第15話:神官の来訪と魔女の疑い
冷たい風がハーレインの畑を撫で、凍える土に藁が敷き詰められたサトイモ畑が春を待っていた。
ニーナ・ホンヘルは厚手の麻エプロンに身を包み、ポニーテールにまとめた栗色の髪を揺らし、畑の点検を終えた。
彼女の手帳には、初級鑑定スキルの記録や図書室の夢が書き込まれ、サトイモへの愛と村への希望が詰まっていた。
「サトイモ、寒さに負けないでね。春にはもっとみんなを笑顔にするよ!」
ニーナは冷たい土に手を触れ、笑顔でつぶやいた。
だが、その朝、村に異変が訪れる。
広場にヴァリアーヌ教の紋章が刻まれた馬車が到着し、黒い外套の神官たちが降り立った。
リーダーのガルドは、鋭い目で村を見渡し、杖を地面に突いた。
「ハーレインの民よ。ヴァリアーヌ教の名のもとに、神の導きを届けに来た。しばらく滞在する」
低く響く声に、村人たちはざわめいた。
村長のマリアが杖をつき、疲れた顔で応じた。
「神官様、ようこそ。粗末な村ですが、歓迎いたします」
ガルドは冷たく頷き、六人の神官とともにマリアの家へ向かった。
ヴァリアーヌ教はオルティア王国の国教で、その神官たちは王都の権力を背景にしていた。
辺境の村に長く滞在するのは異例で、村人たちの間に不安が広がった。
ルークが畑の端でニーナに囁いた。
「ニーナ、あの神官たち、なんか怪しい。修行だなんて言ってるが、目がギラギラしてるぞ」
ニーナは初級鑑定スキルをそっと発動。
神官の荷物に目を向けると、視界に「調査書類」「封印された巻物」の文字が浮かんだ。
胸に冷たい予感が走る。
「ルーク、ひょっとして……サトイモを調べに来た? でも、なんで神官が?」
ルークは眉をひそめ、拳を握った。
「王都の奴ら、妙な芋が金になるって気づいたんじゃねえか。気をつけろよ」
数日間、神官たちは村に留まり、マリアを接待で忙殺した。
彼女の顔には疲れが滲み、村人たちは密かに話し合った。
神官たちが「サトイモ令嬢」の噂を聞きつけ、ニーナを探っているらしい。
マリアはルークや子供たちに、ニーナを神官の目から遠ざけるよう指示した。
「ニーナさんを守るんだ。あの芋は俺たちの希望だよ」
村人たちは連携し、ニーナを小屋や畑に隠した。
だが、ニーナ自身はそんな事情を知らされていなかった。
彼女はマリアの疲れた姿を見て、村の重役たちを労うため、サトイモスープを振る舞うことにした。
「みんな、頑張ってくれてるんだもん。サトイモスープで元気出してほしいな!」
ニーナは小屋の薪ストーブでスープを仕込んだ。
サトイモを丁寧に蒸し、潰してハーブと塩で味付け。
野草の彩りを加え、温かな香りが小屋を満たした。
彼女はスープを木の桶に詰め、広場へ向かった。
トミとサラが駆け寄り、目を輝かせた。
「ニーナ姉ちゃん、いい匂い! スープ、くれる?」
「ふふ、もちろん! 村長さんたちにも分けてあげようね!」
広場にはマリアや重役たちが集まり、神官たちと堅苦しい話をしていた。
ニーナが笑顔で桶を置くと、村人たちの顔がほころんだ。
だが、その瞬間、ガルドの鋭い視線がニーナを捉えた。
彼は立ち上がり、杖を突きながら近づいた。
「お前が……サトイモ令嬢か?」
ニーナは目を丸くし、スプーンを握ったまま固まった。
「え、はい? ニーナ・ホンヘルですけど……サトイモ令嬢って、誰?」
ガルドの目が細まり、冷たく響いた。
