第六話 王太子は苦悩する
私がソフィアのことを知ったのは、彼女が聖女になった後。
私の婚約者になったと知らされた時だった。
最初、私はソフィアに何の興味もなかった。
婚約者になったと言っても、ソフィアは聖女の仕事にかかりきりで、なかなか会う機会もなかった。
それに、王族にとって婚約や結婚は政治の一環であり、義務だった。そこに、恋愛感情とか愛情などと言ったものは存在しない。
特に父上の若い頃は酷かったらしい。
王太子になった時点で、当時相争っていた複数の派閥から未来の王妃候補として令嬢が送り込まれ、彼女らも正妃を目指して序列争いを繰り返していたそうだ。父上を無視して。
そんな話を聞いて育った私は、婚約や結婚に対して夢も希望も持たなくなっていた。
そもそも、ソフィアとの婚約だって、「聖女を守るため」と父上から明言されていた。
ソフィア個人に興味を持てなくても不思議はないだろう。
考えてみれば私は、異性に興味を持つ前から、結婚に興味を失っていたのだ。
私がソフィアに目を向けるようになったのは、学園に入学した後だった。
学園は国内の貴族の子供を集めて教育する機関で、その中には聖女ソフィアも王族の私も含まれる。
学園内では身分家格に関わらず平等(と言ってもさすがに平民はいないが)という建前で、私も一人の生徒として扱われた。
だが、別に学園内でソフィアと親しくしていたわけではない。
きっかけとなる出来事は、学園の外で起こった。
それは、休日の朝のことだった。
休日と言っても学園の授業がないだけで、王族や貴族の公務が無くなることはない。
未成年であっても公務の一端を担っている者にとっては、休日の方が忙しいことも珍しくない。
その日、休日の朝から暇があり、その騒ぎに気が付いたのは、だから単なる偶然だった。
聖堂に着いた時、その場にいた者は既に騒ぎを終息させるために動いていた。
偶然通りかかっただけの私に出番はなく、詳しい経緯を聞いている余裕もなかった。
ただ分かったことは、ソフィアが倒れたということだけ。
ショックだった。
私にとって、王宮は国内で最も安全な場所だった。
もちろん、王宮は陰謀渦巻く権力闘争の魔窟でもあるが、血なまぐさい実力行使は王宮の外で行われるもの。王宮内にまで持ち込まれることはないと思っていた。
特に政治的権力を持たない聖女は権力闘争の範囲外で、ただ権威と名声だけは高いため最優先で安全が確保される一人だった。
そんなソフィアが、事故であれ病気であれ、王宮内で倒れるとは信じがたい出来事だった。
だから、その場に居合わせたソフィアのクラスメイト――バートレット嬢に問い詰められても何も答えられなかった。
むしろ、最初から見ていたバートレット嬢の方が詳しかったほどだ。ソフィアが熱に侵されながらも聖女の祈りを行ったことも、周囲にいた大人たちが誰もそれを止めなかったことも、全て彼女から聞いた。
名ばかりの婚約者よりも、単なるクラスメイトの方がよほど彼女に近しい仲だったのだ。
その日から私はソフィアのことを調べ始めた。
バートレット嬢と約束したということもあるが、私自身が知らなければならないと思ったからだ。
情報はすぐに集まった。一般には極秘でも、王族という立場なら知り得ることは多かった。
ただ、私がこれまで知ろうとしなかっただけだ。
ソフィアが倒れたのはこれが初めてではない。
聖女になって初めて行った聖女の祈りの後にも倒れているし、場合によってはそのまま命を失っていた可能性もあったらしい。
その後も私が知らなかっただけで何度か倒れている。全て聖女の祈りを行った後だった。
明言されてはいなかったが、聖女の祈りは間違いなく体に悪い。
そして、確実にソフィアの寿命を削っているだろう。
だが、なぜそこまでして聖女の祈りを続けるのか、その理由が分からない。
いくら調べても分からないので、父上に問いただすことにした。
「アベールよ、お前に国を背負う覚悟はあるか?」
父上から返って来たのは、その問いだった。
質問に質問で返してはぐらかしたのではなく、国家に関わる重要機密なのだろう。
だが、私もこの国の王子だ。
いずれは父上の後を継いで国王になるつもりもあるし、そのために必要な教育も受けている。
覚悟なら、とっくに決めている。
そう答えると、父上は宰相を呼んで私を王太子にする手続きを進めてしまった。
正式な発表は後になるが、この時から私は単なる「王位継承権第一位、暫定次期国王」から正式な「次期国王」へと格上げされた。
そして、一本の鍵を与えられた。
