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サトイモ令嬢のスローライフ  作者: 海老川ピコ
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第1話:王都の庭とサトイモの出会い

 オルティア王国の王都ルミエールは、陽光を浴びて輝く白亜の城壁に囲まれた華やかな都だった。


「これはいわゆるタンポポか……こっちはハルジオン」


 石畳の通りには馬車の車輪が軽快な音を響かせ、貴族たちの館には色とりどりの花が咲き乱れる。

 だが、ホンヘル男爵家の庭は、その華やかさとは一線を画していた。

 整然とした花壇の代わりに、雑草と珍奇な植物が混在するカオスな空間。

 そこは、15歳のニーナ・ホンヘルにとって、まるで宝の山だった。

 ニーナは転生者だった。

 前世では日本の片田舎で、家族と小さな家庭菜園を営む平凡な生活を送っていた。

 週末には畑で土をいじり、収穫した野菜で煮物や味噌汁を作るのが楽しみだった。

 そんな彼女が目覚めたのは、オルティア王国の下級貴族、ホンヘル男爵家の次女としてだった。

 転生時に授かったスキルは「初級鑑定」。

 戦闘や魔法のような派手さはないが、植物や素材の性質を見抜くには十分な能力だった。

 ニーナは、この地味なスキルが自分にぴったりだと感じていた。


「ふむ、この葉っぱは……ただのクローバー。食用には向かないな。こっちの実は……うわ、毒! 危ない危ない!」


 朝露に濡れた庭の片隅で、ニーナは小さな革の手帳に鑑定結果を書き込んでいた。

 ふわっとした栗色の髪をポニーテールにまとめ、動きやすい麻のエプロンを着けた彼女は、貴族の令嬢というより農家の娘のようだった。

 陽光が木々の隙間から差し込み、彼女の頬にまだらな影を落とす。

 土の匂い、草のざらつき、朝の清涼な空気――それらは、ニーナの心を前世の田舎暮らしへと引き戻した。


「やっぱり、土っていいよね。生きてる感じがする」


 彼女は独り言をつぶやきながら、土を指でほぐした。

 前世の記憶は、時折鮮明に蘇る。

 母と一緒に里芋の煮っころがしを作った夕暮れ、祖父が教えてくれた畑の知恵、家族で囲んだ食卓の笑顔。

 だが、この世界では、貴族の令嬢として振る舞うことが求められる。

 ドレスを着てパーティーに顔を出し、優雅に微笑む――そんな生活は、ニーナには息苦しかった。


「お嬢様! また庭で泥だらけになって! お父様に見られたら、なんて言われるか……!」


 高い声が庭に響いた。

 振り返ると、侍女のリリィが手を腰に当て、半ば呆れた顔で立っていた。

 リリィは18歳、赤毛をきつく結い上げた生真面目な少女だ。

 ホンヘル家に仕えて3年、ニーナの「変わった趣味」に頭を悩ませていた。


「大丈夫、リリィ! お父様は書斎にこもってるから、庭には来ないよ。それに、ほら! こんなすごいもの見つけた!」


 ニーナが誇らしげに掲げたのは、ゴツゴツした奇妙な塊だった。

 土を払うと、表面のざらつきが朝陽に照らされ、鈍い光沢を放つ。

 彼女は心の中で「初級鑑定」を発動した。

 視界に浮かぶ透明な文字が、塊の正体を告げる――「サトイモ」。


「サトイモ! やった! 煮っころがし、味噌汁、フライ……ああ、懐かしい!」


 ニーナの声が弾んだ。

 前世で愛した里芋が、この世界で目の前に現れた瞬間、彼女の心は高揚で満たされた。

 だが、リリィは眉をひそめた。


「サトイモ……? お嬢様、それ、庭の観賞植物じゃないですか? 食用だなんて、聞いたことありませんよ」


 ニーナはにやりと笑った。


