島の恵みと謎と罠 第四十六話 昼食麺戦争勃発!
はいタコ助です!
今日は山の日特集(?)ということで、こじつけて投稿しました!
山とは全く関係のないお話ですが、ぜひ楽しんで下さい!
朝起きるとなんだか部屋の外が騒がしいようだった。
(……うーん、また瀬蓮さんが理音のベッドにでも潜り込んだのかな……)
俺はそっとベッドを降りて、まだ寝ていた菊次郎を起こさないように着替えると、騒ぎの現場だろうリビングに向かった。
「本当に大丈夫なの!?」
夕花がドアが開いた女子部屋の前で部屋の中に向かってそう叫んでいた。
そーっと夕花の後ろに回り女子部屋の中を覗いてみると、理音がしゃがんでうずくまっているのが見えた。
その後ろでは瀬蓮さんがバツが悪そうに、しかし心配したような顔で理音を見下ろしていた。
俺はやっぱりか、と思って夕花に向かって
「また瀬蓮さんが理音にちょっかい出したのか?」
と尋ねると
「……うん、そうなんだけど……」
夕花は何かを言いかけて、慌てたようにキッチンに小走りで向かって行った。
(やれやれ、あと二週間、これはいよいよ対策を考えないとなぁ……)
俺が瀬蓮さんと理音をどうやって近づけないかを考えていると、夕花が氷嚢とタオルを持って戻ってきた。
「ほら、理音ちゃん、うつ伏せに横になって」
夕花はそう言うと、理音の額にタオルを、背中に乾いたタオルにくるまれた氷嚢を乗せて、またパタパタと忙しそうにキッチンに向かっていった。
俺は女子部屋に半歩だけ踏み入り、瀬蓮さんに状況を尋ねてみた。
「瀬蓮さん、理音、どうしたんですか?」
すると瀬蓮さんは心苦しそうな表情をして
「今朝、理音ちゃんの寝姿をちょっと見に行ったら」
(やっぱりか……)
俺はちょっとだけしかめっ面をして瀬蓮さんの言い訳をそのまま聞き続けた。
「心配で見に行ったら理音ちゃん、真っ赤な顔で汗をかいて苦しそうに呻いていたの……」
(え?)
俺は何日か前、理音が背中が疼くと言っていたのを思い出し、ハッとしてそのまま女子部屋に飛び込んだ。
「おい! 理音! 痛いのか? 苦しいのか? 大丈夫なのか!?」
すると夕花がコップに水を入れて部屋に戻ってきて理音に渡すと、バッグからポーチを取り出してなにかの錠剤を理音に渡して飲ませようとした。
苦しそうな理音は薬を受け取るとそれを口に放り込み、コップの水で流し込んだ。
少し胸を押さえる仕草をしてから
「もう、大丈夫だから……」
それでもまだ立ち上がろうとはしない理音を見て俺は言った。
「やっぱり医者に来てもらうか、帰ったほうがいいんじゃあないのか?」
すると痛いはずなのに、苦しいはずなのに、理音ははっきりと拒否を示したのだった。
「そんなのやだよ!!」
そして片手をついて体を起こしながら
「せっかく予定を立てて、みんなで準備や練習をして、この島まで楽しく過ごしたのに……キャンプファイヤーだって成功して……まだ二週間も楽しいことが待ってるのに、このまま帰るなんて絶対にイヤ!」
俺達は理音のその固い意志を否応なく感じ、しばらく何も話しかけることは出来なかった……
「……」
俺は少し考えた後、理音を優しく諭すような口調で、静かに語りかけた。
「でもな、理音。お前が本当に倒れでもしたら、それはもう絶対に楽しい思い出にはならないんだぞ? また来年でもいいじゃないか。大学に入ってからでも、大人になってからでも、いつでも会えるさ」
すると理音は今度は両手を床から離して女子座りになると
「わかってるよ。でも本当に大丈夫だから。もう十年以上付き合ってきた傷なんだから、急にどうにかなるようなことはないよ。本当にどうにもならなくなったらちゃんと言うから。だからもう少しだけ待って……」
と懇願するように、笑顔で俺達を見廻した。
瀬蓮さんはなにか思い出したように相槌を打つと
「そうだ理音ちゃん、痛みに効く薬なら他にもあるわ。さっきのお薬でも痛みが引かないようなら、私に言ってね」
すると理音はニコッと笑って
「うん、わかった、リコちゃん」
とやっと、いつもの笑顔を見せたのだった。
理音以外が朝食を食べてしばらくすると、ジャージ姿の理音はその痛みも少しは収まったのか、少し遅い朝食を食べにキッチンにやってきた。
「今日は何?」
と元気なく聞くので、俺は理音のために二つ作った朝食をテーブルに置いて、向かいに座った。
