第二十六話 元悪徳領主は逃げられない2
デビッド・ハウエルは少しだけ後悔していた。
真面目に仕事をする父親が珍しくて、つい最後までつき合ってしまったのだ。
デビッド自身も優秀だったため、ダニー・ハウエルの完璧主義を後押ししてしまった面もある。
その結果、脱出が遅れて大量の死霊に追いかけられることになったのだ。
その一方で、少しだけ父親を見直してもいた。
領主として本気になった仕事ぶりもそうだが、避難民の集団に遭遇した際に逃げなかったことだ。
ダニー・ハウエルは小心者の小悪党である。国のため、領民のために命を投げ出すような殊勝な心は持ち合わせていない。
そのことを、息子であるデビッドはよく知っていた。
避難民を見捨て、死霊を押し付けてしまえば、自分だけ逃げきることは容易だ。
追いかけて来る死霊に悲鳴を上げていたダニー・ハウエルを見ていれば、逃げ出すことを選択すると誰もが思うだろう。
だが、実際には踏みとどまった。
避難民を見捨てることなく、全員が助かる道を選んだ。
デビッドや従者に言われるまでもなく、自ら率先して決断したのだ。
デビッドは不覚にも感動してしまった。
普段が普段だけに、英雄的な行為に見えたのだ。
しかし、ダニー・ハウエル本人は内心後悔していた。
(しまった、ここは避難民を見捨てて逃げるべきでしたか!)
息子に知られれたら、「俺の感動を返せ!」と詰め寄られるようなことを考えていた。
ダニー・ハウエルがこの場に踏みとどまったのは、民を助けたいという人道的な考えからではない。
欲望に負けた結果だった。
欲望と言っても金銭的なものではない。ダニー・ハウエルが単なる金の亡者だったら、避難民に死霊を押し付けて全力で逃げただろう。
ただ単に、せっかく完璧な仕事で送り出した避難民が死霊に襲われることが許せなかったのだ。
全員無事に到着してこそ完璧な仕事と言えるのだ。
ここで避難民を見捨てれば自分は助かるが、不意打ち気味に襲われれば避難民は少なからぬ被害を被るだろう。最悪全滅するかも知れない。
完璧だった仕事に汚点が残ることになる。
だが、ここで死霊を倒してしまえば、自分も助かるし、仕事も完遂できる。
メリットの大きさに目が眩んで、リスク計算を忘れたのだ。
(ま、まずいです。ここで負けてしまえば私まで逃げられなくなります!)
避難民を護衛していた兵士の協力を取り付け、迎撃態勢が整うと、しばらくダニー・ハウエルの出番はなくなる。
そして、戦闘が始まれば数で負けている分不利なことが明白になった。
そこで初めてリスクの大きさに気付いて内心で大慌てしているのだ。
(負ければおそらく誰も生き残れません。見捨てて逃げても誰にも知られなかったかもしれませんね。)
非道なことも考えていたりするが、時すでに遅し。
乗って来た馬車も提供してしまったし、今から見捨てて逃げることはできない。
馬車から外された馬に乗って一人で逃げ出す方法もあるが、それは最後の手段だ。
ダニー・ハウエルも貴族の嗜みとして馬に乗ることはできる。だが、長距離を馬で走り続けるのはなかなか大変だ。
体力が持たずに、休み休み進んでいたら死霊に追いつかれる恐れもある。
また、状況は不利でも必ずしも死霊に負けるとは限らない。
犠牲を出しても死霊を押し切れば、生き残った者は問題なくガザム帝国の避難所に到着するだろう。
その時、先に逃げていたダニー・ハウエルを見つけたら、間違いなく吊るし上げようとするはずだ。
既に国が滅んで領主としての立場も貴族としての地位も意味がなくなった今、ダニー・ハウエルを守るものは何も無い。
ハウエル領の家臣にそこまで人望があったわけでもないし、息子のデビッドも吊るし上げる側に加わる恐れがある。息子の容赦の無さは体験済みだった。
最善はここで死霊を全て倒すことだった。
ダニー・ハウエルは戦いの行方を見定めることにした。
ダニー・ハウエルは元領主、立場的には文官である。
軍事の基礎くらいは勉強しているが、荒事は専門家に任せる立場だった。
しかも、相手が死霊となると完全に専門外であり、どの程度の兵力で対抗できるのか予測がつかなかった。
避難民を見捨てなかった原因の一つが、正確な戦力分析ができなかったことにある。
速度優先で最低限の護衛しか連れてこなかった自分と異なり、避難民に付けた護衛は万が一の場合に遭遇した死霊を倒すための兵士だった。
避難民に同行している兵士ならば死霊に勝てると、安直に考えてしまったのだ。
そして、死霊に負けて全滅するリスクを認識しつつも逃げるか留まるか迷っているのも、戦況を正しく読めていないからだった。
五倍を超える数の差は大きい。相手が他国の兵ならば降伏するしかないだろう。
しかし、相手が死霊となると単純には比較ができない。
死霊、特に今回現れたスケルトンはさほど強くない。
筋肉も付いていないのにそこそこ力は強いのだが、骨は脆くて剣で叩けば簡単に砕ける。
訓練された兵士が一対一で戦えばまず負けることはまずない。
五倍を超える人数差とは言え、一人当たり六体ほど倒せば勝てる計算になる。
