そのため、彼女は冥王星から来た女と呼ばれるようになった。

 実際に彼女がどこから来たのか、なにから追放されたのかは、いまもって不明である。




◆Interview◆


~あなたの宗教、仏教の方の教義について少しお伺いしてもいいですか?~


 ……教義ですか? 私ではお答えできないと思いますが……



~答えられない? というのは、どうしてですか? そういう決まりがあるとかでしょうか?~


 単純に知らないのです。

 私は僧というわけでもありませんし、詳しく学んだこともありません。なにしろ、身寄りの無いところをお世話になっているという身上ですから。……和尚さんたちの講話を聞いて暮らしているというだけの、ほんとうに単なる一般の信徒なのです。

 それどころか、口に出しにくいことではありますけど、熱心な信者というわけでさえありません。



~「悟り」というのは、仏教の教義について知識が無くても拓けるものなのですか?~


 残念ですが、私ではお答えできない質問です。

 最初にもお断りしたと思いますが、私は自分がしている、いわゆる{{悟り}}がどういうことなのかもよく判っていませんし、それを「悟り」と呼ぶべきかについても良く判りません。

 そのため「悟りが仏教の教義と関係しているかどうか」については知識でお答えするしかないのですが、答えられるほど知らないのです。

 改めて言いますが、私がしていることが仏教で言う「悟り」なのかどうかもわからない。

 人がそのように言うし、意味を考えればそうかもしれない、という程度の理解です。

 その上で、私には少なくともそれらしく人に教えるほどの仏教の知識が無い、というのは確かです。



~判りにくいですね。あなたの「悟り」のために前提となる知識などはない、ということでしょうか?~


 前提となる知識ですか?

 うーん、仏教と関係のある知識ではないと思いますが、物事は分解が可能だ、ということでしょうかね。

 いろいろな物をいろいろなやり方で分解する事が可能です。

 生物は細胞に分解できますし、機械は部品に分解する事ができますし、物体はだいたい分子とかにも分解できます。分解したものが集まったものが、元の形ではありますから。

 そういう事が考える時の道筋に影響してる事は確かですね。



~還元論ですか、意外ですね。どこかラプラスの悪魔のようですが~


 えっ! 悪魔ですか?

 ああはい、数学者の名前なんですね。

 ……なるほど、そういう。

 ……分解して元に戻す、ということを言いたいのではなくて、部分と全体には密接な関係があるし、全体と部分は不可分なので、全体だけを考慮すれば十全な答えが出るというわけではない、ということをむしろ言いたいのですけれども。

 どこかに基準があるわけではないので、あまり切り口に囚われるべきでないという事なんです。あるがままに全体も部分もどちらも重要。

 でも、物事を極端に捉える人でなければ、当たり前といえば当たり前のことだろうと思いますので、特別なことのように言うのは面映ゆいですが。



~決定論ではある、という理解でよいでしょうか?~


 決定論? ああ、ラプラスの悪魔の続きですか。

 さきほどの話では、ラプラスの悪魔は「すべての原子のことがわかっていれば、完全になんでも計算できる。宇宙はその計算と同じように動いている」という主張ですよね。私は、その前提がナンセンスだと思いますので、同じ主張をしたくはありません。

 ……というか、すごく簡単な反論を思いつきました。

 私は時には誰かにアドバイスをしたりする事があるんですが、アドバイスという行為自体が決定論的ではないですよね。

 私から見てアドバイスをした相手の意志というのは定められた為すがままのものではなく、その本人の意思で軌道修正できるという事ですから。




■Documentary■


 身を寄せる先が無いのならと一人の尼僧に声をかけられ、トウキョウ湾で竜宮城と呼ばれる尼寺にその女は寄寓する事となった。

 名前の通り宮殿状の建物であり、本来は大型リゾート用の施設「キャッスル・ドラゴンパレス」として建設されたのだが、水棲コロニーの不活発な実態が観光に不向きである事が明らかになると、調度品が入れられる前に打ち捨てられた。

 打ち捨てられたときにはすでに地上的な豪華さに彩られた建物自体は完成していたのだが、豊饒の海を寝床にするトウキョウ湾の人々の生活形態に必要とされる物では無く、海の底に張り付いたまま誰からも忘れられた。

 その捨てられた巨大建築を、アヴァン(前衛)一遍衆の尼僧たちが自らの住処に定めた。

 捨てる事を極意とし、持たざる事を尊しとする彼女たちにとって、路傍に遺棄された宮殿は所有する対象というよりも同胞であると言っても良かった。そして何よりも、彼女たちの信仰の核心となるプログレッシブ踊り念仏のための空間としても、その宮殿はとても都合が良かったのである。

 竜宮城はこのようにして尼僧集団であるアヴァン一遍衆の拠点となった。

 冥王星から来た女は、つまり、ダンサーとして竜宮城の一員となった。




◆Interview◆


~救済について伺いたいのですが~


 救済というのは、なんのことでしょうか?