「サンドイッチと、こっちはおかゆ?」
俺は理音を見つめながら
「ああ、チキンカツサンドと肉そぼろのおかゆにしてやったぞ? どっちが食べたい?」
と訊いてみた。
すると少し笑いながら
「両方お肉だね……。決まってるじゃん、どっちも食べる!」
と言ってニッコリすると、サンドイッチから手を付け始めた。
俺は立ち上がってカップボードからスプーンを取り出して理音に渡してやった。
「ほれ、スプーン」
照れくさそうに手を伸ばしスプーンを受け取る理音。
「ありがと」
ゆっくりと、でも美味しそうに食べる理音を見ながら俺は
「今日はサバイバルの授業はおあずけだな」
と仕方なさそうな顔で言うと
「うん……でも動画だけは観るから」
とまた少し、照れくさそうに笑う。
「無理すんなよ?」
俺が真剣な表情でそう言うと
「うん……、じゃあ、隣で一緒に観てくれる?」
と、今まで見たことがないような優しい笑顔で俺にお願いをして見せる理音。
俺は少し驚いた後、
「ああいいよ、あとで一緒に見よう」
と言って、理音にお茶を入れるために立ち上がると、理音は少しだけ俺の顔色をうかがうようにして
「勉強は、受験勉強、しなくてもいいよね」
と上目使いで遣いをしてきた。
俺は苦笑すると、
「ちゃっかりしてんな」
とおどけてみせた。
すると理音はとても可愛らしい笑顔で舌を出し、
「えへへ」
と笑って答えるのだった。
「じゃあ、俺は勉強するけど、一緒に観るか? それとも部屋で休んでるか?」
すると理音は可愛らしい笑顔をどこかにやって、
「えー、退屈そうじゃん……でも碧斗と一緒なら講義は退屈でもいいいよ」
と、のろけに似た言葉を吐いて俯いた。
「そ、そっか……」
理音の態度の変わりようがあまりにも突然で、極端で、なおかつ甘々すぎて、俺のほうがドキドキ照れまくってしまう。
「じゃあ、古文から始めるぞ? あ、ヘッドセット……おーい、菊次郎……」
俺が菊次郎に呼びかけようとすると理音は体を寄せてきて
「ほら、いいよ、こうやって聴けばいいじゃん」
とヘッドセットの片側をクルリと回転させて、俺と左右で半分こする形で頭を寄せ合いながら授業を受け始めた。
(うーん、見られたら恥ずかしいな)
などとヘタレなことを考えながら画面を見て最初に選んだのは古文。
画面上部にはメッセージが届いていることを示すアイコンが表示されていたが、多分前回の授業のレポートの添削なので、今は無視することにした。
講師の選択画面には、いかにも古文の先生といった風情の、柔和な笑みを浮かべた和装の老教授のアイコンがあった。好奇心からそれを選ぶと、画面は静かな和室の映像に切り替わる。
床の間には掛け軸、そして、その前に座る講師は、画面で見た印象そのままの、品の良い白髪の男性だった。
『――やあ、みなさんこんにちは。言葉という名のタイムマシンへようこそ。わたくしは紫堂と申します』
見た目と違ってしわがれたような声ではなく、かといって鈴を転がすような、とは違う。
長年使い込まれた上質な絹織物のような、滑らかで深みのある声だった。
『古文、と聞くと皆さんは何を思い浮かべますか? 活用、助動詞、単語の暗記……ああ、考えるだに憂鬱ですね。ですが、それは大きな誤解です。古典とは、千年以上も前に生きた我々の祖先が残した、壮大な“人間観察記”なのです。彼らの悩み、喜び、そして恋の駆け引き……その機微は、現代の我々と何ら変わりありません』
紫堂先生は、手にした扇子をふわりと開いた。
『今日の題材は『伊勢物語』。主人公である“昔男”の、とある恋の顛末です。教科書では「みやび」の一言で片付けられがちな彼の行動ですが、現代の視点から分析すると、実に計算高く、そして少しばかり滑稽な一面が見えてきます。
彼が送った一首の和歌。そこに込められた幾重もの意味、相手の心を誘導するための言葉の罠。
さあ、一緒にこの“昔男”の口説き文句を丸裸にしていきましょうか。我々がこれから行うのは、和歌に隠された恋の暗号解読です』
知的な悪戯を仕掛ける子供のように笑う老教授に、俺は完全に心を掴まれていた。
これは、ただの古文の授業じゃない。千年の時を超えた、壮大な恋愛ミステリーの謎解きだ。
(昔の人も、今と変わらないことで悩んだり、恋をしたりしてたのか……面白い!)
