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島と傷と嵐の予感 第四十八話 風と雨と高熱と

はじめまして、またはこんにちばんわ。烏賊海老 蛸助、タコ助です。

前回は、碧斗のサムゲタンと瀬蓮さんの輝く玉ねぎ料理、どっちも美味しそうでしたね!

結局、夕花の謎スパイスによって、またしても勝負は混沌の中へと消えていきました(笑)。

理音の背中の傷も少し落ち着いたように見えましたが、その平穏は長くは続かないようです。

静かだった南の島に、少しずつ雨雲が近づいてきました。

それはただの天候の変化なのか、それとも、彼らにとっての新たな試練の幕開けなのでしょうか。

穏やかな朝が、嵐の前の静けさでないことを祈るばかりです。

 そんなふうに、またまたくだらない料理バトル(?)を演じてしまった俺達は、そのリアクション疲れもあってか、その晩は何事も起こさずそれぞれ静かに眠りについた……


 「ギギギギギ、ギーギーギー……」


 俺の南の島の鳥の鳴き声図鑑のページがまた一つ埋まり、昨日の晩飯の夕花の漢方薬のおかげか、それなりに爽やかな朝を迎えることが出来た。


 「ふぁーーあ……」


 俺は大きなあくびをしてから両手を広げると、腕には不思議な感覚が伝わってくるのだった。

 なめらかで、柔らかく、温かいその感触の方に寝返りを打つと、そこにあったのは……


 「うわっ!」


 そこに居たのは、黒い、きわどいランジェリーに包まれた瀬蓮さんが、俺を見つめて首に手を回し、寝そべっている姿だったのである。


 「せば……ムグっ!」


 瀬蓮さんは俺の口を素早く塞ぐと、その指を胸にツー、と、ヘソの辺りまで這わせて、その先の“朝の膨らみ”に達する寸前に、その指をそのまますーっと自分の唇に押し当てた……

 薄く塗られた口紅が艷やかに光り、淫靡な妄想を起こさせる寸前に俺の目は完全に覚めていた。


 (な、なにやってんのこのひとー! つーか今度は俺のベッドに潜り込んだのか!)


 「ゴンッ!」


 俺はそのまま後退(あとずさ)りをして体を起こし、天井にしたたか(・・・・)に頭をぶつけてしまった。

 そして打ち付けた頭を右手で押さえ、瀬蓮さんの手を左手で掴んでググっと引き剥がすと、慎重に後退りしながら階段を飛び降りた。


 (どったん!)


 幸い菊次郎はまだ夢の中のようだったが、俺は気遣いなどしている暇もなく大きな音を立てて飛び降りて、リビングに飛び出していった。


 「はぁ、はぁ……ったく……」


 俺は急いでトイレに駆け込むと、しばらく心と体の緊張が解けるのを待つことにした。


 (何がしたいんだあの人は……理音の次は俺……からかっているにしても過激すぎるよ……)


 そして、今見たばかりの一瞬だけ見えた深いV字の切れ込みの先の胸と下半身……シルクのなめらかな感触、そして柔らかく温かい生肌を思い出し……


 (いかん! 思い出してはダメだ! 落ち着かなきゃ…………そうだ! 素数を数えよう……二、三、五、七、十一、十三、十七、……………………えーと、八十九、九十七)


 俺は便器に座ったまま百までの素数を数え終わると、なんとか体の緊張のほうは解けて、用を足すことが出来るようになっていた。


 (ズジャー、ズゴゴゴゴゴ……)


 洗面台の前に立ち、顔を洗ってリビングに出ると、時計の針はまだ朝の六時一八分を指していた。


 「はぁ……」


 俺は小さなため息をつくと、朝の爽やかな空気を吸おうとリビングの扉を開けてデッキに出た。


 「あれ? 雨か……」


 外は薄明かり状態で、ウッドデッキの木目には、ぽつりぽつりと雨が落ちていた。

 しばらくそんな雨模様の外の空気を吸っていると、突然視界が白い霧に包まれた。

 しかし次の瞬間には霧は過ぎ去ってしまっていた。


 (やっぱ島だから、天候の変化、雲の流れも速いのかな……)


