口裂け女に「エロい」と言ったら怒られた
強制参加の暑気払い。何が悲しくて嫌いな上司の隣で酒を飲まなければならないのか。時間と金を返せ。
「くそぉ……無理矢理飲まされたから吐きそ……うっ」
急性アルコール中毒で倒れたらアルハラで訴えてやるぞクソ課長め。
「……ねえ」
何が悲しくて休みの夜に会社の飲み会とか、明日絶対二日酔いで死んでんじゃん。
「……ねえってば」
「あ?」
真夜中の細い路地。まさか自分が呼ばれているとは思わず気が付くのが遅れた。
振り返ると黒いマスクをした女だった。僅かな街灯の光ではハッキリと顔が見えず、ノースリーブとロングスカートくらいしか特徴が伺えなかった。
「わたし、きれい?」
「……え?」
あれか? たちんぼか?
ホ別三万とかあれか?
「ねえ、わたし……きれい?」
「…………」
そう言われジッと目をやった。
真夏のノースリーブ。そして今気が付いたが乳メチャクチャデケェな。
「いや、エロいです」
「──!?」
女が少したじろいだ。
「なっ! なんですって!?」
「エロいです」
ニット生地だろうか、ハッキリと大きく立派な胸に釘付けとなってしまった。
「きれいかどうかを聞いているんです。『はい』か『いいえ』で答えてもらってもいいですか!?」
なんか、ひろ◯きみたいな人だな。
「いやあ、ただただエロいです」
「それって個人的感想ですよね!?」
何故か怒られる俺。
「綺麗かどうかで答えて貰わないと仕事にならないんです!」
「はい? 仕事?」
「な、なんでもないです……!!」
変な人だ。しかしこのままさようならするには惜しいものがある。
──グゥ。
と、腹の虫が鳴いた。
「……」
俺は散々たる飲み食いで当然満腹。寧ろオーバーまである。
「腹減ってるんですか?」
「……まともに食べてなくて」
「ダイエットですか?」
「誰も『綺麗』と言ってくれないのでおまんま食い上げ状態が続いてまして……」
ちょっと何言ってるのか分からないけど、お姉さんを家に呼ぶ口実が出来た。大変喜ばしい事だ。
「ウチに来ます?」
「──良いんですか!?」
とても良い反応に、その大きな胸がブルンと揺れた。
「ええ」
「よっしゃ!」
本気のガッツポーズで喜びを表現するお姉さん。どうやら本気で腹が減っていたらしい。
この御時世だ、たちんぼも辛かろうに。
「どうぞ」
「失礼致します」
お姉さんは真面目な挨拶で、脱いだ靴もしっかりと揃えて上がってくれた。どうやら育ちは宜しい様だ。
「昨日友達と焼いたお好み焼きの残りがあるのでチンしますね。そこに座って下さい」
「ありがとうございます」
テーブルの上を片付け、冷蔵庫からお好み焼きを取り出し電子レンジへ。
「どうぞ」
「頂きます」
鰹節が踊るホカホカのお好み焼きに目を輝かせ、お姉さんが景気よく割り箸を鳴らした。
「あもっ──うん、美味しいです!」
「そ、それは……よかった。うん」
お姉さんは次々とお好み焼きを食べるのだが、どうにも食べ方が気になる。
「マスク、外さないの?」
お姉さんは先程から、マスクを浮かしてお好み焼きを口へ運んでいるのだ。
ソースやマヨネーズがマスクに着いてしまうだろうに。まあ、黒のマスクだから着いても分からないけどさ。
「……実は人前でマスクを外す時には決まり事がありまして」
「?」
なんだ?
育ちの良いお姉さんの家に代々伝わる何かかな?
「私が『わたし、きれい?』と聞いて、相手が『綺麗』と答えた時だけ外せるんです」
「ああ、はいはい。綺麗ですよ」
「私が聞いてから答えてくれないと意味が無いんです!」
なんか面倒くさいな、この人……。
ははぁん、さてはマスクの下にブツブツが出来ていて見せた時に嫌われない様に予防線を引いているんだな?
きっとそうに違いない。だから外したくない時は自分から聞かない様にしてるんだろうな。
まあいいか。マスク黒だし。
「それより服にソースが着きませんか? 折り込みチラシか何か敷きます?」
「いえ、大丈夫で──あっ!」
言ったそばからお姉さんはお好み焼きを箸から滑らせてしまった。見事胸に着地したお好み焼きが実に羨ましい。
「あー、言わんこっちゃない。すぐに脱いで下さい。染みになりますよ?」
「すみませんすみません」
両腕を交差させ、ノースリーブのニットが勢いよく捲り上げられた。
ブルンッと鳴った様な、凄まじく揺れ放たれた胸に思わず目を逸らした。淡いピンクのブラに包まれた霊験あらたかな◯乳は、思わず手を合わせたくなりそうな程だ。
しかしこの人、胸部に男子理性破壊兵器を積んでいる事に自覚が無いのだろうか。少し無防備が過ぎる気がするぞ。
「あ、あっちで脱いでくださいよ。ありがとうございますですよこんなの……」
「す、すみません……!!」
「洗面台で洗って良いですから」
「ありがとうございます、お借りします」
ニットの汚れを落とした後、俺のTシャツを貸したのだが……ものっ凄いぴちぴちになってしまった。服の中央に描かれたメーカーのロゴマークが、騙し絵みたいに歪んでいる。
「すみません、何から何まで」
「いえ、むしろありがとうございます」
このところ全く良い事の無かった俺の人生に、サバンナの雨の様な潤いが染み込んでゆく。
「あ、そう言えば自己紹介がまだでしたね」
「これは失礼。そう言えばまだでしたね。私こういう者です」
サッと会社の名刺を差し出す。サラリーマンは如何なる時でもサラリーマンなのだ。
「わたしは口裂美咲の名前でやらさせてもらってます。宜しくお願いします」
やらさしてもらってます?
ああ、芸人さんかお店の名前か何かかな。
確かに初めて会った男に本名を教えるのも危険だからな。やるな、この人。
「今日はありがとうございました。また近いうちに御礼に参ります」
「いえいえ、そんなお気遣いなく。あ、送りましょうか? もう夜も遅いですし」
そんな胸して夜道を歩いてたら、暴漢がヨダレ垂らして仕方ないぞい。
「大丈夫です。すぐ近くですから……それに」
「?」
「次は綺麗って言ってもらえる様にしますから……待ってて下さいね」
美咲さんは何処か不思議な笑みを浮かべながら帰っていった。今、黒いマスクの横から何か見えた様な気が…………。
ま、いいか。