飛んで火に入る引退聖女、抱擁される
「既に馬車が用意されていたとは。至れり尽くせりです」
ミュリエルは夜道を走る馬車の中で、満足げにうなずいた。
車窓から見える夜空には金色の月が浮かんでいる。
いつもと同じはずなのに、今夜はまるでミュリエルの門出を祝っているかのように一層輝いて見えた。
舞踏会会場から直接馬車に乗り込んだのでドレスを着たままだが、ある意味ではこれも第二の人生の始まりに相応しい正装と言えよう。
先ほどまではコルセットが息苦しいし歩きづらいとしか思えなかったドレスなのに、気持ちが変わるだけで愛着が湧くのだから不思議なものである。
「聖女を引退。……瘴気と関わることももうないのですね」
瘴気というのは自然発生する毒の塊、要は悪い空気のことだ。
動植物に被害をもたらし場合によっては死を招く上に、放っておけば広がっていく厄介なもの。
対処方法は二つで、一つは神官による祈りで抑えること。
そして唯一瘴気を完全に消せる存在が、聖女なのである。
「聖女である以上、死ぬまでお役目を果たすものとばかり思っていましたが。まさかの展開ですね」
自分の髪を一房つまんでみれば、元が黒髪だったとは到底思えないほど、白い。
毛先のあたりはまだらに灰色だが、少しずつ白の割合が増えていた。
ミュリエルに残された時間は決して長くないのだと、現実を突きつけられる。
「残り少ない時間ですが、悔いなく過ごしましょう。『自分ができることを頑張る』と、あの子と約束しましたから」
ミュリエルは元々平民だ。
十年前に盗賊に襲われて家族を失い、同時に聖女であることがわかって神殿に引き取られた。
顔も憶えていない少年との約束は、胸元に光る花の形のペンダントと共におぼろげに記憶に残る幸せな日々の象徴でもあった。
「そういえば、私の夫になる方は『冷酷公爵』、でしたか」
――ロイ・カルヴァート公爵。
国王の甥でトーマスの従兄であるその人は、美しい容姿だけれど冷酷な人柄という噂だ。
社交界に顔を出すことは少ないらしいし実際に会ったことはないけれど、果たしてこの結婚をどう思っているのだろう。
すべての人に等しく恵みを与えるのが、聖女。
ミュリエルは神殿の教えに従って、聖女らしく清く正しい博愛の存在として頑張ってきたつもりだ。
だからこそ愛し愛されてみたい……聖女のままでは決して叶わぬ、ただ一人を愛してみたいという夢があったのだが。
「冷酷な方が突然妻になった人間を愛するのは難しいですよね。トーマス殿下に私を押し付けられたのだとしたら、なおさらです。……まあ、時間もないのでここは期待しないでおきましょう」
少し残念ではあるが、無理なものを追っている時間はない。
さっさと諦めて他にできることを探した方がいいだろう。
すると、ガタンという大きな音と共に馬車が揺れて急停止した。
「わっ!?」
危うく椅子から滑り落ちそうになるのを、向かい側の椅子を蹴る形で堪える。
何事かと窓の外に目を向けると、ちょうど御者がやってきて扉を開けるところだった。
「石にでも乗り上げたのでしょうか?」
わざわざ御者が来るくらいだから、修理に時間がかかるのかもしれない。
あまり遅くなっては公爵にも迷惑だろうが、不可抗力なので許してもらえるだろうか。
最悪、明日の朝あらためて訪問することになるかもしれない。
「降りてください」
「え? は、はい」
御者に促されるまま降りると、そこには馬車を取り囲むように五人ほどの男性が立っていた。
それだけでも不思議な光景なのに、全員が剣を鞘から引き抜き、その切っ先をミュリエルに向けている。
「え?」
事態が把握できずに傾げそうになった首に、御者が短剣を突きつけた。
驚いて動いた拍子に刃に触れたらしく、首にチリッと微かな痛みが走る。
「悪いが、ここで消えてもらいますよ。元聖女様」
欠片の罪悪感もないその声に、ミュリエルの中ですべてがつながった。
「……これは引退した聖女が邪魔なので処分したい、ということで間違いありませんか?」
「そうだ。察しがいいな」
では、ミュリエルが手配するよりも先に用意されていたこの馬車も、そのためのものだったのか。
まあ、理屈はわからないでもない。
トーマスとの婚約は聖女と王子……言い換えれば神殿と王家の契約。
更にいくら相手が新聖女とはいえ、ホイホイと乗り換えるのは世間体もよろしくない。
だからこそヘレナに嫌がらせをしたという冤罪で、ミュリエルに瑕疵があるという体にしたかったのだろう。
結婚相手の冷酷公爵は、国王の甥。
