第20話 幸福の一歩手前
「……狭くない?」
「狭いですけど、悪くはないです」
そう答えた羽田が私に身を寄せる。狭いベッドから落ちないようにするためには、仕方がないことだ。
冷房の効いた部屋で、2人で1枚の薄いブランケットをはおっている。2人で横たわるにはシングルベッドは狭くて、あまりにも窮屈だ。
けれど羽田の言う通り、全然、ちっとも、悪くはない。
「ねえ、先輩。先輩って、誰かを家に呼んだことあります?」
沈黙を、羽田は肯定と捉えたようだ。その解釈は間違っていない。
「じゃあ、こうやって誰かとこのベッドで眠ったこと、あります?」
「……ないよ」
勇気を出して、一緒に眠ろう、と誘ったことはある。けれど、笑って断られてしまった。ソファーでいいし、と。
結果としては私が彼女にベッドをゆずり、私がソファーで眠った。いや、ろくに眠れなかった記憶がある。
「へえ。それはいいことを聞きました」
羽田が私の手を握り、私の肩に頭をのせた。
「先輩、これからは私以外のこと、お家に誘ったりしちゃだめですよ」
誰を誘ったんですか、なんて羽田は聞いてこない。興味がないのかもしれないし、私に気を遣ってくれているのかもしれない。
そのことに安心するくせに、いっそ全部を問いただしてくれたら、なんて思ってしまう私は我儘だ。
「おやすみなさい、先輩」
「……うん、おやすみ」
枕元においてあったリモコンに手を伸ばし、部屋の電気を消す。真っ暗になった部屋で、数分も経たないうちに羽田の寝息が聞こえてきた。
暗闇の中でも、羽田はきらきらと輝いて見える。手を伸ばせば羽田の身体のどこにだって触れることができてしまう状況に、頭がくらくらしてきた。
私も羽田も、まだ子供だ。でも数年すれば私も羽田も大学生になって、一人暮らしを始めるかもしれない。
そうすればこうやって、互いの家に泊まることはより楽になるのだろう。
もし羽田と一緒に暮らせたら、毎日幸せだろうな。
朝起きて最初に羽田の顔を見て、一日の最後にも羽田の顔を見る。
割引になったコンビニ弁当だって、クリスマスの日の御馳走だって、羽田と笑いながら食べれば最高だろう。
天井に向かって手を伸ばし、そっと息を吐く。
私が勇気を出して手を伸ばすことができたら、そこに、幸福があるのだろうか。
夢や幻ではなく、現実の幸せを、私は手に入れられるのだろうか。
「かりんせんぱい……ぅん……だめですよ、他の子ばっかり見ちゃ……」
寝言だ。夢の中の私は、羽田の前でなにをしているのだろう。
「……羽田」
囁くように名前を呼ぶ。羽田はわずかに身をよじっただけで、目を覚ますことはなかった。
「……好きだよ」
眠っている羽田は、当然答えてはくれない。けれどこの言葉を口にしただけで、胸の奥が熱くなった。こみ上げてくる温かい感情は、たぶん、幸福の一歩手前にある。
目を閉じて、羽田の手をそっと握る。どきどきしているのに、同時に安心した。明日も羽田は、きっと私に可愛い笑顔を見せてくれるだろうから。
おやすみ、ともう一度心の中で伝える。どきどきしすぎて眠れないかと思ったけれど、呆気ないほどすぐ、睡魔は私の身体を支配した。
◆
「せーんぱいっ! 朝ですよ、おはようございます!」
窓から差し込む強烈な日差しと、羽田の元気いっぱいな声と、それから羽田の最高に輝く笑顔。
ゆっくりと瞼を開けた私は、ここが天国ではなく自室だと認識するまでに10秒ほど必要としてしまった。
「……おはよう……」
「先輩、朝弱いんですね」
そう言って笑う羽田の顔は、既に完成されていた。私が眠っている間にメイクを終え、髪型を整え、いつもの可愛い羽田になったらしい。
もったいないから、もっと寝顔を堪能したかったのに。
「朝ご飯どうします?」
「食パンとかならあるけど」
「わ、いいですね、それ! 一緒に焼きましょうよ」
羽田に手を引かれ、ベッドから下りる。確かまだチーズやツナ缶が残っているはずだから、それなりに美味しいトーストを作ることができるだろう。
「今日の予定、どうします? このまま先輩のお家で勉強するのもいいですよね。あっ、でも、先輩のお母さんも帰ってこられるんですよね?」
「お母さんが帰ってくるのは夜だから、気にしなくていいよ。それより羽田は、勉強道具取りに戻らなくて大丈夫?」
「問題ないです。夏期講習中、いつでも自習できるようにたくさん持ち歩いているので!」
話しながら、キッチンに移動してトースト作りを始める。
ツナとマヨネーズ、それから少しの醤油をボウルで混ぜて、食パンの上にのせた。トースターで焼けば、美味しいツナマヨトーストの完成だ。
「じゃあ、うちで勉強しよう。昼ご飯は……ピザでもとる?」
「わー! 最高ですね、それ!」
絶対そうしましょう! と羽田が飛び跳ねる。頭の先から爪先まで、全てが愛おしくて胸がいっぱいになった。




