第三十話 聖女の帰還
「ソフィア、どうしてここへ?」
アベールは焦った。まさかソフィアが戻って来るとは思いもよらなかったのだ。
ソフィアのおかげで一命をとりとめたとはいえ、王都は未だに死霊が跋扈する危険地帯。
それに、先ほどは一つ間違えばアベール達の自爆にソフィアを巻き込むところだったのだ。
既に死を覚悟していたアベール達にとって、逃がしたはずのソフィアが死ぬことの方がよほど大事だった。
「ええと、グランツランド王国が消滅したと聞きまして、国外追放ももう無効かな、と思いまして……」
「あっ……」
ちょっと視線を逸らして言い訳するように言うソフィア。彼女にとっては身の安全よりも違法行為を咎められることの方が気になったようだ。
一方で、アベールの方は「しまった!」という顔をした。
国そのものが消滅してしまえば国法も王命も無効となる。少なくとも取り締まったり裁いたりする者はいなくなる。
当然、ソフィアに対する国外追放命令は既に無効だった。
だが、そのことでアベールを責めるのは酷だろう。滅びた王国の、しかも死霊で溢れ返る危険地帯に戻ってくるなどと、誰が予想できただろう。
それに、ソフィア一人だけでは国境を越えた長旅は不可能だ。
ソフィア一人のために危険な場所に赴く者もいないだろう。
そう、考えられていた。
「それで、色々な人にお願いしてここまで連れて来てもらったのです。」
「ほ、ほ、ほ。聖女様にお願いされたら、万難を排して実現いたしますよ。」
そう言って現れたのは、サンソン商会の会長、シャルル・サンソンだった。
他にも商会の者や避難所にいた有志数名がぞろぞろと出て来る。
アベールは聖女の人気を甘く見ていたのだ。
聖女様のためならたとえ火の中水の中、と言う聖女の信奉者がシャルル・サンソン以下大勢いた。
しかも、ただ無鉄砲なだけではなく、技術や知識や権力や財力を持った者が協力するのだ。
そうした人々が協力し合うことで、予想外の行動力を生んでいた。
だが、それでもアベールは納得できないことがあった。
彼はソフィアのことを親友のカールに頼んだのだ。
仮にも隣国アウセム王国の王族、本気になればソフィアを危険な目にさらす行為はいくらでも止められるだろう。
カールに保護されている以上、危険なだけで無意味な行為はしっかりと止めてくれるはずだった。
「それからカールさん、いえカールハインツ殿下にも協力いただきまして。」
「いやー、とても熱心だったので無理に止めて勝手に動かれるよりも、と思って協力することにしたよ。」
「おい! お前が説得されてどうする!!」
次いで現れた親友に対して、思わず突っ込むアベールだった。
だが、突っ込みどころはそれだけではない。
「そもそもカール、お前がここまで来ることはないだろう。それに……、軍を動かしたのか?」
王位継承権を放棄したとはいえ、仮にも王族が自ら危険地帯に飛び込んで来ること自体間違っている。
それに、カールは軍の部隊を引き連れてきていた。
王都の状況を考えればこれでも少ないくらいだが、一般的な護衛と呼べる数を超える兵を率いて他国に向かえば、国際的な問題になる恐れがあった。
「いや、グランツランド王国は滅亡したんだろう。軍を動かしても問題ないさ。それに、自国の近くで大量の死霊が発生しているとなると調べないわけにはいかないからね。」
そう言われれば、アベールには返す言葉もない。
グランツランド王国の滅亡宣言をした以上、ここは既にどこの国の領土でもない。
軍を率いてやって来ても侵略行為にはならないし、領土を侵犯したことにもならない。
死霊が隣国まで押しよせて来れば被害を受ける恐れがあるのだから、調査にやって来る大義名分はしっかりとある。
王族がいきなりやって来るのは非常識だが、それはその国の問題だ。部外者が口を挟むことはできない。
「我々も同じ理由で調査に来た。ガザム帝国、ザクセン辺境伯領軍所属の外人部隊だ。」
さらに別系統の人間も登場した。ガザム帝国ならばアウセム王国とは逆方向だ。
「一応、彼らの許可を取って入ってきた。」
そう言って指し示す先には、なぜか元ハウエル領領主ダニー・ハウエルと息子のデビッドがいた。
途中で止められた時の通行証代わりに連れてきたらしい。
現在最高の危険地帯に、非戦闘員を含めて次々と入り込んで来る人にアベールは頭を抱えた。
「それで、ソフィアさんは何をしにここまで来たのですか?」
頭を抱えたアベールに変わり、ミシェルがソフィアに尋ねる。
「もちろん、聖女の務めを果たすためです。」
その答えに、緊張が走った。
「まさか、聖女の結界を張り直すつもりか!?」
アベールが声を荒げる。
三百年前、聖女の結界を構築した際には多くの術者が命を落としたと言う。
二百年前、結界に開けた穴を塞ぐために三人いた聖女のうち二人までが命を落とした。
結界の維持だけで命を削ってきたソフィアが結界を張り直そうとすれば確実に命を落とすだろう。
それに、たとえ今聖女の結界を張り直すことができたとしても、その結界を維持するための次の聖女はいない。
それはただの無駄死にであり、容認できなかった。
「いいえ、私一人では命を賭しても結界を作り直すことはできません。」
そのことは当然ソフィアも理解していた。
いや、聖女として結界に向き合ってきたソフィアの方が誰よりも正しく理解していただろう。
「そうではなく、最後の聖女としてどうしてもやらなければならないことがあるのです。代々の聖女、三百年の悲願です。」
しかし、ソフィアの目的は別のところにあった。
「怨霊と向き合うこと。聖女の結界がなくなった今しかできないことです。」