 寄付のお願いとかそのような話でしょうか?



~なんと言うのでしたっけ、天国に行くために死ぬというような言葉ですが……~


 ……もしかしたら{{極楽往生}}のことですか?

 天国に行くというのとは、ずいぶん違うことなんですけどね。

 ただ、「極楽往生」のことでしたら私でもお答えできます。

 和尚さんから色々と話を聞いて、広くお話ができるぐらいには考えがまとまってきていると思います。



~ああ、それはよかった。天国に行くというのと違うというのはどういうことでしょうか~


 まず、天国に行くために死んだりはしません。仏教の世界観では、死んだら基本的に生き返るんです、何度でも生き返ります。これが輪廻。

 死んでも生き返るというとなんとなく嬉しいことのような気もしますが、仏教ではそのようには受け取りません。前に生きていた記憶があるわけではありませんので嬉しい要素はないのです。どちらかというと、無限に続く苦行のような受け取られ方です。

 えーと、二〇世紀中葉のアメリカの小説家の短編──『ささやかな贈り物』とかそういう題名だったと記憶していますが──にそんな内容のものがありました、あのような疲労感です。


 私が言っている{{極楽往生}}というのは、たとえばこのような人類の生き様から連れ出される場合がある、という意味です。



~人の死のたびに最後の審判のようなことが行われ、救われるということでしょうか~


 また私の知らない言葉が出てきました。「最後の審判」というのがよくわからないので、はいといいえでは返答できない質問です。

 少なくとも、その出来事が人間にとって受動態であることは正しいです。

 人間が、自分でない者の力によって、ある状態から別の状態になる、ということです。

 その状態の遷移を「極楽往生」と呼び、別の状態での存在様態を「極楽浄土にある」と定め、そのできごとの原因を「弥陀の本願」と呼ぶということです。

 また、別に死ななければ{{極楽往生}}できないわけではありません。そのときが来たら、状態遷移が起こるのです。

 状態遷移した後、現在的な基準で生きていると呼べるかどうかは疑問ですが、現在的な基準で死んでしまうわけではありません。



~なにかずいぶん物理的な現象のように聞こえますが、最後の審判に似ているように思います~


 最後の審判というのがどういうことなのかが私には判らないので……。

 ええ、世界の終末に救世主が裁きを行い、永遠の生命を与える者と地獄に落ちる者を選別する事ですか。

 まず{{極楽往生}}が発生するのは世界の終末ではありませんし、{{極楽浄土}}では現在的な意味で生きているかどうかは微妙な状態となりますので永遠の生命は関係ありません。それに{{極楽往生}}しない者が地獄に落ちるというわけでもありません。

 こういうやり方で似てるところや似てないところを列挙することならば私にもできるかもしれませんが、これでは質的な比較とは言い難いと思いますので、似ているかどうかの価値的な判断は私からはできません。




■Documentary■


 女は、程なくしてプログレッシブ踊り念仏のプリマ・ドンナとなった。

 信者たちの踊りの核心としての役割を果たすだけの能力があることが認められたのだ。

 そして、プリマ・ドンナになると同時に、新たに名を与えられることとなった。

 彼女の手を引いて教団に導いた尼僧から与えられた新た名前は空子(くうこ)


