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【百合】天笠夏鈴は堕とされたい~健気で一途な後輩に堕とされる百合の話~  作者: 八星 こはく
第2章 栞は、世界で一番私のことが好き

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第33話 底のない沼

 昨日は久しぶりに、すみれのことを思い出してしまった。

 彼女のことを今の自分がどう思っているかは上手く説明できない。嫌いだ、と言いきれないくらいには、私は彼女のことを大切に思っていたから。


 ベッドから下りて机に勉強道具を広げる。なんとなく食事をする気にもなれず勉強を続けていると、昼過ぎにいきなりインターフォンが鳴った。

 立ち上がって、玄関へ向かう。セールスの類なら面倒だけれど、宅配便ならちゃんと受け取っておかないと。

 そんなことを考えながら玄関の扉を開けた瞬間、目の前に羽田はだがいた。


「せーんぱいっ! こんにちは!」

「……羽田?」

「はい! しおりんでーす! でも今日は、しおりんだけじゃないんですよ、ほらっ!」


 じゃーん! と言いながら、羽田は私の目の前に大きなスイカを差し出してきた。

 丸々としたスイカは、羽田の顔よりもずっと大きい。


「……これは?」

「スイカですよ、先輩!」

「いや、それは見れば分かるんだけど」


 分からないのは、なぜ羽田がスイカを持ってきたのか、ということだ。

 今日は塾が休みだったものの、羽田と遊ぶ約束はしていない。確か、家族で少し遠くにある業務用スーパーへ出かけることになったと言っていたはずだ。


「なんで、スイカを?」

「ほら、夏といえばスイカ割りかなって! 海には行く時間はありませんけど」


 にっこりと笑った後、羽田は一瞬だけ不安そうな顔になる。

 強引に押しかけてきて迷惑だったかも、なんていじらしいことを考えているのだろう。

 私が、天使の来訪を喜ばないはずがないのに。


「とりあえず、中に入って。スイカも、冷やした方が美味しいでしょ」

「はい! スイカも私も、きっと冷やした方が美味しいですよ!」


 そう言ってあざとく笑った羽田を見て、私は心の中で言い返した。


『羽田は絶対、冷やさない方がいい』


 その方がきっと、羽田の味が分かるから。





「えっ、今日、お母さんお休みじゃないんですか?」

「うん。土日出勤もあるから」

「……そうなんですね」


 少し落ち込んでしまった羽田の前に、冷たい麦茶が入ったコップを置く。一気に飲み干して、ありがとうございます! と羽田が笑った。


「お母さんになにか用事でもあったの?」

「はい。その、この前泊めてもらったじゃないですか。人の家に泊めてもらったんなら、ちゃんとお礼をしないとだめだってお母さんに言われて」


 そう言うと羽田は、鞄の中から箱を一つ取り出した。


「こっちはお母さんへのお礼なんです。夏鈴かりん先輩のお母さん、ゼリーとか食べられます?」


 おそらく、デパ地下で買ったフルーツゼリーの詰め合わせだ。宿泊のお礼にわざわざこんなものを用意してくれるなんて、羽田の母親はしっかりした人物なのだろう。


「うん。好きだと思う」

「よかったぁ。これ、何個か入ってるので、先輩も食べてくださいね!」

「うん」

「あっ、あとさっきのスイカは、冷えたらお庭でスイカ割りしましょうね。そのために私、スーパーで一番大きなスイカを選んだんです!」


 得意げな顔で胸を張った羽田が可愛い。今日は薄手のシャツを着ているから、胸が揺れたのがよく分かった。


「……先輩」

「なに?」

「私がいきなりきて、どう思いましたか? 迷惑でした? ……それとも、嬉しかったですか?」


 答えなんか分かりきっているだろうに、羽田はきらきらと輝く瞳でそんな質問をする。

 羽田の期待を裏切れるはずがなくて、私はあっさりと頷いてしまった。


「えー? 先輩、ちゃんと声に出して言わなきゃ分かんないですよ? ほら、言ってください。しおりに会えて嬉しいって!」


 立ち上がった羽田が、先輩ってば、と何度も私の耳元で騒いだ。羽田の息を感じるたびに、変な気を起こしてしまいそうになってしまう。


「羽田」

「栞です」


 ぷく、と頬を膨らませた羽田が、ね? と私の肩に手を置いて笑った。


 ……なんかどんどん、押しが強くなってる気がする。


 だとすればそれは確実に、私が前よりも深く羽田にハマっているということなのだろう。少なくとも出会ったばかりの羽田は、こんなにぐいぐいくる子ではなかったから。


「せーんぱい。栞ですよ? し・お・り」


 栞。しおり。シオリ。


 たった三文字だけの、でも、この世で最も愛おしい存在を示す言葉。


「私きっと、先輩が名前で呼んでくれるようになったら、先輩のことをもっと好きになっちゃうと思います」


 そう言って、羽田は笑った。小悪魔みたいな天使の笑顔。

 少しずつ、足元が崩れていくような感覚だ。羽田の魅力は底なし沼のようで、好きに終わりが見えない。


「……栞」

「はい。夏鈴先輩の栞ですよ?」


 この世の全ての幸福を詰め込んだみたいな笑顔で、羽田が笑う。この笑顔を見られるのなら、沼の底で全てを失ったって後悔しないんじゃないだろうか。

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