「日本国国章損壊罪」新設の行く先は「国粋主義的な緊急事態条項」
筆者:
本日は当エッセイをご覧いただきありがとうございます。
今回は参政党が提出した刑法改正案にある「日本国国章損壊罪」について
――ちょっと複雑になると思うので伝わるか怪しいですが、個人的な意見を述べていこうと思います。
質問者:
その始まり方はちょっと怖いです……。
国旗についてですが、これまでは外国の国旗の損壊(除去や汚損も含む)については刑罰があったのに日本の国旗については無かったというのは本当ですか?
筆者:
これについては本当です。僕もこの点については日本国旗も海外の国旗も平等に扱うべきだと思っています。
どの国の国旗も国の象徴であって、汚す事はその国を汚す事と同義ですからね。
質問者:
国旗の損壊を禁止することが、表現の自由に抵触するのではないかという反論もあるようですが、それについてはどうなんですか?
筆者:
そもそも、国旗・記章を毀損する表現方法が良いとは全く良いとは思えないですね。
名誉棄損や侮辱罪が存在しているように、誰かが不快に思うような類の表現方法は、
望ましいものとは思えません。
”国”というのは誰か個人を示しているわけではないですが、そこに所属している方々が名誉を棄損されたと思っても不思議ではありません。
相手の名誉を攻撃するよりも、論理的・理性的に相手の課題や問題点を指摘すればいいだけだと思います。
世間の大多数はその表現方法の主張は受け入れることは出来ず、それを行ったコミュニティそのものが白い目で見られることは間違いないという認識を持つべきだと思います。
質問者:
表現の自由があるからって何をしてもいいわけではないですからね……。
筆者:
ただ、ここで普通の方と僕が違うと思うことについて話そうと思います。
参政党提出しようとし、それに自民党や日本維新の会が賛同しそうな刑法改正案では「外国国旗損壊罪」と全く同じ量刑(2年以下の拘禁又は20万円以下の罰金)でありながら新しく日本国旗の損壊についての別の刑罰名を創設しようとしているんです。
このことには反対したいです。
質問者:
???? 筆者さんと参政党さんの案との間に何の違いがあるんですか?
同じような罪に問われるのであれば何ら差が無い気も……。
筆者:
僕は日の丸が日本の象徴として相応しいと思いますし、棄損されれば嫌な気持にもなりますけど、ここで「日本の国旗」と殊更強調する必要性が無いと考えます。
国旗・国歌法で国旗は「日章旗」と国家「君が代」と明確に決められているために、刑罰内容が同じなら、
「侮辱を加える目的で、あらゆる国の国旗その他の国章」とし、包括的にして日本の国旗も自動的に含ませることが妥当な気がします。
質問者:
それでも、厳密に筆者さんが区別する意味がよく分からないんですけど……。
筆者:
「自分の国が好き(=愛国心)」と「国のために自らが犠牲になる(極論は死ぬ=国粋主義)」ということは違うんじゃないのかなというのが僕の感覚としてあるんです。
これはちょっと跳躍的な理論とも受け取られるかもしれませんが、
あまりにも「日本国旗! 日本国旗!」と強調するとそれは国粋主義に至るのではないかという感覚があるのです。
外国国旗記章損壊罪すら1961年の適用例1つしかないようで、その他の似たような事案は軽犯罪法、公務執行妨害罪、現住建造物等放火罪など他の罪が適用されています。
そうなると、罪に問われるかどうかの「不平等を是正」というより「愛国パフォーマンス」という側面の方が強いと思います。
そしてこれが更に行き過ぎれば「国粋主義」繋がっていくと僕は考えています。
※ちなみに器物損壊罪(他人の物を故意に損壊したり傷つけたりする行為を罰する犯罪)は3年以下の拘禁刑又は30万円以下の罰金と国旗・記章を損壊するより現状は重い罪とされています。そのために国旗損壊罪そのものを重くするべきだという意見もあります。
◇「国粋主義」の行き着く先
質問者:
国粋主義になるとどのようなことが問題になるんですか?
筆者:
それこそ「国家第一主義」又は「公共の福祉」などのために国民のことは全く無視されることになります。
国益や公益などを重視し過ぎる先にあるのは緊急事態条項を創設してからの権利剥奪でしょう。
しかも自民党案の緊急事態条項は「緊急事態」の定義もなく、国会でもブレーキをかけることもできず、発動したことが憲法違反かどうか最高裁判所が審査出来るかも怪しい状況です。
質問者:
戦前には治安維持法などで言論弾圧もあったようですからね……。
「国家観に合わない」という理由で弾圧されかねませんね……。
筆者:
それがさらに進めば「洗脳」した上での「自主性という名の特攻」を要求してくるようになるでしょうね。
僕は日本という国の枠組みは地域における歴史や文化、価値観の共有という側面において非常に重要だと思いますけど、個人の権利も同じぐらい非常に重要だと思います。
それは国あっての国民であると同時に一人一人の命と権利あっての国であると思うからです。
質問者:
なんだか誰にも付かない絶妙な立ち位置におられるということですか……。
筆者:
ここでもう一つ問題提起して起きたいところは「権利を重視したい人たち」というのは、
それこそ自分の権利を強調するあまりに国旗を燃やしたりするような方々です。
そのような方々はしかも外国人の権利を日本人並みに認め、ゆくゆくは外国人参政権まで認めようと画策しています。
最終的な目標は「国籍や国境の排除」ですからね。
権利は認められるべきですが、他人に迷惑をかけ、他人の権利を侵害することはあってはいけません。(外国人参政権は元の国の参政権を失っていないことから日本人にとって不平等な制度で地方であったとしても許してはいけません)
質問者:
なんだか極端な思想の方が多いですよね……。
筆者:
「日本のため」となると国粋主義的な政党しかなく、
「権利のため」となると外国人の方の優遇にも到達している。
大きな政治や思想勢力はこの二極化になっています。それが日本の政党政治や思想界の最大の問題だと思います。
質問者:
「国を大事に思いたいけど、日本国民の個人権利も守る」っていう中間的な思想を持つ大きな組織ってあんまりありませんね……。
筆者:
僕は外国人問題を見ると保守かもしれませんけど、
日本人個人の権利の観点で見ると左派とも言えるので、
「穏健愛国左派」みたいなのかもしれませんね(武闘派ではなく言論で戦おうとしているので”穏健”と付けました)。
質問者:
筆者さんが頻繁におっしゃっている、世の中0か100か。善か悪かの二極化にならない方が良いという感じなのでしょうか?
筆者:
そうですね。世の中2択で語られるほど単純ではないと思っています。
二極化の思想にしようとしている方は”危険”であると言えると思いますね。
勿論僕の考えが絶対的に正しいとは微塵も思っていないので、
皆さんがそれぞれ独自に愛国心や権利などの問題について考えていただければと思いますね。
「日本国国章損壊罪」から随分と飛んで行ってしまいましたが、意外と政治や思想の根幹に関わることなので触れさせていただきました。
今後も政治や経済について個人的な意見を述べていこうと思いますのでどうぞご覧ください。




