32話 不調
「息子を救ってくださり、ありがとうございました!」
「外傷はありませんが念のため、病院に連れて行ってあげてください」
「おねーちゃんたちありがとー」
ダンジョンに迷子になっていた子どもはダンジョンを出る途中に目を覚ました。
外傷もないし、受け答えもしっかりしている。
城井は念のためと病院で診察を受けることを親に勧めた。
親子と別れた後、俺たちは魔石を提出する為に帝東西高校に来ていた。
すっかり日も傾いている。暗くはないが、夕焼けが校舎を照らしている。
「ちょっとごめん。実家から電話が来てるから、先行ってて貰ってもいいかな?」
「ん? ああ。分かった」
城井にはダンジョンの最下層でキョムに出会った事と決闘については話しておいた。
新魔教団への警戒が薄まった今なら、ダンジョン外でも別行動をしても問題ない。
職員室に行くなら道中にある保健室に寄っておくか。
まだ美祢がいるか分からないが、いたら見舞いぐらいはできるだろう。
「すいません」
「はい。どうぞ」
保健室に入ると、先生ではなく女子生徒が座っていた。
なんで生徒が座っているかは分からないが、まあそれは学校それぞれの何かがあるんだろう。
「怪我でもしましたか?」
「いや、友達の見舞いなんですけど」
「……怪我人の名前は?」
なんかすごい睨まれているし、鉄パイプに手を掛けている。
他校の生徒が来たから警戒している? いや、それなら、入室した時点で何かしら拒絶するような態度を取っているはずだ。
まあ、いいか。
「美祢って名前で……」
「貴様かァァ!」
「うおっ」
金属の棒を躊躇いなく振るってきた。
初撃は躱せたが、こいつかなり棒術に長けている。
緩急のある攻撃と軌道変化を使いこなしているせいで、俺の先読みの精度がかなり落ちている。
どこに来るかの予測が絞り切れない。
これだとギリギリを狙って避けることは難しい。
相手の分析はここまでにして、なんで襲ってきたか理由を聞きださなければ……
「なんのマネだ。ここは保健室だろ。そんな物騒なもんを振り回すな」
「安心しろ。貴様以外には当てはしない」
「ちょ。待て。なんで俺を襲う?」
猛攻を躱しながら言葉をぶつけた。
「とぼけるな! お前がお嬢様を襲ったんだろッ!」
お嬢様?
ああ。分かったぞ。
美祢は白陽財閥のトップの娘だ。
学校に護衛の一人でも潜伏させていてもおかしくはない。
それほどの地位にいる美祢がお嬢様と呼ばれているのも納得だ。
「違う! って言っても聞くわけないか」
「当たり前だ!」
……面倒だな。
この女を倒すのは難しくはない。ただ、倒した所で俺への疑念が晴れる訳でもないし。何より、他校で問題を起こしたと言われて更に面倒な事になりかねない。
ただ、さっきまでブレていた先読みが徐々に絞られていっている。
なかなかの棒術を使ってくる相手だったが、もう慣れたみたいだ。
これなら……
「なっ」
棒を掴んだ。
このまま降参してくれればありがたいが……
「もう辞めとけ。お前じゃあ俺には勝てない」
「舐めるなッ!」
捨て身のタックル。
いい心がけだが、相手が悪い。
体重は俺の方がある。受け止めるなんて難しくもない。
いや! こいつ。刃物を隠し持ってやがる。
本気で殺す気なんだな。
そっちがその気なら仕方がないこっちも手加減はできない。
拒絶の大盾を当てて部屋から叩き出す――
「きょ――」
「《氷壁》」
俺たちの目の前に薄い氷が割って入ってきた。
触れたら壊れそうな氷だったが、俺たちは壁を壊さなかった。
「お嬢様……」
ベットを囲むカーテンから、美祢が顔を出した。
この氷の壁を作ったのは美祢だ。
「和希は悪い奴じゃない……」
弱々しい声だった。
出会った頃のあの番犬みたいな気迫がなくなっている。
「怪我は大丈夫か?」
「肉体は無事だ。ただ……」
「ただ?」
「心が……やられた」
表情が曇っている。
心の問題か。
あまり理解されないかもしれないが、俺にはよく分かる。
俺だって、暴走した後にうつ状態になってしまう時がある。
メンタルが狂う時と狂わない時の条件はよく分かっていないが、あの時は自分が自分じゃないような感覚に襲われる。
毛色が違うとは言え、美祢が抱いているものは根性とかそういうのでどうにかなる代物ではないことは分かってやれる。
「しばらく休むといい。連絡先を渡しておくから、何か手伝えることがあったら何でも言ってくれ」
まだ出会って間もないが、美祢は強い人間なのは分かる。
俺が何か手を出すまでもなく時間で調子を戻してくるだろう。
