第四話 悪役令嬢になった日
悪役令嬢の朝は早い。
彼女が朝起きて最初に行うことはヘアセットである。
豊かな金髪に専用のスタイリング剤を馴染ませ、炭火で熱したコテに巻き付ける。
熱し過ぎると髪が傷むため、最低限の時間でコテを外す。
このコテの温度管理とコテを外すタイミングに関して、専属メイドはプロ級の腕に達している。
最後に整髪剤で固めて終了だ。
見事な縦ロールが出来上がる。
ヘアセットが終わると、次は発声練習である。
「オーッホホホホ!」
始めた当初は控えめで恥ずかしげだった高笑いも、今では実に堂々とした音量で早朝の屋敷に響き渡っている。
最初は心配したり苦言を呈したりしていた家族も、今ではもう何も言わなくなった。
屋敷の使用人たちも、もう慣れてしまって、高笑いが聞こえると朝食の配膳を始めるといった具合である。
今では、王都のバートレット家の朝はこの高笑いから始まるのである。
この奇妙な習慣が始まったのは、今から三年ほど前、彼女が悪役令嬢になることを決意した日に遡る。
当時読んでいた恋愛小説の影響を受けたのではないかと思われているが、定かではない。
ただ、最近の悪役令嬢ミシェル・バートレットは少々思い悩んでいることがある。
「ソフィアさんも無事国外に脱出したことですし、もう悪役令嬢は辞めた方が良いのでしょうか?」
それでも今朝も、バートレット邸に高笑いが響き渡る。
◇◇◇
私がソフィアさんに出会ったのは、五年前のことでした。
このグランツランド王国では、貴族の子供は一定年齢になると王都に集められ、学園に通って学ぶことになります。
それは、既に聖女となっていたソフィアさんも同じでした。
その学園で、たまたま私はソフィアさんと同じクラスになりました。
最初の頃、私がソフィアさんに抱いた印象は、「不真面目な学生」でした。
貴族の家に生まれた以上、たとえ未成年でも何らかの職務を担うことは珍しくありません。
聖女という公職に就いているソフィアさんが、職務の都合で公欠となることは理解できます。
ですが、その頻度が多すぎると感じていました。
聖女の仕事が朝の祈りであるから、多少の遅刻は仕方がないでしょう。
けれども、午前中いっぱい、あるいは丸一日欠席するというのはどういうことでしょう?
聖女の職務と学園生活を両立するのは大変かもしれません。けれども、貴族として生まれた者は誰でも何らかの義務を負い、家庭の事情を抱えています。
そういった諸々の問題を抱えながらも、それらをどうにかして学業に励む。
皆そういう努力を重ねながら学園に通っているのではないでしょうか?
遅刻や欠席だけではありません。
ソフィアさんは実技系の授業を免除されていつも見学していました。
身体が弱いのは仕方がないとして、高度な治癒魔法を修めた聖女様に今更魔法の実技もないのかもしれませんが、全く参加しないのもいかがなものでしょうか?
また、課外活動も免除され、クラブ活動や委員会活動も行っていません。そして、アベール殿下と婚約済みのためか、学園内の社交の場にもほとんど姿を現しません。
これでは聖女や殿下の婚約者の立場を利用して怠けているようにしか見えません。
私はソフィアさんのことを避けていました。
そんなある日のことでした。
私は所用で朝から王宮に来ていました。その日は休日で学園は休みだったので、欠席にはなりません。
ふと気が付くと、ソフィアさんも王宮に来ていました。
そのこと自体は何の不思議でもありません。
聖女が祈りを捧げる聖堂は王宮の敷地内にあり、ソフィアさんは王宮にほど近い学生寮から毎朝聖堂に通っていたそうです。
休日にも祈っていたとは知りませんでしたが、知らなかっただけで毎日通っていたのでしょう。
けれども、私が気になったのは、ソフィアさんの様子です。何故か危なっかしく見えて目が離せません。
私が気になって見守っていると、ソフィアさんは……ぐらりと体を傾けました。
危ない!
