可哀想で可愛い
目を開けると曇天に広がる荒野、白いパラソル片手にふわふわっのドレスを着たお姫様。白金の髪に青と緑のオッドアイの瞳を持ち、俺の傍で地べたに座り込み顔を覗き込んでいた。今まで見たことが無いほど綺麗で、小柄で華奢な様子は白い子猫を思い浮かべた。
直ぐ側には硬質な甲冑に黒い衣類を纏い、剣を脇に刺した黒髪、赤目の大柄な騎士が立っていた。俺より少し年上の青年で、中性的な美貌に見惚れた。身体付きは細身なのにしっかりとしている。手足が長くアクション映画のヒーローみたいだ。西洋人で彫りが深く眼福だ。
なんだコレ夢?
『まぁ、お目覚めになりましたのね。天上から舞い降りたあなた様は?』
その言葉に頭が追いつかない。そんなどこかで見たアニメみたいなことってあるの?少年が空から降ってきたってか?んな馬鹿な?
言葉が理解できるって事は、見た目西洋人だけど話が通じるのかな。よし!そうだ話してみよう。俺はゆっくりと地面から上体を起こす。
『えっと、俺の名前は粕谷秋です。何も覚えてなくて。この場所に見覚えがないんです。』
目の前の姫も侍従も一瞬目を瞠り驚いた様な顔をする。だが姫は直ぐに優しげに笑みを浮かべた。ドレスの裾を摘み流れる様にカーテシーの様なポーズを取る。
『私はインダストリアル国第三王女、メリル・フォン・ストライアン・インダストリアルと申します。どうぞお見知り置きを。』
メリル姫は隣に並ぶ騎士の方に手をやり紹介する。
『こちらは私に古くから仕えてくれている騎士のアイスロッドです。』
アイスロッドさんは俺に騎士の礼を取る。成る程やっぱり見たままのお姫様と騎士なんだ。俺はメリル姫とアイスロッドさんに状況を伝える。
『俺、目が覚めたらここにいて、お二人が目の前にいたんです。学校から帰宅して着替えて、おやつを食べようかなと思っていたとこなんです。』
あ、そういえば今日は好きなアニメの劇場版が地上波初放送だったよなぁ。見逃した、マジか。俺はしょんぼりと首を垂れる。姫は俺の背を慰める様に撫で続ける。
『まぁ、そうなのですね。お可哀想に…。それは心細いことでしょう。ならば今後は私達と共に行動致しましょう。この辺りは魔物が住み着き危険な場所ですから。』
俺は耳を疑う。アニメが見れなかった悲しみも吹き飛ぶ。
『この世界は魔物が生息しているんですか?』
驚きで声が上擦る。メリル姫は神妙な顔で頷き話し始めた。
『我インダストリアルでは20年程前から魔物の出現が辺境より報告される様になりました。当初は辺境の北の森のみに生息していたのですが、次第に生息範囲を広げ周辺の村や街道、町にも現れる様になっています。』
俺は息を呑んだ。ここは異世界なんだ。これやばく無い?
『今までは被害にあった地域の領主に仕える優秀な騎士や魔術師、周辺の村や町から徴兵された訓練を積んだ兵士が魔物の討伐に当たっていました。幸いにも我が国は魔力を持つ者も多く、低級レベルの魔物であれば対抗出来る力があるのです。』
次第に姫は酷く鎮痛な面持ちになる。
『ですが、ここ数年今までの報告に無かった強靭で知能の高い魔物の出現が報告されるようになりました。』
姫は涙を流し俺に切々と訴える。いや、ファンタジーにアニメとかラノベではあるある設定だけどさ。嘘!
