第十六話 亡国の日
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王都は静寂に包まれていた。
住む者のいなくなった住宅街。
全ての店が閉められた商店街。
表通りを行き交う人の姿が消え。
公園で遊ぶ子供の声も聞こえず。
井戸端で賑わう主婦の姿もなく。
奇麗なまま残された建物、使う者のいなくなった道路や上下水道が寂寥感を誘う。
住民の避難の終わった王都には、しかし、未だに人の姿があった。
人気のない王都を巡回する近衛騎士がいた。
逃げ遅れた、あるいは避難を拒否した住民の姿はもうない。
近衛騎士が警戒しているのは、死霊であった。
聖女の結界の要は、王宮内にある聖堂にあった。
怨霊を封じた巨大な結界の中心であり、最も負荷のかかる地点。
その場所で聖女が祈りを捧げることで結界を強化し、封印が破られることを防いでいた。
聖女の祈りが中断された今、最初に結界が破られるのは、この聖堂だと考えられていた。
ただし、絶対ではない。
聖女の祈りが完全に途絶えたことは、建国以来三百年、初めての出来事なのだ。
それに、二百年前の死者の大行進事件の際は、聖堂だけでなく王都内の幾つかの場所から死霊が出現していた。
それは死者を埋葬した墓地であったり、それ以外は先住民の何らかの儀式場の後かあるいは虐殺が行割れた場所であろうと考えられていた。
聖堂以外の場所から死霊が出てきていないか、それを確認するために巡回し、警備しているのだ。
もちろん本命は聖堂である。
聖堂の様子は三交代で昼夜問わずひと時も目を離すことなく監視されていた。
また、定期的に結界の状態が調べられ、破られる時期も予測が行われていた。
しかし、聖女の祈りが途絶えて既に半年が過ぎた今、どんなきっかけで結界が崩壊するか分からなかった。
最悪、王都からの避難が終わる前に死霊が湧き出すことも、可能性としてはあり得たのだ。
その場合でも、近衛騎士や王都に残る戦力が死霊を抑えながら避難を続けただろう。
だが、無限に湧き出す死霊を完全に抑え込める時間はさほど長くはない。
結界の崩壊が早いほど、避難民が死霊に追いつかれ、犠牲者が増える可能性が高まるのだ。
逆に、結界が長く持てば、それだけ民の安全が確保される。
最悪の予想を超えて怨霊を封じ続けた結界は、それだけで多くの民を救っていた。
「全ては命を削りながら結界を維持してきたソフィアのおかげか。我々は最後まで彼女に守られているな。」
アベール王子は嘆息した。
ソフィアを助けると決意し、何年もかけて調査し、計画し、準備し、けれども最後は聖女の力に頼っている。
結局この国は最初から最後まで聖女に頼って存在していたのだ。
改めてそう思った。
聖女の結界は、予測を何度か覆して、最初に予測した限界の日から十日経った今もまだそこにあった。
「このしぶとさは、まるでソフィア嬢が乗り移ったかのようですな。」
宰相が身もふたもない感想を漏らす。
聖女ソフィアは早くから「長く持たない」と言われ続けてきた。
学園に入学は無理と言われ、入学しても卒業はできないだろうと言われ、次に倒れたら危ないと何度も言われた。
しかし、医者の予想を幾度も覆し、追放されるまでの七年間、一度も休むことなく聖女の務めを果たしてきたのが聖女ソフィアだった。
「ソフィア嬢が毎日祈り続けてきた結界だけに、ありそうな話だな。だが、さすがにもう限界だろう。」
国王も同意するが、それでも限界は近付いていた。
どれほど強い意志をもってしても、不可能なことはある。
奇跡的にその役目を保ち続けている結界も、確実に弱まってきている。
封印が解けるのも、時間の問題だった。
「ところで、マイケルよ。今からでもどこかの避難先に行ってはくれないか? 避難民にも指導者は必要だろう。」
「ハハハ、その役目は息子たちに譲ってきました。国王を見捨てた宰相に付いてくる者などおらんでしょう。私は最後まで見届けさせてもらいますよ。」
国王の言葉に、宰相マイケル・フォスターは笑って返す。
既に何度も繰り返された問答だった。
そんな会話をしながらも、視線は聖堂を向いたままだった。
もう、いつ結界が綻んでもおかしくないのだ。
王都に残った多くの者が、暇さえあれば聖堂を注視していた。
そして、運命の時は訪れた。
――ピシリ!
