4.静かな目覚め ― 鏡の前の小さな変化
夕暮れどき。
アパートの部屋に、橙色の光が差し込んでいた。
尚人は、休日の片付けの途中でふと、紙袋の中に入っていた姉からのおすそ分けを思い出した。
先日、ことりが撮影後にくれたもの。
「これ、余った小物なんだけど、興味あったらどうぞ〜ってやつ。
使わなくてもいいから、なんとなく♪」
――そんな、軽い感じで手渡された袋の中。
そこには、小さなリボン付きのチョーカーと、
綺麗に梳かれたシルバーのロングウィッグが入っていた。
(あのキャラの……)
尚人はウィッグをそっと手に取る。
指先に感じる、柔らかな繊維。
顔に少しあててみると、姉が言っていたとおり――
確かに中性的な雰囲気になりそうな、そんな気がした。
(似合いそう……って言ってたっけ、姉ちゃん)
冗談半分のような、でも、ちゃんと見ていてくれた声。
尚人は、ためらいながらも、鏡の前に立った。
机の上に置いてあった黒いパーカーを脱ぎ、
代わりにシンプルな白シャツを羽織って、
首元にチョーカーをそっと結ぶ。
髪はウィッグを完全には被らず、ただ軽く乗せるだけ。
でも、それだけで――鏡の中の自分は、
“いつもの尚人”じゃなかった。
(あれ……これ、思ってたより……)
照れくささよりも、不思議と“落ち着く感覚”があった。
まるで、“もうひとりの自分”と対面しているような、そんな感覚。
尚人は、ウィッグの毛先を少し整えながら、
思わず小さく呟いた。
「……こんな俺でも、やってみたら、アリなのかな」
その瞬間。
心の奥に、ぽっと灯がともる。
(姉ちゃんは、きっと笑ってくれる気がする。
“うん、似合ってるじゃん”って)
その夜、尚人はことりにLINEを送らなかった。
まだ、伝えるには勇気が足りなかったから。
でも――
ベッドサイドの小物棚には、
さっきのチョーカーが、そっと飾られていた。
それは、きっと。
小さな“はじまり”の証だった。