第34話 偉くて、可愛くて……それで?
「夏鈴先輩」
「なに?」
「名前呼んでください」
「……栞」
「もう一回! いや、あと一万回言ってください!」
先程から、かれこれ30分くらいはこのやりとりを続けている。私が『栞』と呼ぶたびに、羽田は―――栞は、幸せそうに笑う。
私に名前を呼ばれることの、なにがそんなに嬉しいのだろう。
「栞」
「ふふ、はぁい」
甘ったるい声で返事をして、羽田が私の手をぎゅっと握る。冷房の効いた部屋で二人きり。わざわざ隣に座って、こんな風に手を繋いで。
ずっと、こんな時間が続いたらいいのに。
「……あっ!」
そう思っていたのに、いきなり栞が大声を出して立ち上がった。バタバタと鞄が置いてあるところへ行って、がさごそと鞄の中からなにかを取り出す。
立ち上がって栞の手元を確認すると、彼女が持っていたのは線香花火だった。
「これ持ってきてたんです! 言うの忘れてました」
「……花火?」
「はい。夏っぽいじゃないですか。線香花火なら、お庭でしても問題ないですよね……?」
「うん。ていうか、よほど派手なやつじゃない限りはいいと思うよ」
お母さんと二人になってからは、庭で花火をしたことはない。けれどもっと幼い頃は、家族で一緒に花火をしたこともある。
「……線香花火って、ちょっと意外」
栞はなんとなく、派手な花火を好むものだと思っていた。華やかな物が好きだし、実際、栞にはそれがよく似合うから。
しんみりとした雰囲気を持つ線香花火と栞は、正直なところあまり結びつかない。
「まあ、確かに、普段はあんまり好きじゃないですよ。なんか地味ですし」
「普段は?」
「はい。でも先輩と一緒なら、線香花火が一番、くっついて楽しめるかなって!」
栞と二人で、身を寄せ合いながらする線香花火。
想像するだけでにやけそうになるのを必死に我慢しつつ、そうかもね、なんてクールぶった返事をする。
「もー! 先輩はいっつもそうなんですから! あっ、線香花火、どっちが長持ちするか勝負ですからね!?」
「……勝負、ね」
「あっ、もしかして先輩、自信ないですか!?」
「そういうわけじゃないよ」
ただ、栞に夢中で花火なんて見てないだろうなって、そう思っただけだ。
◆
「そろそろスイカ、冷えましたかね?」
冷蔵庫を開けて、栞が持ってきてくれたスイカを取り出す。スイカはひんやりとしていて、持っているだけで気持ちいいくらいになっていた。
「ちょっと待ってくださいね、えーっと……」
見てください、と羽田がスマホを見せてくる。画面には、スイカ割りのコツについて書かれたサイトが表示されていた。
「固定するために、空き缶とかの上に置くのがいいんですって! 確かに丸いと、たくさん転がっちゃいますもんね」
「……そうなんだ」
言われてみれば当たり前のことだが、今まで意識したことはなかった。そもそも私は、生まれてから一度もスイカ割りを経験したことがないのだ。
「あ、それから、向きも大事らしいですよ! ヘタが下の方がやりやすいみたいです。先輩、これ知ってました?」
「いや、これも知らない」
「ですよね! 私もです。スイカ割りって、実際にやるのは初めてなんですよね。意外とやる機会なくないですか?」
栞も、スイカ割りしたことないんだ。
つまり、私達はこれから初めてを共有することになる。将来栞はスイカ割りをするたびに、私と二人でした初めてのスイカ割りを思い出すかもしれない。
嬉しいな、すごく。
「あと、切り込みを入れてた方がいいみたいですね! これはなんか、聞いたことある気がします」
スマホから顔を上げた栞が、私を見て不思議そうに首を傾げた。
さらさらの髪が揺れて、いい匂いがする。
「先輩? どうしたんですか?」
「え?」
「めちゃくちゃ嬉しそうですけど……そんなにスイカ割り、楽しみになってきました?」
慌てて口を手で覆う。けれどそんなことをしても、栞を喜ばせるだけだった。
「やっぱり! ねえ先輩、今日のスイカ割りは私のおかげですよね。先輩がそんなにわくわくできるのは、私のおかげってことですよね? ね? だから、いっぱい褒めてください!」
言いながら、栞が頭を差し出してくる。撫でろ、ということなのだろう。
私は別に、スイカ割り自体がすごく楽しみなわけじゃない。初めてのことを、栞と共有できることが嬉しいだけだ。
「ほーら、早く、先輩」
「……偉いよ」
褒めて、そっと頭を撫でる。えへへ、なんて幸せそうな声をもらしながら、栞は私の手のひらに頬を寄せた。
このまま彼女にキスができたらいいのに。
「もっと」
「偉い」
「偉いだけですか?」
私の目を見つめながら、栞がゆっくりとまばたきした。大きな瞳に吸い込まれそうになって、理性を保つために大きく息を吸う。
「……偉くて、可愛い」
「それで?」
「え?」
彼女の求める言葉を口にしたと思ったのに、追加をねだるように問われて戸惑ってしまう。
栞はわざとらしく溜息を吐いた。
「偉くて可愛くて大好き! ですよ、先輩!」
調子に乗り過ぎ。
そう返した私の声には、どうあがいたって、栞への愛情が滲んでいた気がする。