『それは北の森に近い村や町にです。凶悪な個体を前に僅かな異能しか持たぬ者に為す術はありません。一夜にして焦土と化す村や町が出てきました。』
俺はその様子を想像するとキリキリと胸が痛くなる。締め付けられる。怖い、怖い。息が何だか苦しい。
メリル姫は俺の手を取り優しく撫でる。少し冷たく小さな手に包まれ安心感を覚える。呼吸も楽になっていく。
『それを憂いた王国では、王立騎士団や王立魔術団から精鋭の者を揃え討伐隊を結成し、現地に派遣しています。その者達の報告では北の森深くにゲートが開かれており、そこから魔物が出て来ているらしいのです。』
魔物が次々出て来るなんて…。どうして?あるあるファンタジーだと魔王復活とかだけど。
『ゲート付近は熾烈を極めた凄惨な戦いとなっています。優れた力を持つ獣人や竜人、精霊使いや魔法使いが事にあたり、漸く凶悪な魔物の侵攻を食い止められているのです。』
俺は余りの内容に言葉を失う。どうしよう、コレ夢だと良いんだけど。違うよな。
『この非常時に王家の者として安全な王都で待つだけではいけないと思いました。民を魔物の脅威から守り、その傷を癒す為に旅に出る事にしたのです。』
何て立派な心根だろう。俺よりも年若い少女に見えるのに…。でも馬も馬車も護衛や侍女も無く、移動は歩きなんだな。危ないんじゃないかな。
メリルは俺の手から手を離し、居住いを正した。
『秋様には私達はどの様に見えていますか?』
『え?、姫と騎士に見えるけど…。』
メリル姫はフフッと笑う。
『秋様は真の姿を映す瞳をお持ちの様です。私達の姿は神官と修道女の様に見えている筈ですよ?』
『え、そうなんですか?どこからどう見てもドレスを着た姫と甲冑の騎士ですよ?』
『フフ、それは口外はなりません。内緒ですよ、混乱を招くだけですから。』
『他の御付きの方々は居ないんですか?』
『ええ、私は多くの者を従え行列を成すような移動は望みません。それでは民の偽り無い声を拾い、真の願いを叶えられないでしょう。』
自分より小さい少女なのに立派だな。怯えてばかりいたのが恥ずかい。
『北の森の奥に辿り着き、ゲート封鎖に尽力したいと考えています。道中立ち寄る村や街でも人々の助けになれればと…。』
まてよ、あれ、俺の置かれてる状況不味く無い?詰みかけてない?
辺りを見回してみても荒野が広がるだけ…。俺とメリル姫とアイスロッドさんしかいない。ここで置き去りにされたら、魔物がいるっていうのにただの非力な人間の俺は暮らしていけるの?
残念ながら身体から力が湧き出てくる気配も無いし、神の声も聞こえない。何も特殊な能力は無い気がする。
この世界の常識も分からないし、何か特殊な技術も持ってない。寧ろ金も家も身寄りも無いよ?どうすれば良いんだ。詰んでる。途方に暮れるばかりだ。
俺はその胸の内を二人に溢す。そして問いかける。
『俺、日本という国の中学生なんです。知ってます?』
メリル姫は神妙な面持ちで静かに応える。
『いいえ。』
『俺みたいに空から降って来る人っているんですかね。』
『…………。』
『俺、元の世界に帰れるんでしょうか?この世界でどうしていけば良いんでしょうか。』
『…………。』
さっき出会ったばかりの人に言うことじゃないのは分かってる。まともに顔を見れない。硬く握りしめた自分の手を見つめるしかない俺に姫は肩を抱き、頬を寄せ、その手に指を絡ませる。
『どうか自分を責めないで…。非力ではありますが、秋様の為に尽力させて頂きます。一緒に旅をする中でこの世界の事、今後の事を考えて参りましょう。』
その暖かい言葉は俺の心を温めた。涙が溢れない様耐えながら何度も無言で頷いた。
とここまでは良かった。目の前には魔物、俺の手には剣がある。
ここにはおにぎり程の大きさの某ゲームの青いスライムがいる。
『あの、これどうすれば良いんですか。俺こんなことしたこと無いんです。』
俺の手には姫様が使っていた剣が握らされた。剣は70cm程で細身だが金属なので重い。俺の手は恐怖に震えた。
『大丈夫ですわ。これは本物の魔物ではありません。実際村の何の教育も受けて無い子供でも木の棒で倒せる程度のものです。先ずは練習ですわ。私は支援や治療魔法に長けています。何があってもお助け出来ますから。』
笑顔で俺に行動を促すメリル姫。そうは言われてもどうすればいいのコレ。俺は動き出せずにスライム前に固まり、また二人を振り返る。
『ご安心下さい、ここにいるアイスロッドも四神の召喚や精霊使い、魔法、剣にも長けています。何があってもお助け出来ますから!』
とメリル姫は笑顔で俺に実戦を促す。それ、俺戦わなくても良いんじゃ…。
俺はその思いを伝えるべく、縋る様にもう一度後ろを振り返る。途端視界は闇に包まれた。
メリルとアイスロッドは身体が欠け、痙攣している秋の側に歩み寄る。
『姫様、秋様は戦闘には向かないのではありませんか?』
