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58話 堕ちた信徒

 ――カレドニア・商業ギルド


「ディラン様、フラム様、教国の内情調査に関しましては、クロイツ教会からの返答を待ってからとなります。ですので、今日のところはこれでお引き取りください……他に何かご質問はございますか?」


 ヴィーデンリッヒが丁寧に頭を下げる。


 ディランは腕を組み、わずかに目を伏せた。


「いや……今は大丈夫だ。十分すぎるほど話は聞けた」


「そうですか」


 ヴィーデンリッヒは静かに頷く。


「ルディ様からも、できる限り早く次のご報告を差し上げるよう仰せつかっております。しばしお待ちください」


「ああ、助かるよ」


「いえ、こちらこそ。ローレンス家としても、マナウルス教国の動きは看過できませんので」


 ヴィーデンリッヒは最後にもう一度礼をすると、二人を応接室の外まで見送った。


 廊下に出ると、先ほどまでの重苦しい空気が少しだけ薄れる。


 商業ギルドの中は忙しなく、人の出入りも激しい。帳簿を抱えて走る職員、商談を終えて足早に去っていく商人、荷運びの指示を飛ばす声……


 そのどれもが、カレドニアという街が絶えず動いていることを感じさせた。


「……で?」


 階段を下りながら、フラムが口を開く。


「で……って何だよ?」


「何だじゃないでしょ。あれだけ話を聞いておいて、どうするつもりなのかって聞いてるのよ」


 ディランは少しだけ肩を竦めた。


「どうするも何も……今は待つしかないだろうな」


「素直に待てるの?」


 疑うような視線。


「お前、俺をなんだと思ってるんだ」


「放っておくと一人で教国に乗り込みそうな男」


「……そんなことはしない」


 フラムは呆れたように息を吐いた。


「どうだかね」


「だが、今はローレンス家も警備隊も動いてる。勝手に動いて足を引っ張るほど馬鹿じゃない」


「ふ〜ん」


「本当だぞ?」


 ディランがそう答えると、フラムは少しだけ表情を和らげた。


 そのまま二人は商業ギルドの正面口を抜ける。


 外に出ると、昼に差しかかった陽射しが石畳に反射して眩しかった。通りには露店が並び、香辛料の匂いと焼きたてのパンの香りが入り混じっている。


 カレドニアらしい、活気のある昼飯時の風景だ。


「……平和ね」


 フラムがぽつりと呟く。


「そうだな」


「だから余計に気味が悪いわ。こんな風に街は普通に賑わってるのに、教国じゃ裏で人が売られて、研究に使われてるかもしれないなんて」


 その声には、怒りと戸惑いが滲んでいた。


 ディランは少しだけ視線を落とす。


「見えてないだけで、どこにでもあるのかもしれん」


「だからって……このままにはできないわ」


「ああ」


 短く返したその声には、迷いがなかった。


 しばらく無言で歩く。


 通りの向こうでは子供たちが追いかけっこをして笑い、荷馬車の御者が慌ただしく手綱を鳴らしている。日常の音が耳に入るたび、先ほど聞かされた話との落差が妙に胸に引っかかった。


「……そういえば」


 フラムが視線を前に向けたまま言う。


「その盾、ちゃんと使えそう?」


「ああ」


 ディランは背に背負った盾を軽く叩いた。


 修復されたばかりのそれは、前の姿を思わせながらも、確かな新しさを纏っている。魔獣素材を用いて補修された表面は以前よりも重厚で、それでいて不思議と手に馴染んでいた。


「流石だな、ヴォスさんもチュチュも」


「当然よ」


 フラムはどこか誇らしげに言う。


「あの二人が作ったんだから、半端なものなわけないわ」


「お前が自慢そうに言うことか?」


「……うるさいわね」


 少しだけ頬を膨らませる。


 そんな反応が可笑しくて、ディランは小さく笑った。


「でも、本当に助かった。正直、もう元には戻らないと思ってたからな」


「……そう」


 フラムはそれだけ言って視線を逸らす。


 だが、その耳がほんのり赤くなっていることに、ディランは気づかない。


 ディランが通りの方へと視線を向けると、その先から、少しずつざわめきが広がってくる。


「おい、なんだ?」


「警備隊だぞ」

「また揉め事か?」


 人垣が揺れ、何人もの人々が脇へと退いていく。


 鎧の擦れる音と、幾重もの足音が近づき……カレドニア警備隊の隊員たちが、通りを横切るように走っていくのが見えた。


 その先頭にいた男を見て、ディランは眉を上げる。


「アルフテッド殿……?」


 警備隊長アルフテッドは、こちらに気づくと足を止めた。


「ディラン殿に、フラム嬢!」


 普段は余裕を崩さない男の顔に、はっきりとした焦りが浮かんでいる。


「何かあったの?」


 問いかけると、アルフテッドは周囲を一瞥した。


「詳しい話は道すがら。お二人とも来てください」


「なんだか、穏やかじゃないな……」


「ええ、急いでください」


 その声音だけで、ただ事ではないとわかる。


 フラムが一歩前に出た。


「ただ事じゃないことは確かね」


 アルフテッドは短く息を吐き、低い声で答えた。


「尋問中だった教国の……ギュメルが突然暴れだしたのです」


「ギュメルが?」


 (確か、教会の襲撃騒動を引き起こした張本人……ここで尋問聴取する話だったが)


