島の恵みと謎と罠 第四十二話 罠と獲物と女の勘
皆さん、こんにちは!タコ助です
今回も「島の恵みと謎と罠」をお読みいただきありがとうございます。
前話では、新たな疑惑と罠、そして思いがけないプレゼントが登場しましたね。物語が少しずつ、しかし確実に動き出しているのを感じていただけたでしょうか?
さて、今回の第四二話では、いよいよ仕掛けられた罠と、それに引っかかる獲物、そして女性陣の鋭い勘が交錯します。一体誰が罠にかかり、そしてその罠の先に何が待っているのか……。
今回もどうぞ、お楽しみください!
「カカカカカカカカ……」
一八歳になった次の日の朝は、特になんの変哲もなく、見知らぬ鳥の鳴き声と共に静かに訪れた。
「うーん……まだ七時前か……」
別に何かを期待しているわけでもなかったが、昨日の出来事がいろいろ強烈すぎて感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
俺は顔を洗って着替えると、リビングの電動ブラインドを開けるスイッチを押した。
そこには爽やかな朝の風景が広がっている──はずだったが……
ガラスの向こう側の畑の見ると、苦労して設置した支柱に何やら黒いものがぶら下がって蠢いていた。
(……やったか!)
「おーい! 菊次郎!」
俺は急いで菊次郎を起こすと、ガラス越しにそのぶら下がっているものを観察した。
手を当てるとひんやりした感触がなく、今までずっとガラスだと思っていたそれは、どうやらアクリルのようだった。
「なんですか急に……」
「あれを見ろ、ついに罠に何かが掛かったぞ」
「あれは……人のようですね、僕たちではもちろん無いし、あの体つきは理音さんでも夕花さんでもない……何者なんでしょう?」
俺は逸る気持ちを抑えきれず
「キク、お前は倉庫に行って何か武器になりそうなものを探してくれ。スコップでもクワでもなんでもいい」
と興奮した口調で菊次郎に指示をした。
「わかりました、くれぐれも無茶はしないでくださいよ」
菊次郎が倉庫に向かったのを見届けると、俺はキクハウスからそっと忍び足で、音を立てないように徐々にその黒い物体に近づいて行った。
(全身黒ずくめ、というか、スーツみたいな感じ? 女性?)
その人間らしきものは向こうを向いており、その顔は確認できなかったが、真っ黒な髪に同じ黒のスーツとスカート、ほぼ黒づくめと言っていい姿だった。
膝上三十センチはありそうな黒く短いタイトスカート、おまけに太ももまでのレースの黒いストッキングと黒いローファーまで履いているのだから。
(ザッ、ザッ、ザッ)
菊次郎が忍び足という物理的に無理な近づき方をするはずもないので、奴が近づいてくる足音に、木にぶら下がった芋虫のような状態の女(?)は、またもぞもぞと蠢き出した。
(なんか、動くたびにスカートが少しずつズリ落ちて、パンツ見えそう……)
「ほら、これでいいだろう?」
余計なことを考えていると菊次郎がクワとツルハシを持ってきたので、俺はクワを受け取り、ぶら下がっている人物に声をかけた。
「おいあんた! 誰なんだ! ここで何をしている! コンポスト漁りや野菜泥棒はお前の仕業か!」
いっぺんに質問しすぎたのか返事は返ってこない。
俺は慎重に顔が見える位置までジリジリとクワを構えて移動した。
そこには、少し髪が乱れて顔も衣服も薄汚れていたが、キリリとした、端正で知的な顔立ちの妙齢の女性の姿があった。
俺は女性に対して敵意はないという風にクワを下に向けて両手を広げ、そっと近づくと、その女性はかすかな声で呟いていた。
「お坊っちゃん……」
その女性は端正な見た目とは違って可愛らしい声で呟いた。
(お……坊っちゃん?)