「すまない」
「気にすんな。友達だろ」
「そう言ってもらえると助かる……いい匂いになったな」
確か、美祢は鼻が異常に良かったな。
匂いだけで、相手のいろんなことが分かると言っていた。
匂いを褒められても大手を振って喜びはしないが、悪い気持ちはしない。
美祢の体が震えた。
「寒いのか?」
「氷の魔法を使うと冷えてしまってな」
美祢に俺の上着を掛けた。
「ボタンがいくつかないが、使ってくれ」
「温かい。嫌なことを忘れられる懐かしく好きな匂いだ。これがあれば、安心して眠れる」
ちょっと言い過ぎな気もするが、いちゃもんを付ける気はない。
どう使おうが、美祢の勝手だ。
「俺たちはしばらく東京にいるから、落ち着いたころに返してくれればいい」
美祢にそう言ってから、護衛の女の所に行った。
「美祢を襲った奴は三日後に俺を襲う。それまで何もしてこないとは思うが、美祢の護衛を頼む。仮面の女が犯人だ」
まだ、美祢にはキョムの事は伝えられない。
まさか、心がやられていたとは思ってもいなかった。
俺は護衛の女にキョムについて何か問い詰められる前に足早に保健室を出て行った。
――――――
久木が出て行った後、美祢は頭から久木の制服を被っていた。
その行為は寒さから逃れる為ではなく、久木の来ていた制服を匂う為の行動だった。
服を盗られない為か強く握りしめ、襟や脇部分といった匂いが強い部分を深呼吸するかのように吸っていた。
その光景を見た護衛の女はその異常な光景を見て、まず自分の目を疑った。
すぐに現実に戻り自分がしないといけない事を口にした。
「お。お嬢様……その。大変申し上げにくいのですが。異性の服をそんな使い方をするのは少々。その。はしたない……ですよ」
護衛の注意を美祢は頭を空っぽにして聞いていた。
こんな異常な行動をする主人を見て、護衛は明らかに動揺している。
それも不思議ではない。帝東西高校で生徒会長を務め、実家はあの三大財閥の一つである白陽財閥の総裁である。
小学生の時から大人顔負けの風格を纏っていた彼女が今は男の服を食い入るように味わっていた。
匂いを味わっている時の表情は緩み切っていた。
子どもながらにして、いつも厳格で氷のような目をしていた彼女がする表情ではない。
彼女を知っている人間が見たら誰だって驚き、本物なのか疑うだろう。
「私は幼少期は曖昧だ。だが、この匂いに包まれていると思い出せる気がするのだ」
「そんなはずは……だって――」
護衛は口を止めた。
(お嬢様はその頃、寝たきりだったのですよ)
口止めされている訳ではなかった。
当然、そんなことは当事者だった美祢も知っているからだ。
美祢は何もなかった幼少期の記憶を思い出すという矛盾を起こそうとしている。
本来ならば、指摘をすべきだったが、すべてが異常事態であったこともあり護衛は黙ってしまった。
「ああ。なるほど。私も昔はロマンチストだったのだな」
「あの。何をおっしゃっているのでしょうか?」
「私は和希と婚約していた」
言葉が出てこなかった。
そんな事実は絶対にない。
護衛はそう断言することもできたが、美祢から放たれる重く粘っこい威圧に口を閉ざされてしまった。
「だから、男を性的に見れなかった訳だ。私は浮気をするような軽い女ではないからな。小さな頃に和希とした約束を記憶じゃなく体で覚えていた」
「そ、そのような事実はあ、ありません」
勇気を振り絞って、主人が言ったことを訂正しようと試みた。
これ以上、存在しない記憶を作り上げて狂っていく主人を見ていられなかったのだ。
「私たち氷藤の一族は代々、匂いで人を見抜いて来た。愚兄にはその才能がなかったが、私にはかぎ分ける鼻がある。私の鼻を否定するというのか?」
「いえ、そのような意図はありません」
「そうだ。私の体が和希のお嫁さんになる事を望んでいる。だから、記憶が消えても、和希が転校してもこうやって思い出せた」
護衛は諦めた。
主人がどれほどの闇を抱えていたか。
表情の奥を今の今まで見抜けなかった自分に責任があると言い聞かせた。
「ただ、和希の方はまだ思い出せていないみたいだ。昔の記憶が戻らないのは仕方がない。私みたいな特殊なものがなければ記憶は戻らないかもしれない。だから、今の私を好きになって貰う必要がある。まずは外堀を埋めねばな……」
護衛は腹を決めた。
主人の虚言に付き合うことが一番の最善である。
命令に従う。それが自分に課せられた使命だと。そう自分に強く言い聞かせた。




