表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

トキ イチロ短編集

こんなに愛しているのに

作者: トキ イチロ

「何よ、これ……」


 私は目を疑った。

 誰もいないはずの私の部屋。今そこへ入ったところなのに、誰かが食事をした跡が残されていたのだ。テーブルの上には、空になったコンビニ弁当の容器とビールの空き缶。

 私は怯えながら周囲を見渡した。何者かが潜んでいるのかも知れない。恐る恐るリビングからキッチン、バス、トイレと見回る。が、誰の姿もなかった。

 私は深い安堵の息をついたものの、胸に残る嫌な感じに、吐き気すら覚えた。気持ち悪くて仕方がない。


――あいつだわ。


 私の頭に、一人の男が思い浮かんだ。そう、あいつの仕業に違いない。

 はじめてその男を見たのは先週の頭だった。


 仕事からの帰り。最寄の駅からマンションまでは、街灯も少なくずっと暗い道が続く。いつものように用心しながら歩き、やっとマンションが見えてきたその時、私は思わず立ちすくんだ。

 

――あの人、何してるの!?


 マンション一階には各部屋の郵便受けが並んでいるのだが、そこで知らない男が、私の部屋のそれを漁っていたのだ。

 私は両手で口を覆い、悲鳴を飲み込んだ。気付かれては何をされるか分からない。私は足音を忍ばせて来た道を戻り、とにかく明るい所へと思い、駅前の喫茶店で震えながら時間をつぶした。

 随分時間を空け、びくびくしながらマンションへ戻ってみると、そこにはもう誰もおらず、郵便受けもふたがしっかりと閉じていた。


――見間違いだったのかしら。


 郵便受けはナンバーロック式だから、簡単には開けられないはず。それに各部屋の郵便受けがここに集中しているのだし、薄暗いのだから見間違えたとも考えられる。恐がりで慌て者の自分に恥ずかしくなりながら、その日はそれ以上気にしなかった。

 でも、それで終わらなかった。

 次の日も、その男はマンションの前で待ち構えていた。私はすっかり恐くなって、すぐさま駅まで戻ると、喫茶店で時間が過ぎるのを待った。やはり時間を置くと、あの男の姿はマンションから消えていた。

 そしてそれが何日も続いた。私はマンションより先に喫茶店へ行って、ひたすら時が過ぎるのを待つようになった。恐くて仕方がない。

 

――あれ? でも……。


 喫茶店にいる私に、ふと別の考えが浮かんだ。

 あまりの恐怖に、今まで深く考えなかったのだけど、もしかしたら、あの男は私を付け狙っているんじゃないのかも知れない。思えば、最初に郵便受けを漁っている姿を見ただけで、それが私の部屋のだったかは確信が持てないし、それ以外で特にまだ何をされたという訳でもない。


――もしかしたら、そそっかしい私の自意識過剰?

 

 そんな風に思い、私は喫茶店を出ると、意を決してマンションへと向かった。


――今日もいる。


 物陰に隠れながら覗くと、やはりマンションの前に例の男が立っている。三十代半ばくらいだろうか。今までじっくり見た事は無かったが、思っていたより若い印象だった。

 私は、大丈夫きっと思い過ごしだ、と自分に言い聞かせながら、震える足でゆっくりとマンションの入り口の方へと歩き出した。極力、その男は見ないように。そう、きっと私を狙っているんじゃない。

 はずだった。


「おい……」


 男は私の姿を見ると、顔色を変え、声をかけてきた。そして、今にも駆け出してきそうになった。


「イヤ!」


 私はあまりの恐ろしさに、悲鳴をあげながら、振り返りもせずに駅の方へと走り出した。

 全力で走った。捕まれば、どんな目に合わされるか分からない。私は夢中で走り、やがていつもの喫茶店に飛び込んだ。物陰から店の外を伺うが、例の男の姿は無い。どうやら振り切ることができたらしい。私は店員の目も気にせず、荒げた息もそのままに椅子に倒れこんだ。気が狂いそうだった。


――彼に電話しよう。


 私には彼氏がいる。お互いに忙しくなかなか会えないので、普段は電話などでやり取りしている。寂しいが、それでも彼を好きだから我慢できた。そんな彼に、今起こっていることを相談しようと思ったのだ。が、思いなおした。


――駄目。心配をかけてしまう。

 

 私は忙しい彼の負担になりたくなかった。開きかけた携帯電話をしまい、その日は一晩中やっているその喫茶店で夜を過ごした。

 

 そんな事があって、私は仕事の時間を変えた。私の仕事は時間に融通が利くので、夜中に働いて、明け方に終わる、という時間帯にしたのだ。そうすれば少なくともあの男を見ずに済む。

 これはとても効果的だった。

 私はマンションまでの夜道を歩かなくてもいいし、例の男もいない。私は晴れ晴れした気持ちで部屋へと入った。

 

 でも、今。

 目の前には明らかに他の人間がいた形跡が残っている。部屋には弁当の容器と空き缶が二つ。誰かがいたことは間違いない。


「あいつだわ……」


 私は携帯電話を取り出した。彼氏に言おう。もう我慢できない。

 と、その時だった。重苦しく入り口のドアが開く音。私は息を飲んだ。


――まさか!?


 私は驚きのあまり、悲鳴をあげることさえできなかった。恐る恐る玄関を覗き込む。

 そこに一人の男が立っていた。

 

「嫌ッ!」


 逆光で顔は見えない。だが、きっとあの男に違いない。私は恐怖におののいた。男はのっそり歩いてくる。やがて近づいてきた男の顔に差し込んだ窓からの光。

 それは、私の彼だった。

 

「もう、脅かさないでよ」


 私は力が抜けその場に座り込んだ。

 良かった、彼で。こうなったら、すべてを話そう。普段は会えず、電話や手紙でやり取りをしている彼だけど、力になってもらおう。


「警察に電話して! ここに入った奴がいるのよ!」


 彼は、私の腕を掴んだ。


「ああ、分かってる。それに警察にも、もう連絡してある」


 彼はそう言うと、後ろを振りかえった。


「これは不法侵入だよな?」


 彼が背後に向かって話しかけた相手。それは、例のあの男だった。


――え?


「ああ。毎晩張り込んでいたんだが、まさか日中に入ってくるとは」


――何? どういう事?


「張り込んでくれて助かったよ。郵便受けに変な手紙は入ってるし、参ってたんだ」


――やめて。


「おい、女。ここは俺の部屋で、お前の部屋じゃない」


――嘘よ。私たち二人の部屋よ!


「言いたいことは警察で言え、このストーカー女!」


――ひどい。どうしてそんな事言うの?


 私はこんなに愛しているのに。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 遅くなりましたが、拝読しました。 最初はストーカーされる者の恐怖でビクビクしながら読み進め、ラストは逆転するという描写に、感服しました。 こういう風になってしまう人って実際にいるだろうから…
[一言] 遅くなってしまいましたが作品を拝読いたしましたので感想を残させていただきます。 タイトルを読んでいたのに見事にだまされてしまいました。 私自身も一人暮らしをしていたせいか、前半では他人事に…
[一言] 読ませていただいたので感想を。 この設定で強引さを感じさせない心理描写、中盤になっても勢いが落ちない展開力は見事です。 ストーカー女の最後が何となく哀れですね。 しかし、これだけの完成度…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