第8話:村人の過去とサトイモの希望
ハーレインの秋は、涼しい夜風とともに静かに深まっていた。
オルティア王国の辺境の村は、依然として貧しさの中にあったが、ニーナ・ホンヘルのサトイモ畑の成功が、村に小さな変化をもたらしていた。
広場での大収穫の宴から数日、村人たちの顔には、ほのかな笑顔が浮かぶようになっていた。
子供たちは「サトイモ姉ちゃん」とニーナを呼び、畑の周りで遊び回る。
ニーナは、ふわっとした栗色の髪をポニーテールにまとめ、麻のエプロンに袖を通し、畑の世話を続けていた。
彼女の手帳には、初級鑑定スキルの記録と、村人たちの笑顔を増やすためのアイデアがびっしり書き込まれていた。
収穫の夜、広場での宴が終わった後、ニーナは村長のマリアに誘われ、彼女の家を訪ねていた。
マリアの家は、村の他の家と同じく粗末な木造だったが、暖炉の火が小さな部屋を温かく照らしていた。
焚き火のそばで、マリアは皺だらけの手で木の杯を握り、静かに語り始めた。
「ニーナさん、あんたが持ってきたサトイモ……まるで奇跡だよ」
マリアの声は、歳月を重ねた重みがあった。
ニーナは木の椅子に座り、暖炉の火を見つめながら耳を傾けた。
マリアの目には、遠い記憶をたどるような光が宿っていた。
「昔、この村は今よりずっとひどかった。飢饉が来て、作物は育たず、子供たちは次々に……私の弟も、食べ物がなくて死んだ」
マリアの声が震え、ニーナは息をのんだ。
ハーレインの貧しさは、彼女が想像していた以上の傷を村に刻んでいた。
マリアは目を伏せ、続けた。
「私はな、弟の分まで生きなきゃって、必死だった。でも、この村には希望がなかった。あんたのサトイモは、みんなの命を救ってるんだよ」
ニーナは言葉に詰まり、マリアの手をそっと握った。
皺だらけの手は冷たかったが、彼女の心は熱かった。
「マリアさん、私……もっと頑張るよ。みんなが笑顔でいられるように、サトイモでこの村を変える!」
マリアはニーナの笑顔を見て、初めて柔らかい笑みを浮かべた。
「あんたみたいな娘が来てくれて、この村は救われたよ。サトイモ、頼んだよ」
その言葉に、ニーナの胸は熱くなり、涙がこぼれそうになった。
彼女はマリアの手を強く握り返し、頷いた。
「うん、約束する! サトイモで、みんなの未来を作るよ!」
焚き火の炎が揺れ、部屋に温かな光を投げかけた。
ニーナはマリアの家を後にし、星空の下を小屋へと歩いた。
サトイモ畑の葉が月光に揺れ、静かな美しさを放つ。
彼女は畑の端に立ち、深呼吸した。
土の匂いと夜の冷気が、彼女の心を落ち着けた。
翌日、ニーナは畑で子供たちと一緒に作業をしていた。
トミとサラが、泥だらけの手でサトイモの苗をチェックしている。
彼女は子供たちに、土のほぐし方や水やりのコツを教えた。
そこに、ルークがぶっきらぼうな足取りで現れた。
彼は最近、畑に顔を出すことが多く、ニーナのサトイモに対する情熱に少しずつ感化されていた。
「ニーナ、まだ芋いじってるのか。暇じゃねえのか?」
ルークの言葉に、ニーナは笑顔で振り返った。
「暇じゃないよ、ルーク! サトイモは私の夢だもん! ほら、手伝って!」
ルークは肩をすくめ、シャベルを手に取った。
子供たちが彼をからかう。
「ルーク兄ちゃん、ニーナ姉ちゃんと一緒に芋掘るの、好きなんだろ!」
トミの言葉に、ルークの顔が赤くなり、慌てて言い返した。
「バ、バカ言うな! ただ手伝ってるだけだ!」
ニーナはくすくす笑いながら、ルークにサトイモを手渡した。
「はい、ルーク。この芋、特別に綺麗なやつ! 次の料理に使うよ!」
ルークはぶつぶつ言いながらも、サトイモを丁寧に籠に入れた。
その様子を見て、ニーナは手帳に小さなメモを書き加えた――「ルーク、照れ屋。サトイモ仲間、完全に仲間入り!」。
その夜、ニーナは小屋で新たなサトイモ料理に挑戦していた。
今回は、サトイモを薄くスライスして揚げ、ハーブの塩を振った「サトイモチップス」を試作した。
ハーレインでは油が高価だが、村の市場で交換したオリーブオイルを少しだけ使った。
カリッとした食感を目指し、彼女は火の加減を慎重に調整した。
出来上がったチップスを一口食べ、ニーナは目を輝かせた。
「うわ、カリカリ! サトイモの甘みが引き立つ! これ、子供たち喜ぶよ!」
彼女はチップスを木の皿に盛り、翌日の試食会に備えた。
子供たちだけでなく、村人たちにもサトイモの魅力を広めたかった。
彼女は手帳にアイデアを書き込んだ――「サトイモチップス、大成功。次はサトイモケーキ? 甘み活かして、デザート挑戦!」。
翌日、ニーナは広場で小さな試食会を開いた。
子供たちが真っ先に駆けつけ、トミとサラがチップスを頬張る。
「ニーナ姉ちゃん、これ、めっちゃうまい! もっとちょうだい!」
サラが目を輝かせ、トミが頷く。
「黒パンなんかより、こっちの方がずっといい!」
村人たちも少しずつ集まり、チップスを試食した。
ある中年男性が、驚いたように言った。
「お嬢さん、こんな芋がこんな味になるなんて……! まるで王都の高級菓子だ!」
ニーナは笑顔で答えた。
「ふふ、サトイモの魔法だよ! もっと作るから、みんなで食べようね!」
試食会の後、村人たちの会話にサトイモが登場するようになった。
市場で、老婆たちが「ニーナさんの芋、腹持ちがいい」と話す。
子供たちは「サトイモ姉ちゃん」と呼び、畑に遊びに来る。
ルークも、ぶっきらぼうながら畑の手伝いを続けていた。
ある日、彼はニーナにぽつりと話しかけた。
「俺さ、昔、畑仕事なんて時間の無駄だと思ってた。この村、なんも変わらないって諦めてたんだ」
ニーナはシャベルを手に、ルークを見上げた。
夕陽が彼の顔を照らし、普段のぶっきらぼうな表情に、珍しく真剣な光が宿っていた。
「でも、ニーナの情熱見てたら……なんか、変わったよ。サトイモ、悪くないな」
ニーナは微笑み、ルークの肩を叩いた。
「ルーク、ありがとう。一緒に畑やってくれて、嬉しいよ!」
ルークは照れくさそうに目を逸らし、畑に戻った。
ニーナは手帳にメモを書き加えた――「ルーク、いいやつ。サトイモで心が開いた? もっと仲良くする!」。
サトイモは、単なる作物ではなく、村の未来を繋ぐ存在だとニーナは感じていた。
子供たちの笑顔、ルークの変化、マリアの言葉――それらが、彼女の心に希望を灯した。
ある夕暮れ、彼女は畑の端で星空を見上げ、つぶやいた。
「サトイモ、この村を変えてくれてるね。私、もっと頑張るよ」
手帳に新しい夢を書き込んだ――「サトイモ祭り、準備開始! 村のみんなで、大きなお祝いを!」。
ハーレインの夜は、静かだが温かかった。
ニーナのサトイモは、村人たちの心をゆっくりと溶かし、希望の種を蒔いていた。