相応の立場に嫁がせることで役目を終えた聖女に最低限の敬意をはらう様に見せかけ、その上で闇に葬ろうというわけだ。
国王が聖女を消すような馬鹿な真似をするとは思えないし、仮に排除したいのなら普通に処刑できるだけの権限がある。
だからこれはトーマスの策だろうし、もしかすると冷酷公爵も協力しているのかもしれない。
上手い話には裏があるという言葉を聞いたことはあるけれど、まさに今のミュリエルにぴったりだ。
つまり、飛んで火に入る引退聖女というわけである。
「……そうですか」
ミュリエルはそっと目を伏せてため息をつくと、意識を切り替えて顔を上げる。
その瞳には燃え盛る炎のような決意がみなぎっていた。
「ですが、どうせ死ぬからこそ、ここで諦めるわけにはいきません」
ミュリエルは左腕を後ろに引き、右手を押し出すように前に向け、同時に右足を水鳥のようにすっと優雅に持ち上げる。
「生き恥を晒してこそ人生。今こそ無駄に蓄えた知識を活用する時!」
神殿で唯一の娯楽と言っていい読書。
その本に載っていた武術のポーズをとると、仕上げとばかりに「はーっ!」と気合の声を上げた。
勢いに押されたのか、御者や男達はどう反応したらいいかわからないとばかりに目を泳がせて動きを止めている。
よし、この調子だ。
「遠い異国の武術で――きゃっ!?」
慣れないポーズに慣れないドレス姿。
当然のようにその裾を踏んでしまい、バランスを崩して地面に手をつく。
すぐに立ち上がろうとするが、御者の足がすかさずドレスを踏んでおり、身動きが取れない。
「これでお別れだな。元聖女様」
御者はにやりと笑みを浮かべると短剣を振り上げる。
刃がきらりと月光を弾いて、金色に輝く。
避けなければと思うのに、その美しい光に目を逸らすことができない。
あっという間に眼前に迫った短剣がミュリエルの体にたどり着くと思った、その時。
視界の端から突如現れた剣が、金属のぶつかる音と共に短剣を勢いよく弾き飛ばした。
そのまま流れるように御者の腕を切りつけた人影は、ミュリエルと御者の間に庇うように立つ。
少し遅れて、カランカランという石畳を剣が転がる音があたりに響いた。
「うわああ!?」
御者が上げた悲鳴に、ミュリエルはハッと我に返る。
ミュリエルの前にいるのは、剣を手にした黒髪の男性。
月夜とはいえ後ろ姿なのではっきりとはわからないが、恐らく若い。
その男性が、ぎゅっと剣を握る手に力を入れるのがわかった。
「……随分とふざけた真似をしてくれる」
決して大きな声ではない。
だからこそにじみ出る怒りに、ミュリエルはおろか剣を持つ男性達までもがびくりと体を震わせる。
「だ、誰だ!」
御者が腕を押さえながら叫ぶが、男性に気にする様子はない。
「ここで俺が名乗れば、おまえ達の雇い主も表舞台に引きずり出すことになるぞ。いいのか?」
挑発するかのような言葉に御者は眉間に皺を寄せるが、男性の顔を見てハッとしたように息をのむ。
「まさか……何故ここに!?」
「わかったら、さっさと立ち去れ」
動揺を隠せない御者に対して、男性の声は堂々として威厳すら感じる。
剣を持った男達はざわついたものの、御者の合図で一斉に馬車と共に撤退していく。
あまりの呆気なさに、ミュリエルは石畳に座り込んだままぽかんとそれを見送っていた。
一体何だったのかわからないけれど、殺されそうなところを助けられたのは間違いない。
とにかくお礼を言おうと口を開きかけるのと、剣を鞘に納めた男性が振り返るなりミュリエルを抱きしめるのはほぼ同時だった。
「――へ?」
混乱に混乱が上乗せされたせいで、上擦った変な声が漏れる。
だが男性はミュリエルを解放するどころか、更に力をこめた。
男性の腕の中にすっぽりと体が収められている。
……これはいわゆる、抱擁ではないだろうか。
名ばかりとはいえ婚約していたトーマスとすらしたことがないのに、何故ミュリエルはこの男性に抱きしめられているのだろう。
そして驚きが勝っているせいか、まったく嫌ではないのだから困る。
「良かった……無事で」
頭上から耳に直接囁かれたようなその声は絞り出したかのように苦し気で、ミュリエルの困惑は更に深まるばかり。
一体、どういうこと――⁉
美しい金の月の下、ミュリエルはただ抱きしめられたまま固まることしかできなかった。
異国の武術はいわゆるカンフー的なものを想像してください。
……読書だけで習得したなら天才ですね(笑)
いつも通りの完結投稿。
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