俺はそれを聞いて少し考えを巡らし、菊次郎に向かって
「おいキク、どうやらお前の知り合いらしいぞ?」
と告げた。
すると菊次郎はハッとして
「そういえば……」
と言いながら、構えたツルハシを降ろして覗き込むようにジ、リジリと女性の正面に立った。
「お前は……瀬蓮……」
(え? 今なんて? せば……す?……)
「お前! こんなところで何をしているんだ!?」
俺は握っていたクワを地面に降ろしてしばらく呆然としたあと
「せばす……瀬蓮さんて、あの執事の!? 女の人だったの!?」
俺は逆さまで宙吊りの瀬蓮さんを見て、まずいことになった! ととっさに慌てて瀬蓮さんの腰を掴んだ。
そして力いっぱい引っ張って瀬蓮さんを引きずり下ろそうとした。
しかし体重が八十キロ近い俺でも簡単に吊り上げられるこの竹の反発力は半端なく、お互い上下逆さまになって、腰と股間を抱きかかえるような体制になってしまった。
鼻の前に瀬蓮さんの短いスカートの裾がヒラヒラしていて、もう少しでその奥の深淵が見えそうになる。
「ズルっ」
余計なことを考えていたら再び瀬蓮さんが持ち上げられそうになり、さらに深淵の向こうが衆目に晒されようとなった。
「み、見ないでください……」
瀬蓮さんは恥ずかしさからなのか、逆さまに吊られているのか、多分両方の理由で顔を真っ赤にしていた。
「そ、そう言われても……」
無理に顔を背ければニュートンさんのいたずらでスカートがめくれる可能性もあったし、かと言ってうら若い女性の股間に顔を押し付けるわけにもいかない。
俺はとっさに思いついたアイデアを実行するために叫んでいた。
「おいキク、ロープを切るナイフかなんかもってこい!」
見えないが菊次郎はドタドタと地面を揺らしながら倉庫の方に慌てて走って行ったようだった。
「あなたが瀬蓮さん……はじめまして、俺、菊次郎くんの友人で、七河……碧斗です……」
お互いの股間に顔を密着させた体制で自己紹介するのは確かにシュールではあったが、俺も瀬蓮さんもふざけているわけではなく、二人とも極めて真剣であった。
「か、顔を押し付けないで……」
しかしここで手も顔も瀬蓮さんの体から離すわけにはいかない。
シナモンの香りと酸っぱさが混じったような独特の匂いが、俺の頭をクラクラさせる……
せめて、と俺は目をしっかり閉じて菊次郎の到着を待った。
「ドタドタドタ……はぁ、これでどうですか?」
地面を揺らして菊次郎が持ってきたのは、剪定バサミだった。
「よし、キク、俺がこうやって少しでも引きずり下ろしていられる間に、ツルハシを足のロープに引っ掛けて、お前の体重もかけて瀬蓮さんを地面に降ろしてくれ、頼むぞ」
菊次郎は慎重に瀬蓮さんの足を拘束しているロープにツルハシを引っ掛けて、体重を徐々にかけて瀬蓮さんを地面に降ろしていく。
「よし、そのまま体重をかけていろ、俺がロープを切るから」
菊次郎が持ってきた剪定ばさみを受け取り、狭い視界なので慎重に瀬蓮さんの足を傷つけないように、ゆっくりとハサミに力を入れていく。
「くっ、もうちょっと……」
俺が顔をほんの少しだけずらした次の瞬間、ハラリとした感触が鼻先をかすめ、視界の端になにか白いものが見えた気がしたが、そのまま集中を切らさないようにしてゆっくりと力を込めていくと
(ザクっ)
という音とともに
(ビュウっ!)