スケルトンとの一対一を六戦連戦しても普通に勝てるだろう。
だが、実戦では行儀よく一対一で戦ってはくれない。周囲を取り囲まれで全方位から攻撃されれば、訓練された兵士でも危ない。
また、死霊には戦術も戦略もなく、状況判断を行う能力も低い。
見つけた敵に向かって突き進んで行くだけだから行動を読みやすく、罠を仕掛ければ容易にはまる。
実際、王都での戦いにおいては障害物を置いて行動を制限することで、かなり優位に戦うことができていた。
ただし、それらは死霊が来ることが分かっていて十分な準備をしていたからできたことだ。
完全な遭遇戦である今回は、そこまでの準備はできていない。
そもそも、せいぜい数体の死霊を想定した護衛だ。百体もの死霊を相手するための用意はしていない。
一応二台の馬車を障害物にして、その間の狭い隙間から入って来る死霊を一体ずつ倒す態勢で臨んている。
しかし、他に障害物の無い広い街道の真ん中だ。二台の馬車の左右から回り込んで来る死霊を完全に防ぐことはできない。
何より、背後にいる避難民を守らなければならないため、兵士の行動は制限されてしまう。
苦しい戦いであることは間違いない。
ただ、奇跡でも起こらない限り勝てない絶望的な戦いなのか、多少の犠牲は覚悟しなければならないという苦しさなのか。
先頭の素人のダニー・ハウエルには判断できない。
だから、真剣に戦況を見る。
逃げ出すタイミングを逸すれば死霊の群れに殺される。
しかし、逃げ出す判断を誤れば避難所で避難民に殺されかねない。
次第に状況は悪くなって行った。
兵士側にとって勝機は、二台の馬車の間から入って来る死霊を一体ずつ確実に倒し、数を減らしていくことにしかない。
しかし、左右から回り込んで来る死霊も存在する。
それは側面からの攻撃を受けるというだけでなく、兵士を素通りして避難民に向かう可能性もあるのだ。
いずれにしても放置はできず、倒さなければならない。
その、回り込んで来る死霊が徐々に増えてきていた。
死霊の数はまだ三割も減っていないのに、兵士が相手をする死霊の数がじわじわと増えているのだ。
このままでは死霊が押しよせて来るのも時間の問題、今こそ逃げ出す時か!?
そんなことを考えハジマタ時、ダニー・ハウエルはふと視線を感じた。
背後の避難民たちから、自分に向けられた視線である。
元悪徳領主であるダニー・ハウエルは、空気の読める男である。
悪徳領主にとっては必須の技能と言ってよい。
悪いことをやっている分、周囲に気を配らなければ容易に失脚するし、舐められれば他の悪人に付け込まれるのだ。
小心者ゆえに、意外と周囲の評判には気を配っていたのである。
そのダニー・ハウエルが、背後の避難民からの視線を敏感に感じ取った。
それは、賞賛の眼差しだった。
最初は避難民たちも、大量の死霊を引き連れて来たダニー・ハウエルに敵意や反感を持っていた。
しかし、その後の兵士達をまとめて迎撃態勢を整えた手腕、その後も避難民たちの前に出て戦いの行方を見守る真摯な眼差し。
一転して優秀な人物であると、評価がうなぎのぼりになったのである。
この予想外の高評価に、ダニー・ハウエルはたじろいだ。
(ま、まずいです。このままでは逃げられません!)
ここまで注目されていると、こっそり馬を盗んで逃げることはできない。
それに、ダニー・ハウエルは知っていた。
小悪党の対極、大悪党は、表向きは名士だ英雄だと名声を欲しいままにしているものだ。
そして、評価が高い分、裏の悪事がばれると落差で怒りと憎悪を一身に集めることになる。
小悪党の悪事がばれても「ああ、やっぱりか」で終わるが、英雄の悪事が白日の下にさらされると全く被害に遭っていない者からまで「裏切ったな!」と言われてしまうのである。
避難民からの評価が爆上がりしている状況で、実は一人で逃げる気でいることがばれたりしたら……
(この場で八つ裂きにされてしまいます!)
衆人環視の中、堂々と馬を盗んで逃げだす技量も度胸もなかった。
進退窮まったダニー・ハウエルは、腰に下げていた剣を抜いた。
「親父? 何をするつもりだ?」
「兵士の討ち洩らした死霊の一体くらいなら、私でも相手ができるでしょう。」
ほとんどお飾りの剣だが、ダニー・ハウエルも貴族の嗜みとして剣術を習ったことくらいはある。
武芸に全く縁のない一般の避難民よりもいくらかはましなはずだった。
賞賛の視線が痛いほど背中に突き刺さるのを感じつつ、それでも兵士に勝ってもらわなければ明日はない。
ダニー・ハウエルはなりふり構わずできることを何でもやり始めただけだ。
「なるほど、その手があったか。」
しかし、デビッドは素直に感心し、自らも剣を抜いた。
死霊の一体や二体が後ろに抜けてきても背後にいる者だけで対応できれば、前で戦っている兵士にも余裕ができる。
それは、現状で最善の方法に思えた。
そして、その後ろで見ていた避難民の心にも火を付けた。
「俺達もやるぞ!」
避難民の中から、数名の若い男が立ち上がった。




