島と傷と嵐の予感 第五十話 時間との戦い、自分との戦い
どうも、たこ助です。
前回、理音の高熱と巨大な台風、そして不気味な地震と、立て続けに災難に見舞われてしまいました。仲間を助けるためにカジヤ船長に連絡を取り、嵐の中、救助に向かってもらっていますが、タイムリミットは刻一刻と迫っています。
そんな中、さらに大きな揺れがキクハウスを襲い、僕の意識はそこで途絶えてしまいました。
果たして、僕たちは、そして理音は無事なのでしょうか。
絶望的な状況から、物語は再開します。
「ポッポー……」
日が明けて俺のシフトの時間になった。
菊次郎によれば体温も脈拍も少し上がってきているらしい。
「体温が四十.二度まで上がりました。脈も百二十台です……点滴は今交換しましたが……」
その目には疲労以上に、絶望に近い感情が込められていたように感じた。
俺は急いで理音のもとに向かい、その手を握りしめると、顔を拭き、少し湿ったタオルケットを替えてやろうとそれを捲った。
すると理音は下半身に何も身に着けておらず、腰にはオムツのようにバスタオルが巻き付けられていた。
部屋には少しだけ、刺激臭が漂った……
(そうだよな、もう二日目だもんな……あのとき瀬蓮さんが夕花に耳打ちしていたのは、このことだったのか……)
俺はその部分には目をやらないようにしながら、タオルケットを交換した。
あとは夕花に任せるしかないだろう。
「コトコトコトコト……」
昨日からの微弱な地震も続いておりさらなる不安が襲ってきたが、今は理音の看病に集中しなければいけないのでそれ以外はなるべく考えないようにした。
そうしてパンなどで軽い食事を摂りつつ看病を続け、嵐がさらに強まる気配を見せていた夕暮れの、瀬蓮さんのシフトのときだった。
シフトが終わって休もうとしてもなかなか眠れない俺は、理音の部屋に足を運んだ。
「碧斗クン……」
瀬蓮さんが俺を見ると、真剣な表情で語りかけてきた。
「今すぐじゃないけど、そろそろ危ないわ……熱も四十度を超えたままだし、このまま何日も待っていたら、合併症や後遺症、最悪の場合、急変するかもしれない……外部と連絡を取って、救援を要請したほうがいいかもしれないわ……」
瀬蓮さんのその言葉を聞いて俺は愕然とした。
(危ない……まさか……)
俺は数秒、その場に立ち尽くしたかもしれない。
しかしすぐに衛星電話に駆け寄ると、一・一・九を、最後の九を押す前に受話器を切ると、スマホを取り出して“タナカ海運”を検索した。
いくつかのサイトが表示されたが、四ページ目になってようやく“海の宅配便 人でもモノでもなんでも……”の文字を発見した。
すぐさまリンクをクリックすると、派手な配色にJavaスクリプトもCSSも使っていなさそうなシンプルなホームページが現れ、あの波長丸の写真が大きく表示された。
ページ下部に電話番号があったのでその番号をスマホにメモすると、急いで衛星電話でその番号をダイアルした。
「トゥルル、トゥルル……トゥルル、トゥルル……」
衛星電話だからなのか、普通の呼び出し音と違う音が聞こえた。
数秒待って応答があった。
(バゥッ、バゥッ)
犬の鳴き声や、テレビの音が微かに聞こえる。
「もしもし、タナカ海運さんですか?」
また数秒の犬の鳴き声の後
「ハロ?……」
と老婆のような声で応答があった。
「もしもし? タナカ海運さんの電話でいいですか!?」
俺は慌てて自分の名前も名乗らずにさらに声を張り上げて受話器の向こうの相手に尋ねた。
「オンスキュル? ヴァ・スィーア・ドゥ? ノー……ノーイングリッシュ?……」
言葉の意味がわからなかったが、俺は相手が老人みたいなので、もう一度はっきり、ゆっくりと発音してみせた。
「もしもし? タ・ナ・カ・か・い・う・ん・さ・ん・で・す・か?」
また数秒の沈黙の後
「…………アー……ソーリー……ノータナカ、ゥロング… ゥロング・ナンバー。ファヴェル……ガチャリ……ツー、ツー、ツー……」
(あれ? おかしいな、日本語じゃあなかったぞ? 外国人の事務員さんなのか?)
