3.きっかけの予感 ― 姉の、何気ないひとこと
ある土曜日の午後。
姉のことりの家に遊びに来た尚人は、のんびりソファでお茶を飲んでいた。
部屋の隅には、撮影用にまとめられた衣装ケースと、ウィッグスタンド。
ふわりと揺れるシルバーのロングウィッグが、陽の光を反射して綺麗に輝いていた。
「これ……この前の撮影で使ったやつ?」
尚人が何気なく聞くと、ことりはにっこり笑って頷いた。
「そうそう。新しい衣装のキャラでね。ちょっとクセある性格なんだけど、
そのぶん演じるのが楽しかったよ〜♪」
尚人は、興味を隠せないままウィッグをちらっと見ていた。
すると、ことりがふと、何気ない口調で言った。
「……実はね、そのキャラ、性別的には“男の娘”設定なんだよ」
「え、そうなんだ…!」
「うん。細身で中性的な雰囲気で、ちょっとだけ人をからかうのが得意。
……なんかね、尚人に似合いそうだな〜って思ったんだ。ちょっとだけね?」
尚人は、その言葉に思わず顔を赤らめた。
「え、な、なにそれ……冗談だろ?」
「ふふっ、半分冗談、半分本気。
でもね、尚人って顔立ちもキレイだし、
なんていうか――“雰囲気をまとえるタイプ”だと思うんだよね」
ウィッグにそっと触れながら、ことりは優しく微笑む。
強くすすめたり、押しつけたりはしない。
でも、明らかに“きっかけ”を手渡すような、やわらかい眼差しだった。
尚人は照れたように目を逸らしながらも、
心の奥に、確かに“なにか”が残っていた。
(似合う……って、言われた)
それは――はじめて、自分が“やる側”として名前を呼ばれた瞬間だった。
帰り道、尚人はスマホのメモに、ひとことだけ残した。
「男の娘 キャラ コスプレ 衣装 難易度」
(……検索するだけなら、いいよな)
それがどれほど大きな一歩か。
まだ本人は知らなかったけど――
お姉ちゃんは、静かに笑っていた。