ソフィアはこれまでになく真剣な面持ちで言い切った。
「そのためには、聖堂に行かなければなりません。」
◇◇◇
ソフィアの堅い意志に押し切られ、結局全員で聖堂に向かうことになった。
アベールの率いる旧グランツランド王国近衛騎士。
カールハインツの率いるアウセム王国の精鋭。
ケイリー率いるガザム帝国の外人部隊、その実元グランツランド王国のアウトローたち。
この錚々たる面子に守られてソフィアは死霊だらけの王都を王宮まで送られる……はずだったのだが。
「すごい。死霊が近付くだけで消滅して行く。」
彼らに出番はなかった。
近付いてくる死霊は全て塵となって消えて行った。ソフィアの魔法によって。
むしろ、全員がソフィア一人に守られていた。
「いくらソフィアお義姉様でも、こんなに強力で広範囲の浄化魔法なんて……人の魔力では不可能だわ。」
聖女の信奉者ならば「さすが聖女様!」で済ませる現象も、治癒や浄化の魔法を扱う者にとっては信じがたい光景だった。
どう考えても人に扱える魔力では到底実現できない規模なのだ。
「皆さんは、聖女の素質が具体的にどのようなものかご存じですか?」
不意にソフィアがそのようなことを言い出した。
現在ソフィアの使用している魔法は、自分を中心に一定範囲を浄化すると言うもの。その威力は効果範囲内に入った死霊が勝手に浄化されて消滅するほどだ。
ついでに、一度魔法を使用するとしばらく効果が持続するから、死霊を見つけてからタイミングを見計らって魔法を使うような手間もかからない。
他愛のないお喋りに興じる余裕があった。
「聖女の祈りができること?」
「そのための前提条件のようなものです。」
ソフィアは話を続けた。
「聖女の素質は主に二つあります。一つは死者の声を聴く能力。これができないと結界越しに伝わって来る強い負の感情に押し潰されてしまいます。」
「ああ……」
聖女の祈りに挑戦した者達は、その言葉に納得した。
結界に魔力を流し始めると同時に伝わって来る怨嗟の声に精神がガリガリと削られたのだ。
たとえ魔力が持ったとしても、あの声を毎日聞き続けていたら心を病んでしまう、そう実感していた。
「そしてもう一つは地脈の魔力と相性が良いこと。相性が良ければ地脈の魔力を利用して魔法を発動することができるようになります。」
「じゃあ、もしかして今使っている魔法も?」
「はい。地脈の魔力を使っています。」
ソフィアの使う大規模な魔法の秘密が明らかになった。
人の持つ魔力を遥かに超える莫大な魔力を使っていたのだ。
規模が大きいのも威力が高いのも、それだけの魔力を注ぎ込んでいたと考えれば納得がいく。
「自身の魔力ではなく外部の魔力を使うということは、ソフィアさんは魔法を無限に放てるということですか?」
「体に負担がかかるから無制限とはいきませんけど、今使っている魔法ならば百回くらい問題ありませんよ。」
「それを実質無限と言うのですわ!」
ソフィアを中心に盛り上がる魔法談議には付いて行けないアベールだったが、一つだけ分かったことがある。
ソフィア一人いれば死霊は怖くないということだ。
今の王都に非戦闘員含めた集団が平然と入ってこれた理由が分かった。
「つまり、この規模の魔法百回分以上の魔力を聖女の祈りで注ぎ込んでいたのね。聖女以外にはできなわけだわ。」
「あ、いえ、別に地脈の魔力を用いて聖女の祈りを行っているのではないのです。」
「あれ、そうなの?」
「はい。そもそも聖女の結界はそれ自身が地脈の魔力を利用して作られています。ただ、時間が経つと少しずつ緩むと言いますか、形が崩れて来るので、それを調整して結界の形を正しく保つ作業が聖女の祈りなのです。」
「そうだったのですか。私はてっきり結界を維持するための魔力を注ぎ込んでいるのだ思っていましたわ。」
「私も。」
「あの規模の結界になると人の持つ魔力では維持できません。最初に結界と接続するために魔力を流しますが、魔力を注ぎ込むことはしません。」
「あら、それでは聖女の祈りに多くの魔力が必要とされているのは何故なのかしら?」
「地脈の魔力に干渉すると、その魔力の一部が逆流して来るのです。私は相性が良いので地脈の魔力で魔法を使うくらいなら問題ないのですが、聖女の結界は人の身には余る大魔法です。逆流してきた魔力で身体を壊さないように自身の魔力で身を守っているのです。」
「じゃあ、あの魔力を吸い出されるような感覚って……」
「実際には侵入してきた地脈の魔力を相殺したために魔力が急速に減っていたのです。……やっぱり聖女の祈りを試していたのですね。無事でよかったです。」
シャーリーとミシェル、および治癒師の面々は、冷や汗を流しながら視線を逸らした。
そして戦闘らしい戦闘もないまま、一行は王宮の前までやって来た。
「王宮が……無い!?」
そこにあったのは、黒いドーム状の物体。
二百年前聖堂の周囲に現れたのと同じものが、より巨大化して王宮を呑み込んでいた。
「あれが怨霊……正しくは怨霊の支配する領域です。あの黒いものに触れると死者の怨嗟の念が流れ込んで来て、耐性の無い者は正気を失います。絶対に触れないでください。」
ソフィアの説明を聞いて、皆思わず後退った。
死霊の大群に立ち向かう屈強な戦士でも、触れただけで正気を失うという得体のしれないものはやはり怖い。
「皆さん、ここまで送っていただいてありがとうございました。ここからは私の、聖女の仕事です。」
そう言って、ソフィアは一人進んで行く。
「ソフィアさん! ……お気をつけて。」
「はい。行ってまいります。」
ソフィアは黒いドームの中へと進んで行った。