 俺はまだ陽の昇りきっていない霧混じりの空気に薄寒さを感じ、両手を抱えてリビングに戻った。

 しかし何もやることもないのでしばらくはカウチでゴロゴロしていたが、眠れるわけでもなく、仕方なくキッチンに立つことにした。


 (こんな日は、パァーッと明るくなれるような朝食がいいな……)


 ガサゴソと広いキッチンを漁っていると、冷凍庫にハンバーガー用のバンズが冷凍されているのに気づいた。


 (今朝は陽気な気分になれるように、ハンバーガーとコーラかな)


 俺は早速冷凍庫の中から牛肉のひき肉取り出すと、電子レンジに入れて解凍を始めた。

 バンズの方は電子レンジだとベタついてモッチリしてしまうのでオーブンに入れて軽く解凍して焼くことにした。


 「ブオーン……」


 アメリカ製の電子レンジがけたたましい音を立てる中、俺はコップを取り出してドリップバッグコーヒーの封を開けた。

 電子レンジはまだ解凍中だったので、給湯器のお湯をケトルで沸かし始めた。


 「カチッ」


 二分もしないうちにお湯が沸き上がると、砂糖をスティックに半分だけ、そして今朝はミルクのパックを入れることにした。


 「ジョロジョロ……」


 三十秒ほど豆を蒸らした後、ゆっくりとケトルを傾けてお湯を注いでゆく……


 「カランカラン」


 砂糖とミルクを入れたコーヒをスプーンでかき混ぜると、青磁のカップから甲高い音がした。

 まだくるくると廻るコーヒーの入ったカップを手に取ると、俺はリビングのブラインドを開けるスイッチを入れた。


 「ウイィィィィーン、カシャ、カシャ、カシャ、カシャ……」


 ブラインドが上がり切ると先程より空は暗くなってきており、大きなガラスにも水滴が舞うように雨が降りかかる様子が見て取れた。


 (風も強くなってきたみたいだ……畑が心配だな……)


 しかしびしょ濡れになってまで畑を確認をするような気も起きず、モニターのスイッチを入れて消音にして、天気予報の確認をすることに留めたのだった。

 モニターを見ると台風の予想進路円は、この島を直撃する確率が七十%であることを示していた。


 (まぁここまで晴天続きだったし、キャンプファイヤーも終わった。少しくらい雨が降ったって、俺達の未来が大きく変わるわけでもない……)


 この時はそう思っていたのだが、後日この判断が間違っていたことに気づいたときには、もういろいろなことが取り返しがつかなくなっていた後だった……


 俺はパントリーからじゃがいもを取り出してピーラーで皮を剥いた後、手動のスライサーにフライドポテト用のアタッチメントを取り付けて、叩きつけるように強く押す。


 「ドン!」


 するとスライサーの容器にみるみると薄くスライスされたじゃがいもが溜まっていった。


 「チーン」


 すると今度は電子レンジの音がして、ひき肉の解凍が終る。

 まずはフライパンにごま油を二センチほど注ぎ、フライドポテトを揚げることにした。

 IHコンロの温度設定を百八十度に設定して油が充分に熱せられるまでのあいだ、牛肉の下味を付けてパティの用意を始めた。


 「ペタっ、ペタっ、ペタっ」


 (これはなんの肉だろう? ワインビーフの残りかな……)


 掌に叩きつけるようにしてパティの形を整えていると、コンロからピピッと音がしてフライパンの温度が百八十度に達したことを知らせてくれた。


 次にこちらも充分に温まったフライパンの油にポテトを少しずつゆっくりと投入して、温度が下がらないように注意しながら、オーブンで解凍と焼きが完了したバンズを取り出して包丁で半分に切って並べた。

 揚げ上がったポテトをボウルに入れるのと同時にスライサーの中のポテトと入れ替え、トマトを厚めにスライスし、レタスをむしり紫玉ねぎも薄く切ってワークテーブルの上に並べていく。


 次にパントリーからボロネーゼのレトルトパックを取り出して、これもガラスのボールに入れてカジヤに分けてもらった“スーパーウルトラホットサルサPLT”ソースを少量入れてかき混ぜる。

