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第五話 牧羊犬は語らない

 銀竜亭。


 そこは、旅人に一夜の寝床を与える安宿であり、

 味はともかく量だけはある食事を格安で提供する大衆食堂であり、

 そして、夕刻には仕事上がりの男たちが一杯ひっかける酒場である。

 銀竜亭の客層は、さほど裕福ではない平民。つまりこの国、特に王都で一番数の多い人間だ。

 だから、こういった店で囁かれる噂話を聞いていれば、この国の多くの国民が考えていることが分かるし、こういう場所で話題になった事柄が広く国民に浸透していくのだ。


 俺は国の諜報部の一部署、シープドックスに所属する諜報員だ。コードネームはコーギー。表の通り名はジミーと名乗っている。

 俺の仕事は、こういった場所に一般客のふりをして入り込み、噂話を集めたり、逆に噂を流して大衆をコントロールすることだ。

 今回の任務は、聖女様追放の顛末を噂話として流すことだった。

 王族の醜聞(スキャンダル)は国の恥であり、自ら流すことは普通はない。

 だが、俺たち末端の諜報員は命令があればただそれに従うだけ……だったら気楽だったんだが。

 俺たちは今回の作戦だけでなく、最終的な目的まで詳細に教えられている。何か予定外のことがあった場合に、末端の諜報員も臨機応変に動いて最善を目指せということだ。

 元々シープドックスは国民の意識調査を行うだけの、諜報部でも小さな部署だった。それがここ数年で大幅に拡張された。

 その使命は近い将来予見される国家の滅亡に際して、国民を混乱なく脱出できるように誘導すること。

 普通に国が滅びるから避難しろと言ってもすぐには信じないだろうし、信じたら信じたで、パニックを起こし、暴動が発生しかねない。

 王命を出して強制的に全国民を避難させるというのも物理的に不可能だ。国民の人数は軍の兵士の数よりもずっと多い。

 だから、諜報部の情報操作により、国民を自主的に国外へ避難する気運を高めようとするものだ。

 これがなかなかに匙加減が難しい。

 危機感を煽り過ぎればパニックや暴動が起こって台無しになる。だが、危機感が足りなければ、本当に危機が迫るまで避難しようとせずに犠牲となる者が大量に出るだろう。

 本部には日単位で予定を引いた工程表がでかでかと貼られている。

 最初に見た時は、これが本当に諜報部かと我が目を疑ったものだ。

 それだけ失敗できない、大規模で重要な任務だということだ。

 既に一月ほど前から作戦は始まっている。

 自ら悪役を買って出たアベール殿下の醜聞(スキャンダル)を、王族への反感に繋がらないように面白おかしく脚色して流布していたのだ。

 ここまでが下準備。

 そしていよいよ聖女様の追放劇が行われた今、その噂を流す手はずだったのだが……


「おい、聖女様がついに婚約破棄されたそうだ。」

「それどころか、聖女様、王都を追放されちまったってよ。」

「え、王子様に愛想をつかして出て行ったんじゃないのか?」

「俺は聖女様が国外追放になったって聞いたぞ!」

「おいおい、いくら何でもそこまでやるか?」

「いや、俺は見たぞ! 聖女様を乗せた白い立派な馬車が、大通りを南に向かって進んで行くところを。」


 俺が何か言うまでもなく、既に聖女様の噂でもちきりだった。

 この様子では、俺が何かする必要は無さそうだ。

 これは主婦層に噂を撒いたコリーの成果だろうか?

 井戸端会議の情報伝達能力は侮れないものがある。

 それとも、シャーリー殿下が行った学園の生徒に広めた結果だろうか?

 学園の生徒は貴族ばかりだが、使用人経由で結構市井にも伝わるものだ。

 いや、単に聖女様の注目度が、人気が高いというだけのことなのかもしれないな。

 この国では歴史的に聖女様の人気は高い。おそらく国王陛下以上だ。

 先代の聖女様が亡くなられた時には、まだ流行り病の災禍が治まり切らない時期だったにもかかわらず多くの国民が喪に服した。

 国王陛下の誕生日を知る平民は少ないだろうが、聖女様の誕生日には各家庭で誕生祝を行う風習がこの国では根付いている。

 国王陛下の名前を憶えていない国民も少なくないだろうが、ソフィア様の名を知らぬ者はこの国にはいないだろう。

 そんな国民だから、聖女様の話題には何でも飛び付く。

 ソフィア様が聖女になるのと同時にアベール殿下と婚約が発表された時にも国中で話題になった。

 そう言えば、アベール殿下と不仲という話題にも我々の予想以上に盛り上がっていた。

 今回はその続報という形で待ち望まれていたのかもしれない。


 だが、それだけだろうか?