(ドサっ)
と風切り音がして、ロープに縛られていた竹棒が天高く、元の真っ直ぐな状態に戻っていくのと同時に、俺の上半身と瀬蓮さんの下半身が、ニュートンさんに地面に叩き落とされた。
「イテテテ……」
俺の顔が落下したのは柔らかい畑だったおかげでそれほどダメージを受けず、顔を土にめり込ませていた。
しかし俺の眼の前には同じようにめり込んだ、ふくよかなイチゴ模様の白い布が鎮座していたのだった。
「だ、だいじょうぶですか?」
すると瀬蓮さんは腰のあたりを抑え少し痛そうな素振りを見た。
「いたた……あっ!」
しかし顕になった部分に気づくと慌ててそれを隠し、恥ずかしそうにうつ向いて言った。
「……ええ、吊るされていたのは三十分ほどですから……」
そう言って今度は足首を押さえると、ふぅ、とため息をついてゆっくりと立ち上がった。
そしてキリリ、とした表情になると
「不幸な事故でしたがさすがはお坊っちゃん、罠の仕掛け方が完璧でした。隠し方も、ロープに油を塗ったことも、獲物を傷つけない太さのロープの選び方、その締まり方、文句のつけようもございません!」
自分がうっかり罠にかかったという事実から目を逸らすためなのか、なぜだか菊次郎を褒め称え、ドヤる瀬蓮さん。
その仰け反り方を見ると菊次郎のドヤりグセはこの人の影響なのかと思ってしまうほどだった。
(そんなにのけぞって、また見えてますよ)
なんにせよ、俺は不幸な事故と本人のうっかりにより、二度も深遠の奥を覗き見ることが出来たということは、間違いのない事実であった。
「おい瀬蓮、まだ質問に答えてないぞ、お前、こんなところで何をしているんだ?」
俺達に怪我がないことがわかると菊次郎が厳しい口調で瀬蓮さんを問いただした。
すると瀬蓮さんはうなだれて
「……はいお坊っちゃま、申し訳ございません、お坊っちゃまのことが心配で心配で……この瀬蓮、実はお坊っちゃまが乗っていらっしゃった新幹線や船に潜んで、ずっとお側で見守らせていただいておりました」
菊次郎は軽くため息をつくと、更に厳しい口調で瀬蓮さんをキツく問いただす。
「この畑の野菜を盗み、コンポストから残飯を漁っていたのもお前なのか!」
瀬蓮さんはそれこそシュン、と肩を落として
「申し訳ございません! この島の動植物は採取してはならないですし、水をやったり草を取ったり、畑の管理をすることで少しくらいはお野菜の収穫が増えて、少しは頂いてもバレないかと思いまして……コンポストの件は誠に申し訳ございません! 美味しそうな匂いにつられてつい……七河様が残り物をきれいにキッチンペーパーに包んでコンポストにお捨てになられているのを見て……本当に出来心なんです! 申し訳けございません!」
(つまりこの瀬蓮さんは、波長丸に密航した挙句、野菜を盗み、残飯を漁ってまで身を隠して、菊次郎のそばにいたかったと、そういうわけなのか)
俺はすこしだけ考えたあと、こう言って瀬蓮さんを庇った。
「まぁ正体も事情もはっきりしたわけだし、瀬蓮さんも悪気があってしたことじゃあないんだから、もう許してやったらどうだ、キク」
菊次郎はしばらく瀬蓮さんを厳しい視線で見つめたあと
「仕方ないですね、碧斗くんがそう言うのなら、今回だけはそれに免じて許してやってもいいです。 だが次はないと思え! 瀬蓮!」
「はいぃぃぃぃ、申し訳ございませんでしたお坊っちゃま! 七河様! 平に、平にお許しくださいませぇぇぇ!」
畑に額をこすりつけそうな勢いで土下座をする瀬蓮さんを見て、俺も流石に動揺してしまい
「もういいですよ瀬蓮さん、それよりお風呂に入ってなにか食べたらどうですか? あと、僕のことは普通に碧斗と呼んでくださいね」