文法や単語は、物語を深く味わうためのスパイスに過ぎない。紫堂先生の講義は、その本質を俺に教えてくれた。九十分の講義は、まるで一瞬の出来事のように感じられた。
「どうだった?」
「難しくてわかんなーい」
(俺と同じ授業を受けているはずだぞ理音さんよ)
休憩時間に軽くストレッチをして、ドリップコーヒを入れ直してから頭を切り替え、次には現代文の講座を選択する。
すると画面に現れたのは、黒いタートルネックにジャケットを羽織った、三十代ほどの理知的な女性講師だった。背景は無機質なコンクリートの壁。まるで前衛的な美術館の一室のようだ。
『――時間は有限。無駄話は抜きで、早速始めましょう』
短く、しかし芯のある声で彼女――霧島と名乗る講師は言った。
その目は、理音とはまた違って、知識という獲物を前にした肉食獣のように鋭かった。
『今日のテキストは、夏目漱石の『こころ』。皆さん一度は読んだことがあるでしょう。そして、「難解だ」「暗い」と感じたはずです。結構。その感覚は正しい。
ですが、皆さんが読んだのは、この物語のほんの表層にすぎません。
文章とは、作者が意図して組み上げた精密な建築物です。我々読者がすべきことは、その建築物がなぜその形をしているのか、設計図を読み解き、作者の“意図”を暴き出すこと。
例えば、有名なこの一文。「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」。先生はなぜこの言葉を「私」に投げかけたのか。教科書的な解釈は、一度ゴミ箱に捨ててください』
霧島講師は、一切の無駄なく、それでいて圧倒的な熱量で語り続ける。
『我々がこれから行うのは、文学という名の“犯罪現場”におけるプロファイリングです。作者が残した僅かな痕跡から、その動機と手口を明らかにする。
なぜこの接続詞を使ったのか。なぜこの段落で視点を切り替えたのか。なぜ、この風景描写をここに配置したのか。その全てに、作者の計算がある。
さあ、思考のメスを手に取って。この『こころ』という名の美しい迷宮を、一文たりとも見逃さずに解体していきましょう』
ぞくり、と背筋に快感が走った。
退屈な読書感想文のための授業ではない。これは、言葉のプロが仕掛けた壮大なゲームの攻略法を学ぶ、最高レベルの思考トレーニングだ。
チャイムが鳴り、霧島講師が静かに一礼して画面から消える。俺は、まるで深海から浮上してきたかのように、ゆっくりと現実世界に意識を戻した。
脳が焼き切れるかと思うほどの疲労感。しかし、それを遥かに凌駕する、極上の知的満足感が、俺の全身を心地よく満たしていた。
「こっちの授業はどうだった?」
すると理音はまたまた難しそうな顔をして
「夏目漱石ってあれだよね、“吾輩は猫である”書いたひと」
と言うので俺が
「そうだな」
と言って頷くと
「なんか前に読んでみようと図書室で借りたんだけどさ、書いてある言葉が碧斗がよく使うような難しい言い方なんだよねー……十ページも読まないうちに返しちゃったよ」
とUFOでも見てきたかのような感想を口にして天井を見上げて言った。
(確かに古い言い回しが多くて難解だが、そこが面白いところじゃあないか)
と理音に言っても間違いなく否定されるだけなので、その言葉を飲み込んで心の中に留めたところで、今日の勉強は終わりとなった。
