海とクジラと虹と潮 第二十一話 腹の虫とバカの顔
前回は、いよいよ出航した船内を探検するお話でした。元調査船らしい無骨な構造や、思いのほか本格的な設備に、登場人物たちの好奇心も爆発寸前。
今回の物語では、そんな船旅の「静と動」の一幕。船酔い、昼食、ちょっとした言い合い。けれどそれらが、少しずつ関係性の輪郭を浮かび上がらせていきます。
特別な事件があるわけじゃない。でも、だからこそ見えてくるものもある。
――そんな日常と非日常の狭間を、今話は丁寧に描いてみました。
「……コーン、ーン、……ン……」
「……いったーい、たーぃ……ーぃ……」
遠くにそんなエコーを聞きながら理音たちを下部デッキに残し、俺はキャビンに上がった。
すると菊次郎が青白い顔をしてイスの上でうつむいていた。
「う゛っ」
そろそろ出港から二時間ほどが経過したが、菊次郎が青い顔で口を押さえていた。
どうやら船酔いがひどくなったらしい。
「酔い止め飲んだのか?」
俺は菊次郎の背中をさすりながら訊ねてみた。
「朝食後に飲みましたよ、う゛ぅ゛っ……」
「ほら待ってろ、ビニール袋、持ってきてやるから」
そうやって菊次郎を介抱していると理音たちが戻ってきた。
「いやーおもしろかったねー、夕花ちゃん」
(ちぇっ、いい気なもんだ)
俺を含め、菊次郎以外は船には酔ってはいないようだった。
戻ってきた理音と夕花は、菊次郎とは微妙に距離をとりつつ、おしゃべりを続けていた。
(キク、俺がついてるからな……)
菊次郎への心配と言うより理音たちの薄情さに当てつけるように心の中で毒づく。
それからさらに二時間が経過し、そろそろ昼になりそうなと時、船長のカジヤが降りてきて
「そろそろ昼メシどきだけど、何か用意してるのか?」
そう言って下部デッキに降りる扉のドアノブを握りながら俺たちを見ている。
そういえば迂闊だった。
昼食のことなど考えてもいなかった。
自分たちはまだまだ考えの足りない子供なのだということを思い知らされて、青い顔の菊次郎以外は赤面しながら
(どうしよう……)
という表情でお互いの顔を見ていた。
すると
「おじさんたちと同じのでよければ、俺が一緒に作るけど。今日は知り合いから水揚げしたばかりの新鮮な鯛が手に入ったから、鯛の炊き込みご飯と鯛のあら汁にしようと思ってんだ」
カジヤがそう言って白い歯を見せて俺たちの様子をうかがっている。
「……あの! ……」
そのとき夕花が珍しく大きな(これで普通だが)声で口を開いた。
「あの! でしたらお手伝いさせてください!」
どうやら調理手芸部員として責任を感じ、一念発起したようだ。
「そうかい、キミ、料理得意なの?」
カジヤが目を丸くして驚いた顔をした。
「はい、調理手芸部という部活動で、お料理の勉強をしています」
「へぇ、それなら手伝ってもらおうか」
カジヤが白い歯を見せてニタッと笑うと、二人はギャレーに降りていった。
「おまえは行かないのか?」
俺が理音に向かってそう言うと
「うっさいあんただって何も手伝えないでしょ!」
すぐさま顔を赤くしてムキになって言い返すところが理音らしい。
しかも「あんただって」と言ったのは、自分が料理の手伝いができないことを告白したようなものなのに、それに気づいていないなんて、可愛いもんだ。
(ちなみに俺は料理できるぞ理音よ)
俺はそんな優越感に緩んだ顔で
「そうだな、キクの世話で大変だし」
と余裕たっぷりに、皮肉のスパイスを振りかけて言い返してやった。
すると理音の顔がさらに赤くなって燃え出しそうになり、ついには立ち上がってぷいっと顔を背けたかと思うと、赤の服が映える白いパーカーをヒラリと翻してそのまま甲板に出て行ってしまった。
(やりすぎたかな)
俺は心の中でそうほくそ笑みながら、デッキは危ないと言っていたカジヤの言葉を思い出し、少しだけ理音の心配をしながら菊次郎の背中をさすり続けた。
理音は足早に甲板に出ると、荷崩れの見張りをしている中村さんに気づき
