38話 妄想お嬢様
私は帝東西高校の冒険科を受験した。
家族は帝東高校に行かせたがっていたが、弟に家のほとんどを継がせるという条件で冒険科を受けた。
はっきり言って、同年代で私より強い人間はいない。
廃工場での女は例外として、強さも学力も私の足元にも及ばない人間がほとんど。
受験でも最後の試験までは余裕で突破した。
そして、最終試験。
他の受験者が七等級のダンジョンに挑む中、私は三等級のダンジョンに連れてこられた。
「すまないが、これは死ぬ試験だ」
「分かりました」
高校の冒険科は死ぬことを前提として授業を進める。そのため、死ねない人間は入学を許可されない。
受験の趣旨は理解している。だが、私は死ぬつもりはない。
卒業する際ですら攻略できるパーティーは一握りの三等級のダンジョンに私は挑んだ。
――――――
結論から言えば、私はダンジョンを攻略した。
だが、その代償として片腕を失った。
当然首席で合格したが、入学式には出られずしばらく休むことになった。
入学から一か月後に初めて登校した。
教室に入った私を待ち受けていたのは鼻がもげるような腐敗臭だった。
臭い。臭い。臭い。
嗚咽が出そうになる。
こんな時は感情を殺す。
匂いを無視して、周りを見る。
「私は氷藤美祢という。魔法を使えるから前衛ができる者と組みたい」
どいつもこいつも腐敗臭を放つ。死ぬことを当たり前だと思い込んでいる一番嫌いな匂い。
『白の珈琲』のメンバーはこんな匂いはしなかったが、ここにいる。いや、この学校の冒険科の生徒のほとんどが臭い。
勧誘を受けたが、ほとんどは他力本願丸出しの人間だった。
結局、私はここでも一人ボッチとなってしまった。
「お嬢様は私が守ります」
親が片腕を失って不便さを感じさせない為に身近にいた女を護衛兼介護要員として雇った。
短くはない付き合いではあるが、従者であって友達になってくれそうもない。
最悪のスタートを切ったが、私はソロでダンジョンを攻略し着実に力をつけた。
そして、《隻腕の氷結姫》という二つ名が付いて来た。ついでに仕事をしていなかった生徒会を解散させ、生徒会長となった。
生徒会長になったのは、松枝さんに憧れていたから。という理由だけだ。
周りと慣れ合わない様から鉄血の生徒会長とまで言われるが、そんなのは軽蔑の内にも入らない。臭い人間と無理に関わるよりかは突き放した方が楽に物事が進む。
思い描いていた物とは違うつまらない日々を過ごしていた時、招待状が届いた。
差出人は松枝さん。
一年で生徒会長になった私を気遣ってくれたようだ。
技術交流として、私は下徳高校に向かう事になった。
――――――
やはりというか、こっちの高校も腐敗臭が漏れ出ていた。
校内に入ると、面白い生徒を見つけた。
強さからして冒険科であることは分かったが、腐敗臭がほとんどない男子生徒だった。
もっと近くで嗅いでみたい。
そう思って、声を掛けた。
この生徒は久木和希と名乗った。
和希は私の身分を知らないからか、私と対等に接してくれる。
秘めている力は恐ろしいと思わせるほどだが、それでも驕ることなく目標へ進もうとする精神は好感が持てる。
それに初めての匂いでどんな性質かは分からなかったが、私の好きな優しい匂いがした。
またいつか会えるか楽しみな人間だ。
和希に案内された生徒会室に入ると松枝さんが椅子に座っていた。
「氷藤殿。上機嫌みたいだな」
「分かりますか。面白い人に会えたのでそれの影響です」
「今日はゆっくりしていくといい。田舎で何もないが、教科書にも出るような寺ぐらいはある」
「ありがとうございます。しかし、私に用事があるのでは?」
私をこの田舎まで呼び寄せたのには理由があるはずだ。
「それはそうなのだが……」
「松枝。無駄に留めるのは優しさじゃない」
『白の珈琲』の《純白の大盾》笹見光莉が入ってきた。
私と同じ白髪で勝手に親近感を抱いている。
この人の匂いは母性を出そうと余裕ぶっている姉といった感じの少し変だが、優しさのある悪くない匂いがする。
「そうだな。今日、氷藤殿を呼んだのは……」
この後、引退の事と特級ダンジョンへのラストランについて教えて貰った。
「なるほど。それでは私が選ばれるでしょうね」
「自信があるのだな」
「ええ。同年代で私より強いのはあの女だけなので」
私が手も足も出なかったあの女が冒険科にいればその異常さは既に耳に入っているはずだ。だが、そんなことを聞かないということはあの女は冒険科にはいないということになる。
「慢心はダメ。今年はいい一年いる」
「特に久木殿の力は底が分からないな」
「さっくんの後輩だから当然」
やはり和希は先輩たちにも認められるほどの実力者なのか。
俄然面白くなってきた。
興奮からか息を大きく吸った時に肺を焼かれるかのような怒りを感じた。
なんだこれは。
すぐに私は匂いの元まで走った。
そこにいたのは、さっきとは別人みたいに変化していた和希だった。
鼻を焼くような怒り。そして、溢れ出る力。これは、凄まじいな。
何があったか気になる所だが、今は沈静させる必要がある。
おそらくだが、私の実力では勝てない。
なら、頭を使えばいい。
怒りの性質を利用する。
人間は体力的に15分以上怒りを維持させることができない。
近くにあったダンジョンに道を誘導し、時間を使わせる。