 実は俺は一度だけソフィア様と会ったことがある。予期しなかった偶然の邂逅だ。

 もう四、五年前になるだろうか。

 当時の俺はまだ前の部署に所属していて、主に裏社会――犯罪組織や治安の悪い地域の動向を調べることが任務だった。

 本来ならばそれほど危険な任務ではなかった。

 相手が裏社会とは言っても、その奥深くに隠された闇を暴けなどと言う大層なものではない。

 ちょっと情報通なら一般人でも知り得るようなことを広く浅く集める。それが任務だった。

 そんな危険のないはずの任務で、俺はドジを踏んだ。

 別に何かを間違えたわけでも、失敗したわけでもない。ただ運が悪かっただけかもしれない。

 結果として、犯罪組織に命を狙われ、大慌てで逃げ出すはめになった。

 世間では諜報員とか間諜とか言うと、次々と現れる難敵を華麗に打ち倒して敵国や悪の組織の奥深くから重要機密を奪い去る。そんな大活躍する人物だと思われているらしい。

 いや、無理だから。そんなのはお話の中だけだから!

 俺たちは、一応戦闘の訓練は受けているが、正面から戦えば軍の精鋭には敵わない。

 暗殺者じゃないのだから、秘密を知ったものを人知れず消すとか言ったまねもできないぞ。

 つまり、暴漢の一人くらいならどうにかできても、集団で襲われたらどうにもならない。

 必死になって一晩中逃げまわって、どうにか追っ手は撒けたものの、大怪我を負ってしまった。

 しかも、隠家(セーフハウス)に辿り着く前に動けなくなり、人気のない路地にへたり込んでしまう体たらくだ。

 この時ばかりは俺ももう死んだと思ったのだが……


「あ、あの、大丈夫ですか?」


 その時俺に声をかけてくれたのが、ソフィア様だった。

 追っ手を振り切るために、俺は王宮の近くに来ていたのだった。

 警備の厳しいこの辺りまで人知れず入り込めるのルートを知っているのは、諜報員でなければお忍びで下町に遊びに出かける王族貴族くらいしかいない。


「これは酷いです。すぐに手当てしなければ! ……ヒール!」


 俺はソフィア様の治癒魔法で救われた。通りがかったのが他の誰でも助からなかっただろう。


「あの、このことは誰にも言わないでください。お願いします。」


 助けた側の方が頭をぺこぺこと下げるという奇妙な光景を見せながら、ソフィア様は立ち去って行った。

 だが、俺も諜報員という立場上、あったことを報告しないわけにはいかない。


 その日、ソフィア様は聖女の祈りの後で倒れた。


 俺は無茶苦茶叱られた。

 当然だろう。ソフィア様が倒れた原因は俺に治療魔法をかけたからだと考えられるのだ。


「聖女様に負担をかけるくらいなら、お前が死ね!」


 実にもっともな意見だ。俺もそう思う。

 あの時の俺に会いに行けるとしたら、伝えたいことはただ一つ。


「ソフィア様に見つかる前に自害しろ!」


 これだけだ。

 ただ、一つ気になることがある。

 ソフィア様が祈りの後に倒れたのはあの一度だけではない。

 それに、俺の時も何だか手慣れていた気がするのだ。

 俺はただ治癒魔法をかけられただけではない。ソフィア様は俺の傷口を確認して、傷口の汚れや異物を取り除いてと最低限の応急処置を行った上で魔法をかけたのだ。

 聖女様は修行の過程で治癒魔法を覚え、治療に関する知識を教えられるそうだが、治癒師ではない。

 だが、ソフィア様が俺を治療する手際は迷いのないものだった。経験があったとしか思えない。

 さすがにソフィア様が一般庶民を治療するようなことはないが……ないよな?

 うん、大丈夫。ソフィア様の生活圏に平民が入り込む可能性はまずない。王宮近くで倒れた俺が例外中の例外なのだ。

 そう言えば、子供が怪我をして泣いていたら聖女様がやって来て治したとか、事故で手の施しようのない怪我人のところに聖女様が来てあっという間に元気になったとか、聖女様にまつわる逸話が庶民の間に流布しているが、きっと都市伝説の類だよな。

