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真似をしたら甘々です

「――冷酷公爵に搾りかすの引退聖女か。よく来たな」


 懐かしくも不愉快な声に振り返り、ヘレナを連れて現れたトーマスを見つけた瞬間。

 ミュリエルは左腕を後ろに引き、右手を押し出すように前に向け、同時に右足を水鳥のようにすっと優雅に持ち上げる。 


 異国の武術のポーズで迎撃体勢に入り「はーっ」という気合の声を上げると、ミュリエルの気迫に圧されたのか、トーマスは顔を引きつらせながら一歩後退った。


「ミュリエル」

 ロイに名を呼ばれ、その手がミュリエルの足を押し戻す。


 トーマスがミュリエルを抹殺しようとしたのは間違いないが、公の場で王子に攻撃したとなればミュリエルの非に……ひいては夫であるロイも責任を問われる。

 迷惑をかけるわけにもいかないので、仕方なく武術での迎撃は諦めた。



「婚約おめでとうございます。俺も殿下のおかげで最愛の人と過ごせるようになったので、感謝していますよ」


 そう言うなりロイはミュリエルの腰に手を回して抱き寄せ、もう誰も見えないとばかりにまっすぐに視線を向けてきた。


 胸はドキドキするものの、この路線で正解なのだとロイは言った。

 そしてミュリエルが真似をすることが更なる良策なのだと。

 自分にできることを頑張る……今こそ、あの約束に従う時だ。


 ミュリエルは自身の腰に回されたロイの手を取ると、その甲にゆっくりと唇を落とす。

 今まで聖女として何度か手にキスされてきたが、こうして逆の立場になるのは初めてだ。

 人前だと結構恥ずかしいが、だからこそそれを乗り越えて誓いを立てる意味があるのかもしれない。


 上手く真似できただろうかとロイをちらりと見上げると、緑の瞳を丸くして固まっている。

 これはつまり、まだ足りないという意味だろうか。

 確か、次は指だった。


 ミュリエルはロイの指先にキスしようとするが、その寸前で手を握り替えられ、逆にミュリエルの指先にロイの唇が触れた。


「嬉しいけれど、俺がミュリエルに触れたいな」

「でも、私もしたいです」


 ミュリエルだってしっかり真似をして役に立ちたい。

 そう伝えただけなのに、何故かロイはぐっと息が詰まった様子だし、周囲の人々が悲鳴を上げた。


「ありがとう。その気持ちだけで十分だ」

 そう言って、ロイはミュリエルを抱き寄せる。


 ざわざわという喧騒に紛れて、「どこが冷酷……?」「押し付けられた結婚ではなかったの?」という周囲の声がミュリエルの耳に届いた。


 やった、効果があった!