と優しく声をかけた。
「うぅぅぅぅ、碧斗様ぁぁぁ」
顔をぐちゃぐちゃにしてなきべそをかく瀬蓮さん。
きれいな顔が小さな子供みたいに見えて、クスッと笑ってしまった。
「様はやめてくださいってば。碧斗でいいですよ、瀬蓮さん。さあ早く小綺麗になって、なにか食べてください。僕がなにか作りますよ」
このままでは埒が明かないので、俺は泣きじゃくる瀬蓮さんの肩にそっと手を添え
「キク、道具の片付けを頼む」
と言ってからキクハウスの方に案内してあげた。
瀬蓮さんを連れてキクハウスに戻ると、理音と夕花は何事かとアクリルガラスに顔をムニっと押しつけて様子をうかがっていた。
「その人誰?」
俺が瀬蓮さんの肩に手を添えているのが気に食わなかったのか、理音がキツイ目と口調で俺達を出迎えた。
「この人があの瀬蓮さんだよ」
すると理音は目を丸くして
「えー! この人が瀬蓮さんなのー? おじいちゃんかと思ってたのにー!」
無理もない、俺だって、おじいちゃんとは言わないが、中年か初老の紳士だとばかり思っていたんだから。
夕花も瀬蓮さんを見るなり
「……きれいな人だね……」
と意外そうな表情で瀬蓮さんを見つめていた。
俺は瀬蓮さんをダイニングテーブルに座らせると、水をコップに一杯汲んで差し出した。
「ありがとうございます……」
その水を一気に飲み干すと恥ずかしそうに
「それではその……シャワーを使わせていただけますか?」
瀬蓮さんは少し考える素振りをしてから
「あと洗濯機と、できればタオル、なにか替えの服も……洗濯が終わるまでの間だけでも……」
と俺を見て懇願するような顔で言うのだった。
「あ、えーと、うーん、替えの服は……」
俺も少し考えてから
「理音、お前のジャージか部屋着、貸してやってくれないか? 下着もその……何着かあるだろ……せめて下だけでも……」
すると理音は
「はいはい、そっちはいいから、あんたはご飯でも作ってなさい! 待っててくださいね、サイズが合うかわからないけど、持ってきますから」
「何から何まですびません……うぐっ……」
俺はまた泣き出しそうな瀬蓮さんに
「さぁどうぞ」
と言ってバスルームに手を差し向けて、瀬蓮さんの入浴を促した。
道具を片付けに行って倉庫から戻ってきた菊次郎はバツが悪そうにして
「いや本当に済まない。ウチのものがこんな迷惑をかけるなんて……僕たちだけのキャンプだったはずなのに瀬蓮のやつ、それを台無しにするなんて全く……」
俺はそんな風に憤慨する菊次郎に向かって
「おい菊次郎、お前のことを思ってここまでしてくれているんだぞ? そりゃあちょっとは驚いたけど、怒るようなことじゃないだろ。逆に瀬蓮さんがいてくれたほうが安心できるし頼もしいよ。面白そうな人だし」
理音が背後で睨んでいることに気づかず、俺は菊次郎ラブな瀬蓮さんに妙な親近感を感じて、ぜひ一緒に過ごしてみたいとさえ思っていた。
(そんな瀬蓮さんのために何を作ろうか)
俺はキッチンに向かい夕花に指示を出した。
「なぁ夕花、オートミールを五人分、お湯で戻しておいてくれないか? お湯は少なめにな、今から合わせるスープを作るから」
夕花はわかったと頷き、パントリーからオートミールの袋を取り出して、鍋に入れると、オートミールの裏書きを見て分量を計りながら鍋に投入していった。
「ズズっ……うん、よし」
俺は別の鍋にコンソメスープの素とバジル、バルサミコ酢で味を整えたスープを沸かすと、スプーンで味を確認してから夕花が作ってくれたオートミールの鍋にそれを投入した。
「あと冷蔵庫の中にある野菜でサラダを作ってくれ、普通にな」