「尋問を開始してすぐ、苦しみ始め……」


 そこで一瞬、言葉を切る。


「理性を失ったように襲いかかってきたらしいのです」


 ディランとフラムの表情が同時に険しくなる。


「それって……」


 フラムが言いかけた言葉を、ディランが継いだ。


「教会で見た連中と同じかもしれない、ってことか」


 アルフテッドは無言で頷く。


「まだ断定はできないですが、おそらく」


 その言葉を聞いた瞬間、ディランの中で何かが切り替わった。


 教国の話を聞いた直後。

 しかも、教国で魔人や魔獣の研究をしていたギュメルが変貌したと言うなら……無関係だと思う方が難しい。


「ギュメルはどこに?」


「西外壁近くの荷置き場だ。今は住民の避難を優先している」


「わかった、急ごう」


 アルフテッドは深く頷くと、そのまま隊員たちを引き連れて通りを駆け出した。


 ディランとフラムもすぐに後を追う。


 賑やかだった商業地区を抜け、倉庫や荷車の並ぶ外縁部へ向かうにつれ、街の空気は少しずつ変わっていった。


 人の姿は減り、代わりに避難を促す警備隊の声が響く。


「離れろ! 近づくな!」


「子供を先に!」


 緊迫した空気の中、フラムが小さく呟いた。


「……嫌な感じがする」


「ああ、俺もだ」


 そう返した直後。


 前方から、耳をつんざくような悲鳴が上がった。


 次いで、何かが砕ける鈍い音。


「なんだ!?」


 アルフテッドが駆け足を速める。


 視界の先、荷置き場の一角から黒い煙が上がっていた。


 その向こうに……


「あれは……」


 ディランは足を止めかけた。


 そこにいたのは、人の形をした魔獣だった。


 黒ずんだ皮膚。

 異様に発達した腕。

 だが、その体つきは獣というよりも人に近い。


 喉の奥から絞り出すような唸り声。

 その顔は、崩れた仮面のように歪んでいる。


「……魔人」


 フラムが低く呟く。


 教会で見た異形と、よく似ていた。


 魔人の周囲には、吹き飛ばされた木箱と、地面に転がる警備隊の姿がある。まだ息はあるようだが、このままでは危ない。


「アルフ、負傷者を下がらせて!」


 フラムが声をあげると同時、ディランは両腕に盾を構え、一気に踏み込む。


「おい、こっちだ!」


 ディランの声より早く、魔人がこちらに気づいた。


 ぎょろり、と濁った目がディランを捉える。


 次の瞬間、その巨体が地を蹴った。


 信じられない速度。


「っ!」


 真正面から振り下ろされた腕を、ディランは修復された盾で受け止める。


 激しい衝撃が腕から肩へと突き抜けた。


 だが、盾には傷一つ付く様子はなかった。


「……ッ、流石だな!」


 歯を食いしばりながら受け切った瞬間、横から一閃の炎が走る。


「ディラン、下がって!」


 フラムの剣が、赤い軌跡を描きながら魔人の脇腹を斬り裂いた。


 刃に纏った炎が肉を焼き、焦げた臭いが広がる。


 魔人が苦悶のような咆哮を上げ、後ろへ跳んだ。


「やっぱり、普通の魔獣とは違うわね」


 剣を構えたまま、フラムが唇を噛む。


 ディランは盾を握り直し、目の前の異形を睨みつけた。


「教国の連中が、ギュメルの身体に何か仕掛けてたのか?」


 魔人は唸りながら、二人を見比べている。


 まるで獲物の強さを測るように。


 アルフテッドが隊員たちに指示を飛ばす。


「包囲はするな! 距離を取れ! 下手に囲めば被害が増える!」


「ですが隊長っ!」


「いいから従え!」


 隊員たちが慌てて負傷者を引きずりながら後退する。


 その間にも、魔人の体からはうっすらと黒い靄のようなものが漏れ出していた。


 フラムが眉をひそめる。


「……なに?」


「あれは……」

 (迷宮の核から溢れた黒い靄と同じ?)


 ディランは一歩、前へ出る。


「何にしても、こいつをここで止めないとな」


 その言葉に応えるように、フラムも剣を構え直した。


「言われなくても」


 炎が刃に宿る。


 揺らめく赤が、フラムの瞳にも映り込んだ。


 ディランはその隣に並び立つ。


 盾を前に、重く腰を落とす。


 魔人が低く唸り、再び地を蹴った。


 次の瞬間――


 二人は同時に駆け出した。

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