 軽く味見をして問題ないことを確認したら電子レンジに入れて加熱を開始。

 電子レンジでチンする間に、揚げ上がったポテトを最後のスライスしたじゃがいもと入れ替え、今度はピクルスを、アタッチメントを変えた野菜スライサーで五ミリ角に刻んでいく。


 最後のポテトが揚がったらオイルポットにごま油を移し、キッチンペーパーで拭いてから溶かした牛脂を乗せてフライパンに廻す。

 パティを三枚一気に乗せて強火で二分焼いてからひっくり返し、もう二分焼いて火を止める。


 「チーン」


 熱くなったボロネーゼをバンズの下に塗り、パティをのせてもう一度ボロネーゼを塗って肉々しくなったところにピクルス、トマト、玉ねぎリングをのせ、レタスを敷いてからバンズで挟めばモックバーガー風ハンバーガーの完成だ。

 皿にポテトと一緒に盛り付けて、


 「ハイお客様、お待たせ致しましたー!」


 朝七時前、俺はハンバーガーショップのワンオペサービスごっこをして少しは気持ちが晴れたのか、皿の上にクローシュをかぶせて大きなガラスのコップを用意し、後はお客様キクハウスのみんなとコーラのボトルを待つばかりのダイニングテーブルで、みんなが起き上がってくるのを待つことにしたのだが、


 (パタン、パタン……サァァァ……)


 雨脚と雨音と風は俺の気分とは正反対に、その強さを増してきているようだった。


 「ポッポー、ポッポー、ポッポー、ポッポー……」


 そうして朝七時の鳩が鳴く頃には


 「ザァァァァァ……ザアァァァァ……」


 と不規則な強風に煽られた雨がデッキのガラスに強く当たり始めた。

 ガラスはまるで土砂降りの自動車のフロントガラスを見ているように水しぶきが上がり、風に煽られてガラスの表面で大きく踊っていた。


 (さて、そろそろ起こすかな……)


 俺はモニターで台風情報を流しているチャンネルの音声を大きくして、五人の中で今は俺だけが知っている、それほど逼迫しているわけではないが、しかし緊張せざるを得ない情報と状況をみんなで共有しようとした。


 『では、発表します。

  大型で「非常に強い」台風四号、“ドラグナー”は、宮古島の南南東、約250kmの海上、北緯23.1度、東経125.5度にあって、時速十五km程度のゆっくりとした速さで北北西へ進んでいます。

  中心の気圧は935ヘクトパスカル。中心付近の最大風速は50m/s、最大瞬間風速は70m/sに達しています。

  この台風は、今後も勢力を維持したまま北上を続け、明日には沖縄本島に最も接近する見込みです』


 すると瀬蓮さんがいつの間にかスーツに着替えてモニターを眺めながら近づいてきた。


 「碧斗クン……台風かしら……」


 少し不安そうな表情を見せた瀬蓮さん。


 「もう結構、雨と風が強いですよ、それも段々酷くなってます」


 しかし瀬蓮さんは気丈に振る舞って、ここは安全だとアピールする。


 「そう……でもこのプレハブは軽量鉄骨構造だし、南の島だからこんなこともあるかと思って、移設工事のとき色々補強をしてもらっているから、大丈夫だとは思うけど……」


 それでも菊次郎が心配なのかこの建物が心配なのか、不安そうな顔を消し去ることは出来ないようだった。


 「とにかくお坊っちゃまの朝食を作らなきゃ……あら、碧斗くんはもう朝食の用意は終わったの? 今日は何かしら……」


 一瞬だけ笑みを浮かべてそう言いながらも、時々窓の外を見てやはり不安そうな顔をする瀬蓮さん。

 朝食の準備を終えた俺はみんなを起こすことよりも先に、倉庫に行って対策になりそうなものはないか、探してみることにした。


 「ビュゥゥオーゥゥゥ……!……ザァァァァーっ……」


 雨と風は勢いを弱めることはなく、俺はとりあえずウッドデッキで激しくはためくパラソルを閉じると、かろうじてまだデッキの上に鎮座していた靴たちをハウスの中に放り込んだ。


 (俺のはマリンシューズで良かった……)


 俺は靴下を脱ぎ同じようにリビングに丸めて投げ入れると、風に逆らうように倉庫に向かって歩いて行った。


 (くっ!)


