第5話:畑仕事の日々と村人との絆
ハーレインの朝は、静かで冷たい霧に包まれていた。
オルティア王国の辺境に位置するこの小さな村は、王都ルミエールの華やかさとは程遠く、日の出とともに村人たちが重い足取りで動き始める。
ニーナ・ホンヘルは村外れの小さな小屋で目を覚まし、麻のエプロンを締め、いつものようにサトイモ畑へと向かった。
ふわっとした栗色の髪をポニーテールにまとめ、彼女の手には愛用のシャベルと手帳が握られている。
朝露に濡れたサトイモの小さな芽が、痩せた土から力強く顔を覗かせていた。
「よし、今日も元気そうだね。もう少し大きくなってね、サトイモ!」
ニーナは微笑みながら、初級鑑定スキルを発動した。
視界に浮かぶ透明な文字が、芽の成長が順調であることを告げる。
まだ収穫には早いが、いくつかの株が試作用に掘れるほど育っていた。
彼女はシャベルを手に、慎重に土を掘り返した。
ゴロゴロと現れた小さなサトイモは、掌に収まるほどだったが、ニーナの目には宝物のように輝いた。
「ちっちゃいけど、立派! 初めての収穫、だよ!」
彼女は興奮を抑えきれず、籠に小さなサトイモをそっと収めた。
ハーレインに来てから数週間、彼女は朝から夕方まで畑仕事に励んでいた。
痩せた土を耕し、川の砂を混ぜ、堆肥を足す。
汗と泥にまみれながらも、ニーナの心は満たされていた。
前世の日本の田舎で、家族と一緒に畑を耕した記憶が、彼女を支えていた。
畑のそばでは、村の子供たちが興味深そうにニーナを覗いていた。
やせ細った少年のトミと、ぼろぼろの服を着た少女のサラが、木の陰から顔を出している。
彼らの目は、飢えと好奇心で大きく見えた。
ニーナは笑顔で手を振った。
「トミ、サラ! 見て、これ! サトイモの初収穫だよ!」
トミが小走りで近づき、サラがその後を追った。
トミはサトイモを手に取り、怪訝な顔をした。
「お姉ちゃん、これ、ほんとに食べられるの? 石みたいだよ」
サラも頷き、大きな目でニーナを見上げた。
「うん、黒パンより美味しい?」
ニーナは笑いながら、籠から小さなサトイモを取り出した。
「ふふ、絶対美味しいよ! 今日、試作品作るから、味見しに来てね!」
子供たちは半信半疑だったが、ニーナの明るい笑顔に引き寄せられるように頷いた。
彼女は籠を抱え、小屋の小さな台所へと戻った。
ハーレインの貧しさは、食材の選択肢を極端に狭めていた。
チーズやバターはなく、市場には硬い黒パンと薄いスープ用の野菜しかない。
だが、ニーナには前世の知識とサトイモがあった。
彼女は小さな薪ストーブに火を入れ、サトイモを洗い始めた。
「よし、まずはシンプルに……サトイモサラダ、作ってみよう!」
ニーナはサトイモを蒸し、丁寧に皮をむいた。
ホクホクとした芋を木のボウルで潰し、地元のハーブと塩を混ぜる。
ハニソスは高価で手に入らないが、村で手に入る乾燥ハーブが良いアクセントになると信じていた。
彼女はスプーンで味見し、目を細めた。
「うん、いい感じ! ポテトサラダならぬ、サトイモサラダ! いける!」
夕方、小屋の窓から子供たちの顔が覗いた。
トミとサラに加え、別の子供たちも集まってきた。
ニーナは木の皿にサトイモサラダを盛り、子供たちに差し出した。
「ほら、食べてみて! サトイモの初めてのごちそうだよ!」
トミが恐る恐るスプーンで一口すくう。
サラも続き、子供たちは目を丸くした。
「うわ、美味しい! ふわっとした味!」
トミの声に、サラが頷く。
「黒パンと全然違う! もっとちょうだい!」
子供たちの笑顔が、ニーナの胸を温めた。
彼女は追加のサラダを配り、子供たちと一緒に小屋の前の地面に座った。
夕陽が畑をオレンジ色に染め、子供たちの笑い声が響く。
サラがサトイモを手に持ち、興奮気味に言った。
「ニーナ姉ちゃん、これ、ほんとにあのゴツゴツしたやつ? 魔法みたい!」
「ふふ、魔法じゃないよ。サトイモの力だよ! もっと育てて、みんなでいっぱい食べようね!」
ニーナの言葉に、子供たちは歓声を上げた。
彼女は子供たちと一緒に畑に戻り、サトイモの植え方を教えた。
トミが小さなシャベルで土を掘り、サラが水をかける。
子供たちのぎこちない動きが、ニーナには愛おしく見えた。
「こうやって、土をふわっとほぐすんだよ。サトイモ、優しく扱ってね」
ニーナが手本を見せると、子供たちは真剣に真似した。
畑仕事は重労働だが、子供たちの笑顔がニーナの疲れを癒した。
夕暮れ時、ルークが畑のそばを通りかかった。
彼はいつものぶっきらぼうな口調で声をかけた。
「まだやってるのか、ニーナ。子供まで巻き込んで、忙しいな」
ニーナは笑顔で振り返った。
「ルーク、暇なら手伝ってよ! サトイモサラダ、味見させてあげるから!」
ルークは鼻で笑い、肩をすくめた。
「まあ、暇だからな。味見くらい、してやってもいいぜ」
彼は小屋に招かれ、サトイモサラダを一口食べた。
予想外の美味しさに、ルークの目が見開いた。
「なんだこれ……腹にたまるし、悪くないな」
「でしょ! ルークもサトイモの虜になるよ!」
ニーナは得意げに笑った。
ルークは照れ隠しにそっぽを向き、ぶつぶつ言いながら畑を手伝い始めた。
子供たちとルークのぎこちない協力が、ニーナの畑に新たな活気を加えた。
その夜、ニーナは畑の端に座り、星空を見上げた。
サトイモの小さな芽が月明かりに揺れ、静かな美しさを放つ。
彼女は手帳を開き、今日の出来事をメモした――「初収穫! サトイモサラダ、大成功。子供たち、喜んでくれた。ルークも少し興味? もっと畑を広げよう!」。
「前世でも、こうやって土と向き合ってたな……」
ニーナはつぶやき、前世の家庭菜園を思い出した。
母と一緒に里芋を掘り、祖父の笑顔、家族で囲んだ食卓。
だが、ハーレインでは、彼女は誰かのためにサトイモを育てている。
子供たちの笑顔、ルークのぶっきらぼうな優しさ。
それらが、彼女の心に新しい温もりを灯した。
「ここなら、私、誰かの役に立てるよね」
ニーナはサトイモの芽をそっと撫で、微笑んだ。
ハーレインの貧しさはまだ変わらない。
だが、子供たちの笑顔とサトイモの小さな芽が、村に小さな希望を芽生えさせていた。
彼女は知らなかったが、この小さな一歩が、ハーレインの未来を変える大きな流れの始まりだった。