メリルは血に埋もれた秋の首元を見つめ拍動を確認する。
『良かった、まだ心臓は動いているわ。頑丈になってきて良かった…。…そうね。向かないわね。』
メリルは自分の手首を王家の紋章が付いた守刀で斬り付け、秋の心臓辺りに手をかざし血を垂らし治療を施す。
アイスロッドは秋を哀れむ様に見つめ、周囲に結界を張り巡らせる。
『もう既に二度も瀕死になられています。これ以上は…メリル様も危険です。』
メリルは仕方がないと言う様に溜息をつく。そして秋の横たわった身体の側に腰を下ろす。
『そうね、今日はもうやめておくわ。』
なおもメリルは治療を施す。その間秋の顎を片手で持ち上げ、角度を変え唇を啄み、時折舌を捻じ込む様に口づけを繰り返す。
アイスロッドの目には狂気の沙汰にしか見えない。行為を妨げ、姫の様子を確認する為に声を掛けた。
『姫様、こんなに寄り道しながらで良いのですか?』
アイスロッドは焦れた様な声色で話した。
メリルは秋より顔を離し上体を起こす。未だ秋の胸元に手は置かれ、メリルの手首から流れる血と秋の欠損した身体から流れる血が混ざり合い溶け合っている。
アイスロッドを一瞥すると、秋視線を移し穏やかに微笑む。
『良いのよ、勇者も召喚されたし、その内聖女も召喚されるでしょう。その者達が後は何とかしてくれます。取り敢えず人を襲いそうな魔物が居たら対処して、怪我人がいれば治せば良いのよ。』
『でも、それでは…。』
『良いのよ…。』
メリルはつまらなそうな顔で呟く。その後物思いを振り払う様に秋への口づけを再開する。アイスロッドはそれを鎮痛な面持ちで見つめた。
『そうでございますか…。恐れながら秋様は我々と行動を共にするのは危険ではございませんか?』
秋の欠けた肩が修復されていくのを眺めながらアイスロッドは言葉を続ける。
『どこかの村や町の長に良きに計らう様お願い出来たのでは?』
メリルは途端に表情を変え金色に輝く冷たい目でアイスロッドを振り返る。
『嫌よ、秋は離さないわ。だって、とっても可哀想で可愛いんですもの。』
メリルから発せられた殺気にたじろぐ。返答如何によっては攻撃を受ける。
『姫様…。』
すっと眼色は本来の色を取り戻し、メリルは打って変わって顔を綻ばせ嬉しそうに語り出す。
『だってお前も見たでしょう?』
『同時刻に南の王都の方に天上から光が差し、人らしき物がふわふわと舞い降りたかと思えば、秋はこの東方の天からただ落ちてきたのよ?』
メリルは眉を寄せうんざりだとでも言う様に首を左右に振る。
『神様も雑すぎるわよね。まるで不要な物を投げ捨てるかの様に…。急いで衝撃緩和の魔法を発動させたけれど、お可哀想に骨は砕け、血は飛び散り酷い有様だったわ。元の通りに治せるのかこの私でさえ不安だったもの。』
メリルは愛おしそうに秋を見つめる。
『片や遠方にいる者は私達が感じられる程の異能を授かり、片や何の異能も持たず子供でも倒せる魔物に蹂躙されてしまう…。』
メリルは秋の血がこびり付いた髪を梳く。
『私がいなければ、きっと良い様にされてしまうわ。私がお守りしなければ。』
秋の胸に縋り付き胸に顔を埋める。その顔は血濡れている。再び顔を上げ啄む様に口付ける。
メリルの秋を労る様子に、耐えられないと言う様にアイスロッドは食ってかかる。
『失礼ながら進言させていただきます。姫様の行為は秋様を危険に晒していらっしゃいます。秋様の落下時も速度遅延の魔法や、身体強化の魔法を組み合わせれば良かったのでは?』
メリルを真っ直ぐに捉えて、アイスロッドは強い眼差しで声を荒げる。
『もしくは私にご命令頂ければ、直ぐに天上に駆け上がり、風の精霊や風神の力も駆使しお助け致しましたのに…。』
アイスロッドは苦しげに顔を歪め姫を訝る様に見る。
少しの沈黙の後、メリルは満面の笑みを見せる。
『あら、気付いていたの?』
メリルは何て事ない顔で答えた。
『だって楽しいんだもの。目の前で秋が崩れていくのも。それを治すのも。これからの事を考えても嬉しくて嬉しくて仕方がないわ。秋は私だけしか頼れる者がいないの。私だけが秋の運命を変えられるの。本当に脆い可哀想な人だわ。神は残酷ね。』
抑えきれないと言う様にクククッと声を出して笑う。
『でも幸運なのかしら、私と巡り逢えたのだもの。運命だわ…。これ程までにない胸の高鳴りを感じる。胸がキュッと締め付けられる程嬉しいのよ。これを恋と呼ぶのかしら。』
メリルは頬を赤らめ、うっとりと夢見る様に瞳を潤ませる。
『秋の心を盗み見たわ、とても綺麗で、綺麗で…。…でも可笑しいわね、秋にとっては私もお前もとても綺麗らしいわ。』
笑顔は消え去り、無表情になる。
メリルは手を翳し終えると、目を閉じ血濡れたままの秋の額や頬を優しく撫でた。途端に汚れが取り去られていく。そしてその胸にそっと耳を当て堪えきれないと言う様に笑った。
『ふふ、生きているわ。私だけの秋。誰にも渡さないわ。』