「疲れたろ、少し休んでからサバイバル動画を観よう」
そう言って俺がカウチから立ち上がると、カウチに寝転がって機嫌良さそうに足を振りながら、俺がカップを片付けたりトイレに行くのをじーっと見続けていた。
(ぐ、なんだよさっきからずっと見つめて……恥ずかしいじゃあないか……)
とまたしてもヘタレモード全開の俺は、昼食のために畑に野菜を採りにいくことで理音のロックオンから逃れたのだった。
(昼間は、暑いけど体にもいいし、かぼちゃのほうとうにしようかな)
野菜たっぷりの熱々のほうとうを、この暑い南の島で食べる。
理音じゃあ無いが、真冬にアイスクリームを食べるような背徳感は、たしかにちょっとワクワクするものがあった。
俺が畑に出ると、そこにはしっかり人参や大根や長ネギなどが畝から顔を出して、収穫に時期だということを主張していた。
(瀬蓮さん、ちゃんと夏用のタネを撒いておいてくれたんだな)
俺は瀬蓮さんに感謝しながら、ほうとう用の野菜をカゴに放り込んでいった。
畑から戻ると俺はキッチン中を探し回り、なんとか麺打ち棒を手に取ることが出来た。
そしてボウルに中力粉と水を入れて軽くかき回し、ダマになってカサカサにまとまってきたら、少し力をいれて丸めてから台に移す。
そして真ん中を押さえるようにして、周辺から親指の付け根を押し込むように丸めながら折っていく。
そんなに力を入れなくてもいい。
小さい頃遊びに行った山梨のおばあちゃんが、小柄な体でひょい、ひょいと麺生地をこねていたのをおぼろげに覚えているからだ。
麺生地の表面がなめらかになってきたらそのまま丸めてラップで包む。
本来は麺生地を寝かせる必要もなく、塩も使わないでコシを出さないのがほうとう麺の特徴の一つだが、具材の下準備をする間、麺生地には休んでいてもらうことにした。
俺が麺生地をラップで包んでいると、そこへ瀬蓮さんがやってきた。
「あら、麺を打っているの? 本格的ね。でもお昼に間に合うの?」
そう言って余裕綽々の瀬蓮さんに俺はニヤリと笑い返すと、十分ほど寝かせるために麺生地をラップに包んで冷蔵庫に入れた。
そして麺生地を寝かせている間に、具の野菜と肉の準備をする。
具は大きく切ったかぼちゃ、半月切りにした人参と大根そして白菜と長ネギ、シイタケと油揚げ、そして鶏もも肉だけ。
いや“だけ”とは言えない野菜たっぷりの栄養満点の具材の出来上がりだ。
戦後間もない頃は肉も手に入らず、ちくわや魚肉ソーセージを入れていたと祖父母はよく言っていたっけ。
そして最後に春菊を入れて香りを付けるのがおばあちゃんのレシピだった。
そうして具の準備が出来た頃に冷蔵庫に寝かせていた麺生地を取り出し、中力粉を多めに台にバッと振って、麺棒で麺を伸ばし始めた。
塩の入っていないほうとうの麺は打粉が少ないとくっついてしまうからだ。
多少、形や 厚さが不揃いでもそれでいい。
そんな素朴さがほうとうの魅力の一つなのだから。
麺棒で伸ばし、厚さが五ミリくらいにまで薄くなってきたら三つ折り、四つ折りにして、これも適当に一センチ位の幅で切ったらそのまま大きな土鍋に投入する。
塩抜きもいらなく、極めてシンプルだ。
味付けだって酒や出汁なんか使わない。
味噌だけのシンプルさ。
床下のパントリーを開け、味噌を探す。
赤味噌、白味噌……あった、甲州味噌(米麹と麦麹の合わせ味噌)!