私は思わず駆け寄り、そして――
「貴女、何をやっているのですか! 熱があるじゃないですか!」
普段は青白いくらいの顔に赤みがさし、支えた肩からも熱を感じます。
息も乱れて苦しそうなのに、それでもソフィアさんは体勢を立て直してなおも進もうとします。
「聖女の、祈りを……」
私は慌てました。
ソフィアさんの前に回って肩をつかみます。
「そんな場合じゃないでしょう! 早く帰って休まないと。」
しかし、ソフィアさんは止まりません。
「これが、聖女の務めですから。」
ソフィアさんは真直ぐに私を見返し、熱で意識が朦朧としているはずなのに、それを感じさせない力強さで言い切ります。
私は気圧されました。
結局、ここから学生寮に帰るよりも聖堂の方が近かったこともあり、私はソフィアさんに付き添って聖堂へ向かいました。
そして、聖堂に着くと近くにいた人を呼んで事情を説明しました。
大騒ぎになりました。
大勢の人が聖堂の前にやって来ましたが、不思議なことに誰一人としてソフィアさんを止めようとしません。
ソフィアさんはそのまま聖堂に入り、聖女の祈りを捧げ、そして倒れました。
この時私は初めて知りました。
ソフィアさんは聖女の地位を利用して怠けていたのではありませんでした。
学業を犠牲にして、自分の命をも削って、聖女の仕事に全力で取り組んでいたのです。
私はこれまで、聖女様のことを御伽噺のような存在と捉えていました。
この国の聖女は、建国神話に由来します。
この地に蔓延っていた魔物や悪魔を建国の英雄王がばったばったと薙ぎ倒し、国を打ち建てた建国の物語。
その最後を飾るのが、ドラゴンを従えた悪魔と対峙した英雄王を支援し、ドラゴンごと悪魔を封印した聖女様の話です。
その封印を維持するために、代々の聖女様が今も祈りを捧げ続けている。
そんな話です。
正に神話、あるいは御伽噺です。
建国神話に登場する魔物も悪魔もドラゴンも、御伽噺に出て来るような架空の存在です。少なくとも今現在確認されていません。
建国神話はあくまで神話、ある程度の歴史的事実を反映しているにしても、歴史そのものではありません。
王家の正統性を示すために脚色されたものでしょう。
読み解くカギとなるのは、「ドラゴンを従えた悪魔」という部分です。
この大陸では、光の神を絶対神と奉る光神教が広まる前には、ドラゴンを神または神の使いとして崇めるドラゴン信仰が広く信じられていたそうです。
実際に、グランツランド王国でも竜にまつわる地名などを随所に見かけます。
つまり、建国神話が表しているのは、ドラゴンを信奉する異民族と戦い、これを征服した歴史なのでしょう。
聖女様が封印した「ドラゴン」とはドラゴン信仰のことであり、何らかの方法で改宗させたのでしょう。あるいは彼らの風習の一部を聖女の祈りという形で残し、不平を和らげたのかもしれません。
いずれにしても、はるか昔に征服された異民族を同化するために行われたのが聖女の祈りであり、今では歴史的文化的価値はあってもそれ以上の意味はない。
そう、考えていました。
浅はかでした。
学者でもなければ、深く調べたわけでもないのに、少し聞き覚えた知識だけで判断し、全てが分かった気になっていました。
もしも私の考えが正しかったのなら、あの光景は何だったのでしょう。
年端も行かない少女が病気になっても倒れるまで無理して聖女の仕事を行ったのです。
そして、周りで見ていた大人は誰もそれを止めませんでした。
その大人たちの中には、聖堂の管理を任された司祭や、聖女の健康管理を行う医師もいたにもかかわらずです。
実質的な意味がないのであれば、一日や二日休んでも問題ないはず。
毎日続けることが重要ならば、代役や交代要員を用意しておけばよいはず。
聖女の祈りそのものに意味の無い儀式ならば、それで事足ります。
本当に意味がないのならば。
この時、私は初めて疑問に思ったのです。聖女とは何か? 聖女の祈りとは何か?
その場に集まっていた大人たちに聞いて回りたかっのですが、倒れたソフィアさんへの対応で殺気立っていたので断念しました。
代わりに様子を見に来ていたアベール殿下を見かけたので、全力で詰め寄ってみました。来たのはいいけど、何もできずにおろおろしていらっしゃいましたので。
しかし、アベール殿下も詳しいことは何も知らないようで、事の成り行きに唖然としていました。
自分の婚約者のことなのに……とは言えません。私だってクラスメイトのことなのに何も知らなかったのです。
そこで私は、学園で有志を集め、自分たちで調べてみることにしました。
聖女の隠された真実を暴くための極秘組織。
その名も「ソフィアちゃん解放戦線」。
……おかしいです。私が立ち上げた時は「聖女の真実を知る会」だったはずです。
いつの間に変わったのでしょう?