 プリマ・ドンナとなってからの空子は、まさにカリスマだった。

 空子の踊りの行はまず身近なダンサーの仲間たちを惹きつけ、法要でダンスを見た一般の信徒たちの心を掴み、公演に来た信徒でない人々を魅了した。

 そして、空子の言葉は、彼女の踊りに心を動かされた人々の間に広まり、浸透していった。




★Monologue (Off-screen)★


 清歌(さやか)はここで一旦映像を止めた。

 待ちに待っていた見どころ、自身にとっての映像のクライマックスのシーンが近づいてきたからだ。()()()に自分の名前を呼ばれるシーン。

 俗な、くだらない欲求であると自分でも思う。しかし還俗(げんぞく)してかなり経っており、俗な欲求を恥じる意味はすでにその時に失われている。

 それになにより、もうすぐ自分の番が来るのだ。いまさら、気にする必要はない。

 意味もなく踏ん切りがついたので、せっかくだからということでミニバーに行き、ハーフボトルのワインを取り出して封を開ける。

 薄いピンク色の美しいワイン。

 普段はお酒を飲まないから詳しいことはわからないけど、色が気に入った。

 傍にあるキャビネットからワイングラスを取り出す。

 足のついたこのグラスに、秋歌が色のついた液体を注ぐのは珍しい。いつもは冷えた水だから。


 グラスとボトルを持って、元の場所に戻る。

 座り直してグラスに口をつける。

 素敵な色のワインだけど、飲み慣れていないせいでちっとも美味しくはない。

 とはいえ改めて取りに行くほど、なにかを飲みたいわけでもなかった。

 素敵な色のワインと、慣れなくて面白いハーフボトルで気持ちが華やいだ。

 より楽しい気分で、目的のシーンを見ることができるのだから。 




◆Interview◆


~救いは何らかの形で存在すると考えてよいのですね~


 「救い」という言葉の意味上の問題だと思います。繰り返しになりますが、何をさして「救い」と呼ぶかということが問題なのです。

 私を含めた人類の一部が、人類自身以外の力で、ある状態からある状態へ遷移する。これが発生するできごとです。

 昔の偉いお坊さんがこれに似たできごとを「極楽往生」と呼んでいたと、私は秋歌さんから聞きました。

 あなたたちの信じる宗教で、それをどのように呼ぶのかについては、あなたたちの僧侶が答えを出すことだと私には思えます。

 私にとって重要なのは、あることをどのように呼ぶかではなく、それが必ず起こると言うことです。



~ではあなたの悟りでは、仏教でない者たちは救われないという答えになるのでしょうか?~


 発生するできごとに信仰は関係ありません。

 雨の降るときにその場に立っていれば誰にでも雨は降りかかってくるものです。それと同じです。

 仏教徒の私によって{{極楽往生}}と呼称されたできごとが、いろいろな信念体系を持っている人々の身の上に起こると言う事です。

 例えば誕生についての解釈は宗教によって異なると思いますが、地上の人間が誰でも誕生するのと同じように、宗教に関係ない出来事です。



~しかしそれは、私の宗教や、その他のあなたとは違う宗教の人々が求めている「救い」ではないように思えるのですが……~


 あなた方の言う「救い」と、私の言う{{極楽往生}}が全く同じ物かと言えば、その答えはプロバビリティの広大さにかんがみただけでもNO、違う物のはずです。

 ただし同じように、私の言う{{極楽往生}}と、本来の仏教で言われている「極楽往生」が全く同じ物かと言えば、これもプロバビリティの広大さゆえNOです。

 私は、何が起こるのかを予告できる。そしてそこで起こることについて、秋歌和尚さんに相談したところ「極楽往生」の話を教えてくれました。そういう理由で、私はそれを{{極楽往生}}と呼んでいます。

 とはいえここまで違うと言い続けましたが、──話を聞く限りなので私のロマンチックな思い入れに過ぎませんが──、仏教で言う「極楽往生」と、私が言っている{{極楽往生}}は、お互いにある程度の共通点はあると思っています。



~あなたが言っているのは仏教で言う「極楽往生」とも違うということですか?~


 その通りです。違います。何度もそう言っています。

 秋歌さん……、秋歌和尚さんが私の話から「極楽往生」を思い出す程度には似ていると思っていますが、私は仏教の知識とは別のところから生起した理解によって、そういうできごとがあるだろうと言っているのです。

 根拠はありません、私にはそのように分かるのです。



~{{悟り}}という特別な考え方があるという話でしたが、それで予言するということですか?~


 予言といいますか、私にしてみればもう少し単純なこの先の見込みにあたるものですけれど。しかし、いままでにもこの話はたびたびしてきましたが、いつも違和感を感じていることがあります。

 それは{{極楽往生}}という言葉やあなたのいう「救済」という言葉に、かなり肯定的なニュアンスが含まれていることです。

 私は何か期待されていますか?