「ふふ、リリィには分からないかもしれないけど、これは宝物なの! この世界じゃ観賞用かもしれないけど、私には最高のご馳走!」


 オルティア王国では、サトイモは「エキゾチックな装飾品」として貴族の庭に植えられていた。

 100年前、遠方の交易商が持ち込んだこの植物は、その奇妙な形と育てやすさから、庭園愛好家の間で流行した。

 今では貴族の庭の隅で当たり前のように、ひっそりと植えられている定番アイテムだった。

 しかし、誰もその食用価値に気づかなかった。

 ニーナは、それがもったいないと思った。

 彼女の前世の知識では、サトイモはホクホクとした食感と優しい甘みが魅力の、食卓の主役だ。


「よーし、早速掘ってみよう!」


 ニーナは小さなシャベルを手に、土を丁寧に掘り返した。

 サトイモの根茎がゴロゴロと現れるたび、彼女の目は輝いた。

 リリィは心配そうに見守る。


「お嬢様、もし毒だったらどうするんですか? 試しに食べるなんて……」

「大丈夫、鑑定スキルで確認済みよ。食用、栄養価高め、調理方法は煮るか焼くか蒸すか。完璧!」


 ニーナは収穫したサトイモを籠に放り込み、鼻歌を歌いながら厨房へ向かった。

 ホンヘル家の厨房は、貴族の館としては質素だった。

 男爵家は下級貴族で、財力は乏しい。

 豪華な食材や専属の料理人はおらず、料理人のトムが一人で切り盛りしていた。

 トムは40代の無骨な男で、ニーナの突飛な行動には慣れっこだった。


「ニーナお嬢様、また何か妙なもの持ってきたな? それ、なんだ? 庭の飾り物の芋だろ?」


 トムが鍋をかき混ぜながら怪訝な顔をする。

 ニーナは籠をドンと置いた。


「トム、これ、サトイモ! 観賞用だなんて、もったいないよ。食べられるんだから!」

「食べられる? そんなゴツゴツしたもん、毒キノコみたいだぞ」

「ふふ、任せて! 皮をむいて煮れば、ホクホクで最高に美味しいんだから!」


 ニーナはエプロンを締め直し、調理に取りかかった。

 サトイモの皮を丁寧にむき、ゴロゴロと切る。

 オルティアには醤油がないため、代わりに地元の甘辛い調味料「ハニソス」を使うことにした。

 蜂蜜とハーブを煮詰めたこの調味料は、煮っころがしにぴったりだとニーナは確信していた。

 鍋に水とハニソスを入れ、サトイモをコトコト煮込む。

 厨房に甘い香りが漂い始め、トムが興味深そうに覗き込んだ。


「へえ、いい匂いだな。ほんとに食えるのか?」

「もちろん! もうちょっと待ってて!」


 ニーナは鍋を火から下ろし、木のスプーンでサトイモをすくった。

 ほっくりとした芋は、湯気を上げながら黄金色に輝いている。

 彼女はひと口食べ、目を閉じた。

 柔らかな食感、ほのかな甘み、ハニソスの香ばしい風味――それは、前世の母の煮っころがしを思い起こさせた。


「うーん、最高! サトイモ、やっぱりあなたは私のソウルフード!」


 ニーナの頬が緩む。

 トムが恐る恐る一口食べ、目を丸くした。


「なんだこれ……! 腹にたまるし、うまい! お嬢様、こりゃ驚きだ!」

「でしょ! トム、もっと作るから、家族には内緒ね!」


 ニーナはウインクした。

 ホンヘル家の食卓は、貴族らしい豪華なローストやスープが並ぶが、ニーナには物足りなかった。

 肉やパンは悪くないが、彼女の心を満たすのは、土の恵みから生まれる素朴な味だった。

 その夜、ニーナは自分の部屋でサトイモの煮っころがしを堪能した。

 小さな木のテーブルに皿を置き、窓から差し込む月光の下で食べる。

 外では夜風が木々を揺らし、遠くでフクロウの声が響く。

 彼女は手帳を開き、サトイモの調理法や育て方をメモした。


