第31話 真夏の失敗
「どうしよう、アタシもう、生きていけない」
大袈裟な言葉を―――いや、今のすみれにとっては大袈裟でもなんでもない言葉を口にしながら、すみれは玄関に座り込んだ。
外からは蝉の鳴き声が聞こえる。とりあえず玄関の扉を閉め、冷房の効いたリビングへすみれをなんとか移動させた。
ソファーに座らせ、冷えた麦茶を運ぶ。すみれは一気にそれを飲み干すと、泣きながら話を再開した。
「……夏休みに入ってから、宮野があんまり連絡とかに返事してくれなくなったの。遊ぼうって誘っても、反応もいまいちで」
なんで、とすみれは混乱しているようだけれど、私には心当たりがある。
宮野は、私と仲良くなるためにすみれに近づいたのだと言っていた。私が彼を振った今、すみれと親しくする必要がなくなったのだろう。
「……すみれ」
名前を呼んで、彼女の背中をそっと撫でる。
悲しんだすみれは、真っ先に私のところへきてくれた。そのことを喜んでしまうのは、酷いことなのだろうか。
「すみれにはきっと、他にもいい人がいるから」
「アタシは宮野がよかったの!」
駄々っ子のように叫んで、わあっ、とすみれが泣き続ける。私にできるのは、落ち着くまですみれの傍にいることだけだ。
「……宮野、好きな人がいるって言ってた」
すみれの言葉に、一瞬で身体が冷えた。
「でも、誰かは教えてくれなくて」
ホッとして息を吐く。宮野が私の名前を出していたら、なんて想像するだけで恐ろしい。
「ねえ、夏鈴。アタシ、どうしたらいいかな? 諦めなきゃダメ? 彼女じゃなくて好きな人なら、まだいけると思う?」
どう答えたらいいのだろう。
すみれに泣き止んでほしいけれど、彼女の背中は押したくない。
結局私は、すみれに何も言ってあげられなかった。
◆
「……え」
「だからアタシ、彼氏ができたの!」
すみれがそう言ってきたのは、宮野に振られたと泣きついてきた2週間後のことだった。
「ほら、この人」
頬を赤らめたすみれが差し出してきたスマホに映っていたのは、見たこともない男の写真だった。
柔らかそうな茶髪の髪とそれなりに整った顔立ちは、宮野に似ているかもしれない。ただ、耳に光る銀色のピアスが、男が中学生ではないことを示している気がした。
どういうこと?
すみれ、宮野が好きだったんじゃないの?
塾の帰りに、いきなり会いたいとすみれに呼び出された。すみれが頼れるのは私しかいないんだ、なんて嬉しくなって、全速力でファミレスまで走ってきた。
なのに、どういうことなの?
「好きな人に振られたって違う中学の友達に愚痴ったら、紹介してくれて。格好良くない?」
「……この人、何歳?」
「高校二年生」
浮かれた顔でピースサインを浮かべたすみれを見ていると泣きたくなった。
なんで、こんな人と付き合うの。
すみれ、この人が好きだなんて全然言ってなかったじゃん。
「やっぱり同級生なんかより大人でさ、優しいの。バイトもしてるからお金も持ってて、いろんなところに連れてってくれるし」
なにそれ。
この2週間、すみれはこの人と出かけたりしてたの? 私になにも言ってくれなかったのはどうして?
「……すみれは、その人のどこを好きになったの」
「照れるって、そういう質問。まあ、顔がタイプだったとかもあるけど……やっぱり、アタシのことめっちゃ好きなところかな。自分を好きになってくれない人を好きでいるの、もうやめたから」
私の方が絶対、その男よりすみれを好きだよ。
そう言えば、なにかが変わる? すみれは、私のことを見てくれる?
「す、すみれ、あのさ……」
「どうしたの、夏鈴?」
思わず立ち上がってしまった私を見て、すみれが首を傾げる。
彼女の首筋には、虫刺されとは違う赤い痕がくっきりとついていた。
だめ、だめ。
衝動なんかに身を任せちゃ、だめ。
頭の中で警報が鳴り響いている。なんでもない、と首を振るべきだと分かっている。
それなのに、私は私をとめられなかった。
「私はすみれのこと、もっと好き。私じゃだめ? 私なら絶対、すみれのこと―――」
「え?」
すみれが顔を引きつらせた瞬間、私は、とんでもない失敗を犯してしまったことに気がついた。
「……夏鈴って、そういう意味でアタシのこと好きだったわけ?」
違うの、そうじゃないの―――とっさにそう叫べるほど、私は嘘が上手くなかった。
口の中がどんどん渇いていって、なにも言えなくなる。
こんなつもりじゃなかった。
でも、赤い痕を見たらなにも考えられなくなった。
すみれが誰かの物になってしまったことが耐えられなくて。
「……そうだよ」
すみれはなにも言わない。彼女が私の好意を喜んでいないことは明らかで、私は、伝票を掴んでその場から立ち去った。
◆
それから夏休みが終わるまでの間、すみれから連絡はこなかったし、私からも連絡をとろうとしなかった。
時折イソスタのストーリーが更新されていて、受験生だというのに、すみれは写真で見た男といつも一緒にいた。
中学生に手を出した挙句、受験生を連れまわす高校生の男。
そんな奴がまともなはずがないのに、すみれはいつも楽しそうで、私が見たことのない笑顔を浮かべていた。
私じゃだめだったんだってことは、すぐに分かった。
「夏鈴。顔色悪いけど……学校、休まなくて大丈夫?」
「うん。平気。行ってくるね、お母さん」
学校になんて行きたくない。それでも新学期が始まってしまった。
そしてそれは、私にとって、悪夢のような日々の始まりだった。