 ご希望があるようでしたら、お伺いできればご質問の意図に沿ったお答えもできるのではないかと思いますが。



~……いえ、こちらからお願いする事はありません。思ったままで答えてください。しかし、肯定的なニュアンスというのは、どのような?~


 出来事が発生する、私はその出来事について発言します。

 しかし、周囲からはその出来事を待ち望むべきであると思われるように、つまり私がその出来事に対して価値的な判断をすべきと求められているように感じるのです。今もそうです。

 その出来事を、望むべき「救済」と呼ぶにふさわしいかどうか、私にはわかりません。

 もしご希望であれば{{救済}}と名付ける事はできると思いますが、それは私があなたのそのカメラをいまからナンシーと呼びます、というぐらいの意味しかないと思います。

 ご希望であれば両方の名前で呼ぶことは可能かと思います。でも、呼び方を変えたとしても何かが変わるとは思えませんが。



〜思えないというのは{{悟り}}の話ですか?〜


 私自身には私の思っている事が、{{悟り}}によるものなのかそうでないのか区別はつかないので分かりません。でも、とある出来事──つまり{{極楽往生}}ですが──が起こるかどうか、には、こちらの認識は関わらない事ですから。

 滝と呼んでもウォーターフォールと呼んでも、その場所であれば水は落ちるのです。



〜改めて確認しますと、空子さんの言う{{極楽往生}}は救済ではない、仏教的な意味でも救済とはいえないということですね〜


 「救済」というのがどういう現象なのかわからないので、違うかどうかもお答えできません、というのが文字通りのご質問に対する回答にはなるのですが、あまり木で鼻をくくったようなお答えでも良くありませんから、もう少し頑張って言葉を繋げましょう。

 えーと、仏教的な意味の救済? 知らない言葉がまた出てきました。でもいいでしょう、仏教本来の「極楽往生」の話をされているのだろうということにして話を進めます。

 私がこうして口に出している{{極楽往生}}という現象は、最初は名前がなかったのですが、和尚さんに相談をしたら仏教の教義を題材にしてその現象に名前をつけてくれた、ということであると私は思っています。

 こういうことなので、救済であるかどうか、つまり望ましいことなのかどうか、価値的な判断については私からはお答えできません。

 もっと言ってしまえば、出来事が、ある人にとって肯定的な出来事なのかそうでないのか、私には各人が判断すべきことのように思えます。




■Documentary■


 空子の踊りは、瞬く間に海王星コミュニティを席巻した。

 空子はカリスマとして宗教行事を代表することとなり、その力でアヴァン一遍衆の信徒の数が急速に増えていった。

 水中舞踊のプログレッシブ踊り念仏を核心とするアヴァン一遍衆は本来ならばトウキョウ湾ローカルな宗派だったのだが、熱心な信徒たちのストリームやキャストやジャーナルなどの諸々の媒体を通じて空子のカリスマは太陽系に広がってゆき、持たざる信念の尼僧たちの元にかつてないほどの喜捨が集まるようになった。

 竜宮城にも人が増えたし、トウキョウ湾にも移民が流れ込んで来るようになった。

 基本となるトウキョウ湾の環境系は頑強だったが、水中酸素量の調整をしなおさなければいけないほどだった。

 また、空子以前の信徒と、空子以降の信徒の間に溝ができることとなり、アヴァン一遍衆の組織形態が見直されることとなった。プリマ・ドンナではあったが一般信徒だった空子にも役職が振られる事となったが、空子のカリスマは変わらなかった。

 空子の稼ぎ出す莫大な喜捨で、アヴァン一遍衆は惑星間宇宙船を買った。

 遊行することにしたのだ。

 惑星を股に駆け、プログレッシブ踊念仏の公演を行うのである。




◆Interview◆


~救われるかどうかについて、空子さんのお考えはわかりました。では、その{{極楽往生}}する人に基準はありますか?~


 基準というのがなんのことなのか……。する人としない人の区別、ですか?

