第17話 羽田は、違うから
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
少しだけ名残惜しそうな顔をしたけれど、羽田も反対はしなかった。さすがにそろそろ帰らなければ、帰宅時間がかなり遅くなってしまう。
後は着替えて帰るだけだ。そう、これから、私達は同じ更衣室で着替える。
羽田の裸を、じっくりと見るチャンス……!
期待しているのを悟られないように冷静なふりをして、更衣室へ向かう。子連れは既に帰っているからか、更衣室はそれほど混雑していなかった。
ロッカーの鍵を開けて、羽田が着替えの入ったバッグを取り出す。そしてバッグの中から羽田が取り出したタオルを見て、私は絶望した。
それ、身体を隠しながら着替えられるタイプのタオルだ……。
どうして、この存在を思いつかなかったのだろう。学校でプールの授業が行われる時だって、私を含め大半のクラスメートはこのタイプのタオルを利用する。
というか私だって、持ってきたのは似たようなタオルだ。
「夏鈴先輩? どうかしました?」
羽田の裸を見られると思っていたから落ち込んでいます、なんて正直に答えるわけにはいかない。
なんでもない、と首を振って、静かに着替え始める。
そうか。プールにきたくらいじゃ、羽田の裸は見られないんだ。
……温泉とかなら、さすがに見られるよね?
とはいえ、真夏に温泉に誘うのは不自然だろう。どうやらしばらく、私は羽田の裸を見ることができないらしい。
でも今日は、たっぷり水着の羽田を摂取できたし。
うんうん、と頷いたところで、私はもう一つ重大なミスに気づいてしまった。
水着姿の羽田、撮ってない……!
プールではしゃぐ間、当たり前のようにスマホはロッカーにしまっていた。だから写真を撮るチャンスはなかったし、今の今までスマホの存在をすっかり忘れていた。
「夏鈴先輩? 顔色悪いですよ。疲れちゃいました?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……あのさ、羽田」
「なんです?」
「……また、こよう」
今度は必ず、羽田の水着姿を写真におさめなくては。
「もちろんです、夏鈴先輩!」
◆
「先輩、また明日!」
駅のホームで、互いに手を振り合って別れる。明日は夏期講習で、私と羽田は当たり前のように顔を合わせるのだ。
夏休みに入ってからも、羽田と会う頻度はほとんど変わっていない。
疲労で重くなった身体を引きずりつつ、家路を進む。インドア派の私にとって、一日中プールで遊ぶというのはかなり体力を消耗することなのだ。
乗り換えを済ませ、最寄り駅で電車から降りて徒歩で家へ向かう。途中、出身中学のジャージを着た何人かの中学生とすれ違った。
おそらく部活の帰りなのだろう。私が通っていた中学校は、それなりに部活動が盛んだったから。
逃げるように遠くの塾に通って、そのまま遠くの高校に進学した。
羽田と出会えたことを考えれば過去のことを少しは許せる。前は中学の制服やジャージを着た生徒とすれ違うたびに、なんとなく嫌な気持ちになっていたけれど、今は何も感じない。
家へ帰っても、まだ母はいなかった。水着を洗濯機に放り込んで、とりあえずシャワーを浴びる。
明日は朝から夕方までずっと夏期講習で、明後日も同じだ。そして来年は、今とは比べ物にならないほど忙しくなるのだろう。
シャワーを浴びながら、そっと息を吐く。頭の中に浮かぶのは、いつだって羽田の顔ばかりだ。
明日も私は羽田のことばかり考えて、羽田に会える日々に内心はしゃぐのだろう。
そしてそれは、あとしばらくの間変わらないはずだ。
「……でも」
再来年になれば、状況は大きく変わってしまう。私は大学に進学し、塾もやめる。そうなってしまえば、毎日羽田と顔を合わせることは難しい。
受験生になって忙しい羽田にはきっと、私と会うための時間なんてない。
私が望めば羽田は時間を作ってくれるかもしれないけれど、どんな理由で誘えばいいというのだろう。
分かっている。今私がやっていることは、ただ問題を先延ばしにしているだけ。
曖昧な態度をとり続けて、羽田が私をだめにしてくれることを期待しているだけ。
「ああ……」
無意識のうちに、口からみっともない声がこぼれた。
同時に、苦い記憶が頭の中に蘇ってくる。
『なんでいつもつまんなさそうな顔してるのか知らないけど、天笠さんは絶対、笑ってた方が可愛いって!』
『てか、そろそろ夏鈴って呼んでいいよね? 決まり! 夏鈴もアタシのこと、すみれって呼んで!』
眩しい笑顔と、強引な言葉。
俯いて地面ばかりを眺めていた私の前に現れた、太陽みたいな女の子。
「……違うから。羽田は、すみれとは違う」
言い聞かせるように呟く。けれど過去の傷はまだ癒えていない。同じようなことが起きてしまったらと想像するだけで、この世界から消えてしまいたくなる。
すみれは私にとって親友で、太陽で、そして―――初めて、好きになった人。
本当に好きだった。大好きだった。彼女の傍にずっといたいと思っていたし、彼女のためになら、らしくないことだって頑張ろうと思えた。
でも。
すみれは、私の太陽なんかじゃなかったんだ。