何かがひび割れるような音がした。
そして、聖堂の中からのっそりと現れる骸骨――スケルトンだった。
「始まったか!」
そう、それが始まりだった。
出てきたスケルトンは待ち構えていた騎士が即座に倒したが、聖堂内には既に第二第三の死霊が現れていた。
この流れは止まらない。
聖女の結界は死霊を押し止める力を失い、時と共により多量の死霊が溢れ出してくるだろう。
国王は、そう判断した。
「グランツランド王国第十七代国王アレックス・ラグバウトの名において、今この時を持ってグランツランド王国の滅亡を宣言する!」
この日、この時、一つの国が静かに消滅した。
直接の死者はゼロ。
大規模な破壊があったり大量の死者が出たわけでもなく、大軍に攻め込まれたわけでもない。
だが、彼らの戦いはここから始まる。
「最後の王命を下す。ここで起こったことを北方三辺境領及び隣国に伝え、死霊に対する警戒を促せ!」
王命を受けて、兵士の一団が動き出す。
彼らはこの任務のために王都に残っていたのだ。
「さて、国も滅び儂も王ではなくなった。王命も先ほどのものが最後だ。逃げるなら、今の内だぞ。」
国王、いや元国王アレックス・ラグバウトが本気とも冗談ともつかぬ顔でそんなことを言う。
「国が滅びたとしても、王族……であった者が国民を見捨てるようなまねはできない。」
「私達を追って死霊がやって来ても困るわ。」
「ソフィアさんを追い出した張本人の一人として、最後まで御一緒させていただきますわ。」
「国王を辞めたくらいでアレックスを野放しにできるはずがないでしょう。」
「「「我々は、最後まで責務を全うする所存です!」」」
さすがにここまで来て逃げ出すような者はいなかった。
「そうか。ならば、足掻けるだけ足掻こうではないか! 儂等が粘るほど民の安全は守られる!」
「「「応!」」」
そして、永く続く戦いが始まった。
◇◇◇
死霊との戦いの厄介な点は、際限が無いことだ。
どれだけ死霊を倒しても、次々に新しい死霊が現れる。
怨霊本体を倒さなければ終わりはない。
しかし、怨霊を倒す方法は存在しない。三百年経った今でも見つかっていない。
だから、封印するしかなかった。
封印する手段もなくなった今、絶対に勝ち目がない。
だが、時間稼ぎならばできる。
死霊が現れよりも早く倒して行けばよいのだ。
聖堂周辺での死霊討伐は、一昼夜にわたって続けられた。
「それにしても、スケルトンしか出てこないな。弱いから助かるが。」
アベールはこの一日の戦いを振り返って呟く。
死霊は昼も夜も休みなく現れるが、交代で休憩を取り、食事も睡眠も十分なのでまだまだ元気だ。
「二百年前の死者の大行進以降、遺体は火葬が義務付けられましたから、その影響でしょう。」
怨霊の生み出す死霊は、国内で発生した死体を利用していると考えられた。
三百年前に怨霊が誕生した時は、虐殺された先住民の遺体が動き出したという。
二百年前の死者の大行進事件では、死霊に殺された人や、墓地に埋葬された死体が動き出したそうだ。
だから二百年前に法律が改正され、遺体は火葬が義務付けられた。
遺体を怨霊に利用されないためだ。
その甲斐あってか、今のところ現れる死霊はスケルトンに限られていた。
焼かれて脆くなった骨を利用したためか、スケルトンはかなり弱かった。
丸一日戦ってそれでもまだ余裕がある理由の一つは、死霊が弱いことだった。
「この調子ならいくらでも戦い続けられるのだが……」
そう簡単にいかないことは、皆分かっていた。
「未だ聖女の結界は完全には消えておりませんからな。本番はこれからでありましょう。」
死霊が溢れ出すようにはなったものの、聖女の結界はまだ失われてはいなかった。
場所が聖堂に限定され、出て来る数も少ないことがその証拠である。
だが、その結界も時間とともに失われて行くことになる。
その兆候に気付いたのは、スケルトンと戦っている最中の騎士の一人だった。
「あれ? 何だか聖堂の中が暗くないか?」
死霊が湧き出すことが分かっていた聖堂は、窓と言う窓、扉と言う扉が開け放たれていた。
明るい昼ばかりでなく、夜も全方向から篝火の明かりで照らし、中の様子がはっきりと見えるようにしていた。
今はよく晴れた昼間であり、奥までくっきり見えていた聖堂の中が、急に陰って見えたのである。
「違う! 暗いんじゃない、黒いんだ。あれは……」
別のものが慌てて聖堂の中を覗き込む。
「あれは怨霊だ! あの黒い霧に触れるな、精神をやられるぞ!!」
いつの間にか、聖堂の中には黒い霧のようなものが湧き出していた。
それは次第に密度を増し、聖堂の内部を黒く覆い隠した。
二百年前、この黒い霧に触れた者は発狂し、生涯完全には元に戻らなかったという。
その話は、この戦いに赴く近衛騎士には伝えられていた。
もとより聖堂の中には入らずに戦っていたのだが、ぎょっとした彼らが思わず一歩下がったとしても責められないだろう。
黒い霧はさらに密度を増すとともに聖堂の外にまで溢れ出し、黒いドームを形成した。
二百年前の再現である。
ただし、二百年前と異なり、命を懸けて再封印を行うことができる聖女は存在しない。
「報告します! 貴族街、第三公園で死霊の発生を確認しました!」
そこへ、王都を巡回していた近衛兵からの報告があった。
今は公園となっているその場所は、かつて先住民の虐殺が行われた場所と目され、二百年前も死霊が溢れ出した場所でもあった。
「いいかげん潮時……いや、ここまでよく持ったというべきか。総員、撤退する! この場は放棄して、第一防御線で迎え撃つ!」
元々聖堂前で長期戦を行う予定はなかった。
結界が綻び始めれば聖堂に近い複数の場所からまとめて死霊が現れる恐れもあったのだ。
一昼夜も持ったのは、僥倖だった。
他の場所からも死霊が現れた以上、聖堂から現れる死霊のみを倒していても意味はない。
防衛線を広げて、全ての死霊を外に漏らさないように囲い込まなければならない。
防衛線は範囲が広がるほどに必要となる人員は増え、一ヵ所の守りは薄くなる。
状況は、段階的に悪くなってゆくのだ。
戦いはまだ、始まったばかりであった。