「次は……サトイモの揚げ物、試してみようかな。油は高いけど、トムに相談すればなんとか……」


 ニーナの頭は、すでに次のサトイモ料理でいっぱいだった。

 だが、ふと手を止め、窓の外を見やった。

 王都の夜景は美しかったが、彼女にはどこか冷たく感じられた。

 貴族社会の華やかさは、ニーナの心に響かない。

 姉のエリザは社交界で輝き、父は政治に忙しく、母は体が弱く寝込んでいる。

 家族との会話は少なく、ニーナはいつも一人だった。


「前世の家族は、いつも一緒にご飯食べてたのに……」


 彼女は小さくつぶやき、サトイモをもう一口食べた。

 その温かな味が、孤独を少しだけ癒してくれた。

 翌日、ニーナは庭の奥に小さなサトイモ畑を作ることにした。

 ホンヘル家の庭は広く、誰も使わない一角があった。

 彼女は初級鑑定で土の状態を調べ、水はけの良い場所を選んだ。

 シャベルで土を掘り、丁寧にサトイモを植え付ける。

 汗が額を伝い、エプロンは泥だらけになったが、ニーナの心は満たされていた。


「お嬢様、ほんとにこんなことしてていいんですか? エリザお嬢様みたいに、ドレス着てパーティーの準備した方が……」


 リリィがまた心配そうに声をかける。

 ニーナは笑顔で振り返った。


「リリィ、エリザ姉さんは姉さんで輝いてるよ。私は、こうやって土とサトイモと一緒にいるのが幸せなの」


 リリィはため息をついたが、ニーナの笑顔に負けた。


「もう、お嬢様には敵いませんね。でも、泥だらけのドレスは私が洗いますから!」

「ありがと、リリィ! 今度、サトイモ料理ごちそうするね!」


 ニーナはシャベルを手に、畑の続きに取りかかった。

 土をほぐす音、鳥のさえずり、遠くの馬車の音――それらが、彼女の日常を彩った。

 サトイモ畑はまだ小さいが、ニーナには未来の希望に見えた。

 数日後、ニーナは再び厨房に立った。

 今度はサトイモを薄くスライスし、油で揚げてみることにした。

 トーリタリア産のオリーブオイルは高価だが、トムが「試作用なら」と渋々貸してくれた。

 カリッとした食感を目指し、ニーナは慎重に油の温度を調整。

 出来上がったサトイモチップスは、塩を振ってシンプルに仕上げた。


「トム、味見して!」


 ニーナが皿を差し出す。

 トムは半信半疑で一口食べ、感嘆の声を上げた。


「お嬢様、こりゃ……まるで高級菓子だ! 王都の貴族に売ったら、儲かりそうだぞ!」

「売るのはまだいいよ。まずは私が楽しみたい!」


 ニーナは笑いながら、チップスを頬張った。

 カリカリの食感とサトイモの甘みが絶妙にマッチし、彼女は満足げに頷いた。

 この小さな幸せが、ニーナの心を支えた。

 だが、ホンヘル家の雰囲気は日に日に重くなっていた。

 エリザは社交界での成功に夢中で、ニーナを「地味な妹」と見下す。

 父は王都の政治に追われ、ニーナの庭仕事に無関心。

 母は病床で、彼女と話す機会は少ない。

 ニーナは家族との距離を感じながらも、サトイモ畑に救いを求めていた。


 ある夕暮れ、ニーナは畑の端に座り、夕陽を眺めた。

 オレンジ色の光がサトイモの葉を照らし、まるで金色の絨毯のようだった。

 彼女は手帳に新しいメモを加えた――「サトイモのグラタン、試作予定。ハニソスとハーブで、クリーミーな味を……」。


「この世界でも、私の居場所はここにあるよね」


 ニーナはサトイモの葉をそっと撫で、微笑んだ。

 彼女のサトイモライフは、こうして静かに始まった。

 だが、この穏やかな日々が、間もなく試練に直面することは、彼女自身まだ知らなかった。



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