第28話 初めての気持ち
「天笠さん、今日からよろしくね!」
佐伯すみれが話しかけてきたのは、中学一年生の11月、席替え直後のことだった。
とっくにクラス内では人間関係が完成していて、どこのグループにも属せなかった私は、朝も休み時間もずっと勉強をするか読書をしていた。
そんな私に、このクラスのリーダー格である佐伯さんが、満面の笑みで手を差し出してきたのだ。
なんで? 私なんかと隣の席になって、絶対嫌だろうに……。
「……よろしく、お願いします」
「ちょっと! なんで敬語なの? ウケるんだけど!」
なにが面白いのか分からないけれど、佐伯さんは口を開けてげらげらと笑った。からっとした笑声には、私を馬鹿にするような響きはない。
「クラスメートなんだし、敬語とかやめてよ。なんか距離感じて寂しいじゃん」
実際、私と佐伯さんの間にはかなりの距離がある。だから私が敬語を使うのは適切だと思うのだけれど、そんなことをいちいち説明する気にはなれなかった。
「……分かった」
私が頷いただけで、佐伯さんは嬉しそうに笑った。なんだか、不思議な気分になる。
「アタシさあ、ずっと天笠さんと友達になりたかったんだよね。だから席替えの結果見た時、超ラッキー! って思ったの」
「……どうして?」
佐伯さんは、クラスで最も派手なグループにいる女子だ。校則を大幅に違反した短いスカートやメイクが印象的な、お洒落な子達のグループ。
私みたいな地味で根暗な女子なんて、最も嫌いなタイプの子かと思っていたのに。
もしかしてからかわれているのだろうか。罰ゲームとか?
いやでも、それならもっとリアクションが面白そうな子をターゲットにしそうなものだけれど……。
「だって天笠さん、可愛いんだもん」
「え?」
「だからずっと気になってた。なんていうか、声かけにくい雰囲気で躊躇ってたけどさ。そうだ、天笠さん、ちょっと笑ってみてくんない?」
いきなりの無茶ぶりに、私は引きつった顔になってしまった。
笑ってみて、なんて言われても、私はすぐに表情を変えられるような演技派ではない。
すると佐伯さんは急に立ち上がり、私の脇に手を伸ばした。
「佐伯さん?」
「こうなったら、強制的に笑わせちゃうから。えいっ」
楽しそうに笑いながら、佐伯さんは私の脇をくすぐり始めた。いきなりのことに、声を出して笑ってしまう。
「ちょ、あはっ、ははっ……待って、ひゃ、ははっ……!」
くすぐられたのなんて久しぶりで、上手く我慢ができない。いつの間にか私の笑い声が教室中に響いていた。
満足したのか、佐伯さんがゆっくりと私から離れる。
「ねえ、天笠さん」
「なに?」
「なんでいつもつまんなさそうな顔してるのか知らないけど、天笠さんは絶対、笑ってた方が可愛いって!」
つまんなさそうな顔、とはなかなかに失礼だ。
けれど怒る気になれないのは、佐伯さんが眩しすぎる笑顔を浮かべているからだろうか。
「そうだ! アタシ、決めた」
「決めた?」
「うん。これからはアタシが天笠さんを笑わせてあげる。天笠さんは楽しいし、アタシも天笠さんの笑顔を見られて嬉しい。やば、これって一石二鳥じゃない? アタシ天才かも!」
一人で勝手に盛り上がって、佐伯さんは私の肩をバシバシと叩いた。めちゃくちゃ痛いのに、やっぱりこれも、怒る気にはなれない。
「というわけでこれからアタシ、天笠さんを笑わせられるように頑張ってくから!」
「……なにそれ」
私がそう返すと、佐伯さんは目を真ん丸にした。
その理由は、すぐに分かった。
中学に入学して初めて、私は自然な笑顔を人に向けていたのだ。
◆
「ねえ、天笠さん。今日、遊んで帰んない?」
私が佐伯さんから誘われたのは、彼女の隣の席になって一週間が経過した日だった。
授業以外では誰とも話すことがなかった私が、当たり前のように彼女と言葉を交わすようになってちょうど一週間でもある。
「遊んで……」
「そう。あっ、寄り道は校則違反とか、そういう真面目なこと言わないでよ?」
「別に言わないよ」
「お、天笠さんもノリノリじゃん」
嬉しそうに笑って、佐伯さんは私の肩に手を回した。いくら同性だとはいえ、彼女は他人との距離感が近すぎるように思う。
「……遊ぶって、なにするの?」
「え? あんま考えてないけど、どっかでお茶でもして帰ろうよ」
ノープランで他人を誘うなんて、私には考えられないことだ。けれど不思議と嫌な気はしない。
「分かった」
「マジ? やったー! なんか今日は授業もちゃんと頑張れそう」
「……それは、いつも頑張った方がいいと思うけど」
「はは、それはそう。天笠さんは偉いね。てか、そろそろ夏鈴って呼んでいいよね? 決まり! 夏鈴もアタシのこと、すみれって呼んで!」
きらきらと輝く瞳で、佐伯さんが私の顔を覗き込んでくる。目を逸らしたくなるほど眩しいのに、私の視線は佐伯さんに固定されてしまった。
可愛い。
どうして唐突にそう思ったのか、自分でも上手く説明できない。ただ、今まで抱いたことのない感情が胸の奥から湧き上がってくるのを感じる。
彼女と一緒にいたら、その感情の正体を知ることができるのかもしれない。
「……すみれ」
「なーに、夏鈴?」
はは、と佐伯さんが―――すみれがまた楽しそうに笑う。
その笑顔を見て、私は確信してしまった。
私はきっと、すみれに夢中になってしまう。