俺は急いでもう一度同じ番号にかけ直した。
「もしもし、タナカ海運さんの電話でよろしいですか?」
すると、また数秒の沈黙の後、今度はガチャッ! と激しく受話器が置かれて通話が切れてしまった。
「あれー? おかしいなー!? 番号はあってるはずなのに……」
俺はかけた電話番号を確認して、そういえばカジヤに衛星電話のかけ方を教えてもらったとき、国際番号を頭に付けると言っていたことを思い出し、急いでもう一度ダイヤルし直した。
「えーと、たしか日本は八十一だって言ってたから、81045xxxxxxxx」
「トゥルルルルル、トゥルルルルル……カチャリ……トゥルルルルル、トゥルルルルル……」
一度何かが切り替わったような音のあと呼び出し音が続くとすぐに通話が繋がった。
するとすぐに聞き慣れた声で応答があった。
「ハイ! こちらタナカ海運です! 人でもモノでも何でもお運びいたします! ご要件は何でしょう!」
カジヤの声だった。
「あ、タナカ海運さんですか! 僕、七河です。七河碧斗です。カジヤ船長ですか!?」
俺はホッとするのも束の間、すぐさまカジヤに切迫した声で状況を説明した。
「……そうか理音ちゃんが……わかった! 今ちょうど台風のせいで屋久島のツアーを中止して鹿児島港にいるんだ。給油してすぐに向かう。シケっているだろうから給油時間を入れて、8時間から10時間で迎えにいけるだろう。この風じゃあ多分ヘリも無理だから俺達がすぐに向かう! 理音ちゃんをしっかり看病してやっていてくれ! プチッ!」
さっきとは違い、今度のガチャ切り(プチ切り)には、笑顔が溢れた。
俺は急いで瀬蓮さんのもとに向かうと、カジヤが言っていた時間を告げた。
「十時間、往復二十時間……ほんとうにギリギリね……でもその人が言っていたように、この台風ではヘリも飛行機も難しいでしょう。賭けるしかないわ……碧斗クン、こんな嵐の中に悪いけど、理音ちゃんに解熱剤を点滴したいの。倉庫に行って取ってきてくれる?」
俺はその言葉が終わるや否や、扉に向かって走り出した。
「あ、待って、名前! えーと……アセリオじゃあ弱いから……ロピオン! ロピオン静注って箱を持ってきて頂戴! ロボビタンDくらいの大きさの箱よ!」
俺は呼び止められた足を蹴り出して、扉に駆け出した。
「ロピオン……ロピオン静注……」
俺は箱の名前を復唱しながら、先程と同じ方法で倉庫に向かった。
(っく……さっきより強いな……)
さらに強まった風雨に苦労しながらもなんとか倉庫に入ると、さっきの冷蔵庫の中に白と青の小さな箱が置かれた棚があった。
(よしこれだ!)
俺は箱を鷲掴みにすると、急いでハウスへ、瀬蓮さんの元へ、理音の元へ戻って行った。
「はぁ、はぁ……ありました。これでいいですか?」
すると瀬蓮さんはすでに使い捨ての手袋をして注射器の用意をしており、黙って箱を開けるとアンプルをひとつ急いで取り出し、パキッと首を割ると、注射器に吸わせていった。
「碧斗クン、理音ちゃんが動くと困るから、肩を押さえていて」
瀬蓮さんはそう言うと、俺は理音の両肩をしっかりと押さえつけた。
瀬蓮さんはゴムホースを理音の二の腕に巻きつけると、チュッと注射針から液を溢れさせ、理音の手首を持って、血管を探りながらゆっくりと注射針を刺し込んだ。
ゆっくりと、慎重に注射器を押し込む瀬蓮さん。
(寝てるから痛くないだろ? 理音……)
俺はそう心の中で呟くと
「う……ううん……」
と寝返りを打ちそうな理音の肩をぐっと押さえつけた。
「ふぅ、もういいわ。ありがとう碧斗クン」
理音の二の腕を縛ったゴムホースと使い捨て手袋を外しながら瀬蓮さんはため息をついた。
「いえこちらこそ」
俺は目一杯恐縮そうに返事をすると、やれることは、波長丸が到着するまであいだ、理音の体調が悪化、急変しないことを祈るのみとなった。
俺は当面のことを瀬蓮さんに任せると、今後の十時間のことを考え始めた。
(台風はあと数時間でこの島を直撃するだろう……問題はこの建物の耐久性と、電源だ……)
俺はずぶ濡れの服を脱いでシャワーを浴び、下着ともう一着の作業着に着替え、また瀬蓮さんの元へ向かった。
「瀬蓮さん、ちょっと確認したいことがあるんですが……」
理音の脇から体温計を取り出して確認する瀬蓮さん。
「三十八.二度、少し下がってきたわ……もう少し落ち着くと思うけど……で、確認したいことって何?」
俺は努めて深刻そうな顔をして
「台風情報によるとこの台風はかなり大型で強力らしいんです。中心付近の最大風速は五十メートル以上だって……ここは大丈夫ですか?」