 区別する方法は特に無いと思います。

 究極的には人類全体に起こる事なので、区別する必要が無いのです。



~調べたところ、日本などでは「閻魔」という仏が地獄の入り口で死者の善悪を選別すると言う話ですが~


 その話は聞いたことがあります。

 でも、いま私が言っている事はもう少し具体的な話なので、閻魔様は関係がありません。

 私が言う{{その時}}には選別はされません。というか選別に意味が無いので、現象的にはほとんどランダムのように見えると思います。



~ランダムではあまりにもどうしようもない……。仏教には全員救われるという話もあったと思いますが~


 わかりました。問いかけに必要な言葉をお持ちでないなら質問もできませんから、もう{{救われる}}と、この場では言う事にしましょう。確かに、私だけが知っている言葉のない出来事について話しているのですから。

 全員救われる話というと、私が知っている限り仏教の教義として「弥陀の本願」は、すべての人を極楽浄土へ連れて行って「救う」という阿弥陀という仏の誓いです。また弥勒という仏は、かなり遠い将来──四〇〇〇年の四〇〇〇倍の三六〇倍ぐらいの遠い将来に(あらわ)われて、全ての人間を彼の天国である兜率天(とそつてん)に連れて行って「救う」のだそうです。

 どちらも良いニュースだと思います。



~ランダムであるというのと、ただいまの全員{{救われる}}という思想は矛盾してはいないでしょうか~


 矛盾はしていませんよ。

 しつこいようですが、「ランダム」というのは私の発言で、私は仏教の教義の代弁者ではありません。繰り返しになりますが、和尚さんからお話を伺うだけの人間ですから、仏教の教義について詳しい方でさえありません。

 その上で私の{{極楽往生}}の話をすると、ホモ・サピエンスであることだけが人間であることのすべてではありませんし、ホモ・サピエンスのすべてだけが人間のすべてではないですから。

 「そのときにそうなる事」だけが{{極楽往生}}のすべてではなくて、段階的にいろいろ発生するんです。

 ランダムな順番で最後には全部選ばれる、というのとは少し違って選んでるわけではないんですが、そうだと思っていただけばだいたい良いのではないでしょうか。工場の抜き取り検査にやや近いのですが……。

 ごめんなさい。これ以上は上手く説明できません。



~違う信仰の人が{{極楽往生}}してしまったら困るのではないでしょうか? 少なくとも私は迷惑です~


 そういうのとは関係無くなりますから、特に困るという事は無いと思いますが……。

 ああいえ、誤解を生みそうな表現ですね。宗教に由来する出来事ではないので、発生する対象も宗教に関わりありません。

 なんというのか、誤解があるような気がしますが、私が口で言っているのは発生する出来事についての描写です。描写を行うにあたって語彙が必要なので、最も身近であった仏教の語彙を借用している形になります。この借用がすべての誤解の元だと思いますので、最初に借りてしまった私が良くないのでしょうが、何分にも物を知らない身ですから、身近にいた賢い人に知恵を借りるしかなかったのです。

 困るかどうかについては…、何度も同じ事を繰り返すようですが、善悪とか喜ぶとか困るとかの価値的な判断については私からは申し上げる事は何もありません。

 私の和尚さんは人格者なので難しいときには()き方についての指針を教えてくれるのですが、私は力不足でそこまではできません。

 本当にごめんなさい。

 こういう時になにか心安くなることを言うことができていたら良かったのですが……。



~相手の身の上のできごとを語りっぱなしというのは、無責任ではないでしょうか?~


 起こるのが判っているのに黙っているというのもどうかと思いますので。

 それに、私が発言をすることによって、{{準備}}が整う人もいるのが判っているのです。

 なので、ここでの回答は、無責任かもしれないけど必要なことなので言っている、という事になります。不安になるようでしたら、その不安は力の足りない私の責任だと思っています。



~なにか{{救われる}}側に準備するようなことがあるということですか? 準備が整ったものから救われるというような~


 {{救われる}}側の人にはすることは特にありません。

 {{準備}}といっても、目印を打っておくというぐらいのことですから。だから厳密には、私の発言で{{極楽往生}}のことを知ってる人だけが、あなたの言う{{救済}}をされるということでさえありません。

 ビリヤードなんかでも最初に整っているところにボールを打ち込んで、盤面に状態を作りますよね。そういう場合、ポケットに近い玉は準備が整っているように見えると思います。

 私がここで言う{{準備}}とは、そういった状況について言っています。

 たとえ話で申し訳ありませんが。



~準備についても受動態なんですか?~


 主体が各個人でない、という意味ではその通りです。

 なにかしらの努力をしたから、{{救われる}}ことになるということではありません。まず{{救われる}}事が良いことというわけではありませんし、最終的には個人的な出来事でもありませんから。