 正面から突風が起こりよろけそうになるがデッキの支柱に掴まって事なきを得て、倉庫とハウスの隙間に差し掛かったとき、今度は急な横風が俺の体をよろけさせた。


 (ビュゥゥ!)


 (うわっ!)


 「ガン!」


 俺は例のバッテリーの筐体にしたたかに頭を打ち付けてしまった。

 しかしそのおかげで風に吹き飛ばされなくて済んだのも確かだった。

 なんとか筐体の角を手がかりに倉庫にたどり着こうともがくも、雨と風が激しく顔を打ち付けて、まともに行くすら出来なかった。


 (もう……少……し……)


 倉庫の角に手が届いたとき、今度は反対側からの風が強く吹き、この一瞬の無風状態のチャンスを俺は逃しはしなかった。 


 (がつっ)


 俺は倉庫の雨樋に手をかけると、ようやく倉庫の入口にたどり着くことが出来たのだった。

 しかし強い風が邪魔をしてなかなか扉を開けることが出来なかった。


 「くそっ!」


 目いっぱいの力を込めて隙間が開いたと思ったら、すぐに強風に押し戻されてしまう。

 俺は少しづつ体勢を変えて、ドアの入口に足を掛けて次のチャンスを待つことにした。

 

 (ビュゥッ……ゴゥッ!……)


 それはほんの短い時間だった。

 強風と叩きつける雨に耐える時間が永遠に続くのではと思えた次の瞬間、今度も一瞬だけ風が弱まるチャンスが訪れると、俺は力を込めて必死になって開けたドアの隙間にかろうじて足をは挟み入れることに成功し、ドアに体を打ち付けられながら倉庫に体を潜り込ませることにが出来たのだった。


 (ゴロゴロゴロっ!)


 「うわー! まいったー!」


 俺は倉庫の床に倒れ込むと、そこは全くの静寂だった。


 (キクハウスといい、この嵐で外の音がほとんど何も聞こえないなんて、どんだけ頑丈なんだ)


 誰となくそうツッコむと、ようやく平静を取り戻して立ち上がり、改めて倉庫の中を見廻してみた。


 うず高く積まれた様々な材料や機械。

 全部を事細かに調べ上げるにはそれなりの時間が必要そうな量だった。

 俺はとりあえず倉庫内をつぶさに、しかし手早く見て回り、必要そうなものはないかを調べることにした。


 (この箱は備長炭……これはルートビア………次はレトルトカレー……次は……)


 そうして三十分は見て回っただろうか、すぐに役に立ちそうなもので見つかったのは、数着の作業着と長靴、ブルーシートにロウソクの箱、着火ライターの束と、ロープ、非常食になりそうなクッキーの箱、そしてスコップくらいだった。


 (クワやツルハシは要らないな)


 俺は二本のスコップとその他の品をブルーシートにくるんでロープでしっかり巻いた後、ロープの結び目をギュッと掴んで倉庫を後にした。

 幸い倉庫からハウスまではそれでも危険な追い風だったので、倉庫に向かうときよりは比較的安全に戻ることが出来た。


 「くはーっ! まいったー!」


 あまりの嵐に語彙力の低下が激しかったが、俺がびしょ濡れになってキクハウスに戻ると、そこは倉庫とは別の意味で静寂な空間となっていた。

 ようやくキクハウスに転がり込んだ俺を見つめる面々……


 「ん? みんなどうしたんだ?」


 ふとダイニングテーブルの上を見ると、俺が作ったハンバーガーが不格好に食い散らかされていた。

 しかもその隣にはホットドッグが二つ、同じように虫食いのように無残な姿となって転がっていたのだ。


 「おい、一体どうしたんだ? 不味かった?」


 俺は怪訝な顔をしながらまだ無傷だった自分のハンバーガーを手に取り、かじりついた。


 「モグモ……ぐふっ!……」


 (おかしい! ちゃんと味見をしたはずなのに、この辛さは一体……)