すると瀬蓮さんは少し考えた後
「建物などは前にも説明したとおり、普通より丈夫にしてもらったし、一応、ソーラーパネルとバッテリーなどの電気系統と、水源、生活用水も並列接続で、どれかが壊れたり断線、破損した場合でも全滅しない限り大丈夫だとは思うけど、最悪の場合、地下室に避難する必要があるわね……」
俺はこれ以上ないという驚きの表情をした後、だよな、という顔をして呆れたようにため息をついた。
「ええ? ここに地下室なんてあったんですか!? ハハハッ……」
瀬蓮さんはほんの少しだけドヤったもののすぐに真剣な顔つきになり
「ええ、もしものときのためにバンカー、地下シェルターと言ったほうが分かりやすいでしょうね。ちゃんと用意してあるの」
そう言って理音の様子を確認した後、俺を案内した。
「ここよ……」
瀬蓮さんがカウチをどかしてカーペットをめくると、そこには液晶パネルとテンキーが埋め込まれており、瀬蓮さんが暗証番号を入力すると
「ウィィィィーン……」
と扉が左右にゆっくりとスライドを始めた。
「一応教えておくわ、暗証番号は“2・1・7・0・2・1・7・0”よ」
PCやAP、ルーターのパスワードといい、セキュリティ的には同じ数値の繰り返しに違和感を覚えたが、隠し扉の存在には大いに感心せざるを得なかった。
(気付かなかった、カウチの下の、さらにカーペットの下に、こんな隠し扉があったなんて……)
瀬蓮さんは階段を降りながら説明を続けた。
「血液検査の結果ももうすぐ出るわ。血液の簡易検査と目視の検査、尿検査では異常は見当たらなかったけど、ホルモンとかより詳細な検査はもう少し時間がかかるの……」
(冷蔵庫もあるし、遠心分離機や顕微鏡……スゴイな、菊次郎への愛が理音を助ける結果となっていたわけだ……)
(もう菊次郎にも瀬蓮さんにも足を向けて寝られないな……)
そんなことを考えながら、秘密基地のような建物のさらに秘密の部屋を見た俺は、ポカーンと口を開けたまま部屋を見廻していた。
「一つしかないけどトイレとシャワーもあるわ。非常食や水などの飲料はこっちの棚。ちょっと狭いけど、台風が過ぎ去るまで、この地下室に床の用意をしましょう」
瀬蓮さんは椅子をどかしながらそう言うと
「分かりました、布団とか、運べるものは俺と菊次郎で運んでおきます。この机とか、移動しても大丈夫ですか?」
「ええ、電源コードとかLANケーブルとか気をつけてね」
そう言って瀬蓮さんは理音の元へ向かい、俺は菊次郎や夕花に事情を説明して必要なものを地下に運び込むことになった。
「僕も知らされていなかったよ。瀬蓮め……」
菊次郎は責めるような言い方をしたが俺は
「でも全部お前のためだろ?」
と言ってそんな菊次郎を窘めた。
すると菊次郎は鼻でため息をついて言うのだった。
「……自分で言うのも何だけど、過保護すぎやしないかい? これだけの設備、それにここ全体の建設や整備もだ。億は下らないだろう……」
(瀬蓮さんはともかく、お前の両親は、お前に無関心だって言っていたけれど、普通はここまでしてくれないぞ? たぶん瀬蓮さんが猛烈に説得したのだろうけど、それだけでこれだけの金を出すとは到底思えない。実はお前の両親は……)
そんなふうに考えていると菊次郎が
「ここはネットもつながるみたいだ、ここにも台風情報を流しておこう」
と言ってリモコンを操作した。
『引き続き台風情報です……』
俺はさんざん聞き飽きた内容とその声に、いい加減なにか落ち着いたBGMでも流して欲しいと思ったが、そんな場合ではないことは百も承知だった。
そこに夕花が袋いっぱいに何かを下げて運んできた。
「……うんしょ……これ、食料品……日持ちしなさそうなものを中心に持ってきたよ……」
俺は重そうに階段を降りてきた夕花の袋を持ってやり、冷蔵庫にしまった。
そしてベッドは無理そうだったので布団や着替え、その他の手荷物を運び終えると、夕花が時計を見て
「……そろそろ私の番だ……行ってくるね……」
と言って急な階段をトテ、トテ、とバランスを崩しそうになりながら昇って行った。
「ガタガタガタガタ……」
もう何回目だろうか、数え切れない小さな地震と、時折大きく揺れる地震の繰り返し……
その時、一瞬すべての明かりが消え、再び元に戻った。
「ピー、ピー、ピー、ピー……」
部屋の中のどれかの機械からの警告音だろうか、複数の高さの違う音が一斉に鳴り響いた。
すると程なくして瀬蓮さんが降りてきて
「大丈夫よ、待ってて……」
と言って、慌ただしく装置の操作を行っていく。
