第32話 最初から
教室に足を踏み入れた瞬間、突き刺すような視線に全身を包まれた。
顔を上げた瞬間に教室がざわつき始める。その中心にいたのは、すみれだった。
すみれ、と名前を呼ぼうとしたのに、口が動かない。
私を見つめるすみれの目があまりにも冷たくて、私は、一歩も動けなくなってしまった。
「いやあでも俺もさ、なんか変だなとは思ってたんだよ」
「私も! 天笠さんって、全然男子に興味示してなかったし」
「ちょっと異常なくらい、すみれすみれって感じだったしね」
「……っていうか、すみれが好きだからって、わざわざ好きでもない宮野にちょっかい出して気を引くとか酷くない?」
身に覚えのない話が聞こえてきて、慌てて顔を上げる。目が合うと、クラスメート達はくすくすと笑みをもらした。
どういうこと?
すみれが……すみれが、私に告白されたって話をみんなにしたの?
それに、私が宮野にちょっかい出したってなに?
私はすみれが宮野を好きなことを知っていたし、ずっとそれが嫌だった。だけど、だからって宮野を自分に惚れさせよう、なんて思ったことはない。
そもそも私と宮野は、ろくに話をしたことすらなかったはずだ。
救いを求めるように、私は無意識のうちにすみれを見つめていた。
この期に及んでまだ、すみれが私の味方をしてくれることをどこかで期待してしまったのだろう。
この状況を作ったのは、すみれ以外にはあり得ないのに。
「……ねえ、夏鈴」
冷ややかな声で名前を呼んで、すみれが近づいてきた。
彼女の髪から香るのは知らない匂い。リップだって知らない色で、耳につけているのはイヤリングではなくピアスだった。
「聞いたよ。夏鈴、宮野に告白されたんだって?」
「……なんで」
すみれには言わないと、宮野は約束してくれたはずだ。
訳が分からなくなって宮野を見ると、面倒臭そうに舌打ちされた。
「告白後に意識してもらおうと思って猫かぶってたのに、女が好きなら先に言えよ」
「ちがっ、私は―――」
ただ、すみれが好きなの。
女とか男とかじゃなくて、そもそも恋なんて知らなかった私に、すみれがこの気持ちを教えてくれたの。
そう叫ぶことはできなかった。
「アタシね、夏鈴のこと、友達として本当に好きだった」
友達として、と前置きされたことよりも『だった』と過去形にされてしまったことが辛い。
それでも私の頭は必死に動いて『本当に』という言葉を深く脳に刻もうとする。
彼女と過ごした日々も、彼女への気持ちも、全部が本物だったのだと信じ続けるために。
「なんかさあ、それが一気になかったことにされちゃった気分だったんだよ、分かる? しかも、宮野が夏鈴を好きとかさ……なんで告白された時、アタシに言わなかったの?」
「……それは」
「てか、内心、ちょっとは思ったでしょ。アタシに勝ったって。アタシより美人だから、宮野に告白されたんだって」
やめて。
そんな目で私を見ないで。そんな声で名前を呼ばないで。
……私の大好きなすみれを、これ以上壊さないで。
「ね、夏鈴。アタシさ、夏鈴といるの疲れてたんだ。あんなこと言われる前から」
「……なんで」
「分かんないふりやめてよ。どうせ内心、思ってたんでしょ。アタシより自分の方が美人で、頭もいいって。アタシのこと、見下してたんじゃないの?」
「思ったことない、そんなこと」
私は不愛想で、すみれみたいに可愛く笑えない。勉強は得意かもしれないけれど、すみれみたいに明るく人とコミュニケーションをとることなんてできない。
すみれが私より劣っているだなんて、考えたことすらない。
「……すみれ。だって、だって私は……」
元々、自分の見た目にはあまり興味がなかった。
メイクをするようになったのも、髪のケアをちゃんとするようになったのも、すみれの影響だ。
すみれと同じようなことをすれば、すみれが、もっと私を見てくれるかと思ったから。
「もういいから。てか、元々アタシら、あんまり合うタイプじゃなかったし。これ以上、夏鈴といたくないの」
突き放すようなことを言って、すみれは私に背中を向けた。
どうしてこんなことになっちゃったの?
私が、すみれに好きだって伝えちゃったから? 宮野が、私のことを好きになっちゃったから?
違う。
すみれが、私のことを好きじゃなかったからだ。
すみれは、私のことを本当に友達だと思ってくれていたはずだ。それでも彼女にとって、私達の友情は恋心より儚いものだったのだろう。
息が苦しくなって、必死に深呼吸をする。私を馬鹿にするような声がどんどん大きくなっていく気がした。
鉛のように重たい身体を引きずって、自分の席に座る。逃げ出さないのは、逃げた先になにもないからだ。
今すぐ教室を飛び出しても、私はもう大好きだったすみれには会えない。
こんなことになるのなら、最初から、すみれのことなんて好きにならなきゃよかった。