そう指示しながらオートミールをお玉でゆっくりとかき混ぜて、いい感じにふやけてきたところでお椀の一つにそれをよそい、スープを多めに入れて重湯のように仕上げた。
瀬蓮さんが絶食や飢餓と同じ状態とは思わないが、ひもじい状態からいきなり固く、重い食べ物を食べさせても体に良くないと聞いたことがるので、そうしてみた。
俺達の四つ分はドロっとした仕上がりにして、朝食にふさわしいオートミールに仕上げるとようやく朝食が完成した。
カウンターにオートミール粥の入ったお椀を置くと、珍しく菊次郎がそれをテーブルに並べ始める。
(あんなキツイこと言っておいて、本当は瀬蓮さんが心配なんだな、わかりやすい奴め)
「あ、その薄いやつは瀬蓮さんのだからな」
そう言うと夕花のサラダ作りを手伝い、どうにか朝食を食べ始める準備が出来た。
俺は席につくとみんなに向かって
「じゃあ、瀬蓮さんはまだ時間がかかるだろうし、先に食べるとしよう」
そう言って皆をテーブルに集めた。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
俺達はスプーンでオートミールを口に運びながら、瀬蓮さんについてあれこれ話をし始めた。
理音がまず
「ねぇキク、瀬蓮さんていくつなのー?」
(いきなり女性の年齢を訊くとか、このイケメン、失礼すぎるだろ)
すると菊次郎が済ました顔で
「今年で二八かな、アラサーというやつだよ。あんな調子じゃあ結婚も怪しいけどね」
と辛口な評価をする。
「えー、なんかキャリアウーマンって感じで、あたしああ言う人に憧れちゃうなー」
と決して叶わぬ願望を口にする理音。
(お前がキャリアウーマンって柄かよ、せいぜいおっかないパワハラ上司になるくらいだぞ)
と心の中でそんな風に毒づくと、理音はそれを察したのか俺に向かって
「いまなんか失礼なこと考えたでしょ、わかるんだから!」
とスプーンを向けて睨みを効かせる。
(妙なところで鋭い奴め……)
俺は目を逸らしてとぼけると、サラダに手を伸ばした。
(シャク、シャク、シャク、ふん、ランチドレッシングか、ケチャップ同様いかにもアメリカンな大味だが、決してまずくはない。むしろ俺は好きだ)
夕花にしては上出来なサラダに、心の中で及第点を進呈してみせた。
「ガラッ」
するとバスルームの扉が開き、ブカブカのジャージ姿の瀬蓮さんが姿を表した。
瀬蓮さんも百七十センチはありそうな長身だが、理音と比べたらその差は歴然だ。
申し訳なさそうに俺達のもとへ歩いてくると
「シャワーありがとうございました。服も」
とあくまで低姿勢な瀬蓮さんに、逆に恐縮して答える。
「いえいえ、ここは辻出家のものなんですから、瀬蓮さんが遠慮をすることなんて無いんですよ。なぁキク?」
俺は菊次郎にこれ以上、瀬蓮さんにキツく当たるなよ、と目と口調で訴えると、菊次郎もそれを理解したようで
「さあ、早く席について朝食を頂け」
と仏頂面でスプーンを口に運んだ。
すると理音がまたまたど直球に菊次郎を睨みつける。
「なによあんたエラソーに! このキャンプのお膳立てとか、瀬蓮さんにはいろいろお世話になってるし、あんたをお世話するためにわざわざここまできてくれたんでしょ! 少しは感謝しなさいよ!」
菊次郎のツンデレぶりを理解できていない理音は、口からオートミールを飛ばしながら菊次郎に喰ってかかった。
「いえ、いいんですよ理音さん、坊っちゃまの言うとおりですから……みなさんだけの夏休みをお邪魔するようなことをしてしまって、本当に申し訳ございません……」
あくまで低姿勢な瀬蓮さんに理音はしびれを切らしたのか
「さん付けなんてやめてくださいよ。ちゃんでいいですちゃんで、ね、夕花ちゃん」