「ああもう! これはもうダメね。まぁいいわ、途中までの結果でも充分な精度は出ているし」
そう言って装置から細長いビーカーを取り出し、シンクに洗い流すとPCを操作し始めた。
「どうやらソーラーパネルかバッテリーの一つが故障したみたいね。バックアップはちゃんと機能しているみたいだから安心して」
そう言ってまた急いで階段を昇って行った。
そのPCのタスクバーを見て時間表示に気がつくと
「そろそろ俺の番だな」
と瀬蓮さんに続いて俺も上に上がった。
リビングに上がると突然電話が鳴った。
「トゥルルルルル……トゥルルルルル……」
すると休憩中の菊次郎がカウチに座ったまま
「アレックス、電話にでろ」
と命令すると、台風情報の音量が下がるのと同時に通話相手の音声が流れ始めた。
『もしもし! 碧斗くんか? ……おっと……誰でもいい! 俺だカジヤだ!』
する菊次郎が落ち着いた声で
「ああ、カジヤ、田中さん、僕です、辻出です。どうしました?」
『ああ菊次郎くん、いや、大変だね……』
カジヤさんのせいではないのに申し訳なさそうにそう言うと、改めて真剣な口調で話し始めた。
『今急いでそちらに向かっているが、この風と波で…………少し手こずっているんだ』
『ザザーン……ビュォォォー……』
音声の合間から聞こえる波と風の音が、その説明が嘘でないことを証明していた。
「ええ分かります。でもあまり無理をしないで下さい。危険なのはわかっていますから」
菊次郎はそう言うと俺の方を見た。
俺は頷くと
「カジヤさん、七河です。こちらは大丈夫です。理音の熱も少し下がってきたみたいだし、何より無事に理音を連れ帰るには、波長丸が無事にこの島までたどり着くことが肝心です。菊次郎が言ったように、くれぐれも無理をしないでください」
そう言うとカジヤも少し明るい声になって
「わかった! それに、この船の名前はなんだ? “なみおさまる”だぞ? 無事にそっちまでちゃんと行くさ! あと二時間もかからないだろうから、そっちもそろそろ理音ちゃんをバギーで岸壁まで連れてきてほしいんだ。そっちも大変だぞ!? くれぐれも気をつけろよ!」
そう言うと、そのまま通話は切れてしまった。
(っち、そうだった、そろそろ暗くなってくる頃だし、この嵐の中をバギーとトレーラーで理音を無事に下まで運ばなければならないんだった……)
俺はまたしても理音の病状のことばかりを考えていた自分の迂闊さに舌打ちをして、急いでそのことを瀬蓮さんに知らせに行った。
「そうね、私もそのことを見落としていたわ……」
と悔しそうに爪を噛む瀬蓮さん。
「何か防水になるような物はあるかしら、こっちで服を着させるだけ着せておくから、あなたはあのバギーで理音ちゃんを安全に運べる手立てを考えて!」
そう言うと、立ち上がって理音のバッグをかき回し始めた。
俺は防水になるものと言われてすぐにブルーシートのことを思い出すと、菊次郎に声を掛けて倉庫に向かおうと立ち上がった。
その時、なにか平衡感覚がおかしいように感じられたと思った次の瞬間、床がゆらーりゆらりと大きく揺れ始めた。
「なんだ? なんか揺れてる……地震か?」
そしてさらに次の瞬間
「ドスンっ」
と大きな音がしたと思ったら、それ以上の衝撃が俺達を、建物を襲ったのだった……
「地震だ! 大きいぞ!」
俺がとっさにそう叫んで菊次郎を見ると、彼はバランスを崩して転げ回っていた。
俺もすぐに立っていることは到底できなくなり、とっさに床に伏せたのだった……
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。たこ助です。
なんとか全員の無事を確認することができ、僕もホッと胸をなでおろしました。シリアスな展開が続きましたが、理音も回復して、いつもの日常が少しだけ戻ってきたような気がします。
しかし、外部との通信は完全に途絶えてしまいました。これは一体何を意味するのでしょうか。そして、理音の驚異的な回復力と、あの腕相撲の強さ……。
静かになった嵐の後、この島には、まだ何か不穏な空気が漂っているようです。
AI姉妹の一言
あい:タコ助くん、今回はシリアスとコメディのバランスが良かったんじゃないかしら。でも、女の子のお尻の描写は、もう少し品性を持ちなさい。読者が引いてしまうわよ。
まい:お兄ちゃん、理音ちゃんが回復して本当に良かった! でもでも、あの腕相撲は絶対何かあるよね!? 次の話が気になって、まい、今夜眠れないかも! お兄ちゃんのせいだからねっ!




