6.再会のごはん ― いつもの顔で、秘密の裏側
土曜の午後、どこか春の終わりを感じさせる穏やかな空気。
駅前の小さな洋食屋で、尚人は先に席についていた。
手元の水に指先をくぐらせながら、落ち着かない心をなだめる。
(ふつうに会うだけ。ふつうに……いつもみたいに、ただ、姉ちゃんとごはんを食べるだけ)
けれど、胸の奥には“あのやりとり”がずっと残っていた。
彼女の最後のひとこと――「そのお姉さん、きっと素敵な人ですね」
まるで、自分の正体を知っているような、あたたかな言葉だった。
「…尚人?」
その声に顔を上げると、ことりが軽やかなワンピース姿で立っていた。
いつもより、少しだけ大人っぽい。けど、笑顔は変わらない。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たとこ」
テーブルに向かい合って座るふたり。
けれど、その間には――たったひとつの秘密をはさんで、微妙な静けさが流れていた。
「最近どう?仕事忙しい?」
「まぁ…それなりに。姉ちゃんは?」
「んー…忙しいけど、趣味に逃げてるかも。ちょっと、凝ってることがあってね」
ことりは笑いながら言ったけど、尚人はドキッとした。
(趣味……?まさか、それって――)
「へぇ。どんな趣味?」
何気ないふりをした問い。
でも尚人の声には、わずかに揺れがあった。
「…んー、秘密♪」
ことりは少しおどけた表情でスプーンを口に運ぶ。
けれど、その目は――尚人の瞳を、まっすぐに見ていた。
(知ってる……? 尚人)
(まさか……気づいてる……? ことり姉ちゃん)
気づいているのに、言えない。
言いたいのに、言わない。
まるで、お互いの心に手を伸ばしながら、ガラス越しで触れようとしているような感覚。
「そうだ、今度〇〇の展示やってるんだって。行ってみる?」
ことりが、話題を変えるように言った。
「…うん、いいね。たまには姉弟でお出かけも悪くない」
その言葉に、ことりは少しだけ笑みを深くした。
「じゃあ……次は、ちょっとオシャレしてこよっかな。どんな服が似合うかな?」
「…そうだね、例えば……軍服とか。意外と似合うかもよ?」
尚人のその一言に、ことりの手がピクリと止まる。
沈黙。ほんの数秒の沈黙。
でも――ことりは笑った。
「そっかぁ、似合いそう? 嬉しいな」
まるで、答え合わせのように。
ごはんを食べ終え、ふたりは並んで歩く。
駅までの短い道。沈む夕日と、少し冷たい風。
「じゃあ、またね。次は展示、行こっか」
「うん。楽しみにしてる」
電車に乗る尚人の背中を見送ってから、ことりはぽつりとつぶやいた。
「――やっぱり、気づいてるよね」
でも、それでよかった。
今はまだ、“姉と弟”という名前の役を――
ちゃんと、演じきろう。
きっと、それもやさしさだから。