第5話 ご褒美ください
サバの味噌煮定食を頼んだ羽田が、私の唐揚げを羨ましそうな目で見つめている。
そんな顔をするなら羽田も唐揚げを頼めばよかったのに、彼女はカロリーを見て揚げ物を諦めたのだ。
「1個、食べる?」
「いいんですか!? 唐揚げ、5個しかないのに……」
「羽田がいいならだけど」
ちょっとだけ悩むような顔をした後、羽田はいきなり口を開けた。私が何もしないでいると、あーん、と自分で言ってくる。
「食べさせてください、先輩」
「……自分で食べなよ」
「私の箸、味噌がついちゃってるので。唐揚げに味噌がついたら嫌じゃないですか」
もっともらしいことを言って、羽田はまた、あーんを要求してきた。
こういう時、私は羽田の要求に従うしかなくなる。
頑なに拒むのは、意識していると伝えるようなものだから。
「……ほら」
1番大きな唐揚げを箸で掴んで、羽田の口へゆっくり入れる。小さい口で必死に唐揚げを頬張る羽田は、なんだかリスみたいだった。
いっそ、羽田が本当にリスだったらよかったのかもしれない。そうすれば私は、きっと彼女が死ぬまで丁寧に世話をして可愛がっただろう。
「美味しいっ! やっぱり揚げたての唐揚げって最高ですよね」
うっとりとした顔の羽田だけで、白米が何杯でも食べられてしまいそうだ。
「そうだ。先輩もサバの味噌煮、ちょっと食べます? 可愛い可愛いしおりんが、あーんしてあげますよ?」
羽田はこうやってたまに、自分のことをしおりん、なんて呼ぶ。
私は、一人称が自分の名前である人間が薄っすら苦手だ。でも、羽田だけは違う。しおりん、と自分を呼ぶ時のあざとい笑顔を、心の底から愛おしいと思ってすらいる。
「先輩、サバ好きですよね?」
「……自分で食べられるけど」
「だめです。あーん、させてくれないなら、先輩にはあげませんから」
早く、と羽田が急かしてくる。私はさっきと同じ言い訳を心の中で呟いて、そっと口を開いた。
「夏鈴先輩、あーん」
羽田が運んでくれた鯖を食べる。満足そうな顔で笑う羽田が、本当に可愛い。
「美味しかったですか、先輩?」
「うん。魚もいいね」
「ですよね! 今度、魚料理のお店も行きましょうよ」
こうやって羽田は、やたらと次の約束をしようとする。ある時は自然に、ある時は過剰に。
学校や塾に行けばいつだって会える私と会う理由を、いつも探してくれているのだ。
「……うん、いいね、それも」
「約束ですからね!」
頷くと、羽田が幸せそうに笑った。私なんかとの約束を、こんなに喜んでくれるのは羽田だけだ。
いっそ夏の暑さに負けて、さっさと私の頭もおかしくなってしまえばいい。そうすれば私は、羽田に好きだと言えるのに。
「夏鈴先輩? どうかしました?」
「いや。ちょっと急がないと、間に合わないかもって思っただけ」
「確かに。遅刻したら大変ですもんね」
羽田が食事のペースを上げる。私も羽田を見習って、高速で味噌汁を飲み干した。
◆
「せーんぱいっ! 駅まで一緒に帰りましょ?」
授業が終わるのと同時に、羽田が教室に入ってきた。
ニ年生は一年生よりもコマ数が多いから、羽田はとっくに授業が終わっているのに。
「自習室にいたの?」
「はい。先輩と一緒に帰りたかったので」
「……へえ」
「へえ、ってなんですかへえって! こんなに可愛い私が、ここまで言ってるんですよ? 先輩以外なら、涙を流して喜ぶくらいなのに」
頬を膨らませるのと同時に唇を尖らせる、なんて器用な真似をした羽田は、責めるような目で私を睨みつけた。
だけど相変わらずその顔には、私が好きだと大きく書いてある。
「まあ、私がこんなこと言うの、夏鈴先輩だけなんですけどね?」
今すぐ家に連れ帰って、一生閉じ込めちゃいたい。
羽田は、自分が強烈過ぎるアピールを重ねていることをちゃんと自覚しているのだろうか。
気づいていないふりをしているのは自分なのに、時折、心配になってしまう。
「じゃあ帰ろうか」
「……本当先輩って、リアクション薄いんですから」
溜息を吐いた羽田が、ぎゅっと私の手を握った。
「駅まで、手を繋いで帰りましょうね?」
駅までは徒歩5分程度とはいえ、外はかなり暑い。手を繋いで歩くなんて、賢い選択とはとても言えないだろう。
「別にいいけど」
それでも私の口から出たのはそんな言葉で、にや、と羽田が笑うには十分だった。
◆
「ねえ、先輩。もうすぐ期末テストじゃないですか」
駅のホームに到着すると、羽田はそう口にした。まだ手は繋いだままだけれど、周りから変な目で見られる、なんてことはない。
女子校生同士が手を繋いでいることに、特別な意味を見出そうとする人なんていないのだろう。
まあ、私の羽田が可愛すぎるから、普通に目立ってはいるんだけど。
「そうだね」
「私にとっては、高校に入学してから初めてのテストなんです」
一学期初めにも定期テストはあったが、入学したばかりの一年生は対象外だった。そのため一学期末のテストが、羽田達一年生にとっては初めてのテストになるのだ。
「頑張るので、30位以内に入ったらご褒美ください」
うちの学校は、1学年約150人だ。30位というのは、それほど上位というわけではない。
それでも羽田の学力を考えれば、うちのテストで30位以内をとるのはかなり難しいだろう。
「可愛い後輩のお願い、聞いてくれますよね? 断られたら私、勉強頑張れないかもしれません」
ねえ、と甘えるように見つめられる。
ご褒美の内容がなにかすら聞いていないのに、私は頷いてしまった。