第26話 私を落として
「ふふ。夏鈴先輩、目が真っ赤です。可愛い」
「……羽田」
「ほら、先輩、あーん。出会えてよかった後輩からのあーんですよ?」
調子に乗りまくった羽田が、満面の笑みでかき氷をあーん、と差し出してくる。
羽田は先程言っていた通りレモン味のかき氷を、私はブルーハワイ味のかき氷を頼んだ。そして、大混雑の休憩スペースで、なんとか空いている席を確保したのである。
私が羽田のかき氷を食べると、羽田が嬉しそうに笑う。大きく開けた口から見えた羽田の舌は、鮮やかな黄色に染まっていた。
「ねえ先輩」
「なに?」
「私、先輩のこと大好きです」
真剣な表情で言うと、だから、と羽田は言葉を続けた。
「誰かに嫌なことを言われたりとか、嫌なことをされたりしたら……私に言ってください。先輩が怒れない時は、私が変わりに怒ってあげますから」
ね? とにっこり笑った羽田は、やはり先程のことは聞いてこない。きっと中学時代の話をしても、羽田は私を気持ち悪がったり、馬鹿にしたりしないのだろう。
たぶん羽田は、私のためにちゃんと怒ってくれる。
「……羽田は優しいね」
「はい。私、可愛い上に優しいんです。でも、こんなに特別扱いするのは夏鈴先輩だけですよ?」
「ありがとう」
「こんなに可愛い私にこんなに好かれるなんて、夏鈴先輩は幸せ者なんですからね!」
私にも一口ください! と羽田が口を開けた。かき氷をプラスチックのスプーンですくって、羽田の口に運ぶ。
羽田の言葉は正しい。羽田に好かれるという幸福と比べれば、中学時代の不幸なんてちっぽけなものなのかもしれない。当時の私にとっては、世界が終わってしまうほどの絶望だったけれど。
「この後、ご飯系も食べます? たこ焼きとか焼きそばとか! 花火は……あんまり見えないでしょうけど」
有料席を買っておくべきだったかもしれませんね、と羽田がぼやく。確かに来年は、そうしてもいいかもしれない。
「……たこ焼きがいいな」
「了解です。じゃあ、かき氷食べ終わったら一緒に買いにいきましょう!」
「うん」
「お祭り、楽しいですね!」
「うん」
素直に頷くと、羽田が目を丸くした。今日の先輩は素直ですねぇ、とにやにやしながら言って、私に擦り寄ってくる。
夏祭りにきたのは中学の時以来だ。すみれに誘われて、近所の夏祭りに参加した。
あの時は……すみれ、赤い浴衣着てたな。
すみれに誘われて、私は有頂天になった。今日とは違う浴衣を着て、お母さんに髪をお団子にしてもらって、浮かれて待ち合わせ場所へ行った。
けれど、人混みの中で手を繋げるかも、なんて淡い期待はすぐに打ち砕かれた。
待ち合わせ場所にはクラスメートの男子もいて、すみれの浴衣姿は私のためのものじゃなかったから。
「……羽田は、私のためにその浴衣を選んでくれたんだよね」
「当たり前じゃないですか。今日の私、ていうかいつもですけど、先輩ウケばっかり考えてますからね? ちゃんと分かってます?」
むすっとした表情で羽田が顔を覗き込んできた。
瞼の上のラメも、ピンセットでしっかりと束を作った睫毛も、全部私のため。
メイクをする時も、浴衣を着る時も、ヘアセットをする時も、羽田はずっと私のことだけを考えてくれたのだろう。
「ねえ、羽田」
「ちょっと! 話逸らさないでくださいよ。……で、なんです?」
「……可愛い」
「へっ?」
いきなり褒められるとは思っていなかったのだろう。羽田は白い頬を真っ赤にして私を見つめた。
「本当に、可愛い」
生まれた時から、可愛い、なんて言葉は呆れるほど聞いてきただろう。それなのに私の言葉で、羽田は瞳を潤ませた。
羽田はこんなに可愛くて、真っ直ぐで、優しくて、強くて。
ただでさえ羽田のことが大好きな私は、日に日に羽田の沼に落ちてしまっている。
お願い、羽田。
早く沼の底まで、私を引きずり込んで。理性なんて壊して。
臆病な私は、羽田がもっともっと私を落としてくれるのを待っているから。
「一個、頼みがあるんだけど」
「な、なんですか……?」
「羽田のこと、抱き締めてもいい?」
返事は聞かない。戸惑った羽田をいきなり抱き締める。
さっきみたいに知り合いに見られるかもしれない。その危険性を頭の隅っこで認識しているくせに、気づかないふりをしてひたすら羽田を抱き締める。
たぶん今、私の身体はドーパミンだらけだ。
「ちょ、ちょっと夏鈴先輩……」
「お願い。あとちょっとだけでいいから」
傷ついているふりをする。本当はただ、羽田を抱き締めたいだけだ。
こんなに愛おしい存在を腕の中に抱いている時に、くだらない過去のトラウマのことなんて考えられない。
「……別に、ちょっとじゃなくていいですよ」
羽田が、そっと私の腰に手を回してくれた。とんとん、と心地いいリズムで背中を叩いてくれる。
きっと私が過去の不安から、人の温もりを求めたのだと勘違いしているのだろう。
「ありがとう」
会うたびに、言葉を交わすたびに、触れ合うたびに羽田への気持ちが積もっていく。
重くなり過ぎた気持ちが私の身体を沼の底に引きずり込んだら、たぶん、私はなにも考えられなくなる。
そしてなにも考えられなくなった私は、きっとようやく、羽田に伝えることができるのだ。
羽田に、恋をしていることを。