 つまり、いい子にしていたからサンタさんにプレゼントをもらえる、というのとは違う構造の話です。




■Documentary■


 プログレッシブ踊り念仏の、初の太陽系ツアーは成功した。

 大成功だった。

 行く先々で評判を呼び、キャストされ、ストリームされ、ジャーナルされた。

 それに伴って信徒と喜捨は更に増え、出家信徒の受け入れは竜宮城のみならずトウキョウ湾コロニー全体でも数年で不可能となると予測された。

 やむをえず出家の住居として、トリトンにエドマエという名で非水棲の新しいコロニーを建設することになった。そして新信者たちの要求から、教団としての公演のほかに空子は独自の説法を行うことになった。

 その説法はアヴァン一遍衆の公式な教義とは必ずしも一致しない内容だったが、教団からの差し止めるような注意を行われることもなかった。

 アヴァン一遍衆自体がトウキョウ湾発祥の小さな教団であることもあり、また僧侶の序列には並んでいないものの、直感的に正しく回答できる思考方法のために空子はすでに教団内で大きな発言力を持っていたのだ。

 制止できる者が居なかったという説明もあるが、実際にはどちらかといえば教団からの後押しを受け、空子の主張が教団の公式見解になっていった。


 教団は、いつしか本質的には空子教と呼ぶのに相応しい状態となってしまった。

 先達の尼僧たちは空子の主張をただ見守り、黙々と教団の経営を行うのみだった。一人、初期から空子の面倒を見ていた尼僧が専属の付き人となり、スケジュール合わせや身の回りのことを行い、影のように常に行動を共にした。

 教団の実質的な主軸となってからも、空子は宗祖になることも望まず、派閥を作ることも望まず、ただ独自の説法をすることだけを望み、それを行った。

 空子の主張はただひとつだった。

 人類は極楽往生をして、新しい存在様態を獲得することになるだろう、と。




◆Interview◆


~なぜ{{極楽往生}}を予言するのですか? 主張を聞いた者はどうすればいいのでしょう?~


 なぜという質問に対する第一の答えは、先ほども言いました。発言することによって状況が作成されるからです。だから私の個人的な動機に限って言えば使命感です。

 私の発言が状況の完成に益するということが私にはわかっているので、私はそれを行うべきだと感じるのです。なぜ分かるかは、私自身には分かりません。このような場合のわかり方については{{悟り}}と呼ばれているので、きっとそうなんだと思います。

 一方、私の主張を聞いた方ですが、別にどうする必要もないのです。

 後になって、{{極楽往生}}が起こったとき、あるいはそれを見かけたときに「これがかつて聞いた{{極楽往生}}か」と思えばいいのではないでしょうか。



~信徒の方々が増えているようですが、{{極楽往生}}に備えてアヴァン一遍衆を信仰したほうがよいのでしょうか?~


 アヴァン一遍衆に入信する必要はありません。

 アヴァン一遍衆の信徒は{{極楽往生}}に備えて何もしていません。確かに信徒が増えていますが、教団で信徒に対して{{極楽往生}}についての特権的ななにかを行うわけではありませんから。

 私もなぜ入信するのか不思議に思って聞いて確かめたことがあるのですが、新しい信徒さんたちは{{極楽往生}}の話に感じるところがあって、その気持ちを分かち合うために信徒になっているのだとおっしゃっていました。



~{{極楽往生}}する人はランダムなんですよね? 信仰に関係なく~


 ランダムというか、最終的には{{人類全体}}なのです。

 ただし、わかりやすく言えば、物理的な事象が発生するケースと物理的事象のないケースがあります。

 物理的事象が出るのは対象はランダムですし、時期もランダムです。

 また事象の発生は人であるとは限りません。

 よく懐いた動物や、人々を動かす芸術作品など、{{人類知性}}を構成するものが{{極楽往生}}するのです。

 もちろん信仰は関係ありません。

 どのような宗教も{{人類知性}}の産物と言えますから。



~正直に言いましょう。よその宗教の天国に連れて行かれてしまうことに、強い抵抗を感じるのです~


 何度も言っていますが{{極楽往生}}は天国と関係がありません。

 存在様態が変わるのです。善き事、つまり「救われる」わけでもない。

 確かに{{極楽往生}}すれば生物としての基盤を維持する必要がなくなりますので、現在的な意味でお腹が減ることはなくなります。だから、常にお腹を空かせていた古代の人が「飢餓から救われる」というのはある意味で間違いのない話です。