「それはこの国で闇に葬られた歴史の記録を保管した資料室の鍵です。聖女の真実を知りたければ、この国の建国の歴史を紐解く必要があります。」
宰相に教えられ、私は秘密の資料室に入れるようになった。知りたければ、自分で調べろということだろう。
それから私は、王太子の公務が増えて忙しくなる中、時間の許す限り資料室に籠って調べものをするようになった。
調査は難航した。
表に出せない極秘資料だけとはいえ、建国以来三百年分の量は多い。
普段ほとんど利用されないためか、ろくに整理されていないし、内容が内容だけに人に手伝ってもらうこともできない。
それでも、調べているうちに次第に理解できるようになった。
歴史を隠した理由が。
私たちの祖先が犯した過ちが。
――ドラクレイル族
それが歴史から抹消された者達の名だった。
彼らはドラゴンを信仰する少数民族であり、グランツランド王国の建国以前からこの地に住んでいた先住者だった。
大陸中を彷徨っていた我々の祖先を受け入れてくれた恩人であり、大量虐殺の被害者であった。
異教徒の少数民族というと未開の蛮族というイメージが強いが、それは一時期強引な勢力拡大を図った光神教と、それに乗じて国土を広げて行った大国が広めた偏見である。
ドラクレイル族も独自の文化と優れた技術を持った尊敬すべき人々である、我々の祖先は彼らをそう評している。
祖霊と交信するような風習を持っていた彼らは、死霊術のような技術を持っていたのかもしれない。
女子供に至るまで一族全てを皆殺しされて死に絶えた彼らは、最後に強大な怨霊を生み出した。
怨霊は、無数の死霊を生み出した。
ゾンビ、スケルトン、グール、ゴースト。
それらは珍しくはあっても、墓地や戦場跡などで自然発生することがある。
大量殺戮を行った後だけに、死霊が自然発生してもおかしくはない。最初はそう考えたらしい。
だが、いくら倒しても数が減らない死霊に人々は恐怖し、ドラクレイル族の復讐が始まったことを理解した。
当時の資料を読むだけでも、人々がいかに恐ろしい思いをしたかが伝わってくる。
先住民を皆殺しにしてまで手に入れた土地を手放し、再び流浪の民に戻るしかないと思われた時、事態は急変する。
初代聖女アメリア・フローレンスが怨霊を封じ込めることに成功したのだ。
正確には、怨霊の封印を行って生き延びたアメリア・フローレンスを初代聖女と呼ぶようになった。
怨霊の封印には治癒魔法や浄化魔法を使う複数の術者が参加し、アメリア以外は亡くなっている。
怨霊が封印されたことで、死霊も現れなくなり、ようやく平和が訪れた。
だが、封印は一時しのぎに過ぎなかった。
命がけで行われた封印――怨霊を閉じ込めた結界は、時間と共に劣化し、崩壊する。
そうなれば再び無数の死霊が湧き出し、この国は滅びる。
それを防ぐには常に結界を強化し維持し続けなければならない。
結界を維持する手段、それが「聖女の祈り」だ。
聖女の祈りは聖女にしか行えない。
そして、今の聖女はソフィアだけだ。
これが、無理をしてでもソフィアが聖女の祈りを続ける理由だった。ソフィアが祈らなければ、この国は滅びる。
だが、明らかに無理を重ねているソフィアは、確実に寿命を削っていた。
このまま聖女の祈りを続ければ、数年でソフィアの命が尽きると考えられていた。
まるで人柱だ。
王族も国のために私的な部分を犠牲にしている面はあるが、ソフィアは人生のほぼ全てを犠牲にしている。
この状況はおかしい。
私は聖女を守るためにソフィアの婚約者になったと聞いている。だが、本質的な意味で彼女を守ることができていないのではないか?
それどころか、私達は、この国の全ての人々はソフィア一人に守られているのだ。
このままソフィアを見捨てておいて、国を担っていると言えるだろうか?
私はこの時、ソフィアを救うことを決意した。
バートレット嬢の誘いに乗ったのは、ソフィアを助ける手段を模索するためだった。
父上に頼らなかったのは、方法があるならばすでに手を打っているはずだからだ。
国王であっても見いだせない、あるいは手段があっても手が出せない、そんな新しい方法を見つけるには、これまで関わってこなかった人の方が良いだろう。
だが、現実は厳しい。
一番簡単な方法は、ソフィアの代わりの聖女を連れて来ること。
ソフィアが聖女を辞めなくても、調子の悪いときに交代する人間がいるだけでもだいぶ違うだろう。
だが、そもそもソフィアの他に聖女がいないから苦労しているのだ。
それに聖女の素質を持った者を探すのならば、国として動いた方が効率が良いだろう。父上に任せるべきだ。
ならば、聖女以外の者が聖女の祈りを行うことはできないのか?