「その芋だ。魔法の芋とやらで村を惑わせているな。魔女ではないのか?」
村人たちが息をのんだ。
マリアが杖を握り、前に出た。
「神官様、ニーナさんは我々の恩人だ。魔女だなんて、冗談だろう!」
だが、ガルドは調査書類を取り出し、読み上げた。
「サトイモなる作物、観賞用として知られ、食用は異端。異常な収穫量と村人の熱狂は、魔術の疑いあり。ニーナ・ホンヘル、異端審問にかけねばならん」
ニーナの心臓が跳ねた。
異端審問――それはヴァリアーヌ教が魔術や異端者を裁く恐ろしい儀式だ。
ルークが怒りを抑えきれず叫んだ。
「ふざけんな! ニーナのサトイモは俺たちの命を救ったんだ! 魔術じゃねえ!」
トミとサラも声を上げた。
「ニーナ姉ちゃんは魔女じゃない! サトイモ姫だよ!」
村人たちが一斉に抗議し、広場は騒然となった。
ニーナは混乱の中、初級鑑定スキルを神官の書類にそっと向けた。
視界に浮かぶ文字が「王都商会の依頼書」を示し、彼女は息をのんだ。
「これ……王都の商会がサトイモを独占しようとして、神官を動かしたんだ!」
ニーナは桶を置き、ガルドに一歩踏み出した。
「神官様、私のサトイモは魔法じゃない。土と汗と愛で育てた作物です。魔女だなんて、ありえない!」
ガルドは冷笑し、書類を振りかざした。
「その弁明は審問で聞こう。王都へ連行する」
村人たちがニーナを囲み、ルークがガルドを睨んだ。
「ニーナを連れてくなら、俺たち全員を連れてけ!」
マリアが杖を振り、叫んだ。
「ハーレインのサトイモは俺たちの誇りだ! ニーナさんを渡さん!」
子供たちが「サトイモ姫!」と叫び、村人たちの団結がガルドを圧倒した。
彼は一瞬たじろいだが、杖を握り直し、声を荒げた。
「異端を庇うなら、村ごと裁く!」
その時、リリィが広場に飛び込んできた。
彼女はエリザからの手紙を手に、息を切らしながら叫んだ。
「神官様、待って! ホンヘル家からの書状です!」
ガルドが書状を受け取り、顔をしかめた。
そこには、エリザの署名と「ニーナのサトイモはホンヘル家の誇り。異端の疑いは誤解」と書かれていた。
ニーナは驚き、リリィを見つめた。
「リリィ、姉さんが……?」
リリィは頷き、笑った。
「お嬢様、エリザお嬢様もサトイモの味、認めたんですよ!」
村人たちが歓声を上げ、ガルドは書状を握り潰した。
「ふん……今回は見ず。だが、サトイモの監視は続ける」
神官たちは馬車に乗り、村を去った。
広場に静寂が戻り、ニーナはスープの桶を抱えた。
「みんな、ありがとう……サトイモ、守れたよ」
マリアが笑い、肩を叩いた。
「ニーナさん、あんたの芋は村の魂だ。神官も敵わんよ」
ルークは照れくさそうに言った。
「ったく、無茶するなよ。けど……悪くなかったぜ」
子供たちがニーナに飛びつき、トミが叫んだ。
「サトイモ姫、魔女じゃない! 最高だ!」
その夜、ニーナは小屋で手帳を開き、メモを書き込んだ――「神官追い返した! サトイモと村、守れた! 姉さん、リリィ、ありがとう。次は図書室とサトイモ、もっと広げる!」
星空の下、彼女は畑の端でサトイモの藁を撫でた。
冷たい風が吹く中、彼女はつぶやいた。
「サトイモ、ありがとう。あなたのおかげで、村が家族になったよ」
ハーレインの夜は冷たく、だが熱い希望に満ちていた。
ニーナのサトイモは、村を超え、未来を照らし始めていた。