 しかし、古代ならともかく、現代のあなたは飢餓から救われる必要がない。

 {{極楽往生}}は、死んだ後に幸せになるという物語ではないのです。

 「いまここ」とは違う体系の中で、改めて生きて行くという話なのです。



~復活すると言う事ですか?~


 人格スキャンやアップロードはしたことがありますか? あれを復活と呼ぶならば復活と呼んでいいと思います。

 存在様態が変わるというのは、人間が人格再現AI──リストラクテッド・ペルソナ──になるのに近いかもしれません。

 この言い方をすると思考の方向性がかなり強力に誘導されてしまうのでいままで避けていましたが、これまでだいぶ言葉を重ねてきましたから、そろそろいいでしょう。

 もちろん、実際には人格再現AIになるわけではありません。

 人体や脳やコンピュータに依存しない、(ほとけ)と同じ存在です。

 人類は{{仏}}になるのです。



~そろそろ時間がなくなってきました。最後の質問です。それはいつの事ですか?~


 もうすぐです。

 すぐに、人類はそうなります。

 すぐです。

 いま。




■Documentary■


 プリマ・ドンナ空子のインタビューは、カメラを見据えながらこう言った空子の姿が掻き消えるところで終わりである。プリマ・ドンナ空子はこの時に姿を消した。

 そしてプリマ・ドンナ空子の消えた後には、空間に刺しかかる(きず)のような不思議な光が残った。現代の科学ではいまだに解明されていないこの不思議な光る(きず)が、プリマ・ドンナ空子の主張の確からしさについて、物言わぬまま証言し続けている。


 空子が消えた同じ時から、数多くの人々や動物や生物、かなり広範なものが人類社会からさまざまな形で連れ去られた。

 ある者は姿を留めたまま塩になり、ある者は画像や音声や公的記録のストレージにだけ痕跡を残して存在をただただ忘れ去られた。ある絵画からは「感動」のみが抜け落ち、月面のとある地域は謎の障壁に囲まれつつ縮小してゆき最後にはクレータ状の穴ぼこだけ残った。


 事実上、すでに空子教となっていたアヴァン一遍衆は、空子がその言葉通りに姿を消したことで一時的に大きく求心力を増したが、空子以降に悟りを行う人材も出ず、後に続く者がいなかったためすぐに求心力を失った。

 アヴァン一遍衆の新信者の中に空子の残した疵とコミュニケートできるという主張をする者が出て、(きず)からのメッセージを預言者として人々に伝えるようになった。その預言者は元のアヴァン一遍衆と袂を分かち、空子を開祖とする空子教の宗祖となった。

 空子教の預言は未来の予言の多くを外したが、人々の悩みの解決には役に立っていた。


 その後、元のアヴァン一遍衆は、空子の付き人をしていた尼僧が取り仕切り、トウキョウ湾の竜宮城を捨て去り、エドマエの地主兼ダンス・ステージの興行主へ転身した。団体の名前もリュウグウノツカイに変えてしまい、プリマ・ドンナも乙姫と名を変え、アヴァン一遍衆と空子の全ては、事件の記憶とともに過去のものとなった。

 空子の先達であったが{{極楽往生}}をすることのなかった尼僧たちはリュウグウノツカイの事務方となり、エドマエの中に庵を結んで、世を捨てたように静かに暮らしているという。