ほうとうはそのシンプルさ故、うどんより歴史が古く、それが戦国時代から現代まで受け継がれてきたというのも魅力の一つだと思う。
あとはお好みで、母さんの実家ではかぼちゃの形がなくなるまで煮込むのが当たり前だったので、同じように少し時間を掛けて煮込む。
後は付け合せとしてキュウリ、人参、大根の漬けものを切って皿に盛り付け、うま味調味料と醤油をたっぷり掛けて食べるのが山梨のおばあちゃんの食べ方だったので、これも用意した。
かぼちゃが溶けるようなに崩れるまで一五分くらい煮込んだら、いよいよ出来上がりだ。
「よーし、昼飯が出来たぞー! みんな集まれー!」
俺が声を上げてみんなを呼ぶと、ワラワラと(言っても二人だけだが、いやつられて菊次郎も歩いてきて)集まってきた。
「今日は暑いが、俺の母さんの故郷、おれのおじいちゃんおばあちゃん直伝(直接教わったわけではないが)のほうとうだ」
波打った厚さも幅も不揃いの極太麺が大きな土鍋にこんもりと盛り付けられていた。
木のお玉はなかったのでステンレスのお玉でそれぞれの小皿(と言っても大きめの茶碗くらいの大きさだが)に俺が取り分ける。
お玉からこぼれ落ちんばかりのタップリの野菜と不揃いな麺たちの無骨で朴訥なその姿は、まるで野戦場で鍋を囲む兵士のような、仲間内で同じ鍋をつつく食事を楽しむような雰囲気があった。
菊次郎はゴクリとつばを飲み込み、自分がありつけないごちそうを、羨ましそうに見ていた。
そうしてほうとうの取り分けが済むと、瀬蓮さんも菊次郎と自分の昼食をトレーに乗せてやってきた。
そのトレーに乗っていたのはラーメン。
それもチャーシューたっぷりのチャーシュー麺だった。
ほうとうに負けないくらいのボリュームで盛られた麺とモヤシとチャーシューに、これもまたタップリとかけられた背脂。
(また、菊次郎の体重を増やし、寿命を縮める気だよこの人……その重いお坊っちゃんへの愛が、本当に本人の体重を重くする原因だというのは、何という皮肉か……)
俺は心の中で菊次郎に合唱をしてから、実際に手を合わせて食事の挨拶をした。
「いただきます」
「いただきます」
菊次郎も瀬蓮さんも、俺達に合わせていただきますを言うと、二つの麺料理の異種格闘技戦が始まったのだ。
まずいつもの如く、理音が鶏肉に豪快にかぶりつく。
よく煮込まれた柔らかいもも肉と、米と麦の合わせ味噌の組み合わせは絶品だったらしく、無言で肉にかぶりつき、ほうとうを啜る理音。
それを見てあっけにとられていた他の俺以外の三人もそれぞれ箸を動かし始めた。
菊次郎がまずチャーシューをスープにたっぷりと浸けて、スプをポタポタ垂らしながらそれを口に運んだ。
理音の目がそのチャーシューに釘付けになる。
しかしそれも一瞬で、俺がたっぷりと入れてやった次の鶏肉を頬張ると、こっちも美味しいんだから、という目で菊次郎を挑発した。
夕花はいつものように極太麺を口に入れるどころか箸で掴むのも苦労していて、まだ麺の一本も食べられていなかった。
すると今度はターゲットを野菜に移したようで、レンゲを手に取ると、トロトロに煮込まれて溶けかかったかぼちゃに突き刺した。
かぼちゃは一切の抵抗をすることなくレンゲに一刀両断されると、レンゲの中にするりと身を落とし、そのまま夕花の口の中へ運ばれていった。
「はふはふはふっ……熱いけど……美味しい……」
(まだまだ野菜は何種類も待ち構えているぞ夕花。ビタミンと食物繊維の洪水を、その小さなお口と胃袋で受け止められるかな?)