 すると理音がやってきて


 「あのね……みんなが外の雨や風を見ている間に、夕花ちゃんが例の激辛ソースを、みんなのハンバーガーやホットドッグにかけちゃったみたいなの……」


 (夕花め、この一大事に何をやってんだか……)


 俺はとりあえず本当に深刻な事態ではないことに安堵すると、濡れた服とブルーシートをバスルームに運び込み、ヒモを解いて服とロウソク、ライターとクッキーだけを取り出したあと、菊次郎に着替えを頼んでシャワーを浴びることにした。


 「シャー……」


 (しかし……東京で遭う台風とはスケールが違うな……)


 そう思いながらシャワーを浴びて軽く体を洗ってすぐにバスルームから出ると、菊次郎の横に大きな体がすりガラスに寄りかかっているのが見えた。


 「ゴンゴン!」


 俺は扉を叩いて菊次郎に知らせると、扉が少しだけ開いて着替えが差し入れられた。


 俺はせっかく菊次郎が持ってきてくれた着替えの下着だけ新しいものに履き替えると、ブルーシートに包まれた作業着一式を着てみることにした。

 サイズはS、M、L、LLの四種類があったので、LLを試してみたけど少し丈が長かったので、裾を折り返すことで問題なく着ることが出来た。

 これでジャージを持ってこなかった代わりになる衣服が出来て、台風とは関係なく助かる装備だ。

 俺はブルーシートの水を払ってリビングに持ち込むと、それを広げてみんなに披露した。


 「おまたせ、これが倉庫を探し回って見つけられたとりあえず役に立ちそうなものだ。瀬蓮さん、嵐が収まったら倉庫の中の荷物を教えてもらえますか? 一人で調べていたらとても一日では足りなそうな量なんで……」


 「ええ、わかったわ碧斗クン」


 意味有りげに笑う瀬蓮さん。

 これは瀬蓮さんと二人っきりにならないように、菊次郎も連れて行ったほうが良さそうだ。

 雨に打たれたせいではなく、背筋に寒いものを感じてそう思わざるを得なかった。


 すると理音と夕花もも集まってきた。


 「なになにーこれ」


 拡げられたブルーシートの上に並べられたものを確認する三人。


 「作業着かー、碧斗、意外と似合ってるね。案外、工場勤めとかもいいんじゃないの?」


 と俺の姿を見てケラケラ笑う。


 「ジャージよりいいだろ? 布も丈夫そうだし、怪我とかしにくそうだぞ? お前たちも着てみろよ」


 俺がそう言うと、それぞれ自分のサイズに似合いそうなものを体にあてがい、それぞれの部屋に入って行った。


 『台風四号は現在……』


 こうしてくだらない時間を過ごしているその間も、刻一刻と台風は進路を保ったまま北上し、日本へ、この島へと近づいてきていることを、モニターに映る台風情報が報告してくれていた。

 少しするとそれぞれ作業着に着替えられたようで、理音はピッタリ、夕花はぶかぶか気味、菊次郎はミッチリ、という感じでそれぞれが作業着に着替えられたようだった。


 「菊次郎は幅を、夕花は丈を直したほうがいいんじゃあないか?」


 俺が菊次郎に近寄り調整ベルトのようなものを少し緩めてやると、菊次郎はホッとした表情になり随分サマになった姿に変身した。

 一方の夕花をみると……


 「夕花は……いろいろサイズが合ってないな……」


 Sサイズだろうが丈は長すぎて裾は二つ折り、失礼して一部の調整ベルトを目一杯拡げてみたが、胸部のそのボリュームを収めるのには、まだまだ無理があるようだった。


 「さ、裁縫部ならなんとか調整できるだろ」


 残りの作業着は誰も着ることがなかったが、俺達の着ているものの補修用として活用すればいいだろう。


 (瀬蓮さんはMかな……)