 = END =




★Monologue (Off-screen)★


 ドキュメンタリーの再生を終えて、清歌のいる空間に静寂が戻る。

 秋山清歌──かつての秋歌和尚──は、空子の面影を求めて、次の映像を再生する。

 ドキュメンタリーの補遺である、使われなかったインタビュー。

 空子が言う{{極楽往生}}とはなにか、空子自身の言葉で端的に語っているが、ドキュメンタリのディレクターが気に入らなかったので使われず、世に出なかった部分。

 清歌はその映像を個人的に保管しており、番組として編集された完成品の録画の次に再生できるよう設定してあった。

 その映像は番組のようにスムーズな導入映像などはなく、インタビューの映像が突然はじまる。

 こんな質問だ。


「秋歌さんとはどなたですか?」

「ああ、失礼しました。秋歌さんは、その、私の和尚さんです。行くあてのない私の手を取って、今まで、ここまで導いてくれたとても大切な──」



 映像を再生した清歌は、しかし、この言葉を耳にしていない。

 いままで清歌がいた空間には、空間に刺しかかる疵のような光が残っていた。

 誰も居ないホテルの部屋に、映像の続きが流されている。



◆Interview◆

=補遺映像=


~矛盾があるように思います。ランダムで順番ならば、順番の前に死んでしまう人などもいそうですが~


 {{人類全体}}と言った時に、各個人の単純な合計を意味していません。

 数学では、変数を伴った関数で集合を表現することがあると思いますが、そういった意味合いでの全体です。{{人類全体}}を表現するとしたらいわゆる境界条件の設定が非常に複雑になりますし、ほとんど例外に当たるようなフリンジも確認する必要がありますので、口で言うほど簡単な内容ではありませんけれども。

 ……もちろん人間は関数ではないのでずいぶん荒っぽい表現かもしれませんが、人類とはそうしたものです。



~関数……ですか? 動物も含まれているといいますし、なんというか人間を非常に粗末に扱っているような気がします~


 例えが悪かったかもしれません。可能的全体について表現したかったのですが……。

 人類には固有の広がりがあって、その全体を捉えることが{{人類全体}}を捉えることである、というのがここで言いたいことなのです。

 もちろん一組の関数として人間を捉えるわけではないのですが、個別の人間を集積して行って全体にするわけではないのには違いありません。

 人口統計を行うにあたって、一人づつ指差し確認をするわけではないというのに近いことです。

 もう一度繰り返しになりますが、各個人の単純な合計ではありません。

 しかしながら、人類全体には各個人の合計は内包されています。



~そうでしょうか? 「人類」といえば生物の種類ですから、つまりすべての固体の合計であるように思いますが~


 また定義の問題ですね?

 定義について話し合うのは苦手ですが、この場では定義についての話をしましょう。どちらかと言えば常識的な話ですから。

 ……いま、ここでは定義として「人類」というのをどのように捉えるかという問題なわけですが、私の発言における{{人類全体}}は生物の種類について言っているわけではないのです。

人類のすべての個体もそうですが、人類をそのように育んできた環境と、人類がそのように暮らしている生活空間と、人類がそのように積み上げてきた成果物のすべてなど、「人類」に関わるかなり多くのものを指して{{人類全体}}と呼んでいるのです。

 先程は{{人類知性}}という言葉で申し上げましたが、人類の積み上げてきた歴史、言語、宗教、科学、技術、芸術、社会、それから友情や愛情、などなど、そういった全てのものは、現在生きている生物としての人類のすべての細胞やすべての原子を合計しても、結果として導き出すことはできません。

 大きなところで言うと、現人類の成立に地球の存在は不可欠ですが、今現在姿を消して不在にしている地球そのものは、現在の太陽系の人類すべての合計だけからでは析出できません。単純に質量だけでも足りない。


 そしてその全てである{{人類全体}}を、{{極楽浄土}}に放った時に{{人類全体}}、地球を含む{{人類全体}}として形を取り戻すように抜き出してゆく出来事が{{極楽往生}}なのです。


=補遺映像 END=




★Overview (Off-screen)★


 五六億年後、人類に貪られた太陽は予定よりもずっと早く赤色巨星となった。

 すでに太陽系には人類は住んでいなかったが、そこを訪って失われ行く太陽を観る者がいた。

 彼女は、かつて月であった場所にまだ残されていた、自分たちが付けた疵をそっと拭い取ってから立ち去った。







●付言●

当作、空子の(せい)の物語は、空子の言葉が意味を持たなければ成立しないようには作られていない。

空子の言葉は、一見すると衒学的(げんがくてき)なデタラメのように響く。

しかし、彼女の論理構造は実際には厳密であり、特に破綻していない。空子は未知の概念を語るために、既存の言葉を借りて再定義しており、既存語との差異化を怠ることによって解り難くなっているのみである。

以下の規則を鍵として再読する時、この物語は別の相貌を見せる。


【規則】{{ }}で囲まれた言葉は、一般的定義ではなく、空子が定めた独自の定義で用いられている。


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