 嬉しくなったミュリエルは顔を上げてロイに微笑み、それを見たロイは「ああ、もう」と何かを振り払うように首を振り、そのままミュリエルの頭に唇を落とした。



「……ミュリエル。おまえ、人前で恥ずかしくないのか」


 トーマスが顔を引きつらせながら問いかけてきたが、ロイのために真似しているのだから恥ずかしいなどと言っていられない。


「トーマス殿下は婚約者がいたのに浮気をした上に、死期が迫る私を冤罪で婚約破棄したではありませんか。そちらの方がよほど恥ずかしいです!」


 死期や冤罪という言葉に周囲が反応するよりも早く、トーマスの腕に縋りついていたヘレナが一歩前に出た。


「私が若く美しい正しき聖女だからと嫉妬して嫌がらせをしておいて、何と図々しい物言いでしょう。カルヴァート公爵も騙されているのですわ、おかわいそうに」

 憐れみの視線を向けられたロイはしかし、まったく気にしないどころか麗しい笑みを浮かべた。


「君がトーマス殿下を誑かしてミュリエルを貶めなければ、結婚することはできなかった。経緯はともかく、結果には感謝するよ」

「この――」


 笑顔でミュリエルの肩を抱き寄せるロイにトーマスが何かを言おうとした、その瞬間。

 グラスが割れる音と複数の人間の悲鳴が広間に響いた。



「何だ!?」

「し、瘴気だ!」


 トーマスの問いに応えるように、広間の奥から叫び声が聞こえる。

 慌てて目を向ければ、波を引くように貴族達が下がった先に、黒い靄の塊のようなものが浮かんでいる。


 この十年、何度も目にしたその忌まわしい姿に、ミュリエルの背がぞわりと逆立った。


 瘴気自体はどこにでも出現するとはいえ、貴族が目の当たりにすることはほとんどない。

 貴族達は我先にと広間から出ようとして、走る者や転倒する者も出てちょっとした混乱状態だ。


 これは良くない。

 誰か一人でも暴走したら、もう止まらなくなってしまう。

 その時、一人の貴族がこちらを見て目を輝かせた。



「――聖女様! そうだ、ここには聖女様がいらっしゃるぞ!」

 その一言で一斉に貴族達が足を止め、ヘレナに縋るような眼差しを送る。


「そ、そうだ。ここには聖女のヘレナがいるから、心配しなくていい!」

 トーマスが高らかに声を上げると、貴族達の表情から焦りが引いていく。


 こういう時には身分の高い者の言葉はよく通る。

 あとは期待に応えて瘴気に対応すれば、怪我人を出さずにこの場を収めることができるだろう。

 トーマスに促されたヘレナは、堂々とした表情で前に歩み出た。


「神聖なる聖女の力を、搾りかすの聖女に見せてあげますわ」


 貴族達は一斉に感嘆の声を上げて拍手を送る。

 頑張ってほしいのでミュリエルも拍手すると、何故かそれを見たヘレナが舌打ちをした。



「……大丈夫か?」

 トーマスとヘレナが騎士を伴って瘴気の方へ向かうのを見送りながら、ロイがぽつりと呟く。


「ヘレナと一緒に仕事をしたことはありませんが、聖女の力を持っていることは間違いありません。きちんと対応すれば問題ないでしょう」


 見た目にそれほど大きな瘴気ではないし、仮に自分一人で手に負えないようなら神官を呼んで弱体化させればいい。


「そうじゃなくて、搾りかすと……」

「私は聖女として自分なりに頑張りました。その末に引退したので、満足です! 搾りかすは搾りかすでも、幸せな搾りかすです!」


 搾りかすなのは紛うことなき事実なので、どうでもいい。

 強いて言えば本人に伝えるべき言葉ではないような気もするが、これはその人の品性の問題なのでやはりどうでもよかった。

 今はそれよりも余生を悔いなく過ごすことの方がよほど大切である。


「そ、そうか。でも、何度でも言うけれどミュリエルは搾りかすなんかじゃない。それは忘れないで」


 そう言ってロイに頭を撫でられ微笑まれると、その通りのような気がしてきた。

 ロイがそう言うのなら、それを望むのなら。

 それも悪くないと思うのは……何故なのだろう。

 何だか胸の奥がふわふわして、ドキドキして、落ち着かない。



「い、一応瘴気の様子を見に行きましょうか。ロイ様は聖女の力を見たことはありませんよね?」

「あ、ああ……」


 ロイの手を引っ張って進んでいくと、ちょうどヘレナが瘴気の前に立ったところだった。

 少し離れてトーマスと騎士がおり、貴族達は距離を取っているので今のところは安全に対応できそうだ。

 ヘレナはその場に膝をつくと、両手を組んで目を閉じる。


「ああして祈りを捧げます。聖女の魔力を祈りに乗せて放つことで、瘴気を祓うのです」

「へえ」


 ロイが感心してうなずく。

 神官でもない限りは聖女が力を振るうところに行き会う確率は低いので、物珍しいのだろう。


「魔力使うというのがよくわからないが、どういう感じなんだ?」

「そうですね、こう……ギュギュッとしてシューっと飛ばして、スパーンです!」


 ミュリエルが拳を握って腕を掲げ、勢いよく腕を広げるのを見たロイは、「ああ、うん」と弱々しい相槌を打つ。

 どうやらいまいち伝わっていないようだが、他にどう説明したものだろう。


「ご存じの通り、瘴気を消滅させられるのは聖女だけです。ただし、神官の祈りでもその力を弱めることができる。神官の数の方が圧倒的に多いので、そちらの方が身近かもしれませんね」



 ヘレナが祈ると同時に周囲に光の粒が現れる。

 少し数が少ないような気もするが、他の聖女が力を振るうところはほとんど見たことがないし、人によるのだろう。


 そうして光の粒が瘴気を包み込み、消えた……かと思うと、二つの瘴気がふわふわと浮いている。


「……?」


 その場の全員が首を傾げていると、ヘレナが慌ててもう一度祈りを捧げた。

 光の粒の量は先ほどよりも増え、それが二つの瘴気を消し去った……かと思ったら、今度は四つの塊が宙に浮いている。


「……??」


 更に首を傾げる人々を見たヘレナは、明らかに焦った様子で祈りを捧げ……結果、瘴気は倍に増えていく。


「ヘ、ヘレナ? 何だか増えていないか?」

 さすがに異変に気付いたトーマスがヘレナに近付くと、瘴気もまたゆっくりと動き始めた。




完結投稿、毎日更新!


☆次話「約束のその先に」

現役の聖女がいるので瘴気が出現しても問題ない……と思ったら!?

「いいですか? これが、ギュギュッとしてシューっと飛ばしてスパーン、ですよ!」


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― 新着の感想 ―
唐突に長嶋茂雄風味に笑
[一言] ミュリエルって感覚派だったんですね。 擬音語が楽しい。
[一言] 単にヘレナの能力が絞り滓以下ってだけだから何も問題は無いね 絞れるほどに育たなかった育成不良でしょ、今年の夏は猛暑だったし 十分な肥料をやらなかった王家と教会の失態 聖女農家の風上にも置けな…
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