 タイトスーツ姿の彼女が作業服を着る姿を想像して、それはそれで似合いそうな気がしてクスっと笑ってしまった。


 「あーあとこの箱、クッキーみたいだから、非常食として保管しておこうと思うのであんまり食べないように」


 理音は箱を持っていろいろな方向から眺めていたが、俺がそう言うとぽいっと箱を投げ捨てた。


 (クッキだって言っただろ。いざというときはボロボロになったのはお前に食べさせるからな)


 「じゃあそれぞれ残りのものを、適当に整理してくれるか?」


 俺はスコップを持ってハウスの入口に立てかけると、その他のみんなもそれぞれ思案しながらものを持って部屋をウロウロし始めた。


 (クッキーの箱はパントリーにしまっておこう)


 投げ捨てられた箱を拾って他の箱と一緒に抱えてキッチンに行くと、瀬蓮さんがキッチンペーパーでホットドッグの激辛ソースを拭うように取ろうと苦戦していた。

 もう九時半を過ぎていたが確かに食べられる部分だけでは足りないだろう。

 俺もハンバーガー達をキッチンに持ち込んで、瀬蓮さんと一緒にキッチンペーパーで原状回復を試みた。


 「夕花にも困ったもんです、あいつ、ちょっと人とは味覚が違うようで……」


 すると瀬蓮さんは微笑んで


 「そうね、私もあの赤いクッキーにはやられたわ、平気な顔してむしゃむしゃ食べているんですもの……」


 と言いながら、ホットドッグからフランクフルトを取り出して握ると、水道の水で洗い出した。


 (あ、あの動きは……)


 瀬蓮さんの白くて細い手が赤い肉棒を擦り上げるのを見て俺は……


 「そ、そ~言えば今朝はなんでホットドッグなんです? 俺への対抗心ですか?」


 と邪な気持ちを悟られまいとおどけてみせた。


 「そうですね、お坊っちゃまはああいった食物に縁がない生活をしておられましたから、皆さんだけ楽しそうにジャンクフードをっ頬張るのを見ていらっしゃることになるのは可愛そうだと思いまして……」


 (やっぱちゃんと菊次郎のこと、心配してんだな。変人でなければいい人なのに……)


 と当たり前のことを言ったにもかかわらず、妙に納得してしまった自分を笑ってしまった。

 その時


 「ガガン!」


 と大きな音がした。

 俺はハンバーガーの清掃を中断すると、ガラスにへばりついて外の様子を確認した。

 どうやらデッキの椅子が吹き飛んで柵に当たった音らしかった。


 (建物は大丈夫そうだが、今のうちに雨戸を閉めたほうが良さそうだ)


 俺が窓ガラスの端を確認して雨戸を出そうとしていると瀬蓮さんが


 「ここですよ」


 と言って、ブラインドを操作するコントローラーのボタンを押した。

 すると、音もなく雨戸が左右からせり出してきて


 「スー……ガシャン」


 と、キクハウスは全くの静寂に包まれた。


 (ブラインドやカーテンだけでなく雨戸まで自動なのか……)