理音と菊次郎に続いて俺も不敵な笑みを浮かべると、突然瀬蓮さんがラーメの麺をズルズルズルーっと豪快に啜り始めた。
何という破壊力。
理音のほうとう啜りが荒々しいダムの放水だとすれば、瀬蓮さんのそれはまるで凄まじい水圧の消防ホースのそれだった。
荒々しさは同じだが、理音の自然の流れに身を任せるかのような吸い込みと、瀬蓮さんの汁を一滴も飛ばさない正確無比な緻密な唇と横隔膜の制御に、俺は相対するトラとライオンの勇姿を見たような気がした。
そんな中、菊次郎は静かに麺を啜り、咀嚼音もなくチャーシューとモヤシをモオクモクと、黙々と食べ進めていた。
夕花に至っては、レンゲの角でほうとうを切断するという荒業に挑戦していたが、その結果、俺が丹精を込めたて打った麺たちは、一本残らず無残にレンゲに引きちぎられることになったのだった。
そうこうするうちに理音は一杯目のほうとうを平らげて、二杯目に突入しようと俺に茶碗を向け(自分で入れろ)、瀬蓮さんも三分の一ほどを平らげてさらに麺を大量に箸で掴むと、理音に鋭い目を向けた。
(なにリコちゃん、あたしと勝負する気? いいよ、受けて立ってあげる。リコちゃんがラーメンを食べ終えるまでに、後二杯、ほうとうを食べてやるんだから!)
そんな女性同士の戦いを尻目に、俺はただ一人畑で取れた野菜の浅漬を楽しんでいた。
(ポリっ、コリっ……)
俺は浅漬けの食感を味わいながら、、理音が鶏肉だじゃなく野菜も食べてくれることを、そして夕花がほうとうを切り刻むのを止めてくれることを、ただただ願いながら、淡々と漬物を口に放り込むのであった。
そして理音がついに三杯目のほうとうのおかわりを俺に要求し(自分でやれ)、瀬蓮さんがチャーシューともやしを完食し、麺も残り半分を切ったそのとき、二人のバキューム速度はおそらく最大能力に達していたであろう。
(ごほっ、ごほっ、ごほっ……)
(ヒューっ、ぜーはー……)
理音がほうとうにむせ、瀬蓮さんが過呼吸気味になってゼェハァと息をを整える。
俺は一体何が起こっているんだと、静かレンゲと箸をテーブルに置くと、菊次郎はとっくにラーメンを完食し、器を傾けてスープまで飲み干し始めた。
夕花もバラバラほうとう事件の犯行を終え、器の中に大量に浮かぶほうとう片を、犯行の狂気であるレンゲでひょいとひょいと掬い、無残に切り刻まれたほうとうを口に放り込み始めていた。
なぜだろう。
なにか、俺だけが取り残されているような不安が頭をよぎり、まだ俺以外、誰も箸を付けていない漬物をポリポリする速度をなぜか上げていた。
そして鳩時計がぽっぽー、と一三時を告げ始めた瞬間、五人の箸の動きは最高潮に達したのだった。
五、六、七、八、九、十……
この鳩時計が二十四時間計で、十三時には十三回鳴ることは皆も経験で理解していた。
そして十三回目のぽっぽーが鳴る前に、目の前の丼を、椀を、皿をからにしなければと言う強迫観念が、五人を完全に狂気の世界へと突き落としていたのだった……
十一、十二そして十三……
「プハっ、チュルルっ」(瀬蓮)
「ずずーずずずずっ」(理音)
「ごくごくごく………」(菊次郎)
「ひょいぱく、ひょいぱく」(夕花)
「ポリポリっ」(俺)
ほぼ同時に皆が器の中の、皿の上の食べ物を完食し終えたその瞬間、いったい誰がこの無意味な戦いの勝者だったのかは明らかではない。
しかし、すると理音が突然箸を瀬蓮さんのラーメンの器に突き刺す。
「めーっけ!」
理音が瀬蓮さんのラーメンの器の中に残っていた、ほんのひとカケラのチャーシューを箸で掴んで口に放り込むと、
「やっぱお肉は美味しー♪」
と言って満面の笑みを浮かべたあと、珍しくお椀をテーブルの上にそっと置くと、それがこの名も無き昼食戦争の終わりを告げる合図となった……
さて第四六話、どうでしたか?
何の気なしについ競い合っちゃうことってよく、時々、人生で一度くらいは経験がありますよね!?
僕はよく、車でアクセルを抜いて減速中に、隣の車が追い越されまいと無駄に加速したり、チャリで越しそうになった車がアクセルをブオンと吹かして加速するも、その先の信号でブレーキをかけるような、ちょっと恥ずかしいシーンをよく見かけます……
人生、もっと心に余裕を持って過ごしましょうよ……