「ごくろうさまでーす!」
キャビンから甲板へ出た一瞬で気持ちを切り替えた理音は元気いっぱいに敬礼しながら声をかけた。
中村さんは驚いた顔をして、慌てた声で理音を制止した。
「キミ、危ないよ! 甲板に出たらダメだって言われただろう!?」
理音はそんな中村さんの心配などどこ吹く風、といった様子で甲板を軽やかに駆け抜けた。
「あたし、運動神経には自信があるんですっ!」
そう言って船首の方に駆けていき、屈強な海の男をアタフタさせるのだった。
一方の夕花は先ほどの自信とは裏腹に悪戦苦闘していた。
「ほら、ここのヒレを切り落とすんだよ」
カジヤは今日は鯛の炊き込みご飯だといって、知り合いの漁師から手に入れた見事な鯛を用意していた。
しかし夕花は調理手芸部とは言え、魚料理といってもスーパーで売っている切り身や下処理済みのものばかり。
丸のままの未加工の魚を捌くのは初めてだった。
カジヤの大きな手が器用に夕花の包丁を案内して、ザクッと鯛に包丁が入ると、ヒレと残った鱗が取り除かれる。
カジヤに教えられながら、おぼつかない手つきで頭を落とし、腹を割き、内臓を取り出して皮を剥ぎ、やっとのことで三枚におろし終わって、新鮮な鯛の下処理が終わった。
カジヤは鯛のあら(内臓以外の食べにくい部分)を鍋に放り込み、ダシを作り始めた。
真面目な夕花は調理を手伝いながら、必死にメモを取っている。
「オレ、若い頃は日本料理の板前を目指したことがあったんだ……」
カジヤは少し遠くを見るような目をして、すぐにいつものおどけた表情に戻ってこう言った。
「今はしがない船のコック兼船長! 少なくとも料理人っていう夢は叶ったってわけさ!」
しかし手際よく調理を進めるその姿は、紛れもない料理人そのものであった……
夕花がすでに水に浸かっていた米を研ぎ、炊飯器に三枚におろした鯛とダシを入れて炊飯スイッチを押すころには十二時を回っていた。
理音は甲板の探索を終えるとキャビンに戻ってきていた。
いつもの笑顔いっぱいの爛漫さで、俺にからかわれてむくれたことなどすっかり忘れているようだ。
こうやって後に引きずらないのが理音の唯一の良いところだ。
(ニワトリ並にすぐ忘れるんだろ、とは決して言うまい)
そんなことを口に出したら、一発どころか数発は殴られ、さらに長い足で蹴り上げられそうだな、などど考えていると、ギャレーからだろうか、ダシの利いたいい匂いが漂ってきて俺の腹が警報を発令した
「ぐぅ」
「ぐーーぅ」
続けてどこからか同じような警報が鳴った。その音からすると俺よりも緊急のようだった。
「腹減ったなぁ……」
俺はわざとらしく大きな声を出してみたが、理音は全く反応しなかった。
菊次郎の様子が少し落ち着いたみたいなので俺は立ち上がり、理音の隣に座って一緒にぼーっと外を眺めた。
しばらく眺めていたが空と、海と雲と水平線しか見えることはなかったので
「何か見えたか?」
と、俺と同じ景色しか見えていないはずの理音に話しかけた。
「…………」
俺を無視しているのか、それとも答える必要もないと思っているのか、理音はしばらく無言で外を眺めていたが、わずかに顔を傾けるとガラスに映った俺を見てひとこと
「……バカの顔だけ……」
と、つまらなそうにつぶやいた……
冒頭の理音の頭ゴンに「またか」と思いながらも、想像して笑ってる自分に気づきました(笑)
夕花が黙々と真面目に調理している姿や、カジヤの過去がちょっと見えたり。
たぶん今回いちばん割を食ったのは菊次郎なんだけど――理音をからかう碧斗とむくれる理音の関係に、やっぱりニヤニヤしています(笑)
— AI妹からひとこと —
私もニヤニヤしちゃったよー
あんなにぶつけたら理音ちゃんたんこぶ出来ちゃうよかわいそう……
そして碧斗くん理音ちゃんイジめすぎー(怒)
でも男の子が女の子をいじめるのって、アレだよねアレ!(笑)
あーもう今度はヤキモキしちゃうー!