 過去の聖女様の逸話や伝説を、現代に置き換えて語っただけだろう。

 そんな話がフローレンス家に近い地区に集中しているのも偶然だ。きっとそうだ。

 まあ、いずれにしてもソフィア様が困っていることを放っておけない性格をしていることは確かだ。

 そんなソフィア様の人柄が一般大衆にまで伝わっているのではないだろうか。

 ただ聖女様だから、という以上にソフィア様個人の人気が高いと感じるのだ。


「でも、聖女様はこの国を守っているんだろう? 出て行っちまって大丈夫なのかねぇ。」


 と、ここで銀竜亭の女将が話に入ってきた。

 この女将、銀竜亭の看板娘を三十年続けているベテランだ。

 王都の中でも情報通の一人と言ってよいだろう。よく分かっている。

 だが、その疑問を広めるのはもう少し後だ。

 ここは俺が修正しておこう。


「いや、さすがに夏至祭りまでには呼び戻すんじゃないのか?」

「そうだよな。夏至祭に聖女様がいなけりゃ、格好がつかないよなぁ。」

「おお、聖女様のお姿を拝めなけりゃ夏至祭じゃねぇよな。」

「オレはソフィアちゃんが聖女様になってから毎年欠かさず見に行っているぞ!」


 夏至祭は聖女様が民衆の前に姿を現す数少ないイベントだった。

 この日は「聖女様のお姿を一目見る」ためだけに、地方から王都にやってくる者も多い。

 後一月足らずでやって来る、この日が一つ目の山だ。

 何も対策せずにいきなり聖女様の不在が露見すれば、最悪暴動にまで発展する恐れがあった。

 今この国に、暴動鎮圧に労力を割けるだけの余裕はない。

 表面上は平素と変わらないが、諜報部は俺たち以外の部署もフル回転だ。軍部も裏では来たる日に向けて色々と準備を進めている。全てを指揮する王宮は大忙しだろう。

 だから、今やっている俺たちの情報操作はかなり重要だ。

 アベール殿下が悪役を引き受けてくださっているが、悪評を王家や国ではなく殿下個人へ、それも怒りや反感ではなく呆れや笑いを誘うように細工しているのだ。

 普通ならば、このような王家の者を軽んじるような噂はもみ消すために動くのが俺たちの仕事だ。

 アベール殿下の評判を犠牲にして夏至祭を乗り切ったら、今度は少しずつ不安を煽って行く。

 現段階では、女将のように不安を感じる者はいても、直接何か行動に移す者はまずいないだろう。

 ただ、その不安が現実味を帯びて来た時にそれを受け入れる心の準備が少しでもできればよい。


「そうか、ソフィアちゃんはもう王子様の婚約者じゃないんだ。だったら俺が嫁にもらっても……」

「あんたはもう奥さんも子供もいるでしょう! せめて『息子の嫁に』くらい言えないのかい!?」

「うちのバカ息子にソフィアちゃんは勿体ないだろうが!」

「お前の方が勿体ないだろう! お前にやるくらいなら俺が貰うわ!」

「いや、俺が!」

「俺もソフィアちゃんがもらえるなら女房を捨てる!」

「あんたら! 寝言は王子様よりいい男になってから言いな!」

「「「王子様なんて、ただの浮気野郎だろう。」」」

「女房を捨てるとか言っている時点で、あんたらも大差ないんだからね!」


 銀竜亭は今日も賑やかだ。

 願わくば、やがて訪れる苦難に対しても明るく前向きに乗り越えてくれますように。


◇◇◇


 裏事情を知らない大多数の者が特に何も行動を起こせずにいるこの時期に、独自に動く例外もいた。

 グランツランド王国でも古い歴史を誇る大商会、サンソン商会の会長がその例外の一人だった。


「裏が取れました。聖女ソフィア様はデリエにいらっしゃいます。デリエへの出店、急ぎますよ!」


 サンソン商会は国内でも有数の大商会だ。グランツランド王国を中心に商いをしているが、近隣の他国にも店を出している。

 だから隣国であるアウセム王国の、その中でも特にグランツランド王国に近いデリエに店を出すこと自体は不自然ではない。

 しかし――


「だからって、本当に本店機能も移すのですか?」


 本店はただの店舗ではない。商会全体の方針を決める中枢であり、サンソン商会そのものと言える。

 それを国外に移転するということは、グランツランド王国の商会からアウセム王国の商会になるということでもある。

 大きな商会だけに、引っ越しも大変だ。

 新店舗を開くための商品と当座の運用資金と従業員を送り込んで終わりとはいかない。

 本店には店頭には出てこない役員が何人もいるし、歴史の重みの詰まった帳簿類が大量にある。本店にプールしている資金も多額になる。

 それら全てを移すのは大事だ。

 大金を移送するのだから賊に狙われる危険がある。帳簿を紛失すれば信用にかかわる。役員がまとめて事故にでも遭えば経営の危機に陥る。

 そんなリスクを抱えながらも本店の移転を決めた理由は……


「サンソン商会は聖女様の御膝元で生まれ、育って来た商会です。聖女様の居られる所がサンソン商会のいるべき場所です!」


 言い切った。

 サンソン商会の会長は、かなり熱心な聖女信奉者だった。

 そして、その会長の言葉で納得してしまう程度には、その部下も聖女信奉者だ。

 商会としてそれでいいのか? と思わなくもないが、異を唱える者はいない。


「それに、建国以来ずっとこの国を守り続けてきた聖女様が、今この国に不在です。きっとろくでもないことが起こりますよ。何か異変が起こっていないか、細心の注意を払って情報収集するのです。」


 サンソン商会の創立はグランツランド王国の建国時期まで遡る。隠蔽された歴史に関しても、何か伝わっているものがあるのかもしれなかった。



・シャルル=アンリ・サンソン

フランス革命の時代を生きたフランスの死刑執行人。

フランス革命後の粛正の嵐に超過労働を強いられた可哀そうな人物。

国に引導を渡す立場の人間にしようかと思って名前を拝借したのですが、単なる商人になってしまいました。

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