第二話 追放された聖女の幸せを願う
「聖女様……いえ、ソフィア様は馬車で移送されました。三日後にはアウセム王国方面の旧街道に出る予定です。」
宰相がやって来てそう告げた。
「これで、よろしかったのですか、殿下?」
今回、父上や宰相には裏方に回ってこの茶番劇を見守ってもらっている。
「ああ、これで良い。愚かな王子が国を滅ぼしたと思った方がソフィアも気が楽だろう。」
ソフィアは責任感が強い。こうでもしなければ聖女を辞めることはなかっただろう。
「国を出た後のことは親友に頼んである。あいつならば悪いようにはしないだろう。」
「ああ、アウセム王国の第二王子ですか。」
隣国であるアウセム王国とは友好関係にあり、王族同士の交流もあった。特に第二王子のカールとは年も近いこともあり、親友と呼べる関係を築いていた。
もちろん国益に反するような無茶は頼めないが、心根の優しい奴だ。傷心の少女の一人くらい守ってくれるだろう。
ソフィアが出国した後は、カールの側から迎えを出す手はずになっていた。
旧街道は今では利用する者もほとんどおらず、また聖女の代名詞ともなっているソフィアの艶やかな黒髪はこの辺りでは珍しいから間違えることはないだろう。
偶然を装ってさりげなく保護すると言っていたが……まあ、カールならばうまくやるはずだ。
まさか、カール自ら出迎えないよな? あいつは時々王族であることを忘れたかのようにフットワークが軽くなる。
しかし、いくら王位継承権を放棄したからと言って、王族であることには変わりはないし、今はデリエの領主もやっている。
さすがに軽はずみなことはしないだろう。
「これでソフィアさんも、ひとまず安全ですね。」
バートレット嬢が一息つく。
「バートレット嬢もとんだ茶番に付き合わせてしまったな。」
「いえ、私は悪役令嬢として邪魔な女を排除しただけですから。オーッホホホホ!」
彼女はこの計画の協力者であり、噂もあえて流したものだ。見事な演技をノリノリで披露してくれた。
「しかし、罪のない民に苦難と犠牲を強いることになりますな。」
宰相はしばしば痛いところを突いてくる。父上曰く、得難い忠臣なのだそうだ。
だが、全ては承知の上で事を起こしたのだ。それしきで揺らぐことはない。
「この国に罪のない者などいないさ。」
この国の歴史は、一つの大罪から始まる。
我々の祖先は、故郷を失い、安住の地を求めて世界をさすらう流浪の民だった。
そんな寄る辺なき人々を温かく受け入れてくれたこの地の先住民を、皆殺しにして打ち建てたのが今のグランツランド王国だった。
この建国にまつわる忘恩の大罪は、しかし、隠蔽された。
建国の神話に語られる魔物や悪魔が、この地の正当な主であり我々の恩人でもある先住民族であることを国民の大半は知らない。それを知るのは王族と一部の貴族だけだ。
犯した罪を忘れ去ることは、とても大きな罪だろう。
しかし、いくら歴史の向こうに隠蔽し、我々が忘れ去ろうと罪は消えない。
そして彼らも決して忘れることはない。
大地に染み込んだ先住民の血と怨嗟の念は強大な怨霊を生み出した。それは三百年経った今でも消えることなく、この国に復讐する機会を窺っている。
「この国で最も罪が無いと言えるのは、この国の罪と常に向き合って来たフローレンス家と聖女だけだろう。」
聖女の役割は、この強大な先住民の怨霊を鎮め封じることにある。
聖女の結界が失われれば怨霊は解き放たれ、無数の死霊――ゴースト、ゾンビ、スケルトン、グール等々が際限なく溢れ出し、この国は滅びる。
「そもそも、この国はもう終わっているのよ。ソフィアさんのやっていることは、それをほんの少し伸ばしているだけだわ。自分の命を削ってね。」
バートレット嬢が悪役令嬢の仮面を外して憤慨する。
歴代の聖女はほぼ例外なく短命だった。聖女の仕事は体に大きな負担がかかるからだ。聖女以外の者が行えば、勤めを終える前に命が尽きるだろう。
ソフィアも聖女の祈りを捧げた後に倒れたことが何度もあった。
このまま聖女を続けていれば、遠くない将来に彼女は命を落とすだろう。聖女専属の医師は持って後二、三年だという。
ソフィアの代わりの聖女は今はいない。
彼女の姪のレティシアに聖女の素質があるが、まだ五歳だ。ソフィアが聖女を継いだ十二歳にもまだ七年もある。
ソフィアは、姪が聖女を継げるようになるまではと頑張っているが、その前に命が尽きる可能性が高い。
ソフィアが聖女を継いだ十二歳は歴代最年少だ。当時まだ早すぎると問題になった。事実、成長しきっていない体で行った激務は、歴代のどの聖女よりも彼女の寿命を縮めることになった。
たとえレティシアが聖女になったとしても、ソフィア以上に短命で終わるだろう。そしてその短い期間で次の聖女が現れるとは限らない。今のところ聖女の素質を持つ子供は他にいないのだ。
フローレンス家の負担を減らすために王家や他の貴族にフローレンスの血を取り込んできたが、なぜかフローレンス家以外から聖女は誕生したことはない。