少なくとも私や副会長に引き込んだアベール殿下のセンスではないです。
もっと不思議なのが、いつの間にか学園の部活動として正式に登録されていたことです。「ソフィアちゃん解放戦線」の名前で。
極秘組織のはずだったのですが、良いのでしょうか? 活動内容的にも未だに公開できない情報を色々と抱えているのですが。
正式な部活となったことで、私達が卒業した後も学園内で活動は続いています。
今はシャーリー殿下が会長をやっているそうです。副会長だったアベール殿下よりも妹君の方が出世してしまいました。
聖女の隠された真実を暴く、と意気込んでみたものの、簡単にはいきませんでした。
一般に流布されている伝承を集めてみても、私の考えていた「異民族と戦って併合した」と想像するのがやっとです。
けれども、意図的に隠されていることだけははっきりしました。
調べられる限りの公的な記録を調べてみたのですが、建国神話の元になる出来事が見当たりません。
グランツランド王国の歴史は三百年。永いようで国の歴史としては短い方です。少なくとも建国当時の資料が散逸するほどの永さではありません。
公式の記録を読む限り、農耕に向かない不毛の大地と呼ばれたこの土地に入植した私たちの先祖が、地道に土壌改良を続けて生活基盤を整備し、国を作ったということになります。
魔物も悪魔もドラゴンも、異民族も聖女も出番がありません。
特にドラゴンを信奉する異民族の痕跡はあちこちに残っているのに、全く触れていないのは不自然です。
また、光神教の教えとは明らかに無関係なこの国独自の聖女は、「国の安寧を祈る存在」として唐突に歴史に登場します。
国の成り立ちに関する重要な部分が抜けていることは間違いありません。
けれども、よほど厳重に隠蔽してあるらしく、いくら調べても何があったのかまるで分りません。
でもまあ、ここまでは想定の範囲内です。
そのために、アベール殿下を引き摺り込んだのですから。
アベール殿下は私の予想を超えて頑張ってくださいました。
ソフィアさんが倒れたあの日、殿下も疑念を覚え、独自に調べ始めたのだそうです。
そして、先日正式に王太子――次期国王に指名され、同時にこの国の隠された歴史についても教えられたのです。
アベール殿下のもたらした情報は衝撃的でした。
異民族との戦いまでは予想通りですが、併合ではなく虐殺だったとは。今のグランツランド王国からは考えられない野蛮さです。
どう考えても私たちの方が悪者です。
この歴史が忘れ去られたのも、国による隠蔽工作だけでなく、当時の人々が口を閉ざした結果かもしれません。
そして、聖女の祈りによって封じ込めたモノ。魔物や悪魔やドラゴンだったらよほどましだったでしょう。
それは私たちの罪そのものです。
建国神話に登場する敵が、珍しくても実在する死霊の類ではなく、あからさまに架空の存在である魔物や悪魔やドラゴンに置き換わったのも、当の事件を思い起こす生々しい存在を避けたからなのでしょう。
けれども、全てを忘れ去るわけにはいきませんでした。結界が無くなればこの国は滅びます。
結果として誕生したのが聖女信仰です。
現在は光神教に組み込まれる形で融合していますが、この国では光神様よりも聖女様の方が信奉されています。
ですが、その聖女様の実体は人柱のようなものでした。
聖女は祈り続けなければなりません。それがどれほど体に負担がかかったとしてもです。
聖女の祈りが途絶えた時、この国は滅びます。
それは、他国の人から見れば自業自得なのかもしれません。過去の罪によって滅ぼされるのですから。
けれども、今を生きる私たちが、ご先祖様の罪の報いを受けなければならないのは納得いきません。
ですが――その過去の罪を聖女が、ソフィアさん一人が背負わなければならないのは絶対に間違っています。
この時から、会の目的はソフィアさんを助けることに変わりました。
けれども、それはとてつもなく困難な仕事です。
隠された聖女の真実を暴く、ならば正解は存在するのです。困難であってもそこに辿り着きさえすればそれでよいのです。
しかし、ソフィアさんを助ける――聖女をその職務から解放する方法は存在しません。
三百年間誰も見つけられなかった方法を、新たに作り出さなければなりません。これがどれほど困難なことか、想像も付きません。
しかも、残された時間はあまりありません。
無理を重ねたソフィアさんの体は弱り続けています。医師の見立てでは二十歳を超えることは難しいだろうと言われているのです。
こうなると、取れる手段は限られてきます。
「ソフィアさんを助けるには、この国を滅ぼすしかないわね。」
それは、言ってはならない一言でした。
貴族や王族は、国や領地、そしてそこに住む人々を守るために存在しています。
その義務を果たすために多くの権限が与えられ、多額の税金が投入されています。
私達が学園に通う費用だって血税から出ています。
その義務を忘れ、私情で友人を助けるために国を滅ぼすなど、国家に対する反逆行為です。
ですが、私は少女一人に犠牲を押し付けて存続する国が正しいとは思えないのです。
そのように考え、民を軽んじる時点で私は悪なのでしょう。
ならば、私は悪を貫きましょう。
この時から、私は悪役令嬢になりました。
そうでした。私は悪を貫くと決めたのです。
ソフィアさんを逃がしただけで終わりではありません。
私は私の意思でこの国を滅ぼす。その責任を負わなければなりません。
ならば、最後の一瞬まで悪を貫き通しましょう。
私は王太子を誑かし、国を滅ぼす悪女。
悪役令嬢ミシェル・バートレットなのですわ!
「オーッホホホホ!」
悪役令嬢と言えば金髪縦ロールが定番。
ところで、ドライヤーもヘアアイロンも無い時代にどうやって縦ロールを作っていたのか? とちょっと気になって調べてみました。
ラグカールと言う方法があるそうです。
布切れを使って髪の毛をぐるぐる巻きにしてそのまま寝るのだそうです。
翌朝巻いていた布を取れば縦ロールの出来上がりです。
ただ、電気式のヘアアイロンは無くても、炭火で加熱したコテくらいならあるだろうと考え、本作では朝からヘアセットすることにしました。