それも、過去に試したことがあった。治癒魔法の使い手を十人ほど集めて、聖女の祈りをまねて結界に魔力を注ぎ込んだ。
結果は、魔力が枯渇して次々に昏倒したため慌てて中断している。
結局、聖女以外の者では聖女の代わりは務まらないどころか、聖女の負担を軽減することもできなかった。
こうなると、残る手段は――
「そもそも、その怨霊とやらをどうにかできないんですか?」
「それも過去に試して失敗している。傷一つ付けられなかったらしい。」
二百年ほど前、対死霊用の武具を掻き集めたうえで結界を一部解除し、怨霊を討伐しようとしたらしい。
結果は惨敗。
やはり無数に湧き出る死霊の相手で手一杯になり、怨霊本体に一太刀入れることも叶わなかったらしい。
そもそも怨霊というのも、封印した聖女がそう表現しただけで、具体的にどういった存在なのかもよく分かっていないのだ。
「その失敗の結果が、二百年前の死者の大行進だ。」
「ええー!?」
闇に葬られてきた歴史の中で唯一隠しきれなかったこの出来事は、王都における死霊の大量発生事件として表の歴史に刻まれた。
この時の失敗で、怨霊を再び封印するために、当時三人いた聖女のうち二人が亡くなっている。
よほど確実に怨霊をどうにかする手段を見つけない限りは、二度と行えない方法だろう。
やはり三百年間誰にも解決できなかった問題だけに、容易なことではなかった。
我々は行き詰まってしまった。
「ソフィアさんを助けるには、この国を滅ぼすしかないわね。」
バートレット嬢のこぼした一言は、本来ならば咎めるべき言葉だった。特に私の立場では、冗談でも口にしてはならないと厳重に注意しなければならない内容だった。
しかし、その時の我々にとっては、天啓に聞こえた。
確かにこれこそが私の求めていた新しい発想だった。国のために聖女が犠牲になるしかないという前提をひっくり返すことができるのだ。
我々は即座に検討を始めた。
課題は多いが、他の方法に比べればよほど現実的だった。
最大の問題は、ソフィア自身が国を滅ぼしてまで生き延びようと思っていないことだった。
だが、考えてみれば、ソフィアが無理を重ねて命を落とせばこの国は滅びるのだ。
いかにしてこの国を終わらせるか。それはソフィア個人の安否を抜きにしても、避けては通れない問題だったのだ。
こうして、国を滅ぼす方法を研究し始めた私達だったが、それは唐突に終わりを迎えた。
学園に乗りこんできた近衛騎士によって全員取り押さえられ、王宮の一室に軟禁されてしまったのだ。
理由は分かっている。私達の検討していた内容は国家反逆罪に相当する。
特に私は国の重要機密を漏らした罪もある。廃嫡の上、良くて幽閉されるだろう。
だが、これだけは父上に伝えなければならない。
この国はもう詰んでいる。ソフィアを犠牲にしてもこの国の滅亡は避けられない、と。
だが、父上に対する前に、予想外の難敵が現れた。
宰相である。
「国の存亡にかかわる策謀を巡らすにしては、機密の管理が杜撰すぎます。もっとしっかりとした防諜を考えなさい。」
全く持ってその通りなので、反論できなかった。
宰相による説教が半刻ほど続き、容赦のない言葉に全員が打ちのめされた後に父上がやって来た。
だが、私の廃嫡どころか、国家反逆罪が言い渡されることもなかった。
代わりに渡されたのが、分厚い資料だった。
「これは……!」
そこに書かれていた内容を見て驚愕した。
それは、全国民の避難計画だった。
「儂らが今まで、何も手を打っていないと思ったか。」
言われてみれば、学生に過ぎない私達でさえ気付いたのだ。父上が気付かない道理はない。
「だが、その計画は未完成だ。諜報部と協力して、お前の手で完成させて見せよ!」
こうして、国の終焉をどう迎えるのか、その計画は私達に託された。
元々はソフィアが命を落とした後に始まる計画を、ソフィアが生きている間に行うように修正した。
その副産物として、もっとも都合の良い時期を選んで計画を始めることが可能になった。結果的に想定されるリスクと犠牲者の数をだいぶ減らすことができた。
だいぶ時間はかかってしまったが、どうにか間に合った。
ソフィアの寿命が尽きる前に、完全に健康とは言えなくとも、日常生活に不自由しない程度に元気なうちに聖女を辞めさせることができた。
カールによれば、ソフィアは日に日に健康を取り戻しているそうだ。
ただ、「いくらアプローチしても気付いてもらえない」などとカールが泣き言を書いてくるのだが、こればかりは自分でどうにかしてもらうしかない。
そもそも、仮にも元婚約者の私に相談することではないと思うぞ。
まあ、本当に名目だけの婚約者だったから、彼女が何を望み、どうすれば喜ぶのか答えてやることはできないのだが。
計画は順調に進んでいる。
最大の懸念事項だったソフィアも、無事国外に逃がすことができた。
この先、私にできることはあまりない。
現在、水面下で計画を主導しているのは諜報部の人間だ。国を滅ぼす計画だというのに実に生き生きと仕事をしている。
私の出番はもう少し後だ。
この国の滅亡を公表し、国を滅ぼした元凶として国民の憎悪を一身に受ける。
それが、この国の王子としての私の最後の務めだ。
結局私は王位を継ぐことは叶わなかった。
だが、王族として、国を滅ぼした張本人として、最後まで責務を全うしよう。
それは愛する祖国のため、
そして愛する者を守るため、
この国に終わりを告げよう。