少し考えてニコリとすると夕花は恥ずかしそうに
「……うん……よろしくおねがいします……瀬蓮ちゃん……」
と答えた。
「ブフっ」
俺がオートミールを吹き出しかけ、瀬蓮さんが反応に困っているこの混乱した状況を見かねたのか、理音が珍しく冷静に、そして的確に瀬蓮さんに助け船を出す。
「あの、失礼ですけど、瀬蓮さんって下の名前は何て言うんですか?」
すると瀬蓮さんは恥ずかしそうに
「小百合子、です……」
とうつ向いて小さな声で答えた。
すると理音は目を輝かせて
「うわー可愛い名前ー、じゃあ、リコちゃんでいいよね! 決まり! よろしくね、リコちゃん!」
うーん、理音にしては的確な助け舟だったが、綺麗な大人の女性に向かって「リコちゃん」はちょっと失礼なんじゃ無いかと思っていると、瀬蓮さんはぱっと明るい表情になり
「あ、それ、お友達にもそう呼ばれています! 嬉しい!」
とまんざらでもない様子。
どうやらお互いの呼称の問題はほぼ決着がついたようだった。
男どもは蚊帳の外だったが、俺は先日の料亭で出会った霞咲さん同様に、瀬蓮さんの大人の女性の雰囲気に少しだけ惹かれ、いや憧れてしまっていた。
白い肌、細いうなじ、漆黒の髪にしっとりとした風呂上がりのすっぴんの素顔……
そんなことを考えていると、またしても理音が鋭いレーダーで俺の考えを察知したように
「碧斗、なにじっと見てんの、あんたの考えなんて丸見えなんだから! 鼻の下伸ばしちゃって……」
(うぐっ、鋭すぎんだろ女の対人感受性センサー……恐るべし……)
「いや、瀬蓮さん、今晩からどこで寝るのかなって」
すると理音がすっかり癖になったのか
(キッ)
と俺に鋭い睨みを効かせ
「あんたと一緒じゃないことは確かよ!」
と吐き捨てるように言った。
「ふふふっ、私はカウチでいいですよ、充分に大きいし」
瀬蓮さんはそんな俺達のやり取りを笑うと、何やら俺と理音を交互に興味深そうに観察し始めた。
(こっちも謎センサーの発動か?)
俺は女性のそんなセンサーの感度に舌を巻きつつ、その後は瀬蓮さんのことはなるべく見ないようにしながら朝食をなんとか食べ終えた。
(しかしこんなことになるのなら、最初から同行すると言ってくれたら良かったのに)
色々と驚かせられてしまったのは事実だが、この一週間、サバイバル同然の生活をしてきた瀬蓮さんには少しは同情をせざるを得なかった。
結局この日はそのまま何事も起こらず、夕花たちのために畑の罠の位置に石を置いてさらに石灰で印をしておき、一件落着となった。
(畑でイチゴを育ててみるのもいいかもな……)
残り二週間、明日からの生活をどう楽しむか、ベッドに入り、そんなことを考えながら、静かに目を閉じた……
第四二話をお読みいただきありがとうございました。
まさかとは思ったけど、あの瀬蓮さんが罠にかかるとは思いもよりませんでしたよね?
新幹線でも尾行し、波長丸では密航までした菊次郎のために何かをしようとする瀬蓮さん。
これはもう、仕事という使命を超えて、愛なのではないかとさえ感じてしまいます。
今回の「罠と獲物と女の勘」はいかがでしたでしょうか?
物語の核心に迫るような展開に、ハラハラドキドキしていただけたなら幸いです。特に、女性陣の勘の鋭さには、私も思わず唸ってしまいました。
次話では、いよいよ本格的な「肉食」と「草食」の対比、そして脇役(MOB)二人の活躍が描かれます。彼らが物語にどのような彩りを加えてくれるのか、どうぞご期待ください!
今回、夕花に「せばすちゃん」と言わせたかったのにルビ振り間違えましたすんませんスンマセン修正しましたスミマセン。
それでは、また次話でお会いしましょう!