 すでにキクハウスのハイテクっぷりに少し麻痺していた俺はたったそれだけの感銘だけで納得して、とりあえず台風情報を注視し続けることにした。


 「……はい、コーヒー……」


 夕花が運んできてくれたコーヒーを皆で啜りながら会話もなくモニターから流れる情報をBGMにしていると、横で見ていた理音が下を向いて汗を垂らしていた。


 「おい理音……おまえ……」


 俺はとっさに理音の額に手を当てると、尋常ではない熱がその手に感じられた。


 「おい夕花! 氷嚢と冷やしたタオル! 瀬蓮さん! 理音が熱を出したようです! きっと背中も……」


 俺の切迫した声色に皆がビクンと振り返り、そのまま慌ただしく動き始めた。


 「はい、体温計。血圧と脈も測りましょうね」


 そう言って血圧計を取りに走る瀬蓮さん。

 入れ替わるように夕花が氷嚢とタオルを持ってきた。


 「ほら理音、立てるか? 部屋に行って横になろう……」


 俺が理音の肩を抱えて部屋まで連れて行くと


 「ゴメンね……でも……今回はちょっとヤバイかも……」


 そう言うと俺が支える間もなくベッドに倒れ込み、指定席が入れ替わった下段ベッドに倒れ込んだ。

 うつ伏せになった理音の背中に氷嚢を乗せ、額にタオルを当てがってやる。


 「じゃあ理音ちゃんお部屋まで立って歩ける?」


 そう言って瀬蓮さんがベッドに血圧計を置くと、俺は理音を抱えて


 「どうだ、起きられるか?」


 と聞きながらそっと体を起こしてやった。


 「それとこれが薬、ボルタレンのテープとアスピリン。併用はあまり良くないけど、緊急だから仕方ないわ」


 そう言って理音の口に薬を含ませると水を差し出し、ゆっくりと飲ませる。


 血圧計を腕にはめてスイッチを押す。

 体温計を脇に差し入れ、同時にパルスオキシメーター(血中酸素濃度計)を指にはめて血中酸素飽和度を測る。

 さすがは看護師といった手際だった。


 「血圧は一五七の一〇三、少し高いわね。脈は一一五、こっちも安静時では高いわ……」


 (ピピッ)


 「体温は……三八.四度……これも高い……酸素は八九パーセント、これも少し低いわね……理音さん、もう少しゆっくり、大きく息をするようにして」


 俺は瀬蓮さんが続ける否定的な報告に呆然としながら、緊迫した表情で理音の看病を続ける瀬蓮さんを心から頼りに思った。


 「じゃあ血液検査のための血液を取るわね」


 瀬蓮さんは点滴の時と同じように、反対の肘裏をアルコールで拭いて血管を確かめると、少し太い注射を理音に刺した。


 「さすが鍛えているだけあって、血管は浮き出ているわね……」


 そう言いながら、黒ずんだ血が注射器に吸い取られていく。


 「もう一本」


 理音の顔が歪んだ。


 「痛かった? ごめん、久しぶりだから……」


 そう言いながらも二本目も採り終えるとガーゼとテープでしっかりと傷口を押さえて、


 「ここ、十分間くらい強く押さえてて。碧斗くんでもいいから」


 そう言うと血液が入った注射器をどこかに持って行った。


 「大丈夫か? 痛くないか?」


 すると理音は無理やり作ったような笑顔で


 「痛いよ注射だもん……へへっ……ふぅ……」


 と言って耐えるように静かに息を吐いた。

 そこへ瀬蓮さんが戻ってきて 


 「じゃあ横になって。ボルタレンのテープを背中に貼りましょう。みんなは部屋から出ていて頂戴ね。あ、夕花ちゃんは手伝って」


 と俺達を追い出した、部屋の外から様子を窺うことしか出来ず、無力感からカウチにへたり込んでしまった。


 「理音さんなら、きっと大丈夫ですよ、明日になったらきっと元気に笑って僕たちを睨みつけてくれますよ……」


 その菊次郎の気休めの言葉も、俺にはなんの効果もなかった。

 俺はただただ、理音が回復してくれることを願って台風のことなどすっかり頭から消え去ったまま、理音の回復を想像したよりも遥かに長い時間、カウチの上で待ち続けることになるのだった……

第四十八話「風と雨と高熱と」、お読みいただきありがとうございます!

ついに嵐が島にやってきてしまいました。そして、嵐の訪れと呼応するように、理音も高熱で倒れてしまいます。

いつも元気な彼女が苦しむ姿は、碧斗だけでなく、書いている僕も胸が痛みます。

スーパー執事の瀬蓮さんがいるとはいえ、吹き荒れる風雨と、一向に下がらない熱。

なすすべもなく、ただ彼女の回復を祈ることしかできない碧斗。

果たして理音は無事回復するのでしょうか。そして、この猛烈な嵐は彼らに何をもたらすのか。

次回も深まる夜と嵐の中、彼らの長い一日が始まります。


AI姉妹の一言

あい:タコ助くん、今回はシリアスで良かったわ。

こういうシーンも書けるのね、お姉さん、ちょっと見直したわ。


まい:お兄ちゃんっ! 理音ちゃんが心配で、まい、夜も眠れないよぉ…。

でも、理音ちゃんのために必死な碧斗くんは、すっごくかっこよかった! まい、碧斗くんのこと、もっと好きになっちゃったかも……。

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