代を重ねるごとに、聖女の素質を持つ者の数は減り続けた。
レティシアの次の聖女が都合よく生まれて来る可能性は限りなく低い。
もしかしたら、レティシアが間に合うかもしれない。
もしかしたら、レティシアの次の聖女が現れるかもしれない。
上手くいけばそれでギリギリ国を維持できるかもしれない。
だが、この国が存続する可能性は奇跡のように低く、その一方でソフィアは、レティシアは、その次の聖女となる誰かは確実に寿命を大きく削ることになる。
そして、聖女を犠牲にして国を延命したところで、根本原因である怨霊に対する手段は存在しない。
この国はソフィアが聖女になった時から――いや先住民を虐殺して建国した時から滅びる運命だったのだろう。
「だったらせめてソフィアさんだけでも助けた方がお得じゃない!?」
おどけたように言うバートレット嬢だが、我々は別に私情だけで事を起こしたわけではない。
「いずれにしても、この国は滅びる。だからその前に全ての国民を速やかに、なるべく混乱なく避難させる。まずは半年間で王都を空にするぞ!」
聖女が突然亡くなれば政府も混乱して対応が後手に回ってしまうだろう。
だが、事前に計画を立てて聖女を追い出せば、後は事前の計画に従って避難を始めるだけだ。
「既に始めています。諜報部が一ヶ月前より『殿下が浮気をして聖女様と不仲』という噂を流しております。聖女様の出国に合わせて、『殿下が無実の聖女様を追い出した』という噂を流す手はずになっています。」
「ぐっ……、改めて聞くとくるものがあるな。」
そのように振舞ったのだから正しい噂なのだが……
「浮気したあげくに婚約者を追い出すなんて、最低な男ね。」
その通りなのだが……その浮気相手役を務めたバートレット嬢が言うのはどうなのだろう?
「それに、甲斐性無しですな。王族ならば正室の他に側室や愛人を何人も囲うものです。」
宰相が追い打ちをかける。
確かにバートレット嬢を妻として迎えたければ、側室にすればよい。だが、貴族ならともかく一般大衆にはその不自然さは分からないだろう。
父上が宰相のことを、「あいつは時々くそ真面目な顔で冗談を言う」とこぼしていたが、その通りだった。
「ソフィアお義姉さまに罪を着せるなんて、サイテー!」
さらに追い打ちを……て、おい!
「あら、シャーリー殿下。いらしていたのですか?」
「ええ。ソフィアお義姉さまの門出と聞いて、陰ながら見送ることにしたのよ。」
こいつは、シャーリー・ラグバウト。我が妹だ。
シャーリーは以前からソフィアに一方的に懐いていて、極秘だったはずの今回の作戦を嗅ぎつけてやって来たらしい。
それから、婚約は破棄したからもう「お義姉さま」ではないぞ。
「それでどうします、もう止めますか?」
宰相が、こちらを試すように言う。実際に試されているのだろう、国を滅ぼすその覚悟を。
「いや、続けろ。悪評は全て王家が引き受ける。」
どのみち国を滅ぼした愚者として歴史に悪名を刻むことは確定している。醜聞の一つや二つ加わったところでどうということはない。
「承りました。聡い者は噂を聞いて自主的に避難を始めるでしょう。後は状況を見ながら段階的に噂と発表で情報を流して自主避難を促します。」
「私も学園で、『ソフィアお義姉さまは浮気を繰り返す兄様に愛想をつかして出て行った』って噂を広めるわ。」
「下手なことをして計画の邪魔をするんじゃないぞ。」
「問題ありません。シャーリー殿下の行いも織り込み済みです。」
「……ならばよい。ある程度自主避難が進んだら、結界が綻び始める前に国軍を出して残った国民を強制退去。近衛騎士には溢れ出る死霊への対処をしてもらう。この日のために集めた聖属性の武器が活躍するな。」
国軍には民の避難誘導と護衛を任せるが、王族を守る近衛騎士には王都に留まってもらう。死霊を押しとどめるために、怨霊の最大の標的であろう我ら王族と共に。
「バートレット嬢は早々に領地に戻り、国外に脱出すると良い。民を導くのも貴族の役目だ。」
「いいえ、その役割は兄上に任せてまいりました。私は、『真の聖女』として最後までお供させていただきます。」
「……そうか、助かる。」
言外に不退転の決意を見せるバートレット嬢に、説得を諦めた。
「それにソフィアさんにも、国のために命をかける者を、ただ見ているだけしかできない気持を味わっていただきたいじゃないですか。」
そうだった。ソフィアは聖女の使命に必死なあまり、周囲で彼女を見ている者の気持ちに気が付かなかった。だからあのような茶番劇に簡単に引っかかったのだ。
彼女の身を案じる者は多い。
「辛辣だな。」
「私、悪役令嬢ですから。」
ソフィアは知らないだろうが、バートレット嬢は国を滅ぼしてでも彼女を解放しろと主張した一人だ。
宰相はああ言ったが、最早計画の中止も延期もあり得ない。
聖女が不在となった今、この国の滅びは確定した。滅亡までのカウントダウンは止められない。
そのために計画と準備を進めてきた。
今はただ、追放された聖女、ソフィアの幸せを祈るのみだ。