念のため、先輩たちにも伝えておいた方がいいだろう。
――――――
ダンジョンから出た和希は手加減をしていたはいえ、先輩たちを圧倒し、支援に徹していた私を後一歩で殺せる所まで迫った。
人生二度目の同級生相手への敗北。
しかし、なんだろうか。あの女と比べると感じ方が違う。
あの時はどうしようもない悔しさがあったが、今はかなり気分がいい。
悔しさがない訳ではないのだが、今現状の気持ちはいい方向に向かっている。
どうやら、和希の力には時間制限がある。一時的ならば負けてしまうが、ダンジョン攻略など長時間の戦闘ならば私の方が強い。
だが、和希と純粋な戦闘力を比べるのはナンセンスだ。
私は魔法使い。和希は前衛。お互い得意となる距離が異なる。
ならば、私が指導をして怒りのコントロールを覚えさせてしまえば、我々は他の追随を許さない最強のパーティー。いや、コンビになれるかもしれない。
和希の力は魅力的だ。
二人でならあの甘い匂いの女を超えられる未来を想像できる。
和希を手に入れる為なら、家の力を使うのも悪くはない。
そう思い、体力の切れた和希を持ち帰ろうとしたが、全身緑コートの女に取られてしまった。
あの女。匂いが変化した。
人格こそ違うが、能力などは和希と全く同じ匂いに変化した。
他人をコピーする能力。
初めて見る能力。面白い。この女にも興味が湧いた。
さっきは気にも止めていなかったが、匂いを思い出しこの女の詳細を分析する。異常な能力故の葛藤があるはずだが……
なるほど、この女は性自認が曖昧みたいだ。おそらく、他人に成り代わるような異能による副次的な影響だろう。
……意外だな。この女が抱える悩みはこの程度か。
もっと、深刻な何かを抱えていると思っていたが、常識の範疇を出ない悩みだけだ。
記憶の中にある匂いでは精度が悪い。少し心を揺さぶって、私を能力の対象に仕向けるか。
「今日は乱入者が多い。貴様の名は?」
「うちは阿武莉子。下徳高校の……」
少しだけ威嚇するか。
「機械情報科。コンピューターに精通する人間の匂いがする。盗撮、盗聴、ハッカー関係。犯罪者の匂いだ」
言ってもいない自分の情報を知られているというのは怖いはずだ。プライベートに侵入されたと思うだけで人間は警戒を強めざる負えない。
女は冷静を装っていたが、焦っている。これなら、少し煽れば……
匂いが変わった。
相手の能力をコピーする異能ということは分かるが、初対面の相手をどれほどの真似ることができるか。
さあ、どうなるか。
ある意味、期待をしていたのかもしれない。
この女の異能は実は大したことはなくて、悩みを抱えることもないと。
自分とは明らかに違う存在だと思っていた。
だが、違った。
この女の能力は、私が想像していた以上に異常で常人が扱えるものじゃない。
私は自分の鼻が間違っていることを期待してしまった。だが、これは間違ってなどいない。
目の前の女は私だ。
まるで、私の人生を追体験した存在が目の前にいるかのような錯覚を覚えた。
かろうじて、女本人の人格が怒りという感情として表面に存在するだけで、深層心理から魔力、異能に至るまで私が目の前に立っていた。
目の前に私のコピーが現れて、初めに思ったのが危機感だ。早く、あの女を殺さなければ私の個としての存在を否定される気がしてたまらない。
今まで感じたことのないような異質な恐怖が目の前にあった。
自分のアイデンティティを奪われている。そんなことが、これほどまでに怖いものなのか。
この後、罵倒されたが、女はすぐに能力を解除した。
あの女は自我を失いかける代償を使って異能を使った。こんな異常な能力を持っていてなぜ、こんな正常でいられる?
疑問はあっさり解決した。既になんとなく感じ取っていたが、和希の存在が緑コートの正常さを保っている。まるで、命綱のように
やはり、和希には特別な何かがあるのだろう。
女は先輩が来たことに気付いて能力を解いたな。これ以上のやり取りは先輩に止められる。
だが、それでもいい。私の力を和希に示す。
今出せる最大の氷を上空に発生させた。ただの魅せ技で質量以外に特別な何かはない。
先輩の手で一瞬で砕かれたが、これで私の事は和希の記憶に残っただろう。
――――――
私は和希を転入させるための裏工作をするために和希の実家周辺を歩き回っていた。
歴史ある財閥のトップからすれば、戸籍がある人間の情報なぞ、生まれた病院から出身校の出席番号まで簡単に分かる。
下徳高校があった周辺も田舎だったが、和希が住んでいた付近はさらに不便そうだ。
駅までの距離があまりにも遠すぎる。おまけにバスの本数が少なすぎる。これでは車がなくては生活もままならないだろう。
ここに来るまでに家の従者の運転する車の中で、和希の経歴を漁っていたが、なかなかに面白い情報があった。
『白の珈琲』のリーダー中津佐月と同じ中学を卒業している。こんな田舎に才能が眠っているとはな。全く世界は広い。
何か私の悩みを解決できるヒントがないか、少し歩いてみることにした。
たまには都会の喧騒から離れるだけでも、ここに来た価値はある。
半ば散歩気分で歩いていると、甘い匂いが漂ってきた。
金木犀か何かかと思ったが、それが人の匂いだと気付くのには声を掛けられてからだった。
「久しぶりー」
廃工場で私を負かせた女がこちらに手を振っていた。




